此処で愚痴らせて下さい
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/09 (Tue) 03:10:10
父と母が離婚し数年
2年ぶりに会った今日、一緒にランチをした
唐突に「長女はどうしてんだ?」と言う
「独り暮らしして頑張ってやってるよ」と答える

「ふ~ん…あいつ身体障害者だったなぁ(笑)」
「可笑しいよなぁ~20歳過ぎて障害者になっちゃうんだから(笑)」

!?
含み笑いで言う父に私唖然
黙ってる私に父は続ける

「あれ?お前あいつが何で身体障害者か知らなかったっけ?(笑)
なぁ、知らないの?(笑)」と、何故か嬉しそう

私「…知ってるよ…飛び降りで…自殺未遂…」

「そうそうそう。あいつが何故自殺未遂したか理由しってるか?」
急に真面目な顔で問うから、私も真面目に答える

「パパのせいだよ」

「違うよ」と即答&どや顔

次の言葉を待つ私に、急に店内のTVを真剣に見ながら蕎麦をすするアスペ父

分かってはいても、やっぱり悔しい
「よく自分の娘をそんな風に言えるね」私泣いてた

涙の意味が分からない父は「なんでこんなとこで泣くんだ」と不機嫌になる
「俺はなぁ!姉が自殺未遂した理由が誰に聞かなくてもわかってんだよ!!」
なんで一番分かってない人が強気になるんだ?
涙が止まらない
「お前は姉や誰に聞いた話しか知らないだろ!俺は親だからよく分かってる」
よく分からない話に『俺が一番の被害者だ』と言い張る
結局いつまでも泣いてる私に腹を立て出ていった
最後まで「なんで泣いてるんだ」と怒鳴られた

もう会う必要はない
もう父親はいない
それが虚しくても、傷付くこともない
今日は沢山泣いたから
明日からは現実を受け止めて笑ってよう
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/09/10 (Wed) 06:30:01
拝見していて、私もお父さんに深く傷つけられた気持ちになりました。
お父さんとの間にどんな葛藤があったのかは私にはわかりませんが、そのお父さんの姿勢ではお姉さんが余りにかわいそうです。
アスペ父を持つ娘さんの涙は、いろんな意味でとても大切な涙だと感じました。
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/09/10 (Wed) 08:59:35
トマトです。

アスペ父を持つ娘さんは、2年ぶりにお父さんと再会されるきっかけはどういうものだったのですか?

お父さんから誘いがあって応じられたのでしょうか。

お母様もお姉さまもあなた様も・・・壮絶なまでにお父さんに対峙せざるを得なかった生活があり、人としての心を欠損したお父さんに強力に巻き込まれ、
それでもお母様は「もっと早く離婚していれば」とご自分を責めたかも知れないし
お姉さまの追いつめられ方は想像を絶します。

そんなことをした相手に、ふと会ってみようと思われたあなた様は、優しい方だなと思いました。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/10 (Wed) 12:29:12
パンダ様 トマト様
ありがとうございます
優しいお言葉に涙がでます

あれから、ぽつぽつと涙が止まりません…共感して頂けることに今は何だかほっとします


トマト様
なんせ複雑な家庭環境なので…また順を追って説明させて頂きますが、私から父に接触しました

無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/10 (Wed) 23:02:49
どうして父親に接触したのかと聞かれれば、やっぱり“会いたかった”からだと思う

嫌いになれない自分が悔しい
もう28歳にもなる女が親の愛情に飢えてるなんて、情けなさも感じる

きっかけは戸籍謄本でした
離婚した翌年に父は再婚して長男を授かっていた
私は三姉妹だから、父が望んでた男の子に恵まれて嬉しくなった
同時に虚しくもなった

父は女が生まれる度に『なんだ、女か』と吐いた

三姉妹の中で父の遊び相手は私だけだった
父に遊んでもらいたくて将棋を覚え、キャッチボールもした

忘れられない事がある

私が5才の時だった
何処か船で父と父の知人と出掛けた時の事

いつまでも船に上がってこない父が心配で下を覗いたら、父は溺れていた
咄嗟に海に飛び込んだ
助けたくて必死だった
死んじゃうかもしれないと、泣きながら「パパ、パパ」と腕を掴んだ

私が飛び込んだ音で大人達は気付き、船の上から顔を覗かせる
無事船に上がったところで大人達は何事かと父に訊ねた

父は「知らない」と言った

少し悲しくなる
今度は私に聞く
「パパが溺れてると思ったから…」小さな声で答えた

ここからはあまり鮮明じゃない…

自分はライフジャケットを着てる事…波が押し寄せる中、船に上がろうと手がもたついた様子を勘違いした私を『状況を把握する観察力がない』『感情的に騒いだ』と批難した

大人達は父を宥め、私を優しく励ました
そんな自分が恥ずかしかった
恥ずかしさでいっぱいだった


でも、この日が忘れられないのは羞恥心よりも“父が生きてて本当によかった”との思いです
すみません
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/10 (Wed) 23:21:30
やはり父を思い出すと胸が苦しくなり、説明しずらい部分もあるので…
私の呟きみたいになってしまいました
ご容赦下さい
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/09/11 (Thu) 19:01:18
トマトです。

目の前に居ると、どうにもこうにも怒りや情けなさや軽蔑や悔しさなどのマイナス感情しか湧かないし、一緒には居られないと固く思うのに

距離とか時間が経って・・・ふりかえると、いやがおうにもその人の懐かしい部分を感じてしまうということありますよね。

文体の魅力もあるでしょうが
非常に胸を突かれ、心に響くエピソードです。
無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/11 (Thu) 19:43:33
凄く辛かった思い出がある

5つ下の妹がチャイルドシートに乗ってた頃
母の入院先へ、父と私と妹は向かった

病院に着いた父は私に「ここで待ってろ」と運転席のドアを閉める
“バタン”この音で妹は起きてしまった
赤ん坊は泣きわめく
「パパ!」呼んでも叫んでも父には届かない

あやしても一向に泣き止まない妹に不安を抱き、私も病院へ行こうと決めた

泣き叫ぶ妹を抱っこした私を来院者達は迷惑そうに見る
受付の女性に「うるさい!」と注意され、すぐに外にでた

急に涙が溢れてきた
孤独になった気がした
父には置いてかれ、世間からも見放された気分だった
怖くて悲しくて、わんわん泣いた


しばらくすると父が病院から出てきた

病院前で泣いている私達を見て父が言ったのは

『どうしたんだ?』じゃなく

「何で泣いてんだ」と呟いた

そのまま車に向かって歩き出す
どうして行ってしまうの?
妹を抱いたまま私は後を追う
ずっと泣いていた
車に戻った父は「うるさい!」と怒鳴った

私は涙を堪えて、泣き続ける妹を必死であやした


いつからか、この頃か、父の『何で泣いてるんだ』が【泣くんじゃない】に聞こえるようになった
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/11 (Thu) 20:13:24
トマト様

コメントありがとうございます。

私は今まで父のことを他人に話したりできませんでした。
最後に会った日のことは母にすら伝えてません。

この掲示板の【アスペの方の我が子への愛情は?】のスレを拝見し、此処に消化しきれない想いを綴ってました…

ストレートに気持ち正直に自分の想いを綴ってますが、知識も教養もないバカ女にお付き合い頂き…誠に恐縮です。

自分を見つめ直す、駄文はまだ続きますm(__)m
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/09/12 (Fri) 05:35:13
トマトです。

asの男性が親になる難しさがリアルにわかりやすい。
どんどん書いてほしいです。
無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/12 (Fri) 18:23:24
【泣くんじゃない】
責めるように聞こえたのは、私だけじゃない

「何で泣いてるんだ」そう言われたら
母はいつも『ごめんなさい』と謝り、涙を堪えていた

そんな母が大嫌いだった

父といる母も、母といる父も、許せなかった

母は優しかった
社交的で太陽のような人

それが父の前だと途端に恐縮し、変わってしまうことが悔しかった

母を責める父には、憎しみが湧く



父は厳しかった
でも、優しい時もあった
父がいて、僅かだけど楽しかった思い出もある

父の存在に悩み、父と関わる事の難しさ

そこに居るだけで空気を変えてしまう父

自然と父の話題でさえ、私達にはタブーとなった

ただでさえ父と娘
思春期になれば、それも当然なのかもしれない

私は非行に走り、姉は自殺未遂を繰り返すようになる

妹は父との接触の一切を拒否した
まるで最初から父親などいなかったかのように…父のことを『あの人』という


父も母も教育には熱心だった
三姉妹共に学習塾に通い受験を経験し、中学から私立に入学する
旅行も国内海外問わず、年2回は必ず行った


“誰が悪かったのか?”


そんな一見して普通の家庭の崩壊だった



『お前は母親として失格だ』

母を責める声、もう聞きたくない
母が謝る姿、もう見たくない
無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/13 (Sat) 10:42:56
誰よりも父を煩わしく思ってたのは、家族以外の父に関わる人間だろう

空気が読めない上に挑発的な口調、皮肉を込めて笑うときたら…他人だったら顔も見たくないだろう

その場が凍りついたことなんて、物心ついた時から数え切れない

父がいる空間は、いつも刺々しかった
そしていつも父だけが気付いてない


父と同じ歯医者に行った時のこと
子供なりに一応「いつも我が儘な父をお世話して頂いてすみません」なんて言ってみた
それまで穏やかだった医者は、目くじらを立て「本当だよ!君のお父さんが来ると他の患者入れられないんだよ!!文句ばっか言ってて!!」
びっくりした
父は本当に嫌われていた


父は幼い頃に父親を亡くして、家庭環境は複雑のようだった
母方の親類とは年一回は集まるのに対し、父方の親族とは一度しか会ったことがない
父があまり会いたくないようだった

自分のことを話さない父を母は教えてくれた

学生時代の通信簿
成績も悪くはない、不良でもなかった父の《言動》を問題視する内容がびっしりと書かれていたこと

父が母にぽつりと言ったこと
「なんか、みんな俺から離れてくんだよな」




そんな父にとって私は何なんだろう?

そう考えた時にチクリと甦る記憶


中学2年のある時、シンナー臭を漂わせながら家に帰宅した

ラリってた私は、父が気付いた様子に涎を垂らしながら眺めてた

母が泣いて叫んでも、父は殴る蹴るの暴行をやめない
痛みは感じなかった


父は泣いていた

初めて見る父の涙だった

「…俺が泣いたのなんか…っ、親友が死んだとき以来だよ…っ!!」


父が、声をあげ、嗚咽をあげ、泣いていた


“そんな父の親友も本当は父を嫌っていたこと”

その事実も、チクリと私の胸を刺す



父にとって私は何だったんだろう?

記憶は甦る


「絶対に…親より先に死ぬんじゃない…っ!絶対にだ!!

それほど不幸な事はないんだ…」

姉の自殺行為の後、父は私に言った


「…夢の中で…夢の中のパパは…すごく優しかったんだ」

意識不明だった姉は、そう私に言ったんだ
無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/15 (Mon) 14:14:54
あれから12年になるんだな…
父と母は、私が高校に入学する頃に別居した

そのうち、父とはたまに会い連絡をとるようになった

数年が経つと、タブーだった父の話題も「ママって本当に男みる目ないよねー(笑)」「なんであんな男と結婚したの!?(笑)」なんて、姉と一緒に母をいじって冗談混じりのガールズトークもできるようになった


《アスペルガー》という言葉を知ったのは、今から3ヶ月程前だ


あまりにも父に当てはまってて「見て見て!パパのことが書いてあるよ!(笑)」母も「ずばり当たってるね!(笑)」なんて…面白おかしく笑っていた

そう、父がアスペルガーというのは医師の診断を受けたものではない

父と最後に会った日
実は、あの話には続きがある


――――

私は、蕎麦屋を出ていった父の後を追っていた

「…ねぇ!パパ…っ、待ってよ!!」

振り向いた父は“何か”の感情を我慢したようにゆっくりと言った


「どうして…泣いてるんだ…?」



“アスペルガー”
その言葉が初めて私の頭をよぎった


涙を堪えながら、言葉に詰まりながら、“その”意識を持ちながら、私は伝えた

「パパが…っ……泣かせるようなこと言ったから…姉のこと…」

父は目を見開き、声を上げた

「俺が…俺がどんなに姉のことで苦しんだか…っ!
どんなに…っ!

どんなに…



もう…いい…

もう、いいからな
メールもいらない、連絡もしてくるな
もう…俺に何もしてくるな」

吐き捨てるように…父は背中を向け歩きだす


頭が真っ白になった


私は…

ずっと渡しそびれてた、誕生日プレゼントを投げつけた


父は…それを拾うことなく、歩き続けた


【私は捨てられた】


そんな感情でいっぱいになった
もう、追いかける気力なんてない

その場に泣き崩れた




どうせなら

そのまま行ってくれればいいのに

父は一度だけ振り返り

姿を消した

無題
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/15 (Mon) 14:37:46
この掲示板に投稿したとき…

『私は捨てられた』なんて
あまりにも悲しくて
あまりにも悔しくて
あまりにも残酷で
私は言葉として書くことができなかった

でも……………



《アスペルガー》というものは私にヒントを与えてくれた


もしも…

父が言う『何で泣いてるんだ』が、言葉そのままの意味だとしたら…?

もしもあの時…

姉を笑った父が“自分の境遇”に皮肉を込めて笑ってたとしたら…?


もしも…
あの時も…あの時も…





【アスペルガー症候群】

こうした特性を持った人間がいることは、もっと広く世に認知されるべきであろう

そして…こうした人間がいるということが、私の先入観を変えたのは事実である




こうは考えられないだろうか


もしも自分に人を傷付ける《能力》があったとしたら…あなたはそれでも大事な人の側にいますか?


もしもその《能力》が、自分にはコントロールできない、目に見えない武器だとしたら…あなたは怖くなって、その場から逃げだしたりしないだろうか?



そう…

わからないまま傷付いてたのは…私だけじゃないのかもしれない

原因もわからない、状況も飲み込めないまま、家族が不幸になってく様は…

きっと非常に耐え難いものであろう



【アスペルガー症候群】

父がそうであったかはわからない

というより…もう、どっちでもいい

だって“そこに”愛はあった

父は“私の父”だった

今はもう、それだけで十分だ…





今、目頭が熱くなる



父の新しい家族、同じ父の血を受け継ぐ、私の弟よ…

もしも私と同じように悩む時がきたなら…あなたに伝えたい

あなたの父は誰よりも繊細で、誰よりもあなたを愛している

ありがとうございました
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/15 (Mon) 15:13:35
過去を振り返り、自分を見つめ直すということは、とても苦しく辛いことですね…

この数日間、仕事に行っても父のことを考え、眠れない日々が続いてました…

これを読んで下さった方がどれだけいるのかはわかりませんが、『公の場で書いた以上は結論付けたい』という思いがあったことは、私の背中を押してくれたように感じています

お陰様で自分の気持ちに決着をつけられたこと、改めてお礼申し上げます

ありがとうございました

また改めて追記させて頂くかもしれませんが、宜しくお願い致します

Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/09/16 (Tue) 17:15:45
毎回、息を飲むように読ませて頂きました。

お父さんに、アスペの父を持つ娘さんの気持ちが、どうやったら余り誤解なく伝わるのか、その涙の意味をどう伝えられるのか。

私がブログで皆さんとやり取りしながら考えたいのは、多分そんなことです。

また機会があれば顔を出してください。この掲示板はカウントがわからないのですが、ブログの方は最近は日に250人前後の方が読みにいらしています。お互いに色々な思いや知恵や情報をやりとりできますし。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/16 (Tue) 21:48:48
パンダ様

2度目のコメントありがとうございます
ブログとは何と検索すればでてきますか?
アスペルガーのことも最近知ったもので…何分無知で申し訳ないです

涙の意味とは、一般的にみても《悲しいとき》《感動したとき》《怒ったとき》など…色々ありますよね

父はとにかくこちらが感情的になると癇癪をおこす人でした
母にも『お前が感情的な人間だから子供が弱い人間になってしまうんだ!!』と何度も怒鳴っていました…
思春期の頃は『何で泣いてるんだ』と言われたら、私は怒りと悲しみで「何でわかんないの!?」「あんたのせいでしょ!!」と詰め寄ることもありました
「てめぇがそんなんだからだよ!!」と私が暴言を吐いたことも数知れません…

本人にしか分からないことですが、いつからか父にとって…《泣かれるということ》は許しがたい行為なんでしょうね…

Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/09/17 (Wed) 07:42:18
「アスぺと定型」です。ここの右上にも最新記事のリストが出ていますから,クリックすれば見られると思います。
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/09/17 (Wed) 10:11:11
トマトです

アスペ父を持つ娘さんの告白ともいえるコメントで、AS(かも知れない、またその傾向が強い)人と、家族や恋人など至近距離でくらし続けることの、壮絶さを感じながら
ブログの方でテーマになった障害と人間性を「ひとつ」と定義するか「別のもの」としてとらえるかのことを考えていました。

このお父さんがもしASでなかったら・・とか、AS具合がもっと軽かったらとか。

そして
「父はとにかくこちらが感情的になると癇癪をおこす人でした」というコメントで、ASの人にとって定型とのコミュニケーションで、最難関の壁となり最悪の穴となり最強の妨害電波となるのは
定型の感情なのだと確信しました。

流れる涙を見て「泣いている、何故だ」と理論的に涙の意味を考えなければならなくて
「悲しいから泣いているのよ」というのは説明にならず
「何にどう悲しいのだ? そもそも悲しいとはどういうものか」

という混乱になり・・・

ここまで概念や感覚が違う者同士が、アスペ語と定型語をぶつけ合う「会話」は

日本語を用いた、実際は異国語の会話であり、そこにどちらかの感情が加味されたら、それはもう、精神を壊されるほどの追いつめになると思います。
それは、ASと定型ぢちらにも。

ただ・・・
肩で息をするほどのはぁはぁという精神力の限界をきたしてなお
混乱や憎悪の向こう側に・・・相手の心を見つめようとするサガ。

それは、99%の酷さの中から抽出された1パーセントの確かな人間性のぬくもり、聡明な尊敬できる部分の記憶が切なく思い出され、そのうち10、20、30%に増幅されるからではないでしょうか。

ほとんど悪い記憶だが、ほんの少しの良い記憶で、その人を憎み切れず苦しんでしまう
という、記憶と感情の葛藤の「割合」
こういう「ひきずり」って、ASの人にあるのだろうか。

いろいろ考えさせられました。









お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/17 (Wed) 15:22:52
パンダ様 トマト様

ブログのほう拝見させて頂きました
内容も深いものばかりで…とても考えさせられました。
パンダ様トマト様は私の父がアスペルガーだと感じますか?
勿論、私はその疑問を持ちながら此処に書き込んだのは事実ですが…お二方のほうが知識を持ってらっしゃるのは確かなので質問させて頂きたいです。
ここに書いた主旨は父自身というより、父と娘であり、私の回想がほとんどなので情報も足りないかとは思いますが…質問があればお答えします。
正直、不確かなままブログにおじゃまさせて頂くのも何か申し訳ないです…皆さん真剣に悩んでいらっしゃいます。
だからといって父は【自分が正しいと思ったこと以外は受け入れられない】こだわり性質を持ち合わせていますので…この先、医師の診察を受けるのは難しいように感じます…ハァ…
追記
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/17 (Wed) 20:17:00
幼い頃…
父が娘たちに聞く、お決まりの質問がある

『世界で一番大事なものはなんだ?』

父の一言で、姉はまるでロボットのように「はい、自分です」と答える

父は満足そうに『そうだ!!』と頷く

『お前は何だ?』父が私に聞いた

私は何の疑いもなく「友達!」と答えた

父の怒声が響く

『友達だぁ!!?はっ…下らない!!くだらないんだよっ!!!じゃあ、友達がお前の為に死んでくれんのか!!?あ゛ぁ!?』

“だからお前はダメなんだ”とぶつぶつ言っている

私は少し考えて「…じゃあ!家族!!」と答えた

父は、少しの沈黙の後
『…そうだな…家族は大事だな……でも、自分を一番大事にしなきゃダメだ。自分が一番なんだ』

父は穏やかに…どこか寂しそうに…自分に言い聞かせるようにも見えた

そして、また厳しい顔で声を上げた

『自分がいるから地球は廻っている!!』

?????
なんで?正直そう思った

けど、姉は…
表情を変えることなく
「自分がいるから地球は廻っている」
いつだって父の言うことを復唱した
まるでロボットのように…
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/09/18 (Thu) 00:01:38
トマトです。

もう30年も前のことですが・・私の友人が入院中に、友人のお姉さんが自殺してしまい、退院後にそのことをご両親から聞かされ、すでに葬儀も終わっていて友人は、そのときの心の整理をするために心理学を学んでいました。

友人は、お姉さんの自殺の原因を父子関係にあると言っていました。
「父の人形になろうとした姉は心を病んでいた」と。
そのことを、今回のコメントを拝読して思い出しました。

以前に私は、息子は母親の影響を 娘は父親の影響を強く受ける、と聞いたことがあります。
今回は、お姉さんがお父さんから受けた、精神のホールド感の強さを感じるエピソードです。

ASかどうかは専門医が診断のうえで下すものですから、素人が受けた印象だけで「そう思う」とはいえないものです。
が・・・アスペ父を持つ娘さんの綴られたお父さんの人物像は「確かにASっぽいですね」という感じです。

お父さんがASならば、長女さんの自殺は「つらい記憶」でも、それを「つらい」にそぐう表現が出来ないのではないかと思いました。
ましてや自分の影響がどの程度どのように娘を苦しめたのかという、想像や想定はすぐに「パニック」に転化され、自分をかえりみるという感覚は生まれにくいだろうと思いました。

とりかえしのつかない事態になったとき、その一端でも理解してほしいという希望を「共感」と呼ぶならば、それはほとんどの場合、絶望として打ち返されますね。
ASと定型の関係性では。


 



お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/18 (Thu) 12:38:18
トマト様

貴重なご意見ありがとうございます!

確かに父は…これまで何度となく家族に【絶望】を与え続けました。
『どうしてこの人はここまで相手の気持ちがわからないのだろう』と嘆いたことも数知れません。
母は今でも言います…「夫婦だったけど、相談という形がパパとは一度もとれなかったな…」って…。

しかし、私は最後に会った日、私の中では《世紀の大発見!》と言っていいくらいの…本当に…本当に些細なことですが、父の変化が見受けられました。
父は結局、蕎麦屋をてでいきましたが…その前に父は「帰る!」と言い出ていこうとしたんです。なのに少し間を置いて、座り直したんです…!!
最後に「どうして泣いてるんだ?」とゆっくり…困ったよう(そう見えた)にも言ったのも初めてでした。
それは私が娘としての歴史と五感で感じた部分でもあり…言葉にするのは難しいし、他人には理解に苦しむだろうとは思います。
でも単に蕎麦が食べたくて座り直すなんて、今までならあり得ないことなんです!(笑)
そんな父も、もう60歳に近い年齢で、私の子供でもおかしくないくらいの年齢の男の子を授かって…その子のためにも少しでいいから変わって欲しい!という私の心情もありますね。

そしてそして!
トマト様のご友人のご両親様について、私の両親と通じる部分感じました!
私の姉が自殺未遂をしたのは、もう8年も前ですが…母からはずっと事故だと聞かされ、一年半前になって姉から初めて自殺未遂だったと聞かされました。
姉は自殺未遂しても尚、親の言う通りに“事故だった”と自分を偽り続けさせた母にも許せない気持ちは今もあります。
ちょっと休憩
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/18 (Thu) 19:16:43
父は突拍子もない発言をすることが度々ある

今だから言おう
今は断じてそんなことはしてないと、神に誓ってもいい

小学校低学年くらいの頃…

私は壁に鼻くそをつけていた

別に何の考えがあった訳でもない、学習机の横の壁だからティッシュからは少し遠い場所だったのはあるかもしれない
でも本当にただ何となくつけただけなんだ
そして、ただ何となく何度か壁につけていった…

ある日、それが父に見つかった

『お前!!何でこんなところに鼻くそつけてんだ!!』

“壁に鼻くそをつけた”と指摘され、恥ずかしさと罪悪感でいっぱいになり必死に謝ったのを今でも覚えている

―――――

あれから15年は経っただろう、ある日…
離婚してからも定期的に会い、父と母と私で食事をしてた時のことだ

『娘よ、どうしても聞きたいことがある』

いつになく真剣な表情に息をのんだ

『お前、何で鼻くそ壁につけてたんだ?』


「……ぶっ!」
いつのことか瞬時に判断できず、少し間を置いて私は吹き出した

『何笑ってんだ』

(やばっ…)
その一言で咄嗟に笑いを堪える

『何で笑ったんだ?』



『壁に鼻くそをつけた理由は何だ?』

父はまだ真剣な表情だ
もう笑っては済まされない

(…どうしよう?壁に鼻くそをつけた理由!?……何となく…なんて……真剣に聞いてるんだから、きっとそれじゃダメだ……でも、鼻くそに相当する理由なんてない……深刻な理由………ダメだ、全く思いつかない……)

私は完全に黙ってしまった

母も同じように思ったのか、困惑した表情で目をキョロキョロさせている…

『何だ?自分のことなのにわからないのか?』

「いやぁ…すみません…」一応、申し訳なさそうに答える

『俺は、何でだろうとずっと考えていたんだ…』

父よ…他にもっと考えるべきことがあるだろう?
そう思ったが、がっかりしたようにうつ向いた父を不憫に思い…私は励ますつもりで言った

「でも私!鼻くそ食べたことないよ!!」

私、頑張った…!

『そんなの当たり前だろ』

やっぱり私と父は噛み合わない…(笑)



追記
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/21 (Sun) 00:31:05
父と母が別居し、私が高校生の時だった
リビングで寝てた私は、目を醒ますと…母がこちらを見て泣いていた

「…どうしたの?…ママ」

「ごめんね…本当にごめんなさい…っ…」

母は泣きじゃくりながら私に謝る

「…ママね…パパといた頃…っ、パパに…毎日毎日…怒鳴られて、すごく辛くて…苦しくて…あなたの寝顔みると…っ……気が付くと…!!」

“私の首に何度も手をかけた”こと

“私さえいなければ…って思った”こと

“そして自分も死のう…”

“そんな自分が怖かった…”と


「大丈夫だよ…ママ、ごめんね…」

母は“許して、許して…”と泣き崩れた



わかってた

ママがギリギリの精神状態だったのは、わかってたよ

ママは、ずっとパパに一生懸命だったのにね…



――――

父と母は、付き合ってわずか3ヶ月で《でき婚》したという

長女だった母は、結婚式は必ず挙げるよう祖母に口うるさく言われたが…
母方は80人くるというのに、父は10人も呼べる人がいないと言った
形にならない以上、諦めるしかなかった

結婚して一年の間は毎日毎日、喧嘩ばかりで…
どうしたらこの人と上手く付き合えるのだろう?
そう思い悩む日々が続き、あるとき気付いたという


【私が我慢すれば、全てが丸くおさまるんだ】


私の知ってる母は、とてもよく父に尽くしていた

朝の着替え一つにしても母は靴下だって履かせてあげていた

夜も決まって一緒にお風呂に入り、父の身体を洗ってあげていた

父の言動一つで、母の言動も変わる

そんな毎日も…

私が非行に走ってから変わってしまった

家庭のことは全て母まかせにしてた父は『ダメな母親だ』と、毎日毎日…言葉の暴力は続いた

母親としての存在を否定し続けた父に…母はただ耐えていた


でも【母の我慢】は【私たちの我慢】だったよ



ある日

家に帰ると、姉の姿が見えない

姉の部屋の荷物も…何もなかった

母が私を抱き締めた

「…お姉ちゃん…頑張ったんだよ…っ…」

私が家にいないと父は決まって暴れたという

『なんで次女はいないんだ!!?』
『お前がちゃんと見てないからだ!!』

止まらない父の怒声に、初めて姉が泣き叫んだという

“もうやめて、こんな家だから妹は帰ってこないんだ”と…

あの、おとなしかった姉が…

初めての姉の反抗に父は発狂した

狂ったように『出てけ!』と連呼し、殴りかかると…姉の髪を掴み、引きずり…外に放り投げたという

それから、姉は祖母の家で暮らした


【私たちの限界】は【母の限界】だった


そうして私の両親は別居した


あの日の建前
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/22 (Mon) 12:13:42
因みに…父と母が離婚してもう6年も経っている

そう、父は“その間に再婚し子を授かってたこと”など、ず―――っと黙っていたのだ!

勿論、その間も私や姉と会い、たまに意味のわからないメールを送りつけてくる
※『小生は…〜考える』や、私なりに訳すところ“人生とは辛抱だ”“志を持って諦めない精神”のような?類の…独り言のようなメール


私は母にまで黙ってたことが許せなかった

それは、その間にも母に精神的苦痛を与えたこともそうだし、一番は母名義の色々を父は使用したままでいたことだ
※話してもわかってくれない父に対し母は離婚にしても完全受身の体制をとっていた

すぐに会う段取りをしたのは、これがきっかけではある
※私が2年ぶりなのは『お前も許されたわけではない』との父からのムカつくメールに、その後携帯番号を変えても教えてなかった


私は内心、ワクワクしていた!

そしてイメージしていた!

再婚のことを私が口にすれば、父はきっと『何で知ってんだ!』と怒りだす姿を!
そしたら私は、父のように【怒った】に繋がる【やましい気持ち】を徹底的に問い詰めてやろうと!



そして勝負の日はきた!


蕎麦屋にて、注文を終えた私は早速切り出した

「そういえば、再婚おめでとう!!」

父は私の目を見て『え?何だって?』と聞き返す
(ほらきた!笑)

父は水を一口飲んだ

もう一度、嫌味たっぷりに言ってやった!

「再婚おめでとう!(笑)」

なのに父は…

嬉しそうな顔で『ありがとう』と言った


???あれ???

まぁ、いい…


「子供もいるんだってね!?〇〇君だっけ??(笑)」

『うん、まぁ、その…』

なんだか嬉しそうに口をもごもごさせている様子に若干イラっとした

「なんで再婚したこと黙ってたの!?」

父は何でもない様子で『何で言う必要があるんだ?』という

はぁ!?

「じゃあ!なんでママ名義のそのままにしてたの!?再婚したんだから、その人の名義でもいいでしょ!?」

開き直った様子に煽るように責めた

『何で変える必要があるんだ?ずっとそうやって使ってきたんだからそのままでいいじゃないか』


父の淡々とした様子に…

私はとにかくこの時…
“言葉を忘れて”しまった


そして父は、隣を気にするような様子で『その話は、ここじゃアレだから後でしよう、な!』と…ここでもまた嬉しそうに、人差し指を口にする素振りをした

何そのポーズ!?

結局また父のペースに不服としながらも…まぁこんなところで“再婚再婚”言ったことに少し反省した

黙って蕎麦を食べる

父は唐突に言った
『長女はどうしてんだ?』

!?
その話はここでするの!?


〜以下省略〜





(蕎麦屋を後にした話の余談です)

そういえば父は…

『もう俺に何もしてくるな』の後に

『お前は変わってないな。携帯番号を変えて、そんなんじゃ…#◎※□▼☆●!!』とよくわからないことを言っていた

(意味わからないので省きました)


無題
  • キラリ
  • 2014/09/22 (Mon) 16:23:54
はじめまして・・ キラリです。

私の友人の 元夫ASさんも 離婚して 一年もしないうちに再婚 そしてお子さんがすでに誕生しています。
デキ婚だったようです・・   あまりの急な進展に  友人も かなりの衝撃だったようですが 「これまで共にしてきた結婚生活の中の 言動から 想像できないわけではない 想定内  これまで 心を感じたことがなかった」と 言っていました。    変わり身の早さに 正直 話を聞きながら 私も衝撃を受けました。

友人には 発達障害の子どもさんがいます。
友人 と そのご両親(祖父母)で 一生懸命育ててらっしゃいます。
離婚前も そのお子さんの 学校行事にいくなんてこと ほとんどなく 友人のご両親も
期待しては うらぎられ・・ 最後の最後まで 信じられない思いばかり してきたようです。

自分の思うままに 仕事と称して 仕事に集中??されていたようで 家族を省みることは
なかったようです。

彼女も強く生きてますが 逆に 見ていて思います。
元夫さんは 再婚したら 変わるのだろうか??  うまくいくのだろうか?? と・・・・・・・







 

お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/22 (Mon) 19:42:28
キラリ様

コメントありがとうございます

そうですか、父は再婚もでき婚のようで…まさかあの性格で女ができたことにびっくりです(笑)

私としては父にも母にも幸せになってもらいたいのですが…母の再婚は父が邪魔してたようなものなので、母が気の毒です…


追記
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/22 (Mon) 20:39:31
物心ついた頃から

父の存在は

なんだかこわくて
なんだかわからなくて
いつもビクビクしていた

仲良くしたくても

私が父にさわるとすごく嫌な顔をした

『やめろ!』『さわるな!』
そういって睨まれる

そして決まって『ちぇっ、ちぇっ』と追い払うしぐさをする…

もう振り払われるのがこわいから

だから私は父の袖をつかむの

頭をなでてもらったことも

抱き締めてもらったこともない

だから私は父のぬくもりを知らない

ふれあったのは非行に走ってからの…殴り合いのケンカくらい


そういえば、父は私に『本を読め』とうるさくいって
何冊も何冊も買ってくれたね

初めて父に渡されたのは、小学校2年生のとき【ヘレン・ケラー】だった

『読んだら感想文2枚以上書け』

私はもちろん、父が読むことを意識して一生懸命書いたよ

でも、次の日になっても
3日たっても
1週間、1ヶ月たっても
父は何もいってこない

こわくて聞けない

ボツだったかな?

やっぱり、出来が悪かったから?


でも父は、私が非行に走ったとき

自分の車のナンバーを私の誕生日にかえてたんだ

私がなんとなく買ってあげたパンツを、穴があくほどはきつぶしてた

ケンカが始まれば、私と父はとまらなくて何度も何度も警察のお世話になったよね

何度も何度も傷つけあった


私が鑑別所に入ったときは

毎週毎週、父と母は面会にきてくれて

教護院に移送になっても

毎月毎月、父と母が面会にきてくれて

親がいない子がほとんどだから…“毎回きてくれるなんていいね”って、同じ部屋の子が泣いてたよ

「親がいるってどんなかんじなの…?」

そんな期待した目で聞かないで

親がいない子、親が刑務所に入ってる子、性的虐待をうけた子、育児放棄された子…


人と比べて幸せを感じることは罪ですか?




人と比べて幸せを感じることは罪ですか?



Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • みみ
  • 2014/09/26 (Fri) 21:22:40
はじめまして、みみと言います。

今年の4月にこちらに投稿させていただき、親身に相談にのっていただいた者です。
まだ私は人にアドバイスなんて出来る状態ではありませんし、アスペルガー症候群というもの、苦しんでいらっしゃる方々がたくさんいるということを今年になって知ったばかりで、アドバイス出来る立場にないと思います。
でもこれだけはお伝えしたくコメントいたしました。

ご投稿をお読みして感じたことは、アスペ父を持つ娘さんはとても強い人だなと思いました。
強いというのは「何があっても動じない」という意味ではなくて「人を許すことが出来る優しい人」という意味です。
お母さまやお姉さまのお話、鑑別所に行かれたお話、十分すぎるくらい苦しまれたのに、まだ尚お父さまを理解し歩み寄ろうとしていらっしゃいます。
そして新しく生まれてくる再婚相手のお子さんのこと、子供に罪はないとしても、私なら穏やかではいられないと思います。

>人と比べて幸せを感じることは罪ですか?
罪なんかじゃない、本来そうあるべきだと思います。
自分の幸せに気づかず、他人と比べて文句ばかり言っている人が多いと思います。そこは私も反省しなければいけません。


私が申し上げたいのは、「負けないでください」ということです。
そして、どうか幸せになって欲しいです。
こんな優しい人が幸せになれないはずはないと思います。
こんなことくらいしか言えなくてごめんなさい。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/28 (Sun) 01:11:20
みみ様

お返事が遅くなりごめんなさい

『優しい人』なんて言われたことに、正直びっくりして…戸惑っています…

スレチなんで自分に焦点をあてることは避けてましたが…『優しい』人間ではないです

「良い子」であることが「ほっといてもいい子」と思えるようになってから、非行を繰り返すようになり…非行少女だった私は、やがて成人し犯罪者へとなりました

成人しても尚、更正しなかったのは親のせいでもなく、自分の責任ですからね

なので、私のような人間に『幸せになれないはずはない』との温かいお言葉をかけて下さったこと…申し訳なく思います

今となっては更正する道を歩んでるものの、やはり世間様へ後ろめたさは拭えません

だから…孤独ですね

『負けないで』って励ましのお言葉、とても嬉しく涙がでました

ありがとうございます


Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/09/28 (Sun) 18:28:38
別に無理に言うわけではなくて,たぶんたんに事実だと思うんですけど,
やさしい人だからこそとても傷つきやすいんじゃないでしょうか。
ただでさえ傷つきやすいのに,それほどの苦しい状況の中で,
もう自分を痛めつけるほかなくなってしまったのではないかと。
だから,お話を伺っていて,本当に痛々しくなるのだと思います。
そういう深い傷を負いながら,なおお父さんのことを
そんな風に考えられているというのは,やっぱりすごいことだし,
やさしいからだと思います。

実際の具体的なことはわかりませんので,
的外れだったらごめんなさい。
お書きいただいたことからの私の印象です。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/09/30 (Tue) 23:47:21
パンダ様

お気遣い頂き、本当に恐縮する思いです

私は『人と比べて幸せを感じる』ように生きてきました

誰かと比べて“自分よりも不幸な人がいるんだから、こんなことで嘆いちゃいけない”と、行き場のない気持ちに目を瞑り…誤魔化すことに必死でした

“自分は恵まれているはず”なのに…どうしても、思いと、行動が、バラバラになってしまう…どうしてなのか?
自分自身の心は長い間、苦しかったです


それでも『このままじゃ幸せにはなれない』と漠然と思い、自分のしてきた罪に足を洗おうと決めました


そして此処で、誰にも打ち明けられなかった過去を綴るようになり…

“私は苦しかったんだ”と認めはじめてから、随分と気持ちが楽になりました


『幸せは自分が感じるもので、人と比べるものじゃなかった』と気付いてからは“自分の幸せとは何なのか?”が明確に見えてきた気がします


私は臆病な人間です

心療内科に行ってみようかとか、頭を過ったことはありましたが…

医者だって人間で仕事なんです

だからそんな仕事で、私のような人間を相手にして『うわーこの患者超めんどくせー』なんて、例えば思われたら…と申し訳なくて、行く気も失せちゃうんです

だからこの場を借りて、自分自身と向き合えたことは本当に感謝しなきゃいけないな、と思います

この場を借りれたこと、改めてお礼申し上げます

ありがとうございました


私はお陰様で少しずつ前向きになっていますので、ご心配をお掛けしてすみませんでした


Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/10/01 (Wed) 08:23:44
旅先でふとあった人と,お互いに誰だかも知らないまま,
半ば問わず語りにいつの間にかとても大事な話をしていた。
そんな感じなのかもしれませんね。
お互い顔が見えない関係だからこそそれができるのかも。

またよろしければいつでも感想やご意見,思うことなど
これからも折に触れてお書きください。
いろいろ大事なことを考える手掛かりも与えてくださって
ありがとうございました。
きっと他の皆さんにとってもそうだっただろうと思います。

少しずつでも,幸せな自分を見つけていってくださいね。
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/10/01 (Wed) 08:41:28
トマトです。
アスペの父を持った娘さんの告白に、救われた方も、共感を持ち心が落ち着いた方も居ると思います。

自分にとって罪悪感や、痛みが、深く強いほど、他者が受け取る感慨もまた深く強いものがあると思います。
経験者でないと伝わらない・・・本物だけがもつ具体性と迫力ってありますものね。

今後もいろいろ教えてください。
追記
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/03 (Fri) 00:06:23
これは、父が私に語った話だ

父は『俺は中学生の頃に“いじめ”にあった』と言った

父が自分の過去を話すことなんて無に等しいから、私は耳を澄まして聞いていた

でも、やっぱり父のいう“いじめ”は一般的に想像するものとは違っていた

父はの話は短かった

『中学生の頃、クラスメイトの金がなくなった。俺は担任に呼び出され「お前がやったんだろ」と言われた。俺は「お前は間違ってる!」と言ってやった。担任は「お前がやったと言ってる奴がいる」と言い、俺はそいつの名前を聞き出した。それから、俺は…………』

ここでも、やっぱり期待は裏切られた

『だから俺は…そいつの家に行き、そいつの“親に”言ったんだ!
「お前は間違ってる」と!!!』


どうして“言った本人”じゃなかったのか?

そんな疑問ですら…

父の《当然のことをした》という態度と言い方に…

私は“また”何も言えなくなるんだ

酒を飲んでた父は…思い出したように赤らめた顔を歪ませた

いつだって父の話は私を混乱させるんだ


だってさ

この話を聞いた時、私は反抗期真っ盛りで…私立の学校の退学が決まって数日後のことだった

もしも、父が《親に責任がある》と思った行動だとすれば、どうして私の非行は《自分に原因がある》とは思わないのだろうか…?

当時から…私は疑問だった


父はよく言ってたね

『世の中で一番、恐ろしいものは人間なんだ』

これも口癖だったね

『やられたら、絶対にやり返せ!!』

これが、父の教えだった

そして…

ずっと昔に私に言ってくれた言葉は…

『お前を傷付ける奴は…パパが絶対に許さない。何があろうと、どんな手をつかってでも…パパがそいつを…………!!!』


私が与えられたものは【歪んだ愛情】だったのか?





いつだろう?
父に「お仕事頑張ってね」なんて言った時も、父は怒って『お前に言われたくない!』なんて言ってたね

《頑張って》は父には禁句だった

『何で俺が頑張るんだ!』『お前が頑張れよ!』

こんな言葉が返ってくる

気遣った言葉も、励ましの言葉も伝わらなくて

どうしたらこの想いが…

父に伝わるんだろう?



Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/10/03 (Fri) 07:20:31
アスぺ父を持つ娘さんへ   トマトです。

こんなお父様は、どんな種類のお仕事をしていらした(しておられる)のですか?
営業とか接客業は無理っぽいし・・・。

どんなお仕事をして、過去も今現在も、一家を支えておられるのでしょう?
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/06 (Mon) 09:06:33
トマト様

仰る通り…営業接客業なんて出来る人じゃないですね

父の仕事については…
ここに綴るべきかずっと悩んでいました

というのも、現在も過去も娘の私ですら分からないことが多いのです

主に投資だったと認識してますが、他の内容は知りません

父の仕事を知ったのは私が高校生の時でした

別居して“サラリーマン”だと聞かされ続けてた父の仕事が疑問に思い、父の名前をインターネットで検索したところ《大株主》と書かれた父の名前の記事が沢山でてきました

今は破産したも同然ですが…当時、高級車を所有し、賃貸マンションに住ながらも、他にもマンションとホテルの別荘を所有してました

父の仕事の関係の人達とは、家族ぐるみで食事をした事は何度もありますが…「社長!」と呼ばれる父の仕事よりも“いつまた何を言い出すか”のほうが子供ながらに気掛かりで仕方なかったです

「あの人は人脈をつくることができない」と…
父の人間関係のフォローをしてたのは母でした

海外旅行のときは、相手家族の旅費まで父が払ってましたが…それだって毎回相手が変わります

何故なら…自分勝手な行動に付き合わされる上『お前は無能だ!』などと、限度なく吐かれる暴言に相手方の奥様が耐えられないからです

父の言葉に傷付く人達の様子を…私は幼い頃から見てきました


ここで綴ってきた中で、父がぽつりと言ったこと『なんか、みんな俺から離れてくんだよな』というのは…リーマンショック後に父が言った言葉です

仕事での人間関係ですら失った父は…
『最近、人と話してないんだよな』ともこぼしてたそうです

この言葉がどんな状況を指すかは…母をはじめとする父を知る人間にはすぐに想像がつきました

父が現在どうやって生計を立てているかは知りません

ですが…証券会社に勤めてた父は退社すると、転職を繰り返し、会社をつくっては倒産させてたと母から聞きました

母は私に言います
「勝手に私の名前までつかって、どんな会社をつくって、いくつ潰したかもわからない」と…

再婚した相手は、羽振りのよかった父を知っている飲み屋の女じゃないかとみています
かなり年下の女性なので…


ここまでぶっちゃけてしまえばもう、もっと踏み込んだ内容も綴ってこうかなと思ってますが…ゆっくり更新していきますので宜しくお願いしますm(__)m
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • トマト
  • 2014/10/06 (Mon) 19:28:38
トマトです。

お父様に関して随分突っ込んだ質問をしてしまったことおわびします。

しかし、AS(であろう)お父様が、人望ではなく、その能力の高さで人を巻き込み成果を上げておられたことに、とても納得を感じました。
その卓越した能力の高さと、尋常でない思い切りの良さというか乱暴な辣腕ぶりで、一時期とても発展的なお仕事ぶりを展開していたのですね。

本当に波瀾万丈ですね。
まるで映画を観ているようです。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/07 (Tue) 04:30:18
トマト様

気になさらないで下さい

正直もう身バレしてもいいかなぁ、なんて思ってましたし

ここに綴るようになって、随分と私のメンタルは助けられていますから

父は、妹が大学を卒業した今年4月まで…母子家庭となった私達の家賃だって、厳しい状況の中、度々遅れながらも払ってくれてました

再婚して家庭を持ちながらも、金銭的な責任は果たしてくれてたことは…とても感謝しています

離れていても、しつこいくらいに私達に怒鳴っては訳のわからない説教したりと…納得がいかないことも多かったですが、それだけ私達の存在が父にとっても大きかったのかなと感じています

まだまだ父ネタはあります(笑)

次は父の具体的な人物像についても触れていきますね

追記
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/08 (Wed) 01:16:25
父はなんかいつも怒っているように見える

表情もそうだし、相手を気遣うことがないから余計にそう感じてしまう

最悪なのがクレーマーでトラブルメーカーなところ!

それでいて自分の悪口には敏感で、人一倍に傷つきやすいんだから全くもってタチが悪い

父の仕事関係者達と酒の場で「社長もキツイこと言いますね(笑)」なんて冗談混じりにサラッと口にした声が聞こえた
たったその一言で、父は怒り狂い寿司屋のカウンターをぐちゃぐちゃにすると、金を投げつけ出ていった…

そんな父についたあだ名は《金正日》だった…(笑)

周りにいる人間は常に“喜び組”でいなければならない

そして父には社交辞令というものが通用しない
父の知り合いに会うと「父がいつもお世話になっております」と私は挨拶をするのだが…
『お世話ってお前何も知らないだろ』とその場で揚げ足をとるんだから、もう本当に嫌になる

そんな父でも一応は【社会のルール】は守る節がある

だから風紀を乱すようなチンピラやそういったたぐいの輩は大嫌いだった

ところが、父は一見して何の職業なのかわからないような人だ…少し話しただけて人を不快にさせる威圧感を感じさせる

だから父はよく“ヤクザ”に間違われた

実際に私は小学生の頃、クラスメイトに「娘ちゃんのお父さんってヤクザなんでしょ?」なんて言われことがあった
私は家に帰ると泣きながら母に訴えた
母は優しく私に言った
「パパはサラリーマンよ」

父は耳がいい
私が耳を澄ましても聞こえない、うるさい店内の中でも隣が話している会話を聞いていることがよくある

父はゴルフをやるから、ゴルフの練習場で「あいつはヤクザだ」なんてヒソヒソと父のことを言っている声は…父だけが聞こえた
父は向かって声を張り上げた
『俺はヤクザじゃない!!』

父は自分がそう見られてしまうことをとても気にしている

だから髪は美容院で切っているという
「え!その頭で!?何で床屋じゃないの!?(笑)」
半ばからかいながら私は聞いた
『床屋に行くとパンチパーマみたいにされるんだ…』
父は悲しそうな顔で答えた



そんな父にも仕事上で、20年近く側にいた人間がいた

榎本さん(仮名)だ

母も「あの人は凄い!」と絶賛していた

父の近くにいれば、大体が髪が薄くなったり、円形脱毛症になるほどのストレスを受ける

だから金を持ち逃げされたりだとか…そういう心境は分からなくもなかった

榎本さんはそんな父に対して《付かず離れず、そつなくかわせる》タイプだった

食事はしても、家族ぐるみで旅行はしない

それでもいつも父の側にいた

榎本さんは父を悟っているようだった

『社長は正論を言うけど、幸せにはなれない』と…


私と姉と父と…
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/10 (Fri) 00:17:13
これは、父と母が離婚し…数年後の私と姉の会話だ



「…ねぇねぇ、パパの“お説教”って覚えてる??」


ふいに姉は“あの話”をふってきた

「ああ…『世界で一番、自分が大事』ってやつでしょ?(笑)」

そして顔を見合せて、二人して笑った

「あれ意味わかんなかったよねー!(笑)」
「そうそう!ホント意味わかんなかった!(笑)」

「すごい嫌だったぁー!!(笑)」

あれ?やっぱり嫌だったんだ…

「でも、お姉ちゃん…いつもパパの話ニコニコ聞いてたじゃん?」


「……だって…そうしなきゃ終わらなかった…」


そうだね

きっと、終わらなかった

父が満足するまでは…



部屋の笑い声はいつの間にか消え

ただ、そのまま二人して…静かに口を閉ざした



――――――――――


“コンコン”


部屋のドアを叩く音と同時に緊張が走る

ノックをするのは…父だけだ

『二人とも、ちょっと来なさい』

ああ…また“あの時間”が始まるんだ

嫌な予感は的中する


『世界で一番、大事なものは何だ?』


もう聞き飽きたこの質問に「はい、自分です!」と答える姉の声

以前と違うところといえば…中学生になった姉はこんな話に笑顔をみせるようになったことだ


その点、私はというと…

「…う〜ん、やっぱり自分かな?」

どうしても“自分が一番大事”なんて思えなくて…だからといって父の望む答えでなければ面倒なことも…いい加減、学習してる

だからいつも曖昧な返事をしてしまう

この拷問のような時間、私は姉に任せてボーっとしてることも多くなってた


姉と父に視線をうつす

父は、それはとても嬉しそうに…“いかに自分が大事か”を力説している

『相手がいての自分じゃないんだ!自分がいて相手がいると思わないとダメなんだ!』

姉は隣でニコニコと笑顔を絶やさない

話の内容さえ聞かなければ…それは、とても微笑ましい光景に見える



私は…どうして父はこんな話をするのだろうと思った


この時、小学生だった私が自分の理解できる範囲で出した結論はこうだった

《父は姉と話したくて、わざわざ呼び出して説教するんだ》と…

何故なら…父と姉は普段から全く話さない

姉のほうが明らかに父を避けている

父が帰宅すれば、すぐに部屋に閉じ籠り、先に夕食を食べていれば瞬時に「ごちそうさま」といい、そしてまた部屋に閉じ籠る

それは歳の離れた妹も同じだった…

私といえば、そんな父が可哀想で避けることができなかった

子供ながらに、それは“女ばかりの家庭の中での悲しい父親という立場”という風に理解していたから…

そして“コミュニケーションのとれない父親”というのが、余計にそうさせざる得ないのだろうと感じていた

父は、自分が明らかに避けられてることに何かアクションを起こすことはなかった

しかし、避けらてることは分かるのか…父がチクイチちょっかいをだすのは私だった

例えば、姉と私がテレビゲームをしてると『おい!次女と将棋をやるからゲームやめろ』とか…
急に『次女!あの木に登れ!』だとか…
父の我が儘に付き合わされるのは私…
父に怒られるのも私ばかりだった

不器用な人だから…
大人しい姉よりも、活発な私のほうが、タイプ的に父としては関わりやすいと母からも言われた

だから…“お説教”という唯一の《姉と父の時間》

私が曖昧な返事をしても、父があまり怒らないのは“そういう目的”があったからだと勝手に解釈していた

そして…


『じゃあ、もう部屋に戻っていいぞ』

満足したように父は言った

これが、終了の合図だ



―――――――


姉は高校を卒業した18歳から…キャバクラ嬢になった

どんな相手でも笑顔を絶やさない、男心を掴む“合わせられるスキル”は…店を変えても、すぐにナンバー入りをした


誰にも本心を明かさないまま…


24歳の時


都心の交通量の多い橋の上から…


彼女は


飛び降りた



姉の自殺未遂
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/10 (Fri) 16:14:32
驚くかもしれないが…姉が自殺未遂をした直接の原因は母である

何故?どうしてかって?

まず、別居してから飛び降りの自殺未遂に至るまでの6年間…父と姉は接触もおろか連絡すらとっていない

でも…その間にも私には度々、父のことを話していた

「昨日パパの夢をみたんだ」とか…そんな理想と現実のギャップのような話だ

私もそうだが…根本に父親に対する《愛情飢餓》が植え付けられている

姉の場合はその愛情を全て母に求めた

過去にも姉はオーバードーズをし、手首に多数の傷をつくったことがあった

その時の理由は「妹(私)と比べられた」からだそうだ

もちろん私は母を問い詰めた

母は困惑した表情で「比べたんじゃない、ただ…次女も頑張ってるんだから、あなたも頑張ろうよって励ますつもりで言ったの……」と涙ながらに言った

姉から聞いた話だが、飛び降りの直前も母と喧嘩をしたらしい

私は現在…姉と連絡すらとっていない

姉の気持ちはわかるが…もう勘弁してくれ、お手上げってところだ

今年入って姉は母に「もう次女と三女と会うのも連絡をとるのもやめて!」と…どうやら独占したいらしい…強烈なほどに

母は疲れきった表情で困惑するばかりだ

父の生い立ち
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/11 (Sat) 21:25:58
父は…虐待されて育ったのだろうか?

『お前らの母親は甘いんだよ!俺なんて母親から裸で電柱に縛りつけられたぞ!』

夕食の時間だった

誰もが箸を持つ手が止まった





遠い海を渡った北の国

そこで私の父は生まれ育った

4人兄弟の末っ子で、父親は小学生の時に亡くなった

家は貧しく…とても苦労したという


『俺の兄貴は人間のクズだからな』

父は家族の話になると必ず兄のことを口にする

母は言っていた

「そういえば、お兄さんもアスペルガーぽい感じだった…」

兄も父同様にコミュニケーション能力がなく、転職を繰り返したという

そのうち社会にでることを諦め、家に籠っては酒浸りになった兄を…父は『負け犬だ』と言った

一度だけ会ったことがある、その“叔父さん”は…父とは対照的に…静かで大人しい感じの人だった

父の仕事が軌道に乗り始める前だったと思う

その一度だけ会った喪服の場で…父とその叔父さんが大喧嘩し始めたのは記憶に残っている


『お前は人間のクズだ!!お前は社会のゴミなんだよ!!』


父の一方的な暴言に叔父さんは…発狂した




父は…

《そんな兄のようにはならない》と、社会に挑戦し続け、歯を食いしばって生きてきたのだろうか…?



『世界で一番、大事なものは何だ?』

どうしても…わからなかった

『相手がいての自分じゃないんだ!自分がいて相手がいると思わないとダメなんだ!』

この言葉の指す意味も、一体どんな状況を指しているのかも…私には全く見当がつかなかった


もしも父がアスペルガーだとしたら…

《この生きづらい世の中の生きる術》を娘たちに教えようとしたのか?


もしも父がアスペルガーだとしたら…

姉の自殺未遂の原因も《この世の中の生きづらさ故に…》と思っているんだろうか?


もしも父がアスペルガーだとしたら…

障害を憎めばいいのか?

障害だから許せばいいのか?





私は…

父のことが大好きだ

今は家族の中で孤独を感じてないかって…心配でしょうがないんだよ


今は幸せに暮らしてますか?


Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • SORA
  • 2014/10/12 (Sun) 15:16:07
アスペ父を持つ娘さんは、お父様の頭脳明晰さを受け継がれたのでしょう。非常に賢明な方だと思いました。私は、アスペ父を持つ娘さんが、逆境にも関わらず、お父様の特性を客観的に書き連ねていることに驚愕しています。自分のお辛い気持ちよりも、起きたことを冷静に、綴られていることで、お父様の特性が、読む方に伝わるのです。
トマトさんが、映画みたいだと称されていましたが、正直なところ、アスペ父を持つ娘さんは、専門的な知識を持たれた後、分析されて、さらに演出を加えて書かれているのではないかと疑ったほどです。ごめんなさい。むしろ、赤裸に書かれた真実の強さなんでしょう。
私は障害児教育に携わっていたことと、夫が早く診断されたことから、夫の障害受容と理解に努める結婚生活を送ってきました。それでも、困難は極まって、いま、決断の時が迫ってきています。私のところへいらっしゃるASを知ったばかりのカサンドラの女性に、私の長年、引きずってきている夫への思いに共有を望むのは、難しいと思うことも多々あります。
アスペ父を持つ娘さんの手記は、お父様を理解したい、自分が愛されていたのかを、確認したいというお父様への断腸の思いが伝わってきて、私の今の気持ちと深く重なるのです。
また、私の夫もアスペ父を持つ娘さんのお父様同様、周りを巻き込むことに能力が長けています。子供達に対する姿勢も酷似しています。
「世界で一番大切なものはなんだ?」私の子供達も何度となく呼びつけられて、質問責めに何時間も付き合わされてきましたし、その対処法も身につけていきました。
社会人として、犯罪こそは、起こさなくても、ASとして診断を受けていなくても、また、受けていても、家族が犯罪に近い出来事に巻き込まれ、振り回されているという事実は、あるのです。そして、それでも、かつ、私は、夫をその特性と共に愛してきたのだということをアスペ夫を持つ娘さんの手記を読んで、心動かされることで自覚した次第です。続きをまた、読ませていただきます。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/13 (Mon) 00:07:58
SORA様

コメント有難うございます

私は《頭脳明晰》とか《賢明》って言葉に驚愕しました!(笑)
自分の理解してる意味なのかと…Googleで調べてしまいましたよ(笑)

生まれて初めて言われましたm(__)m


父についての大体のことは此処に記した通りで、これから自分のことを含めて綴る予定でいますが…
ありのままの自分を見せることは、とてもこわいことです…
気分を害される方がいると思います


私は、父と最後に会ってから暫くは…全く冷静ではありませんでした

毎日毎日泣いてばかりで、父の記憶と思い出が走馬灯のように駆け巡り…僅かな“愛”に繋げたい一心で…記憶を頼りに綴っていました

そんな中、此処で色んな方から優しさと励ましを頂き…パンダさんがブログで記事にして下さってからアクセス数が増え…

ふと“これを読むのはどんな方なんだろう”と考えました

きっとアスペルガー当事者や関わりを持つ方がほとんどで…検索すれば“カサンドラ”との言葉も知り、SORAさんのブログも以前に覗いたことがありました

“アスペルガーの夫に悩む妻”の存在の多さを知り…“子供という存在が離婚のネック”になっている方々がいること…

私は誰かに助言できるような人間ではないので、子供としての立場と想いを正直に綴ることで…それぞれのお母様の【答え】を考える手掛かりになればと思っていました

なので…SORAさんからコメントを頂けたことは本当に嬉しく思います



父を理解したい、私は愛されていたのかと…自分を見つめ直す、駄文は続きます


小学校時代
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/14 (Tue) 21:39:17
生まれたときは、木造の古く狭いアパートだった

そこから徐々に生活が変わっていった

貧乏で大変な苦労をしてきたという、父と母は…【子供には絶対にそんな思いはさせない】との教育方針は一致していたように思う

まず《子供は家事禁止》だった
手伝おうものなら父の怒声が飛ぶ

『子供に何やらせてんだ!!勉強させろ!!』

だから、母が用事で帰らない日は派遣の家政婦さんがいた

父はよく言っていた
『子供に勉強以外のことさせるな!!』

いつだって『勉強しろ!』と怒られた

だから必死で勉強した


いつだったか…父に自分の将来の夢を語ったことがあった

「大きくなったらバスガイドさんになりたい!」

『ダメだ!』

「じゃあ、スチュワーデス!」

『ダメだ!お茶運ぶだけのホステスと変わらないだろ!』

「じゃあ、婦警さん…」

『人の税金で威張るからダメだ!』

「じゃあ…看護婦さん…?」

『貧乏人の娘がなる職業だからダメだ!』
(父の姉は看護師だった)

私の夢はことごとく打ち砕かれた

なりたい夢は持てないのに勉強はしなきゃいけない

でも親の期待に答えたくて必死で勉強した

爪を噛む癖と手の甲を鉛筆で刺していく癖は止まらない

私は姉と比べると勉強が出来たほうだから親の期待も大きかった

ある時、私の偏差値が70近くに上がった

両親はとても喜んだ

その笑顔をみて私は“もう偏差値を下げられない”と…恐怖に近い不安を抱いた

それから猛勉強をするようになった

週2日だった学習塾は、学校が終われば毎日通うようになった

とにかく焦っていた

プレッシャーは積もるばかり



そして…

中学受験当日…私は38度の熱をだした

試験は…周りの鉛筆の音が気になって全く解けなかった

面接だって極度の緊張から質問に答えられない…

もうボロボロだった


私は…父の行かせたかった学校にも、母の行かせたかった学校にも、落ちてしまった



合格発表当日は、父と一緒に行ったんだ

張り出された大きな紙に私の番号がなかったとき…

『ないな』と一言だけ呟いた


…もう私は見放されてしまうのかな…?


父は私と目を合わすことなく、背中を向け歩き出す


いつだって、欲しい言葉はかけてくれない


「頑張ったね」って言ってくれたら

「もっと頑張れなくて、ごめんなさい」って言えたんだ



あの日、父の後ろ姿を眺めながら

《もう親の都合のいい子供でいるのはやめよう》

そう決心したんだ



中学時代
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/18 (Sat) 13:43:39
反抗期の頃

私の姿は…父の目にはどう映っていたのだろう?




非行は加速する一方で

家出と捜索願の繰り返し

父は何とかそれを阻止する為、玄関のドアの内側にも施錠を施した

幾度も私は鍵を見つけだしては…夜の繁華街へと繰り出した

もはやイタチごっこだった

私と父が顔を合わせれば、パトカーと警察官に囲まれる大乱闘も繰り広げられた…



父は母に言った

『長女と三女はほってけばいい!お前は次女のことだけ見てろ!』

そんな無理難題を押し付けたという

けど、母は時間を削っては私に寄り添ってくれた



しかし…父の言った“意味”は違ったんだ

そして、母にこう切り出したという

『次女に探偵をつけようと思う!お前が24時間、次女を見るのが無理なんだからこうするしかないだろ!!』

…え?母は耳を疑った

父の“見る”というのは、私の《心情を察する》とか《非行の原因を探る》とか…そんなものじゃなかった


見る=監視、だった


母は大反対したという

思春期で反抗期の娘の非行が、その気持ちが…それで収まるはずはない、と…

しかし、父は『親が監視の目を光らせてないから不良になるんだ!』の一点張りだったという…

そして、探偵による尾行の見積書を見せられた

一週間で百万ほどの金額に母はまた大反対した


………だから、母が私を尾行したらしい……


実際に私が潜伏していたヤクザの家に、朝7時…いきなり警察が乗り込んできたことがあった

補導歴は以前にもあり、中学生でそうした暴力団との繋がりがあったことから《虞犯(ぐはん)》ということで鑑別所に放り込まれた

出所し、母から一部始終を聞かされたとき…


父はどうしたって私を“見て”はくれない

寂しさだけが残った


それは母も同じで…「どうして子供の気持ちがわからないのか…どうして子供と向き合おうとしないのか…」と嘆いていた



そして保護観察処分になった私は…あのシンナーによりまた鑑別所に入り、教護院(今でいう児童自立支援施設)を中途退所した後に…

家族を裏切る【ある事件】を起こした



今思えば、父なりに私を理解しようとしてたのかもしれない

しかし、母はもちろん私の心には届かなかった


そして、世間知らずの私は…自分のことばかりで浅はかな行動をとってしまったんだ


  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/19 (Sun) 01:25:05
私の妹は…小児性愛者(いわゆるロリコン)のストーカー被害に遭っていた

その事実を知ったのは…他でもない、私が反抗期の時だった

私が中学二年で、妹が小学校四年の時だった


どうしてもこの出来事は…皆様に知ってもらいたいと思う


――――――――


季節は丁度今頃の…秋だった


私は夕方、遊びに行こうと駅に向かっていた


途中、視界の先に妹の歩く姿が見えた

(ああ、これから塾なんだな…)

歩くスピードを上げて声を掛けようとした、その時…

見知らぬ中年の男が、妹に話掛けるのがわかった

(…塾の先生かな…?)

それにしては、短い言葉を掛けていて…男の顔を見向きもしない妹が不自然に感じた


そして…

「よっ!…今から塾??」妹の肩を叩き、声を掛けた

一瞬、ビクッとした妹は…

「…うん!」
声だけは明るいが、表情は暗い…


「誰今の?塾のセンセ?」

少しの沈黙の後…

「知らない人…」

「知らない人?何言ったのあいつ?」

「…“こんばんは”って…」

!!?


妹の話によると…奴は妹の“行く先々にいつもいる”という

朝学校へ行く時にはマンションの前で「おはよう」、学校の前で「いってらっしゃい」、学校から帰れば「おかえり」…そして塾や習い事の先では「こんばんは」と声を掛けるという

妹の行動を把握しすぎている上に…それが夏休み前から続いてるという


「何でママに言わなかったの!?」

私は厳しく叱ったんだ




「…だって…ママは、お姉ちゃんのことしか“見ちゃいけない”んでしょ…?」




あどけない顔で私の目を真っ直ぐとみる妹の表情は…どこか哀しそうで…


だから“言わなかった”
だから“言えなかった”のかと……


わかっていたんだ…親の事情も、全部…


ただ、胸が苦しく、切ない

言葉に言い表せないほどの罪悪感と…情けない気持ちでいっぱいになった


《私のせいでごめんね…》

心の中で謝りながら、妹に言った

「ママは…私だけのママじゃないんだから、あんたは我慢しなくていいの…私の大事な妹で、ママの大事な娘なんだから」


妹を塾まで送ると、私は男を探したが…見当たらなかった

一発殴って、蹴りでもいれなきゃ気がすまない


そして母親に事情を説明すると、警察や学校…マンションの管理人に不審者の通報し、大人逹はすぐに動いてくれた


私はそれから何日か…登校時には妹をチャリンコのケツに乗せ学校まで送ってあげていた

どうせ私は学校には行ってなかったし…

妹の喜んだ顔は今でも覚えている


忘れられない、後ろから、私の身体を…ギュッと握り締めた、あの温もりを…





後に妹は…

度重なる私と父の喧嘩、父の母への暴言を目の当たりにし…チックを発症した

そして、別居してからの中学時代は“引きこもり”だった


ていうか、三姉妹どうしてこうもタイプがバラバラなんだろうか…?

Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/10/19 (Sun) 03:36:07
何か一言、「合いの手」を入れたい気持ちになって、失礼します。

三姉妹、それぞれものすごく違うのは、もちろん生まれ持った性格もあるでしょうが、この場合の違い方は、それぞれ自分の上を見て、その状況を何とか乗りきるための必死の模索をされたから、という気がしました。

お姉さんはご両親、特にお父さんに必死で受け入れてもらおうとされた。その余りに辛そうな姿を見続けて、次女は激しく父や父の敷こうとした道と戦い続けた。そして三女は全く正反対の道を選びつつ、激しく苦しみ続ける二人の姉を見て、そのどちらの生き方も選べず、自分に引きこもるしかなかった。

そんな三様のぎりぎりの模索があったんじゃないかなと感じたんですね。もしそうなら、その崖っぷちの「努力」に、すごく共感してしまいます。そんな形で必死で生きようとするのは本当に、あまりに当然のことと感じるんです。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/20 (Mon) 14:06:31
パンダ様

コメントありがとうございます

それが“努力”なのかは分かりませんが…言われてみれば、その通りだなと感じました

子供はまず母親をみます
うちの場合、母は父親に対して《完全な服従状態》で、母を責める父に私が反発すれば、母は言うんですよ
「いいの!ママが悪いの…!!」って…

姉はとにかく父の癇に触れないようにしてましたね
勉強も熱心にしたりだとか注目されるようなことは避け、それでいて大人しく聞き分けもよかったです

私といえば、言い返しても“こちらが参ってしまう程の執拗さ”もあり、とりあえず父の言うことはきいてましたが…自我が確立されるにつれ、とにかくこちらが一方的に我慢を強いられる父の家族の在り方が許せませんでした

妹は…まさにファザーコンプレックスな姉逹をみて育ったと思います
自分の殻に閉じ籠るように…父親という存在自体、捨てています
父の話題になれば「あの人が、だから何なの?」というように、いちいち父の存在を気にする私達も気に入らないようです

姉のことは先に書きましたが、今は妹とも私は口をきいていません
姉と妹も仲が悪く…姉妹みんな、お互いがお互いを否定しています
同じ親のもと、痛みがわかるだけ…お互いが許せないのです
大人になった今だからこそ、今でさえ…傷を負って生きてることが、許せないのです

性格も三姉妹違いすぎるので…和解するには時間がかかると思います、特に姉と妹は…

昔は仲良かったんですけどね(笑)


すみません
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/20 (Mon) 23:19:31
これから、前に触れた【ある事件】について綴ってきますが…禁止ワードにつまずき、多少読みづらい箇所がありますm(__)m
あの事件
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/20 (Mon) 23:22:17
それは、私にとっては…自分の身の程を痛いほど知らしめられた、苦しい過去だ…

これほど自分という存在はちっぽけで…無力なんだと、痛感した出来事はない

勿論、私にそんな思いをさせたのは…他でもない父である

関係者の方々には、多大なるご迷惑をお掛けしたこと…ここでお詫び申し上げたい



〜あの事件〜


教護院を出所して間もなく…私は知人の紹介により、ある男と知り合った

私より2つ年上のその少年は、海外からの家出人だった

少年は私の家へ来たとき、目の色を変えた

「お前んち金持ちだな」




この頃、私にはとてもショックな事があって…

旅行先で親友が私の財布から金を盗んでいる現場を見てしまった

その子の家は貧乏で、中学生で母親からパチンコをして金を稼ぐことを強いられたり…大人の男の酒の相手をしては媚びを売って金品をもらうよう言い付けられたりしていた

財布に入っていた8マン円の内、6マン円がなくなった
現場を見たときは、慌てて寝たふりをしていた

あの母親に渡すのだろう…

彼女はそれでも母親が大好きだった…だから私は許そうと思った

親友の母親を想う気持ちを大事にしたかった

でも、私には心の内を打ち明けて欲しかったんだ…

親友を責めるつもりはなかったから、優しく穏やかな口調で問いだしたところ…親友は「やってない!」と言った

あろうことか…仲間内に知れわたり、私は“嘘つき”呼ばわりされるようになった

現場をみた私の言い分が“虚言”だと言いふらされた

中学生の私にとっては、あまりにも残酷な仕打ちだった…


金で人は裏切るのか?
金で友達も失うのか?


私は自分の家の裕福さを恨んだ

そして、たかが中学生の旅行ごときに“心配だから”と8マン円も渡した母親を恨んだ

小学生の頃から「ちょうだい」と言えば諭吉がでる

私は周りの友達と違う金額を持ってることが嫌だった

「いいね」って言われるたび、苦しかった

恵まれてる自分は「不幸なんだ」と言ってはいけない、自分の弱さを見せてはいけない気がした

他人には言えない…この気持ちを私は母親にぶつけたんだ

そして…涙ながらに平手打ちされた

「貧乏が…貧乏がどんなに辛くて苦しくて惨めなことか…っ!!あんたに言われたくないわよ…!!」

当然だろう…

親の扶養で何の苦労もなく育てた娘に言われたくはないだろう

兄弟も多く、知人の保証人になり借×金を負った母の家は…給食費も払えないほどに貧乏だった

《娘逹にこんな思い、そんな苦労はさせない》と…

だから…父も母も金に関しては娘逹に甘いということも分かっていた


それだけに、私には相談できる人もいなければ…誰にも理解されない苦しみだけが残った



そして…

その少年に言ったんだ


「私、家に帰りたくない」



続・あの事件
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/21 (Tue) 16:27:31
少年は言った
「お前んちにブランド品があるだろう?」

びっくりした
これが世間知らずというべきか…質屋というところがあって、ブランド品が売れるなんて本当に驚いた

ブランド品は数えきれないほどあった

私も持っていたし、母親の専用のクローゼットにはズラッと並んだブランドバック逹が箱に入って眠っている

私は箱だけ残し、バックだけをどんどん売り捌いていった…

罪悪感はあった、でも少し心が踊ったんだ

家の財産がなくなるようで…なんか嬉しかった

お金があれば家に帰らなくてもいい

眠っているものは全部、売り捌いてしまった

そして…

とうとう眠っていない、父の腕時計に手をだしてしまった

フランクミュラーの時計を三点…これが大変な金額になった

財布に入りきらない札束を歌舞伎町のコインロッカーに入れては豪遊していた

と、いっても…私も少年もギャンブルはしないし、所詮ガキの金遣いだ

ボーリングやバッティングセンター、ゲームセンターで遊び、叙々苑で焼肉を食べ、ホテルに泊まるといった流れ…

コインロッカーの札束は中々減らない

しかし、やはり父はその日のうちに気が付いた

父からの鬼電の嵐…

怖くなって携帯の電源を切った




(因みに…私は小学校高学年の頃から大学生にみられたりしていて、私服でいればまず補導はされなかった)





それから二週間後…私は少年と喧嘩した

私が殴ると殴り返され、少年は怒って行ってしまった…

コインロッカーの鍵は少年が持っている

金がなくなった私は…仕方なく家に戻ることにした




私の短すぎる家出生活は幕を閉じ…

当然ながら…これが悪夢の始まりだった


続・あの事件
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/21 (Tue) 23:53:51
家に戻った私に、父は意外にも『どこに行ってたんだ!』と怒鳴った

そして私の顔のアザに気付き…目つきが変わった

初めて見る顔に…ゾクッとした…

『…誰に殴られたんだ?』

聞いたことがない低く太い声で父は言った

恐怖を感じた…

「違うの!私が先に殴ったの…!!」

父の表情は変わらない

「それにね!私、パパの時計を売っちゃったんだ!ママのバッグも…!本当にごめんなさい!本当にごめんなさい…っ!!」

焦りから、他のことも早口で捲し立ててしまった

『…おいっ!!!!』

耳に響く大声で、父は母を呼び…言い放った

『今から次女と病院に行け!診断書を書かせろ!!訴えるぞ!!!』

……え…?

私も殴ったって言ったじゃん…?

母はすぐに支度を始めた

私は呆然と立ち尽くす

母に急かされリビングを後にした…

父のいない玄関前で、私は「…嫌だ…っ!行きたくない!!」必死の思いで母に言った

だって…こんなことは、間違ってる…!!

母は少し見ない内に…げっそりと痩せていた
毎日毎日…父に責められ続けたのだろう…

父の尋常でない様子に…完全に脅えきっていた…

母も尋常でない…血走った目で…「お願いだから!!!お願いだから…っ!!パパの言うこと聞いてぇー!!!」
私の肩を激しく揺さぶり、叫ぶように言った

そして…泣きだしたんだ…

もう…言われた通りにするしかなかった…



そして…病院から戻った私には、更なる悲劇が待ち受けていた…

警察がきていた

!!?

一体、何が起ころうとしているの…?

状況が飲み込めない私に、父は言った

『おい!お前はその男に言われて家のものを持ち出したんだろう?』

…確かに少年の企みがあったのは否定できない…私は少年に全部渡してたから、どこに売ったかもわからなかった…

そして…すぐに《自分が起こした事の重大さ》に気が付いた


――少年が危ない…っ!!

私は急いで自分の部屋に戻り、携帯電話を手にすると少年に電話をした

しかし…呼び出し音をいくら鳴らしても中々でない

「…はい」

やっと少年はでてくれた…!!

「あのね…っ!いま…今どこにいるの!!?」

――逃げて…!!

状況を説明しようとした、その時―――

“誰か”に腕を掴まれた


「…困りますねぇ?《被害者》が《加害者》に連絡を取るのは…!!」


“それ”は警察だった

私の話も聞かないで…《被害者》と《加害者》って……っ……!!


【この社会は、私を助けてはくれない】


確信し…絶望した瞬間だった




その夜…

パパは私に言ったよね?

『お前を傷付ける奴は…パパが絶対に許さない…!!何があろうと、どんな手をつかってでも…パパがそいつを…!!

――やつけてやる!(笑)』

そう言って…最後に笑ったんだ


いつだって…欲しい言葉はかけてくれない

叱って欲しいときに叱ってもらえないことが…
一番、苦しかったよ…?


これは、愛なのか…?


あの事件〜結末〜
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/22 (Wed) 00:23:08
これほど生きてて辛いと思ったことはない

一方的に私が騙された訳でもない、自分の罪を全て少年に擦り付けるなんて…やっぱり間違ってる

自分の道徳に反してた

でも…母がいたから……

毎日毎日…警察署へ出向いては“嘘の供述”をして、でっちあげた“嘘の調書”をまく…

うんざりだった、家族もこの社会も糞すぎるでしょ?

悔しいよ…

なのに…父が、怖いんだ

例えようのない恐怖が襲ってくるんだ



―ある夜

私は、意を決して…父に正直な気持ちを伝えた

「パパ!もう…こんなことはやめよう…?もう私…警察署に行きたくない…!」

『どうしたんだ?』

父は穏やかな口調で問いかける

「だって…毎日毎日、警察署へ行って」

毎日毎日、行きたくもないところへ行って…

「毎日毎日、同じこと聞かれて…」

毎日毎日、嘘の供述をして…

「もう本当に嫌なの…!!もう警察なんて行きたくない!!」

だから被害届を取り下げて欲しい…!!

そんな願いを込めて言った

父は…深く頷きながら『わかった!』と言った

私を見た父の表情は優しく…僅かな希望を抱いたんだ


次の日…

とりあえず私は警察署に向かった

(パパはもう警察の人に話してくれたかな…?)

そんな期待を胸に…いつもの取調室で待った


なのに…何故?


《担当者》が替わっただけだった…

いつもように長い時間は過ぎる…



そして…

帰宅した私に父は上機嫌で言った

『お前が嫌だって言うからパパが今朝言っといたからな!前の奴はなぁ〜署内でも仕事が出来なくて有名だったらしいぞ!(笑)「うちの娘が嫌がってる」って言ったら「すみませんでした!」だってよ(笑)』


どうして…私の思いは伝わらないの…?


それからの事はよく覚えていない…

自分がどう過ごしてたかも覚えてないんだ


《明らかにおかしい、この事件》に弁護士は三人替わった

「娘さんにも非がある」と弁護士が指摘すれば…父は半狂乱に『俺の娘が悪いのか!!俺の娘は被害者だ!!』と怒鳴り散らし…父の意向に沿うのが絶対条件だったから…

少年は鑑別所に入ったと…母から聞いた


―ある日

リビングにいた私に帰宅した父は言った

どうやら…少年の親を海外から呼びつけたらしい

『あいつの親はなぁ!日本で成功できないから海外に逃げた奴等なんだよ!!情けない人間だよ、全く!(笑)土下座して謝ってたぞ!!(笑)』


人を嘲笑うこの男が…この人が…私と血の繋がった父親なのか…?



―その夜

腹の虫がおさまった父は、私の部屋を訪れた…

“コンコン”

いつものようにノックをした父は…

返事をする前にドアを開けた

無表情で私の顔を真っ直ぐに見る

『どうして家のものを売ったんだ?』


初めて聞かれた…やっと…
聞いてくれた、その言葉に胸が高鳴る…

「……あのね…っ!」

答えようとした、その時―――

―バサッ――……


『そんなに金が欲しいならくれてやるよ…っ!!』


父は、私に札束を投げつけた


ひらひらと舞う紙切れの中で…

私はただ呆然と…
立ち尽くすしかなかった……



それ以来、高校を卒業してからの三年以上の間…私は父と口をきいてない

そして、この事件で致命的となった私と父の関係もあり…私の両親は別居した


  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/24 (Fri) 21:07:09
パンダさんのブログのほうのコメントも見たりして、何だか母についても書きたくなった


私の母は、姉御肌で面倒見がよく、それでいてお人好しで騙されやすい…なのに傷付いても弱音を吐かなくて、よくも悪くもプライドが高いから…家族のことを相談できる人なんていなかった

全て独りで背負って、色んなこと我慢して…そんな母でも苦しみの限界に、私の首に手をかけようとした時には【私は精神的におかしい】と気付き、心療内科を受診した

父のことも含め、医師には全てを話した…

しかし「被害妄想が強い」と言われ、母に統合失調症との診断が下った

別居する前に弁護士に離婚の相談をした時も「あなたは何に怯えてるのですか?旦那にそれほど怯える、あなたがおかしい」と指摘を受けた

母は…カサンドラだったと思う

そして娘の私が、これほどまでに母の人間性がみえるのに、父の人間性が不透明なのである…



〜母へ〜

私が小学校三年生くらいだったかな?パパとママが大喧嘩して「離婚する」って言い出したとき…娘たちに「パパとママどっちにつくか決めなさい」って言ったよね?姉と妹がすぐに「ママ!」と答えたから、私は「パパ」と答えたんだ
ママはとても驚いてたね?
別居するときだって、私だけは泣きわめいて「パパと一緒にいる!」ってきかなかった…ママは困惑しながらも怒って「パパとはダメ!ママと一緒にいるの!」と言ったけど、私の気持ちは違うんだよ…
パパよりもママのほうが大好きなのに

母へ…あなたは愛される人だ
だから姉も妹だって、あなたを選んだんだ

母へ…あなたは誰からも愛される人だ
だから友人も多く、沢山の人から慕われている

でも…父は違うんだ
万人から愛されず、むしろ万人から嫌われてしまうような人だ

でも、そんな人をあなたが愛してたことを…私は誰よりも知っている

だから…

『母が愛した人をひとりにしてはいけない』

これが私の答えなんだ

あなたが沢山の犠牲をはらって…
それでも愛した相手だから…




子供の心って、単純なようで複雑なんですよ…

無題
  • 無名です。
  • 2014/10/25 (Sat) 00:01:53
お母様のこと、読ませていただいて アスペ父を持つ娘さんの心の中の奥深い気持ちに
涙が出てきました。そして お父様 お母様 三姉妹・・みなさん誰も悪くない・・
お一人 お一人が一生懸命それぞれの思いに精一杯生きてらして ほんとに お互いを大切に思っている。
それなのに どこかですこし歯車がずれてしまうことにせつなく思いました。
アスペ父を持つ娘さんのご家族を大切に思う気持ちに打たれました。

そして人生誰しも何かしらつらいものを抱えていると思うのですが
みんな一生懸命手探りで生きているんだよ!と教えられ勇気づけられる思いがします。
ありがとうございます。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/25 (Sat) 14:13:09
無名さん

コメントありがとうございます
私のほうこそ、とても励まされますm(__)m


パンダさん、皆様へ

此処で少しばかり愚痴るつもりが…随分と長くなってしまいました
こんなに長くなるなら、ブログでもやって綴ってろと思われる方も中にはいらっしゃるかもしれません…
ですが、まぁ父のことは現在進行形ではないので…そろそろネタも尽きてきた頃です
それに私は人様に胸を張って言えるような人生を歩んでないので…ブログなんて恐れ多いものです

どうか、もうしばらくの間…此処で愚痴らせて下さい

そして、やっぱり当事者の方がこれを見てどう思われるのだろう?と頭に過ります

こんな駄文に誰も誹謗中傷せず、見守って頂けてることに本当に感謝するばかりです

皆様、ありがとうございます



Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/10/25 (Sat) 20:47:58
アスぺ父を持つ娘さんのこの連載(?)のおかげで,「アスぺと定型」が何かもう一歩進んだような気がしています。問題をもう一歩深いところで議論できるようになったというのか。

これからもさらに続けていただけるとありがたいです。

ひとつだけ,だいぶ長くなって,スクロールするのが大変なので,ぼちぼち新しいスレッドで書かれてはどうでしょうか (笑)
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • コクーン
  • 2014/10/29 (Wed) 13:07:16
初めまして。コクーンと申します。

食い入るように読んでしまいました。我が夫とはタイプが違うけれど、子供からの視点で見ることができ、母として得るものが多いです。

我が家庭内で起きている、夫と妻、父と娘の噛み合わないやり取り(口論)のモヤモヤ感、未完の部分が、アスペ父を持つ娘さんの告白文を通して、認識のズレによるものだと理解できた気がしています。

つい先日、長女が父に、一所懸命自分の気持ちを理解してもらおうと訴えました。でも、まだ中学生。うまく伝えることができません。本人は否定するけど、嫌われたくないという気持ちが溢れてる。察して欲しいのだ。

娘も父の事が大好きだった。今は「あの人」と呼んで嫌っていても、心の奥底ではアスペ父を持つ娘さんと同じ、父に対する気持ちを持ち続けているのが分かる。

でも、どんなに訴えても、父から返ってきた言葉は「そんなに俺にかまって欲しいのか」だった。
「違う、違う」と何度言っても「かまって欲しいのなら、そう言えよ」と笑みを浮かべて何度も繰り返す。気持ちの理解はない。不快感が増していく。

娘の身の危険を感じ、私が割って入り事なきを得たが、娘の成長とともに、親子ゲンカも激しさを増す。

娘たちを守らなきゃ。アスペ父を持つ娘さんの文から、母として強く感じ取りました。

赤裸々に愚痴ってくださったおかげです。どうもありがとう。
お返事
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/30 (Thu) 00:22:36
皆様、パンダ様、コクーン様

ありがとうございます

そういって頂けると、自分が綴ることで誰かの為になってると思えば…自分の過去も捨てたもんじゃないのかな、なんて思えました

皆様からの温かいお言葉に本当に励まされてる自分がいるのも事実ですが…

もうやり直せない過去のことを未練がましく綴ってることに寂しさを覚えながら…

自分の心に問えば、本音をいえば…本当なら

『家族5人で幸せに暮らしたかった』

これが正直な思い…もう叶わない願い

父が再婚したことを恨んでるわけじゃない

ただ一度でもその願いが叶わなかったことが悔しいんだ

本当に悔しい
泣いたって仕方ない
涙だけじゃ足りないんだよ
「大丈夫、大丈夫」って自分を励ましながら、歩んできた人生

なくしたものは取り戻せないなら…これからのこと考えるなんて…辛いんだよ…



Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • アスペ父を持つ娘
  • 2014/10/30 (Thu) 00:26:24
すみません

久々に涙がでました



第二弾に続きます


Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • パンダ
  • 2014/10/30 (Thu) 06:25:52
こんなことを書くと、辛い思いを重ねられているアスペ父を持つ娘さんに申し訳がない気持ちを持ちつつ、でも正直な思いなんですが、アスペ父を持つ娘さんの綴られる思いに救われる自分が確実にいるんですね。

私の子どもが絵が好きで、絵のなかに色んな思いを込めているんですが、その絵に本当に癒されるのと、何か通じるものを感じます。

そういう癒しの力って、もしかすると、子どもの頃に、余りに厳しい人生を送らなければならなかった人だけが持ちうるものなのかもしれないと、今そんなことを感じます。

ただ、アスペの父を持つ娘さんの抱える哀しみを思うと、それに救われることにやっぱり申し訳なさも感じるのですが、でも自分のかなり深いところで共鳴するものがあるんですね。だからアスペ父を持つ娘さんの哀しみがとても尊いものに思えてきてしまうんです。
Re: 此処で愚痴らせて下さい
  • コクーン
  • 2014/10/30 (Thu) 11:45:17
私もパンダさんと同じ気持ちです。今までに経験したことのないほどの共鳴、尊さを感じています。

我が長女は、父との不完全な関係に苦しみながら立ち向かい、そして自分の夢を持ちました。
叶うかどうかはこれからの彼女次第でしょうが、臨床心理士を目指したいのだそうです。
辛さから逃げるのではなく、自分の経験を生かし、人を救いたいのだそうです。(欲があるところもちゃっかりしてますがね。)

そんな娘がとても頼もしい。私もへこたれてるわけにはいきません。勇気をも貰っています。

アスペ父を持つ娘さんの未来に幸せが訪れることを願わずにはいられません。
過去の家族だけが全てではないのです。そこに囚われすぎないで。
先へ進むためにも、まず自分の未消化の部分を吐き出す必要があるのでしょう。
今後も読ませていただきます。





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