「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • AS-P
  • 2015/01/25 (Sun) 22:57:32
ご無沙汰しております。
1月初めの妻の「お客様感謝週間」も当然のように終わり、また23:30帰宅の生活が2週間ほど続いているAS-Pです。

最近「残念な夫。」というテレビドラマが始まりましたね。
我が家も広義の「産後クライシス」だと思い、普段テレビを全く見ない私ですが、このドラマは気になって見るようにしています。
(妻は、私から言わせれば角度によっては倉科カナよりかわいいと思うのですが、私の顔面が360度において玉木宏に達していません。とまあ、冗談はさておいて)

で、「産後クライシス」と「カサンドラ症候群」についていろいろネット等で調べていくと、とても不思議な共通点があります。
それはどちらも、ほとんど「妻の側がどうやって乗り切るか」しか書かれていない、ということです。
「カサンドラ」の問題において、「アスペルガー当事者は簡単には変えられない、定型である側が変わるしかない」というのは、発達障害と言われるものですから、分かる気もします。
しかし、「産後クライシス」について調べても、「妻が余裕を持つこと」「旦那が家事をするように工夫すること」のように、だいたいが妻目線なんですね。前提が「旦那が変化に気づかないのはしょうがない」という論調。
私としては、どちらの問題も複合的に襲い掛かってきていますので、少しでも「夫に出来ることはないのか」ということが知りたいわけですが、なかなかそういう情報には巡りあえません。

少し考えたあとで、一部納得した部分もあります。
「産後クライシス」というのは、子供が生まれることで妻が激変するのに対して、夫の側が「変わらない」ことが大きな要因だといいます。
この「相手が簡単に変わるわけがない」という前提が、カサンドラ(定型とアスペルガーの問題)に通じるのかもしれない、と思いました。
反対側からいうと、「産後クライシス」は、定型同士でも起こるちょっとした「定型アスペルガー問題(の類型)」なのかもしれないということです。

ただ、私からすると、夫の側は本当に「変えられない」のか、「本当は変えられるが、変え方を知らない」のか、ここが分からないのです。
それは、ひょっとしたらアスペルガーですら「本当は変えられるが、変え方を知らない」部分があるのかも、と私は思っているからです。
もちろん、アスペルガーが治るとか定型になれるとか、そういう意味ではなく、アスペルガーなりの「適応」の部分の話です。
程度によるのかもしれませんが、少なくとも私には「定型っぽい自分」をキャラ設定して、それを演じる機能みたいなものは(不完全ながら)あると自覚しています。
ここに例えば「夫婦関係で『演じる』などということは良くない。素の自分でなければ意味がない」等という矛盾した価値観が持ち込まれると、一気に摩擦が起こるわけですが。
一方で「完全に分かり合っていなければ、夫婦関係など続くはずがない」という考えもあります。いずれにせよ、私ひとりではどうしても極論に振れてしまうところもあり、苦心しています。

私にとっては、そろそろ子供も言葉を覚えたり(単なる私の想像です。2週間見ていませんので)、日に日に成長しているであろう時期で、少なからず焦りもあるのですが……
この「産後クライシス」と「カサンドラ」の関係について等、もし何か思い当たる方がいらっしゃいましたら、お知恵をいただければと思います。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/01/26 (Mon) 21:54:34
初めましてです。
どうもピンと来ないのですが、アスペが変わるってそんなに大変なのかなぁ、と。
それに伴う産後クライシスとかも、ちょっとウチとは無縁な感じなので…

私の場合は「変わる事にこだわる」という禅問答みたいなコダワリを意識して作りました。
それなりにうまく機能していると思います。
カミさんはカミさんで、現実への対処を一つずつ積み上げているようです。
私と付き合うようになってからの事だけでも、当初より随分変わったなぁと思います。

家庭については、色々な事を、事前に丁寧に話し合うようにしています。
そういう過程の必要性をお互いに良く理解していますしね。
ついでにいうと、話し合いはあくまで論理と根拠が基本ですね。
自分の感情はその枠組みの中で主張しています。…というか、自分なりに心掛けています、というレベルですけども。

カミさんは自分の娘にコダワリを持ってしまっている感じですが、
まぁ、悪い事ではありませんし、不仲だった実家とも出産を機に仲直りを進めていて、
今はカミさんの実家の近所なのでその多大な援助もいただいていて、
かろうじて何とか回っています。

という感じでして。
あんまり参考にならさそうで恐縮ですが。
世間様の様子がピンと来ていない私たちは、
夫婦揃ってアスペで、娘は1歳と1ヶ月です。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • AS-P
  • 2015/01/27 (Tue) 21:03:08
Katzさん

 貴重なお話をありがとうございます。

 「コダワリを意識して作る」というKatzさんのお話を聞いて、ASにそんな可能性が秘められていたのか、と驚きました。

 例えば、私は数字や日付、時刻といったものに強いこだわりがあると自覚しているのですが、それは決して意識して作っているものではありません。ただ、自然とひとりでに(どちらかというと日常生活に支障のある方へ)AS傾向のこだわりとは出現するものだと思っていました。

 具体的な例をあげますと、私の場合、買い物で776円というレシートなど受け取ろうものなら、その瞬間におのずと「これが777円であってくれたら、私から見える世界は今よりどれだけ穏やかであろうか」などと考えてしまいます。簡単に言って、そういうものが生理的に気持ち悪いわけです。それを例えば、「明日から数字だけでなく味にもこだわろう」と「意識したコダワリ」を作ろうとしても、では突然なにか特定の味を生理的に受け付けなくなるとか、反対に特定の味が異常においしくなる、などということにはどう考えてもなりません。そんな私からすると、「コダワリを意識して作る」というのは、正直に言えば超能力のようなものに思えます。

 もちろん一方で、ASの方のコダワリというのはそういう個々に特殊なものでしょうから、Katzさんのような能力を持った方もいらっしゃるのだろうなとは思います。(例えば私は、ASについて書かれた本によく出てくる「常軌を逸した記憶力」などは持っていませんし、そこはASで括れないものなのでしょう)

 そして何より、おそらくその部分をきちんとKatzさんと奥様が共通理解されているのでしょうね。

 私も実際、妻や実家の親から「子供が生まれてずいぶん変わった」と言われることはあるのですが、私自身にはその自覚はまったくありません。変わったのは生活時間だけで、自分の芯みたいなものがずっと不真面目なのです。ところが妻も機嫌が良い時にかぎって「あなたは変わった」と言ってくれるものですから、これこそまさに夫婦間に共通理解がないことの証左、みたいな感じになってしまっています。

 やはりKatzさんは、奥様と付き合う段階からそういうことをじっくり話し合われて、おたがいに議論のプロセスを確立してこられたのでしょうか。だとしたら、それが私たちのような、このこじれた状態からでも可能なのか、考えてみたいです。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/01/29 (Thu) 23:05:57
そんな超能力とかではありませんよ(^_^;)

生理的な気持ち悪さは、とてもよくわかります。
私にもあります。ものすごく。
ただ、日常生活に支障が出る事に関しては、その気持ち悪さをぶち壊す!というコダワリを、意識して作ってきました。
776円のレシートならば、揃っていない所に逆に注目して、
その気持ち悪さを積極的に楽しむとか、
次に揃う時を楽しみにしようとか、
単純に忘れるとか、
何かそういう、自分の中にある感じ方や考え方などの変更を試みます。
その上で、「慣れ」ですね。慣れる事で、気持ち悪さはかなり軽減されます。
必殺の呪文は「そういう事もある!」これはカミさんに教わりました。

私の場合は記憶力(の一部)が非常に足りません。
ワーキングメモリというそうですが、その部分が普通の人より非常に劣っています。
(実際、日常生活とか仕事とかでも支障が出る寸前です)
これを逆に活用して、イヤな事はとっとと忘れるようにしています。
かつて、忘れたい事を選択的に忘れる能力の開発に勤しんだ事がありまして。
そんなものも活用して、日常生活に支障があって、かつ、後々不利にならないような内容だったら、そんな生理的に気持ち悪い事は、すぐに忘れるようにしています。

自分の持ってる能力をなるべく正確に把握して、それを分解して、逆に都合良く組み合わせる事を、色々模索しています。
なかなか思う通りには行きませんけども。
うまくハマる事もあり、それはなかなか気持ちがいいものです。

人間関係に関しては、私も下手で難しいのですが、基本は観察だと思っています。
観察して、仮説を立てて、検証する。自然科学と同じですね。
一般論で言えば、ASはデータに基づいた判断は得意なのですから、人間関係に関するデータを蓄積すれば何とかなるという道理になります。

私の場合は、上述の通り記憶力が非常に残念なので、同時に大勢を相手には出来ませんけども。
ただ独りカミさんだけが対象なら、何とかなりました。
ただ、やっぱり時間はかかりましたし、それでもまだ足りない所がありますが、そこはカミさんの方から歩み寄ってくれてますので。
お互い様な所もありますし。
その点はカミさん自身がASの専門家なので助かっています。

AS-Pさんも、そういう言われ方だという事は、変わった(と思われている)事に関しては好意的に捉えられているのだと思います。
こちらから積極的に動くには好機ではないでしょうか。
認識の齟齬があるのでしたら、我々としてはとにかく聞いてみるしかありません。
そして、言われた事に関しては、まず黙って聞くのがポイントです。
自分の捉え方と違う時には、それは自分の心に留めておいて、とにかく相手に全部喋ってもらう事が重要です。
これが、意識していないと難しい。私も苦労しました。

長文になってしまって失礼しました。。。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/01/29 (Thu) 23:22:16
長文失礼と書いた後で、しかも連投で申し訳ありませんが、
AS-Pさんの主題の第一は、コダワリを作る事の驚きでしたね。
スミマセン。
こういう所がASのASたる所以なんだよなぁ…とぼやきつつ。

コダワリを壊すのは大変ですが、コダワリを作るのは割と簡単です。
やってみればわかります。
日常生活に支障の出ない内容で、1つか2つ、実験すればわかると思います。
そこまでしなくても、有名人で超人的な能力を持ってる人なんかの、普通の意味でのこだわりは、これは意識的に作ったものですよね。
普通の人がこういうコダワリを作るのは結構大変なようですが、ASなら比較的簡単にこだわってしまう訳です。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • AS-P
  • 2015/01/30 (Fri) 21:54:05
Katzさん

 ありがとうございます。「AS傾向」でひとくくりに出来ないくらい、Katzさんのお話でいろいろ考えさせられ、新鮮な驚きも感じています。

 「気持ち悪さをぶち壊す!というコダワリを意識して作る」というのが、いわゆるKatzさんの処世術(すいません、この言葉は失礼にあたるかもしれませんが)なのですね。私もそれは似ているのでよく分かります。「気持ち悪さを積極的に楽しむ」というのは、私の場合は「こんなものを気持ち悪いと思う自分の方が、笑っちゃうくらい気持ち悪いな」という客観視というか……だから、こういう類のコダワリについては、他人に嬉々として話せるんですよね。ちょっと変わった奴として自己を承認してもらう欲求、とでも言うんでしょうか。

 「自分の持ってる能力をなるべく正確に把握して、それを分解して、逆に都合良く組み合わせる」というのも、まさに私も同じことをやってきました。妻と結婚するまで、自分では幸いこれといって不自由を感じなかったのも、この試みによるところが大きいと、自分で振り返っても思います。私からすると、自分の能力の凹凸をありのまま他人に見せることで、自分に降りかかるはずの問題が、降りかかる前に勝手によけていった(周囲の人が上手くよけてくれていた)、ということも感じています。

 ところが、それが妻に対してだけは全く通用しない、というか……(考えてみれば、私は妻のそういうところに魅力を感じているので、当然の流れといえばそれまでなんですが)。私もこれまでの人生、それなりに問題なく上手くやってきてしまったので、妻にはたまたま上手く対処できないのであり別に変えなくても生きてはいける、と無意識に思ってしまっているところもあるかもしれません。ただ、そこはこの掲示板でもいろいろお話を聞いてきて、私が悪いとか妻が悪いとかそういう話ではない、ということは分かってきた……つもりです。(このあたり自信がなくて急速にトーンダウンします)

 「コダワリを壊すのは大変ですが、コダワリを作るのは割と簡単」……ここがどうも私には追いつけません。試しに今日「雪マニア」になってみようと思い、落ちてくる雪を凝視して何か面白いことを発見できないかと試みたのですが、やはり大したコダワリを作ることはできませんでした。自分の持っているコダワリ以外のものは、やはり私にはどうしても作れないようです。

 そのうえ、私がいちばん不思議なのは、Katzさんのその「コダワリを作ろうとする」原動力です。私からすると、別にそんなことをしなくても楽しく生きられるんじゃないか、とどうしても不真面目に考えてしまうもので……。私におそらく子どもがいなければ、結構ドライに「自分のこだわり」と「妻への愛」がもし二律背反の状態に陥れば、その両者を天秤にかける不届きなことをやらかしていただろうな、という気が自分自身していて身震いするんです。さすがに子どものことを考えると、なんとか妻と3人でやっていきたいと思いは強いのですが、妻の方は、子どもの成長過程で私が障壁になると判断すれば、私を排除することもいとわないようだ、ということも何となく私は感じ取っています。そこにいま私自身大きな葛藤があります。

 長文な上に、私の黒い闇の部分を垂れ流してしまい、いろいろ不快な思いをされたかもしれません。すみません。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/01/31 (Sat) 14:11:41
そんな、この程度では黒いとは思いませんよ。
AS-Pさんも御苦労なさっているのですね。
したり顔で知ったかぶりなお話をして、私の方こそスミマセンでした。

コダワリという言葉の意味について、ちょっとすれ違いがあるようです。
私が処世術として使っているのは、ジンクスとか癖のたぐいですね。
いわゆる自分ルールとか俺様ルールという奴です。
同じ行動を意識して繰り返していれば、それが私の中で定着していきます。
但しそれなりに時間はかかります。
私の場合およそ一週間前後でしょうか。

AS-Pさんのおっしゃっているのは、感性とか美意識のようなものでしょうかね。
これも必要とあらば自分で構築する事はありますが…
そういう場合は、まず調べまくって知識を蓄積します。
知識が増えれば、自分なりに全貌が見えて来るようになります。
そこで自分の中で理屈を構築します。
そうすると、その理屈に沿った所に美しさみたいなものを見出す事が出来るようになってきます。
ここから外れたものには気持ち悪さを感じるようになってきます。
自分の世界の出来上がり、ですね。
全く接点の無かった世界でこういう事をやるのは、やはり手間がかかりますので、大抵は自分と何らかの関わりのある所で必要に迫られた時だけやっています。

原動力、ですか。
私の場合は単純なのですが…
単に、困った事を放置していたら困るだろう、という。
本当にそれだけです。
後は、自分なりの工夫で自分の世界が清く正しく美しく(?)整っていく過程に快感を感じる、とでも言ったらいいのでしょうか…ここは自分でもよくわかりません。
ただ、環境の激変によって周囲から怒られる事が増えた場合は、自分の世界が広がっていってるのだなぁと考えるようにしています。
正直、ストレスは溜まりますがね。
いい大人になってからは、教育というのは叱責と同義になるんですよね。
そして、歳を取るに従って、怒ってくれる人はどんどん少なくなります。
だから怒ってくれる人は貴重な存在です。

そうですね、自分の世界が広がっていくのは楽しいですし、人生において必要な事だと思います。
ずっと状況が変わらないなら、ずっと今のままでいいんですけど。
おっしゃる通りその方が楽ですしね。
しかしこんな時代ですから、残念ながら社会の方が激変してしまいますし。
それに、人並みの幸せを目指すというのが親から教わった事でして、それには私も同意できますので、仕事・結婚・育児そして老後の4つは何とか乗り越えなければならない壁だと思っています。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • AS-P
  • 2015/02/01 (Sun) 22:57:51
Katzさん

 「人並みの幸せを目指す」というところ、うなづいてしまいました。そこへ向けての危機感の差…みたいなものが、私とKatzさんで異なっているのが、私にとってKatzさんの取り組みがとても力強く見えるひとつの要因になっていると思えます。

 妻に「あなたは人生イージーモードでこれまでやってきたんでしょ?」と言われてドキッとしたことがあります。たしかに私は、先日も書いた通り、どちらかというといままで災難のほうが自分の前から勝手によけていっていた感覚がとても強いです。人と違う特徴がありながら、大した努力をしないでやりたいことができる仕事についた(それこそ、やりたいことをやっていたらいつの間にかそれが評価されたのか、誰かがレールを敷いてくれていたという…まさにイージーモードです)。結局は、「自分が変わり続けなければ」という意欲がKatzさんに比べて私は相当低いんだということでしょうか。「自分でも出来ることは何か」と表面上何とかしようと思っているように見せながら、やっぱり根っこのところで変わる気がない。そこを妻は見抜いているから、いまの状況を招いている、と考えると腑に落ちます。

 そこで私は「変わること」についてはほとんどこれまでの人生で経験を積んでいないことにも気づきます。本当の意味で自分の変え方を知らない、とでも言いますか…。Katzさんが「自分が変わる楽しさ」を追求しているあいだ、私はそれをずっとサボって「自分を知るためには、まず自分を固定すること」と執着していたのかもしれません。そのツケがいま回ってきているのですね。

 少し整理のつかない部分もありますが、Katzさんの体験してきた「自分を変える楽しさ」の一端が私にも見えれば、また状況が変わるかもしれません。
Re: Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • あすなろ
  • 2015/02/03 (Tue) 09:04:06
AS-PさんとKatzさんにお聞きしたいのですが。
ご自分の経験や感覚として教えていただければと思います。

最近、私がアスペの家族との関係で非常に大きな壁だと感じているのが、アスペ本人の意識にないことをどうやって受け入れてもらうかということです。
我が家には三人のアスペがいますが、みんなに共通するのが、周りとはかなりズレた主張をもっていて、それによって問題が生じて本人が困ることになっても、その主張自体に問題はないと言い張ったり、アドバイス的な意見に聞く耳を持てないことです。
しかも、この主張は三人とも一致しておらず、同じアスペであっても他の人の主張が間違っていることに気付けるのです。
私が思うに、AS-Pさんのおっしゃっていた数字のぞろ目のこだわりのような、そこを変えることに定型が想像できないくらいの不快感や恐怖心があるのではないかと。
お二人は、ある事柄に関しての主張に、誰かから違う指摘を受けたとき、どういう感じがしますか?
そして、その主張を変えるべきだと思っていながら、不快感が強くてできないということはありますか?
さらに、誰に、どのように指摘されれば、すんなりと受け入れられるとおもいますか?
漠然とした質問で申し訳ありませんが、答えられるようでしたらご意見お聞かせください。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • AS-P
  • 2015/02/04 (Wed) 10:01:50
あすなろさん

 そうですね……ご参考になるかどうか、具体的な話を1つします。

 私は、子供の頃から極度の運動オンチで、「運動すること」自体に生理的な嫌悪感がありました。小学校の高学年からそれをこじらせて、「人前では1ミリも『運動が出来そうな奴』に見られたくない」と思うようになり、Tシャツを着ることができなくなりました(これは大人になってもいまだにそうです)。冷静に考えると、Tシャツを着ている奴はみんな運動が出来るのか? と自問すれば、そんなわけないということも理解できますし、それこそ笑っちゃうようなコダワリなんですが、それでも理屈じゃなく誰に何と言われようと絶対にTシャツはダメです。(調べてみると、「特定の服装への異常な執着」は、ASDでは比較的ポピュラーな症例のようですね)

 その例を通して、自分自身で振り返ってみますと、あすなろさんの言う「同じアスペであっても他の人の主張が間違っていることに気付ける」というのに関して、極端な話が、他の人どころか自分で自分の主張がおかしいことに気づいていることも(私の場合ですが)あります。おかしいことは気づいているのに、実際の行動をするスイッチは、まるで接着剤で固められたかのように動かない、ということが日常生活で普通に起きます。そしてそれはあすなろさんのおっしゃるとおり、私にとってきわめて不快な体験になります。自分すらも含めて、誰もが自分の行動がおかしいと気づいている。ところが理屈じゃなく、特定の行動がどうしてもとりたくないのです。その行動をとってしまったら、これまで苦労して積み上げて、曲がりなりに社会と関わり合いを工夫してもってきた自我が、根底から崩壊する恐怖があるのです。繰り返しになりますが、実際にはそんな程度のことで自我が崩壊しないことも、一方である程度は自覚できています。でも、スイッチは決して入ることはない。その矛盾に立ちすくむわけです。

 定型-AS間の諸問題で、解決策として「定型の方がASに合わせるしかない」といわれる苦労は、おそらくこの「ASは特定の行動のスイッチを断固として入れようとしない」という部分なのではないか、と私は思います。実際、私もそれで、小学校時代の担任の先生にひどく苦労をかけました。言葉で分かっていて、自分で自分がおかしいということも分かっているのなら、定型の側からすれば「あとは言われたことに従えばいいじゃないか、簡単じゃないか」と思うかもしれません。ただ、とにかくスイッチは入らないのです。すると次にAS側は何をするか。「スイッチが入らないという事実があるなら、それを前提とした新しい理屈(定型側からすれば新しい言い訳)を構築するしかない」という行動に出ます。あれこれと理屈をつけて、とにかく「その行動はできない」ということを主張するしかない。でも、それはせいぜい、その場で取ってつけた理屈です。本当に自分が前から準備して考え抜いていた理屈ではないので、矛盾も多々はらみます。それに対して、定型の方が日頃AS対策(?)としてよく取っておられるであろう「感情が理解できないなら、理屈で組み伏そう」という動きに出ると、ここに大きな誤解が生じます。AS側が繰り出した理屈に対して、定型側が「その理屈でいけばこうなるんじゃないの、ほらあなたが言っていることは矛盾しているでしょ? だから言われたとおりにしてごらん、みんながハッピーになるでしょ?」みたいな返し方をされても、ASからすれば、(知ってるよ矛盾しているのは。でもどうしようもないんだよ。)と追いつめられて混乱するだけです。ちなみに私はこういう経緯で、小学校6年生の頃、体育の時間に隣のクラスの先生まで巻き込んで特別対応をされたことがあります。(思えばアスペルガー症候群というもの自体が浸透していない時代で、先生方には本当に迷惑をかけたといまだに思っています)

 さて、長々と書いて、困りました。「誰にどのように指摘されればすんなりと受け入れられるとおもいますか?」ですよね。それはつまり私がどうしたらすんなりTシャツを着て町に出られるか、ということになるわけですが……これはやはり、定型の側からは、ASをうまくおだててもらい、「入らないスイッチ」は適当に放置してもらって、代わりになりそうな「入るスイッチ」をさがしていただくしかない……ということになるんでしょうか。ご負担をおかけして申し訳ないのですが、いまのところはそれ以上思い浮かばなくて……。

 あすなろさんの質問をきっかけに、自分自身ももやっとしたものを整理できたような気分になれました。ありがとうございます。そして勝手に自分だけ気分よくなってしまってすみません。理解できない部分があればまたご指摘下さい。
Re: Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • あすなろ
  • 2015/02/05 (Thu) 09:40:39
AS-Pさん、具体的でわかりやすい例を挙げていただいて、ありがとうございます!
私ももやもやとしていたものが少し明確になってきました。
実は数日前に、アスペの末娘と口論になり、私は冷静にわかりやすく説明したはずなのに、「そんなこと、わかってるんだよ!わかっているのに、どうしようもないんだよ!」と泣き叫ばれてしまい、それでも娘のためと思って食い下がってしまいました。AS-Pさんのお話で、彼女に非常にかわいそうなことをしたんだなと、反省しました。
AS-Pさんのお話を聞いていろいろ考えているときに、こんな情報を得ました。
アスペ定型に関係なく、見通しを示さないままルーティン行動を変えようとすると不安が増長し、精神的な混乱に陥る。その結果、余計にその行動に執着するようになる。さらにその行為の変えようとした人がアプローチしようとすること自体を拒否するようになる。
例えば、朝、必ず歯を磨いて出かける人に、今日は歯を磨かないで!と他人が無理矢理迫っても、本人は不快で堪らない。例え遅刻が分かっていても、その後、人に会ったときに口臭が気になって気が気でなくなる。
そんな感じなのかな?
本人が遅刻より歯磨きを優先している限り、行動は変えられないし、無理に迫られて止めたとすれば、さらに不快感は増すことになる。そんな例を想像してみました。
ASDの場合、それが個人独特のものであったり、定型には理解し辛いものが多かったりして、制止されることが自然と重なり、余計に精神的混乱に陥っていくのかもしれませんね。

ただ、周りからみて危険なことや、明らかに不利を被ることを、なかなか見過ごすこともできず、他の利になる方法を見つけるのもなかなか難しいところで、どうアプローチしていいのか分かりませんが。
しかし、ASDの人が、本人の中で常に葛藤して努力しているのだということは常に頭に置いておかないといけませんね。

説明し辛い内容に、丁寧にお答えいただいて、ありがとうございました。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/02/07 (Sat) 03:56:12
遅くなりました。
ここの所の天候不順(=低気圧)で、どうにも疲れが取れず、日常生活だけで手一杯になってました。
今日は天気が良くて助かりました。

結局、本人のやる気スイッチが入らなければ、どうしようもないんですよね。私もこれは、意識してない所で色々やらかしていた経験があります。それでも今はだいぶマシになったと思ってますけども…

そういう人間に対して改善を促したい場合、私に考えられるのは「相手の価値観の中で」「議論する」という事です。何より大事なのは、相手の価値観に合わせて表現すること。その為にはこっちも相応の準備が必要です。
そして議論の時に有効だと思われるのは、相手の予想外の視点を持ち込む、という事でしょうかね。無視されては意味が無いので、興味を引くような内容でなければなりませんが。もう一つ、結論は出さない。自分で考えてみろという所で話を止めること。中途半端で止まると気持ち悪いですから、その先は自分で考える事が期待できるかと。
それでもダメな物はダメですし、何とも言えませんが…

私に関して言えば、問題点の指摘はなるべく素直に聞くようにしています。指摘に基づいてその場で行動を変えるのはさすがに難しいですが、最近やっと、不器用ながらも出来るようになってきたように思います。
これが可能である理由、外部の指摘で改善しようという意欲の根源について、私も自分で考えてみた事がありまして。
変わらなければならないという危機感というか、変わる事の楽しさというか、そういうものは確かにあるんですけど、それ以前の深層心理として、自分が何をやっても世界は私に優しいという、何か漠然とした安心感のようなものがあるのではないかと感じています。これは多分、親の教育方針(叱られた記憶があまり無い)、人との出会いに恵まれた事、空気を読めない事が良い方に作用した(人の悪意を感じずに済んだ)事、などがうまく絡み合ったのではないかと考えています。それが下敷きとなって、そこから色々やっている内に色々な楽しさを摑み取るに至った、のかなと。

と、何だか抽象的な話ばかりですみません。ご参考になるかどうかわかりませんが。
Re: Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • あすなろ
  • 2015/02/07 (Sat) 11:37:50
Katzさんありがとうございます。
AS-Pさんのお話につづき、私の中で漠然としていたことがどんどん明らかになっていくようで、嬉しく思います。
ご体調のすぐれないなか、こうして分かりやすく言葉にしてくださってありがたいことです。

Katzさんのおっしゃる内容は、私側から家族をみているとき、なんとなく感じていることでしたし、息子や娘の療育をしてきて、建前として少しは分かっているつもりのことでした。
しかし、所詮、定型の専門家が書いた育児書の内容を実践しているような感覚なので、建前どおりにはいかないと、自分の主張をぶつけてしまうことも多かったのです。
さらには、大人である夫にはあまり意味がないように思っていました。

しかし、そもそものASDの考え方、感じ方が、自分の中では理解できていないことで、そういう対応の仕方が建前としてしか感じられていなかったのだと、よくわかりましたし、療育の中で言われている大方針みたいなものは、人間関係を築く基本なんだなと思いました。

まず、相手の価値観の中で議論するというところですが、ここが一番難しく、しかし、ここがクリアできればほとんどうまくいくような大きな問題ですね。
AS-Pさんのお話の中にあった、自分自身でも矛盾に気付いていることがあるが、感覚的に変えることができないという、非常に個人的な、しかも個人の中でも混乱が生じているようなものの場合はなおさらです。
しかし、もしかしたら原因となっている感覚自体を理解するのではなく、こういう感覚があり、本人の中でも混乱が生じているという事実を知っておくということが重要なのかもしれませんね。

予想外の視点を持ち込むという部分は、私も感じていました。けれど、どうも『話を逸らす』という短絡的な方向に行きがちで、息子からよく「自分から持ち出しておいて、逃げるつもり?」と非難されます。
これは大変な違いですよね。

AS-PさんのTシャツのお話でふと思いついたのですが、例えばTシャツを着た方がいいと指摘されるより、大好きな人、またはとても大切にしている人からTシャツをブレゼントされた。そうしたら、そのTシャツだけは着て出かけられるようになった。もしかしたらそんなパターンも有効なんじゃないかと。
もちろん、相手からのアプローチは、Tシャツをプレゼントするということだけ。それをどうするかは本人次第。結論は出さないというのが、そういうことなんじゃないかなと思いました。

最後に、もっとも大切なこと。
Katzさんが、『自分が何をやっても世界は私に優しい』という自己肯定感。
これはアスペに限らず、誰にでも言えることですね。
私が最近感じるのは、カサンドラ症候群はお互いの自己肯定感の低さが根底にあるのではということなのです。
我が家について言えば、私も夫も、親から虐待に近いものを受けてきていますし、それによって他人に対する猜疑心がとても、強いです。
夫は私の言動を、私は夫の言動を、否定と捉えることが多い。私がカサンドラを知るまでは、まったくその応酬でした。
夫婦間だけでなく、職場でも友人関係でも、私はその傾向が強く、今自分のその傾向を見直しているところです。
Katzさんが、叱られることが喜びとおっしゃっていて、私には理解できなかったのですが、そういうことか!とここでわかりました。
叱る方側も、叱られる方側も、相手と自分の非難を抜きにしている関係ならありがたいことなんですよね。
その中に、相手を貶めようとか、自分の権威を主張してやろうとかいう思惑がないことが、本当に叱る、指摘するということなのでしょう。
そもそも、何故相手を変えたいのか。何故分かってもらいたいのか。それを自問自答してみるところから始めなければならなきのではと、Katzさんのお話から考えさせられました。



Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/02/07 (Sat) 21:49:33
何だか、こちらの掲示板への興味スイッチが入ってしまったようで、ちょっとマズイ感じがする今日この頃です。新参者が掲示板全体にご迷惑を掛けないよう、1日1コメントくらいの自分ルールを作ろうかと(笑)
あれ?もしかして今日は既に3つ目くらいでしたっけ?まあいいや、厳密に1コメは明日から!
↑なんてゆる~い感じで自分ルールを決めています。

低気圧による疲労感は、私の場合、その気になれば過集中一つでふっとぶ程度だから大した事はありません。可哀想なのはカミさんです。脇で見ていて本当に辛そうですが、可哀想と思っても頭を撫でるくらいしか出来る事はありませんし、「明日できる事は明日に回して、今日はもう休め!」以外はグダグダ言わない事にしています。しかしそれも、育児が絡むとなかなか難しい。ただ、子供が出来てからは強くなったと思います。本人も自分で言ってましたね。しかし無理を重ねている可能性もあり、そこは私が様子を観察して手を打たないといけないのですが、今の所は自分で何とか回しているようです。実はそれこそが、カミさんにとっては大進歩なんですね。自分の事で周囲に助けを求める事が出来なくて、その事が心療内科の先生にも注意されていて、近い将来の育児ノイローゼの可能性を指摘されていたんですが。自分なりに、疲労感を計算して事前に保育園や実家の活用の予定を立てる事で、自分に出来るやり方で少しでも無理を吸収しようとしているようです。だから私がしているのは、そういう申し出に対して、多少無理目でも笑ってOKを出すこと。それだけです。

ASDの場合、過程を定型に合わせても結果は同じになりません。だから定型と同じ結果を求めるなら、自分の特性に合った方法を自分で工夫する必要があります。一般社会から見たらぶっとんだやり方でも、成果が上がれば世間は認めてくれます。多少の白い目はKY特性で完全無視!それで周りを巻き込んで不幸にするワケではありませんから。成果は上がってるんです、文句は言わせません。それでも言いたい奴には言わせておけばいい、わかる人はわかってくれる。私はそう思っています。

唐突にこんな話を持ち出したのは、自己肯定とか、そういう部分でヒントになる何かがあるのではないかと思ったからです。ご参考にならない場合は、露悪趣味のつまらん自分語りと思って流してください。。。

> さらには、大人である夫にはあまり意味がないように思っていました。
これ、本人にとっても周りにとっても不幸なんですよね。大いなる誤解です。大人になってもアスペはアスペ。子供の病気ではありません。大人のASDを診てくれる心療内科も、数年前はほとんどなかったようです。今は状況が好転しましたかね?どうでしょう?
私の場合は、カミさんが苦労して見つけた信用のおける先生を紹介してくれました。

> その中に、相手を貶めようとか、自分の権威を主張してやろうとかいう思惑がないことが、本当に叱る、指摘するということなのでしょう。
私は、別にそれでも良いと思っています。貶めようとされたのに簡単に乗っかる訳にはいきませんが、権威の主張ならこっちにとってはどうでもいい事です。私の改善に役立つ指摘だと思ったら、素直に頭を垂れる。屁のツッパリにもならんと思ったら、ヘラヘラして適当に持ち上げておく。それで気持ち良くなってくれれば、次には私にとって有利な事をしてくれるかも知れません。但しそれ以上の深入りはしませんがね。
見方によっては、権威に固執する人というのは、何か心に傷を負っている可能性もあります。あるいは人生経験が非常に狭いとか。そこが透けて見えた時、不快感どころか憐れみさえ感じる事も出来ます。

> そもそも、何故相手を変えたいのか。何故分かってもらいたいのか。それを自問自答してみるところから始めなければならなきのではと、Katzさんのお話から考えさせられました。

何だかむやみに大きな話になってしまったようで、申し訳ありませんです。。。
Re: Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • あすなろ
  • 2015/02/08 (Sun) 09:24:03
AS-Pさんのスレをお借りして、自分の疑問をぶつけてしまい、失礼しております。
Katzさんのお返事で、また新たな発見をしたので、短めに(なるかな?)感想を。
Katzさんと、うちの家族たちに(たぶん)共通していること。
自分の感覚、行動に、ある意味ブレない自信がある。
一番幼い小学生の娘でさえ、自分がこれと言った得意分野に関しては、とことん完璧を目指そうとしています。そこまでストイックにならなくてもーと私は思うけれど、それが彼女の美意識のようで。それで自分で苦しんでいることもありますが、その部分に関しては誰かに解決を求めることはしませんね。自分から違うやり方を取り入れていこうとはしていますが。

夫に関しても、私から仕事の詳しいことまではわからないですが、かなりストイックで完璧主義だとおもいます。
Katzさんと同じく、どんなやり方でも結果に繋げることが大事と考えている節が多々あります。

そこで、何がストレスかといえば、権威を主張したい上司との関係。世の中には、残念ながらそういう人が多数います。古い人間になればなるほど、『怒る』=『俺の話を聞け!少しは凹んで見せろ』という思惑のある人が多い。
昔、上司と口論になって、相手からパソコン投げつけられたというエピソードの持ち主で、そのときは、私からすると、「上司を立ててうまくやってちょうだいよ」と気が気ではありませんでしたが、Katzさんのお話から推察すると、夫の思いも納得できる気がします。

そこまではASDの特性として共通することが多いかなと思うのですが、Katzさんの素晴らしいところは、その相手の怒りや思惑をうまく見越してコントロールできるというところですね。
Katzさんの興味というのが、深層心理に向いているからかもしれませんが、定型側の行動はASDにとって、そのままではつかみどころのない、理解不能なものになりやすいのでしょうが、その根底にある心理の理論を踏まえて対処する。これが出来たらASD側でもかなりストレスが軽減されるでしょうし、その逆もまたあり得ると思えます。
ただ、非常に知識と努力が必要なんでしょうけど。
ただ、ここで情報を交わすこともひとつの知識の蓄えになっているようにおもいます。
Re: 「産後クライシス」と、「カサンドラ」…?
  • Katz
  • 2015/02/08 (Sun) 13:40:05
何だか自分の自慢話ばかりになっているような気もして、実は少し躊躇していたのですが、書いてよかったです。なるほどそこがポイントになるんですね。どこからがポイントになるのか、自分では良くわかっていなかったので。

ただ、私も素晴らしい能力を持ち合わせているわけではありません。あのように考えると、私がやらなければならない事が、極めて単純に集約されるんですね。
・判断基準は自分。自分にとって役立つかどうか、それだけ。
・自分に出来ることをやる。
・相手は自分より上の能力を持っていると思う。だから尊敬しなければならない(と思い込む)
ほとんどこれだけになります。私にとって大事なポイントは、3つとも自分の事だということです。他人に動いてもらう必要がありません。自分だけ気を付けていればいい。だから説得だの交渉だのと苦手な事はしなくていい。
AS-Pさんともちょっと似ているかも知れませんね、主語がいつも「自分」になるという点で。

心理の方ですけど、私もそれほど知識を持ち合わせているわけではありません。あっちこっちで聞きかじった耳学問を、自分の経験に照らしているだけです。まぁお恥ずかしい限りでして、いずれはちゃんと勉強してみたいと思ってますが、いつになるやら、、、
それでもその僅かな知識からわかる事は、人の心は規格品であるという事実です。そんな事を言うとあっちこっちで非難の対象になりそうですけども。ただ特性の多少の違いによって分類される事にはなり、そういう事を知っているのと知らないのとでは、人間の見方が全然変わってきます。そういう見方をすると、ASDも定型も、根っこは大して違わないように思えます。
この分野も、わかってくると極めて面白い。しかも自分の人生に直接役立ちます。


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