基本的なこと
  • あすなろ
  • 2015/02/15 (Sun) 08:09:57
以前、カサンドラ症候群の集まりに参加させていただいたことがあります。
参加されている方と共感して話しても話しても止まらない感じでしたが、一方で違和感と罪悪感を感じていました。
なぜかといえば、夫のASDの行動に戸惑うと同時に、自分もADHDの行動で夫を、困惑させていることが分かっていたからです。
苛立つ視点が全く違っても、お互いに相手に苛立ち傷つけていることは確か。
同じような傷を抱えていても、同じ発達障害者として共感できないのはなぜか。
そんな視点からこちらに出入りさせていただくようになりました。
ここでASDの方の率直な意見が聴けて、私の考えが変わってきました。同時に、自分のADHDを見つめることで、自分自身もとても楽になってきました。
私が抱いていた違和感は、カサンドラに陥ると、余計にASDー定型という対立に陥って、ASD側の意見が理解できなくなるということです。私はどこかで同じことが夫側にも起こっていることを感じていたので、自分が正論と言い切れないところが後ろめたさだったのです。
ASDの方の感じ方、それも複数の方の意見が一致している部分が多く、夫に当てはまることも多いということは、それはASDの特徴であって、外部がどうすることもできない。いや介入してこちら側に合わせてもらおうとする部分ではない。
反対に、私の行動が複数のADHDの方と一致するということは、それがADHDの特徴であって、そう簡単に周りに合わせられるものではない、ということ。
そのどうにもならない差というのを悪いことだと決めつけてしまうことが悲劇なんだなと感じます。
確かに、この差は悲劇を生みやすいです。
けれどその差をどうにかしないでお互いのできる範囲で同じ方向に歩くということは、意外に簡単なことではないかなと気づいてきました。

あるADHDの方のブログで見たのですが、ASDと思われる方と一緒に仕事をすることになり、指示は具体的にひとつずつ。指示をだしたら相手に一任。ASDの実行力にお任せ。自分は、発案や調整、交渉などを請け負い、変更があればまた端的に指示だけをする。それで社内で異例の速さで仕事が完了したそえです。
その後ASDの方とパートナーになった定型の社員は、足並みが揃わないことで叱責ばかり繰り返し、仕事が一向に進まないそう。
これだ!とおもいました。
確かに家庭では、足並みを揃えないといけないことが多いかと思うけど、例えば子育てで夫婦で価値観を統一するべきだというけれど、うちはそれはできませんでした。
子どもから「パパとママはいつも言っていることが違う!」と言われて反省の日々でしたが、「パパはこう言うけど、ママはこう思う。あなたはどうする?」というのもひとつの子育てになるのではないかと。決して親は完璧じゃないよ。アドバイスはするけど自分でもかんがえてみようという自立を促す躾にも繋げていけるのかなと。
やるべきことは、相手を批難しないことと、威圧的に接しないこと。
パンダさんが、外国人の方には、最初から価値観が違うことかわ分かっているので世間は寛容と、おっしゃっていましたが、分かりづらい発達障害だからこそ、初めから価値観が違うことを気に留めて接する心がけが必要なんだと思います。
でも、本当はそれって人間関係を作る上でまったく基本的なことなんですよね。同じ価値観をもつ人間なんてどこにもいません。日本人だから、年齢が近いから、家族だから、価値観が合うと勝手に思い込み、ひどい人は、強引に自分に合わさせようとする。定型側からも、そういう割り切りは必要であって、アスペ側からも、定型には理解できないんだという割り切りが必要。その上で同じことに取り組むとき、相手の力をどうやって借りたら効果的かということを考えるのがベストの関係なんだと思います。

建前でわかっても、現実の細々としたことでは難しいんですが。ひとつひとつ、こんな変換をしていきたいなと思っています。
Re: 基本的なこと
  • Katz
  • 2015/02/15 (Sun) 11:24:58
そうそう、そうなんですよ!と叫びそうになってしまいました。

> そのどうにもならない差というのを悪いことだと決めつけてしまうことが悲劇なんだなと感じます。

私のカミさんが、付き合い始めた最初の頃に似たような事を言っていました。カミさんは大学で発達障害を学んだ専門家でして…ってのはどこかで書きましたっけ。私と出会った頃は色々とイライラしていたようですが、私がアスペだと気付いてからは逆に面白くなったと言ってました。あまりにも見事に教科書通りの反応をするのだそうです、私。で、そういうものだと思って、私に出来ない事は私に期待しないようになったとの事。そうしたら楽になったそうですね。何だかカミさんには申し訳ない気持ちで一杯なんですけど。カミさん自身もアスペで、私は私自身の処世術として似たような事を考えて接しているので、まぁお互い様って事ですね。

> 指示は具体的にひとつずつ。指示をだしたら相手に一任。ASDの実行力にお任せ。自分は、発案や調整、交渉などを請け負い、変更があればまた端的に指示だけをする。

ああ、いいですねぇ…。私の理想の上司です。
余談ですけど、ドラッカーも似たような事を言ってるようです。一回任せたら、結果が出るまではその人の判断に口を出してはいけない、と。責任の所在が曖昧になるという理由だったようですけど。人を活かすというのもドラッカーの教えにありました。と言っても、私も「もしドラ」しか読んだ事の無いニワカで、お恥ずかしい限りですが。

> その後ASDの方とパートナーになった定型の社員は、足並みが揃わないことで叱責ばかり繰り返し、仕事が一向に進まないそう。

ASDの場合は、子供の頃からコレで怒られてばかりなので、それが二次障害につながるのだそうですね。私はコレがあんまりありませんでした。幸運だったと思っています。

> やるべきことは、相手を批難しないことと、威圧的に接しないこと。

これは大事なコトですよね。私の場合は怒らないという事を旨としています。徹底すると、相手が変わってきます。何をやっても怒られないという事が実感としてわかってきますとね。
もう一つは相手の長所を見つけるという事。これは練習しないと難しいんですが、コツがわかってくると簡単です。大抵、短所と長所は裏表の関係ですから。それと、長所は当たり前の事として意識されていない事が多い。これを見つけて褒めると、最初は不思議そうにしますが、いずれ喜んでくれるようになります。

> でも、本当はそれって人間関係を作る上でまったく基本的なことなんですよね。同じ価値観をもつ人間なんてどこにもいません。

私もそう思います。まったく基本的な事です。そこら中で指摘されてる話でもあるはずなんですけどね。

> 価値観が合うと勝手に思い込み、ひどい人は、強引に自分に合わさせようとする。

私はこれを新興宗教の洗脳と対比して捉えてます。そんな事を平気で書いちゃったりするから、Katzの文章は過激だとか言われちゃうんですけど。苦笑

> 建前でわかっても、現実の細々としたことでは難しいんですが。ひとつひとつ、こんな変換をしていきたいなと思っています。

大丈夫です。自分が変われば、周囲も少しずつ変わってきます。焦らない事、諦めない事、押し付けない事。そして良かった探し、ですね。

ああ、短くまとめようと思ったのに、また長くなってしまいました。嬉しさのあまり指が滑りました。しかも何だか上から目線ですし。スミマセン。
Re: Re: 基本的なこと
  • あすなろ
  • 2015/02/16 (Mon) 13:32:12
Katzさん、

Katzさんのお話を伺っていると、改めて、ASDやADHDそのものが問題ではなく、それによって虐待やいじめなどに遭う確率が高くなり、二次障害を受けてしまうところが問題なのだと感じます。さらに広げれば、定型、発達障害関係なく、虐待などの不条理を受けてきた人が本人の劣等感を、さも正論のように自分より立場の弱い人間にぶつけてしまう、そんな社会の歪みも反映されているのではと。

私自身、精神的虐待を受けてきた人間で、普通の指摘も批判ととる傾向があり、それが自虐になるタイプです。夫は逆に育児放棄や暴力を受けてきて、それが攻撃性に出るタイプです。
認識のズレがあっても、お互いの自我が育っていれば、「あなたはそう言うけど、私は違う。だからといって不服ではない」という割り切りができ、理解してもらいたいと渇望することも少ないのでしょう。
そもそも、一緒に暮らしているからと言って合わせなくてはいけないことがどれほどあるのか?一人暮らしなら全て自分で判断し自分で解決するものを、相手に依存して安心を得ようとしてはいないか。そう厳しく自問してみる必要を感じています。

そこから考えてみれば、幼い頃得られなかったもの(承認や尊重)を相手に求めていることが多いな、いやほとんどそこに行き着くかもしれない。そんな気がしてなりません。

だから、幼い頃から承認と尊重を得られていたKatzさんは、ASDの特性も自信のひとつとして受け入れられるし、相手に求めるものも少ないのでしょう。

二次障害の大きさは深刻ですが、逆を言えば、あくまで二次なので、本質は変わらない。いくらでも挽回が効く部分ではあるのです。
その過程がとても大変なことも実感していますが。

ASDだから、ADHDだから、と勘違いしやすいですが、対人障害のほとんどがそれに伴った二次障害が大きいことは、Katzさんのようにほとんど二次障害をもっていらっしゃらない方を知れば分かるような気がします。

今の世の中は、定型であってもこの二次障害のような生き辛さを抱えた人が多いんですよね。

ADHDの方のブログにあった、定型の人の行動は、まさにこの定型の人側に問題があり、「俺を見てくれ、合わせてくれ」という欲求の表れじゃないかと思えます。

なんか問題がどんどん壮大になってしまいますが。
この振り返りを始めたら、私は楽になってきましたね。
Katzさんのご意見で、また確信してきました。


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