発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/09/28 (Mon) 09:15:59
あやさんの投げ掛けから、自分が常に考え続けてきたことが整理出来てきたように思います。
生きやすくなるのに具体的なきっかけはありましたが、今まで訳も分からず苦しんできたことに、正解を教えてくれるような様々な捉え方が出来上がってきたおかげでもあります。

ここ数年で発達障害の捉え方は目覚ましい変化を遂げていますし、この掲示板もその一端であると思っています。

そこで、最近話題になっている文化的虐待の問題が、発達障害者の偏見と生きにくさにとても関係が深いのではないかと感じます。

文化的虐待とは、親と子の間で、価値観や社会観の隔たりが大きい時、親だからという理由だけで、その価値観を子供に押し付けて育てる、その結果、子供自身の本来の価値観が破壊されてしまうことをいいます。

エリートの親が子供をエリートに育てようとするケースから、知的障害などで社会規範が為されていない親が必要な教育を施さない。あるいは、定型の親が、発達障害の子に定型の価値観を無理矢理植え付けようとするケースまで、幅広く捉える事ができます。

発達障害者と文化的虐待の関係について、あんこさんも紹介されてたブログ主さんが、非常にうまくまとめていらっしゃいます。

http://okaikosan.hateblo.jp/entry/20150617/1434528659

私は自分の子育てを通して、この文化的虐待があるかないかで、発達障害者の未来が大きく違うことを実感しました。
この定義自体は最近のものですが、文化的虐待の被害者であった私は、子どもの意志を尊重するというポリシーだけは守ろうと思って育ててきました。私も発達なので、自分から与えられないものは外部に頼ろうと思ってきました。

アスペの息子は、私ひとりの力では育てられなかったので、いろんな場所に助けを求めました。
そこで出会った多くの大人が、現在の彼の価値観に影響していますが、それは強引に押し付けられたものではなく、彼がいろんな人からいいとこ取りをしたものです。憧れという自発的なものから彼が選択していったもので、その選択肢がたくさんあったということです。

その時は夢中で、将来的にどのような影響を及ぼすかなどと分かりませんでしたが。

息子は中学生のときにイジメに遭いました。それも、息子が悪い事をしたわけではなく、息子の行動がおかしいとか、意見が独特とか、そういう価値観の違いからだけです。
イジメの主犯格は、勉強も学年トップ、部活ではエース、ピアノも弾ける、気味が悪いほどオールマイティの子供でした。

しかし、目つきは明らかにおかしかった。笑顔が一切なければ、表情の変化がない。これは私だけでなく、周囲がみな感じていたことです。
学校側は、優等生であって、普段は規律正しく、イジメは陰で行っていたので、彼を問題視することが出来ないと担任がこぼしたことがあります。

その後、色々と掛け合って、イジメは解決しましたが。

息子は後で振り返ってよく言います。

「中学時代はオレの黒歴史だけど、あれはあの学校が異常だっただけだから」

息子は幼少期から多くの人の価値観に触れて、自分で価値観を作り上げてきたので、それは揺るぎませんでした。なのでイジメた側の問題として割り切ることが出来たのです。

私は親ですが、自分がその立場だったら、おそらく息子のような捉え方は出来なかったと思います。優等生の方が正しい、出来ない自分が悪い、となっていたと思います。

その優等生は、まさに文化的虐待の被害者なのです。その親も知っていますが、有名な教育一家でした。
子どもというのは、早期教育で徹底的に洗脳すればこんなオールマイティにもなるんだと、皮肉をもって見ていました。

早期教育、成績至上主義、受験大国の日本は、家父長制の理念を残して進化した文化的虐待がエスカレートしてきています。

ちょっと過激な記事ですが、下の記事に書かれていることはあながち妄想ではありません。↓


http://con-isshow.blogspot.com/2015/09/blog-post_28.html

そして、この偏重がこんなことにもつながると思いました。

http://m.huffpost.com/jp/entry/8201910

日本人の中にいて、日本人の愚かしさに気付けない。社会から排除されているように感じたときこそ、世界に通用する広い視野が持てるチャンスなのかもしれないなと思います。


Re: 発達障害と文化的虐待
  • あや
  • 2015/09/29 (Tue) 09:15:50
文化的虐待、実は初めて聞いたのですが、私これ該当しているかもしれません。

母に言わせると私は小さい頃、
「外に遊びに出かけると毎日泣いて帰ってきた。なんでも悪く受け取って、訳の分からないところで泣いたり怒ったりしていた」
そうです。
多分、母や定型の子どもがよかれと思ってすることは、私にとっては嫌なことなので拒絶して、注意されたり怒られる。
裏を返すと、私がよかれと思ってすることは、母や定型の子どもの嫌がることなので、拒絶されて注意されたり怒られる。
どちらにしても嫌な目に遭うという…こういう感じだったのかなと思っています。
(特に母はよかれと思ってしたことを受け取ってもらえないと「人がせっかくしてあげたのに、感謝の気持ちがない!」と怒るタイプなので。-_-;)

中学あがるくらいまで断続的にいじめられていたのですが、当時はいじめられている自覚がありませんでした。1対多数(先生含む…)のケンカのようなものととらえており、特別問題に感じてなかったんです。
「あの頃の気持ちに戻りたい」なんて考えていましたが、戻るなんてとんでもない異常状態だったのかなぁと。職場でいじめを辛いと感じられたのは、私の場合、案外良いことだったのかもしれません。

「よかれと思って」
こう思ってしてるのが難しいところですね。してる本人にとっては本当に良いことですし…
あすなろさんの息子さんのイジメの主犯格のような子について、前職場で「近所にいて心配だ。教育方針は人それぞれだから何も言えないけど。」という話が聞こえてきたことがあります。
早期教育、成績至上主義、受験大国の日本…
お稽古ごとや塾代などの高い経済効果もあるから、問題として公に取り上げられることはなさそうな。怖いことです。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/09/29 (Tue) 20:57:15
直系家族を中心とした家族制度や家父長制度、学校教育(文化的虐待の背景となるもの)は全て富国強兵の時代が基礎になってますから問題そのものを解決しようと思ったら、学校制度や家族制度のあり方を変えないといけなくなります。
軍隊教育が元ですから障害、健常はともかくとしていじめが起きるのは自然です。人格障害を作り開けてきたのは富国強兵のためによる政策が元です。
個人もですが、文部科学省や国に訴えるレベルになります。

当時は国を植民地支配から守るためにはそれ以外に方法がなかったのでしょう。戦後の経済発展もそれらが元になっています。障害者を養えるくらいの経済大国になりました。私が国の税金を頂いて生活しているわけです(精神的には国の飼い犬になってる気分ですが)。
皮肉な話ですが、文化的虐待は直接的ではなくとも間接的には福祉の発展につながってるとも言えます。

ちなみに障害年金や生活保護は国の制度(軍隊)で身体や精神を壊した人への賠償の意味も含まれると聞いたことがあります(これは間違っているかもしれないので、話半分に聞いて下さい)。上の人はその意味すら分かろうとせずに福祉を切り捨て、軍備に税金を回そうとしてますが(政治家だけでなく、アメリカの圧力が大半の原因だと思いますが)。

話は脱線しましたが、明治から続いてきた制度(文化的虐待の原因)は現代では国の発展の妨げにもなります。
しかし個人だけの問題ではなく、国レベルでの価値観を変えるくらいのスケールになります。
ちっぽけな私達に国レベルでの価値観を変えることは可能でしょうか?私には絶望的に感じます。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/09/29 (Tue) 21:30:54
>あやさん

あやさんのお悩みの解決の糸口に、少し繋がればうれしいですが。

文化的虐待というのは、どうも今一生さんというライターさんが定義されたもののようですが(調べ切れていないので、違っていたらすみません)、これと同じような虐待を、犯罪心理学者の長谷川博一先生は、『優しい虐待』と称されて、分かりにくい、しかし被虐待児の発達や、その後の世代にも連鎖する重要な問題として挙げられています。
私はこの長谷川先生のドキュメント番組を見て、全てがクリアになった気がしました。今更ですが、前のスレで自己肯定に至る過程には、このドキュメントを見たことも大きなきっかけだったことを思い出しました。


珍獣枠……ブログの蚕さんが、「個人の辿ってきた苦悩を総称する固有名詞がつくと絶大な救いとカタルシスがもたらされる」として、蚕さんにとってアスペやACを知ったときよりもはるかにスケールの大きなものだったと言われていますが、私にもそうだったかもしれません。
何せ、これまで私の生き方の指針と思わされてきたことが、根底から覆されるものでしたから。つまり、親を否定しない限り、私はその通りに出来なかった、今もその通りに生きられない自分を責め続けていかなくてはならなかった。その呪縛から解放されたのですから。

これを知るまで、自分自身も、周りも、あんなに一所懸命な良い親なのに、反抗心を持つなんてとんでもない、親を尊敬できない子ども(私)の方が歪んだ性格だと思っていましたし、虐待なんて主張しようものなら、育ててもらった恩も忘れて人でなしだと罵られると思っていました。

長谷川先生のドキュメントでは、この自覚できない虐待で負わされた傷を抱えたまま母親になった人が自分の子どもに酷い虐待をしてしまい、その原因が分からずに苦しんでいる例が挙げられていました。
傷を傷と認識できないことが、さらに悲劇を生むのです。

ただ、日本は大昔から家のために個人を犠牲にする風習があったので、これを虐待と認識できない人、知らずに行っている人が大多数だと思います。

発達障害と同じように、文化的虐待の被害者と認識できる人も少数派なんですね。ましてや加害者側は、ほとんど自覚したり反省したりすることはないでしょう。

私はそのために、ブログに親への憤りを綴っていたわけです。ある程度吐き出すと、不思議なほど「どうでもいい」とおもえるようになりました。
どうでもいいというのは、親の責任云々を考える暇があったら、自分が正しいことが分かったのだから、自分の価値観をもう一度取り戻していくのが先決だと考えるようになったということです。

おそらくこの作業も、重要な過程の一部だったかなと思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/09/29 (Tue) 21:54:38
>にわとりさん

にわとりさんは、随分前から明治以降の社会や家庭のあり方に疑問を持っていらっしゃいましたよね。にわとりさんが紹介されていた記事もとても印象にのこっていますし、今一生さんが問題として捉えられていることにも繋がることが多いと感じました。

最近、時代劇を見て、何か心が痛くなるのですが、こんな風にして、家のため、お国のためと奮闘する昔の人たちが哀れに思えてきてしまうんですね。
少し前なら、それが美徳として通っていたし、多様化など考えなくても一部の価値観の揃う人間だけで社会を築いていれば済んだ。けれどその陰には大多数の貧困から抜け出せない、個人の幸せを主張することさえ許されない人間がいたわけです。

最近になって、戦争で受けた被害を赤裸々に語る人が出てきましたが、少し前には、語ることすら恥や罪だと思って口を噤んでいる人がほとんどだったわけです。

国レベルの問題に、太刀打ち出来ないように思えますが、少しずつ、少数派の意見が陽の目を見るようになってきたのも事実です。震災や最近の安保問題で、政府に疑問を感じる人も増えてきています。昔のように、個人が一切声を上げてはいけないと洗脳されていた時代より、明らかに進歩していると信じたいですね。

ちなみに、障害者福祉の原点は、戦争疾病者救済のためのものでした。当時の法律を残したまま、内容を変えていっているわけです。便宜上のものでしょうが、社会のニーズに伴って内容事態は全く違うものとなっています。
問題は、障害者福祉よりも、老人福祉の方が緊急性が高いので、どうしてもそちらの整備に重点が置かれているということです。ただ、障害者福祉のほうも、かなり充実してきているのは確かなことです。一度に変化することはないですが、明らかにこの数年で大きく進歩しています。

当事者が諦めないで声を上げていくことが大切じゃないかなと思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/09/30 (Wed) 09:37:22
福祉の話に関しては専門職にいるあすなろさんの方がご存知でしたね。
間違った知識の上に上から目線の言い方で失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/09/30 (Wed) 20:01:16
>にわとりさん

いえいえ、こちらこそ、偉そうに書いてしまって申し訳ないです。正直、にわとりさんが幅広く情報を集めていらっしゃることに驚きました。簡単に情報を得られる環境ではないのに一つ一つ深めていくのは大変ですし、私など本当に狭い範囲での興味関心しかないので、にわとりさんの知識欲に感心しています。
また何か情報があればどんどん開示してみてください。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/09/30 (Wed) 22:00:13
では調子に乗って。以前貼り付けて消したURLなんですが。
いじめられる側
http://kagewari.seesaa.net/article/4390419.html

いじめる側
http://kagewari.seesaa.net/article/4533852.html
発達障害は人格障害に目を付けられやすい話をよく聞きますが、こちらに少し理由が書いてあります。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/09/30 (Wed) 22:17:14
調子に乗って他にもいじめ問題についての記事を貼っておきますね。
http://kagewari.seesaa.net/article/422717731.html
http://kagewari.seesaa.net/article/26697126.html
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あや
  • 2015/10/01 (Thu) 11:16:31
>あすなろさん

「優しい虐待」、調べてみたら私そのままで爆笑しました。
反抗期がすごかったのですが、それすらも力ずくで押さえ込まれたので、相当こじれてると思います…親への憤り、あんまり思い浮かばないんです。
蚕さんのブログで「仕事やりすぎ」と怒られたという記事がありましたが、ほとんど同じことを経験しています。

実は、私がよく見ていたのは狸穴猫さんのサイトのような、定型社会でうまくやっていく方法が書いてあるサイトや本、カサンドラ症候群の方のブログや本で、蚕さんのブログのような発達障害当事者の訴えや、今一生さんのブログのような社会問題の情報は見ないようにしていました。
どの道この社会で生きていくことは変わらないのだし、自分の直すべきところを直さない言い訳に使ってしまいそうだと思って。こちらのブログを読むようになったのも、定型が何を喜ぶのか、何を嫌がるのかを知るためでした。

自分がしてきたことは、まるで子供の頃の親と自分との関係を象徴しているようです…
すごくいろいろ考えさせられました。情報本当にありがとうございました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • コクーン
  • 2015/10/01 (Thu) 15:39:18
「優しい虐待」という言葉があったんですね。
言葉こそ知りませんでしたが、私の中で漠然と考え続けていた事が結びつきました。
娘たちの同級生のお母さん方を見ていて私が抱えていた違和感。
子供を将来自立させるように育てたいと考えている私は、子供に判断させようとしているのですが、子供にとってそれは厳しいと捉えられているのか?という違和感をずっと持ってたもので・・・。
子供のために良かれと思って先先やってしまうお母さん方。「娘に嫌な思いをさせたくないので・・・」と言うお母さんもいた。親が一生懸命レールを敷いている?子供たちが呑気に見えて、自分がやらなきゃという自覚が感じられない。他の大人の叱咤が響かない子が増えたと感じていました。

よそ様のことだから、どうすることもできないのかな・・・でも、危機感を感じる・・・なんとかならないものか・・・とずっと思っていました。その元となるところに、私のパートナーもいるのですが。

そのパートナーが、我が娘たちに父親としてとっている行動が、正にこの「優しい虐待」。その虐待を断ち切っているのが、私なんですけど。彼に私がよく言っていた言葉「あなたは優しすぎる」。「何で優しいことがいけないの?」と彼には通じない。

でも、私の考え方は間違っていなかったと、自分の信念に更に自信を持つことができました。
情報、ありがとうございます。

Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/02 (Fri) 00:36:29
>にわとりさん

資料、ありがとうございます。
その通りだな、と感じるし、こういうことに薄々気付いている人は少なくないと思います。
最近の犯罪は、特定の相手に対して恨みを抱くよりも、内から溢れてくる相手を特定できない恨みをはらすといったものが増えていて、それらもここに繋がっていると私は感じます。
社会の上に立つ人間は、辛い経験をすることなく順調にそだってきた人が多いので、この因果関係に気付けないか、気付こうとしないんだと思いますね。
学校や会社がイジメを隠ぺいしたがるのもそういうことが原因でしょう。根本的な解決ができないまま、問題が雪だるま式に大きくなっていくのは恐ろしいことですね。
けれど、自分自身にも、そういう傾向はないかと振り返ってみると、ありそうな気もします。価値観の違う相手に苛立った時、それがどこから発生しているのか、冷静になった時に振り返る癖を個人個人が意識していけたら、少しは変わるかもしれないなと私は思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/02 (Fri) 00:59:29
>あやさん

あやさんの中に、何かスッキリするものがあればいいですが、重いようならいったん考えるのを止めてもいいかと思いますよ。私も、解放された気持ちは大きいのですが、拠り所がないような空虚な気持ちも正直あります。その辺りのバランスが難しいなと感じているところです。

蚕さんのブログは、文化的虐待を検索して出てきたものだったので、他のところをまだ読んでいなかったのですが、あやさんのコメントで遡ってみました。注意力散漫なので、あやさんのおっしゃる記事が見つけられなかったのですが、ほかを読んで、ほとんど共感できるなと感じました。
にわとりさんが↑に挙げられた資料にあるように、イジメにしても、躾にしても、行う相手側の歪みが大きいことも多く、特に発達障害があると目立ってしまいターゲットになりやすい。そんな不幸な巡り合わせから始まるものなのでしょう。
蚕さんが、発達障害だからこその利点に注目されていますが、誰も教えてくれなかった、むしろ隠されてしまったその部分を見つけ出すことが、大きな転換期になるのかなと思っています。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/02 (Fri) 01:20:09
>コクーンさん

コクーンさんのような考え方が、本来子育てで大切なところなのでしょうが、今は逆におかしいのかな?と錯覚してしまいますよね。私も、何度自分が間違っているのか?と思ったことか。

息子をイジメた子と、似たような境遇の子がもうひとりいたのですが、その子は精神疾患になり、不登校になり、ベランダから飛び降りようとまでしました。
結局、トップクラスの学校へ進学するのは諦めて、並のレベルの学校に進学(せざるを得ない)ことになりましたが、私は苦しい状態から解放されて、良かったなと感じました。

気づかずにエリートコースを突き進む子と、挫折してそれなりの進路を進んだ子。能力は互角だけど、社会を牽引する立場になるのは前者ですよね。
暗澹たるものを感じます。

勘違いをしている親は本当に多いですが、きっと今はそれが多数派で、常識になっているので、世間の考え方を変えるのは難しいですね。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/02 (Fri) 09:51:18
あすなろさん

女性の精神科医の書いた「国会議員を精神分析する」という本も、このテーマに近いかな、と。。
(国会議員を取り上げたのは、たまたま彼女が国会議員だったので、経験していることをモトにある種の人たちをあぶり出しやすかったんだと思いますが)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あや
  • 2015/10/02 (Fri) 14:32:32
>あすなろさん

「人の課題を横取りしてはいけない」
http://okaikosan.hateblo.jp/entry/20150305/1425517145
の記事のことでした。

上司から
「●●さん(同僚)が仕事がなくなって困っているから、協力して作業することを意識してほしい。」
と言われたことがあったのを思い出してしまい…すみません、独りよがりな文章になってましたね。

アドバイスもありがとうございました(^-^)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/03 (Sat) 02:37:29
なんと言いますか、どうも私の感性はやっぱりかなりズレている気がします…(^_^;)

最初のあすなろさんの記事で一番注目したのは息子さんの下りでした。
> 「中学時代はオレの黒歴史だけど、あれはあの学校が異常だっただけだから」
素晴らしい息子さんです!
そう言い切れる息子さんを育てたあすなろさんもすごいです。

古い家族制度や家父長制なども、決して悪い事ばかりではないと考えています。「スカイのブログ」のスカイさん一族は、言わば昔ながらの家族制度と家父長制を維持していて、それを生かした育児を貫いていますよね。つまり重要なのは制度の形ではなく、利点欠点を理解した上での運用方法ではないかと。

富国強兵を動機とする現在の学校制度には問題がある、という意見には賛成です。その辺は私がヘタクソな文章を書くよりも、にわとりさんに紹介いただいた精神分析のブログが、実に見事に解き明かしてくれてます。やっぱりプロは違いますね。共同幻想が重要なキーワードになっていましたが、これにはきちんとした定義があるようで。それを押さえてからでないと、文章の趣旨を十分に汲み取れないかも知れません。ぐぐればウィキペディアにも定義が書いてありました。

そういえば予定調和で会話を進める意味も、このブログに答えが書いてありましたね。なるほど納得です。個人的には、予定調和というのは安心はできるけど、それだけに刺激が少な過ぎると感じます。私は、予定された着地点を超えた時に、えも言われぬ高揚を感じるのですが。刺激中毒でしょうか。

文化的虐待や優しい虐待という言葉は、私も初めて知りました。紹介ありがとうございました。

が、、、優しい虐待って、これ、優しいですか?私には「優しい虐待」というのは言葉の選択ミスにしか感じられないんですが…。「優しい虐待」の関係性において、優しいのって親じゃなくて子供の方ですよね。私、間違った定義を見てしまったのでしょうか?「優しい虐待」で検索して最上位に来たページを読んだのですが。

そしてこのような話について、その現象が話題になったのは割と古いはずです。20〜30年前くらいでしたかね、時期の記憶には自信がありませんが、その頃には、荒れる優等生とか使い物にならない東大卒とか、マスコミの話題になっていたような気がします。その後、夜10時過ぎにドリンク剤を飲みながら塾帰りの電車に乗る小学生とかも話題になっていたと記憶しています。虐待だという意識はありませんでしたが、そんなんで健全な大人になれるワケがない、というのは私と私の親との共通認識で、よく盛り上がったものです。何と言いますか、今頃になってやっと学者が研究のネタにしたのか…と、ちょっと今更感が…。いや、その頃の子供達が大人になって苦しんでいるのが今である、と考えるとちょうどピッタリですか。そして今はそんな育児が主流ですか?なんでそっちへ来ちゃったんですかねぇ。明らかに間違っていて、マスコミも結構騒いだはずなんですけど。

余談ですが、私には反抗期が無かったそうです。母が言っていました。それを聞いたカミさん曰く、Katzちゃんはそうだろうね、と。全知全能だと思っていた親も、実は限界のある人間だった、と認識する事からくる反発が反抗期なのだとか。いつも(今でも)親を尊敬の対象としている私は、反抗期が無くて当然だ、とカミさんが解説してくれた事があります。

何だか好き勝手に書き殴ってしまいまして申し訳ありません。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/03 (Sat) 07:38:43
>ココチさん

ご紹介ありがとうございます!
すみません。この本、知らなくて、アマゾンの紹介を読んでみました。
かなり前に出版されたものなんですね。流行ったものなんですかね?非常に流行に疎い私です(笑)

紹介に書かれている内容だけでも、目を疑いますね。実際、高級車乗り回したいとか、訳の分からない研修でっち上げたり、ありましたからね。
人として、ちょっとと思う人が、学歴だけで国の舵を握っている……おそろしい現象ですねー! この本が出た頃から変わっていないというのも、ゾッとします。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/03 (Sat) 07:49:00
>あやさん

ご丁寧にありがとうございます!
リンクを貼りながら、ちゃんとほかのところを見ていなくて、お恥ずかしいです。
あやさんが、一つのきっかけから、どんどん深く読み解いていくのが凄いなと尊敬します。
他の方も、あやさんの読解力に感心されてましたが、そこを苦手とする私に少し分けていただきたいくらい(笑)

ひとりでやらないで、と言われてしまうくらい、何でも出来る人なんですね!
出来ることを出来ないようにセーブするって、一番難しいですよね。ほとんど不可能じゃないかな?
その上司こそ、何言ってんだ!って思います。だったら他の仕事探して与えるのが、あなたの仕事でしょ?!って言ってやりたいですね!
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/03 (Sat) 08:16:47
>Katzさん

息子のエピソードは、掃いて捨てるほどあって、幼い頃はネタとしてブログで語ってましたね。アスペというのもあるけど、本当に個性的な子で、アスペだからこそ、他人の影響を受けない独自路線が確率したのかもしれません。

私はどうも彼の目線とは違うのでよく衝突するんですが、Katzさんのお話伺っていると、息子はKatzさんの感覚に近いなと感じることがよくあります。
お笑いも大好きですよ。会話の中でいかに素早く鋭いツッコミを入れるかが、彼の目下のコダワリです。まったく恋愛対象じゃないのが悲しいですが、女の子にも受けがいいようで(笑)

私の子育てっていうのは、理解を超える息子の行動をひたすら観察するってことだったかな?と。
そもそもアスペの診断が下る前から「何でこの子、こんなことするの?」ということばかりで、診断を受けて医者や心理士さんにいっぱい解説してもらって、「この子はこれでいいんだ」と分かったことが大きいですね。それでもやっぱり私には??ばかりなので、理解してくれるところの団体にあちこち参加させて、「君、面白いね」とか、「いいとこあるね」といっぱい言ってもらえたことがネックになっているんだと思います。

文化的虐待とは、私と息子だった場合、私が、理解できない息子の行動を、躾によって私色に染めようとすることだったかなと。息子が診断を受けなければ、その状態になっていたことは容易に想像できます。
もともと子どもの意志を尊重したいという気持ちがあっても、それは自分の想像できる範囲内のことで、想像を超える行動になったときには対処できずに押さえつけていたでしょうね。

Katzさんは、伺う限りでは、ご両親と価値観が似ているのではないでしょうか? それをご両親が自分から強くアピールすることなく自然な形でKatzさんに寄り添っていたのかなと想像します。

確かに昔、社会不適合を起こす高学歴者が問題視されましたね。
私が思うに、その問題は、社会不適合を起こす人が減ったことで解決したように見えるようになっただけだと思います。
つまり、核心のない高学歴者に合うように、社会がかわって、本来の自分を見失っても、不適合を起こさなくて済むようになってしまった。
有識者と言われる人が、時々、あまりにも幼稚な失言をしたり失態を犯したりするのも、ここから来ているのでは?と思いますね。

優しい虐待とは、親も親としての優しさから、子供もその親の優しさを真に受けて育つ。
そもそも親の優しさどうせ思っている部分が根底から間違っている、そういう非常に判断の難しい虐待のことをいうのだとおもいます。

昔のように、問題が明らかな形で出てこなくなったことが、とても大きな問題なんです。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • 2015/10/03 (Sat) 09:58:44
あすなろさん

確か以前にエルサの話をされてましたよね。
本来誰もが魔法を持っているけど、社会に適応するために力を消す、あるいは魔法を制御するような話もされていたと思います。

紹介したブログのどこかに書いてあったのですが(どこにあるか忘れました。見つかり次第貼ります)、エルサの魔法の話に例えれば、他の人は本来の自分を制御して魔法を制御させることは可能なんだけど潜在的にストレスを感じているというんですね。
一見苦労がないリーダータイプも魔法の制御には長けてるけど潜在的にはストレスを感じてることには変わりないとの話です。
この部分については私は懐疑的ですが(世の中には楽々とこなしてる人もいるので)。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/04 (Sun) 06:41:11
あすなろさん

たぶん 流行った本ではないですね。私も流行にはうといところがありますが。
(ただ この著者の本は、大勢の人に読まれて来ていると思います)

権威に反発する傾向の強い人が読むと、国会議員のことをステレオタイプな見方で固定化させてしまう危険がありますが、そういう人でないなら、痛快に読めて、ある種のタイプの人たちに対する 日頃のもやもやが晴れると思います。
あすなろさんのように、一生懸命育ててくれた親のことを悪くいうなんてとんでもない、という人たちに囲まれて来た方たちなどにとって・・・私も似ています。
ある種の人たち(自己愛性人格障害に近いパーソナリティ)は、いわば「声が大きい」ので、私たちは 世間一般にも同じように思っている人たちが大勢いるように思わされてしまっているかも。
でも、そうではない、ということを肝にめいじておいた方がいいですよね。
もし、そういう人に関わってしまったら 離れて 次を探す!ことですよね。
最初は いい人立派な人 親切で一生懸命な人だと思ってしまうけど・・
(私も 最近 新しい仕事の準備等々で動きが大きいので 関わってしまって。。)

でも 次に進むのが早くなりましたね。

(ただ身内となると、距離を置くのに さらに工夫が必要なので、若い時は 囲まれやすかったのかもしれませんが)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/04 (Sun) 19:11:17
あすなろさん

> 私はどうも彼の目線とは違うのでよく衝突するんですが、Katzさんのお話伺っていると、息子はKatzさんの感覚に近いなと感じることがよくあります。

どういう所でしょうか?ちょっと興味あります。

> お笑いも大好きですよ。会話の中でいかに素早く鋭いツッコミを入れるかが、彼の目下のコダワリです。まったく恋愛対象じゃないのが悲しいですが、女の子にも受けがいいようで(笑)

それはいいコダワリですね。女の子受けがいいのは大変良かったです。男にとっては大事なことですよ、恋愛対象かどうかにかかわらず。女の子を楽しませるコツを知るという事は、将来彼女を作る時に大きな意味を持ちます。重要です(^_^)

笑いは、私が個人的に好きというのもありますけど、冷静に考えてもメリットが極めて大きいです。まずコミュニケーションの強力な武器になります。受けるか否かというわかりやすい基準でフィードバックを期待できます。ウケを狙うという事は、人間に興味を持つ大きな動機になります。笑うというのは副交感神経が優位になり、リラックスできる(=緊張状態から解放されて脳が休まる)という効果もあります。そのせいか、免疫力が強化されて健康寿命が延びるとか、癌が治り易いとかいう研究もあるようですね。

息子さんにはぜひ、イマドキ流行のお笑いだけでなく、漫才とか、落語のようなものも研究していただきたいですね。落語に精通できれば、たとえ知識だけだったとしてもそれは日本人としての教養になり、単純な笑いを超えた価値を持ちます。まぁ、無理強いするものでもありませんが。

というか、笑い一つでどれだけ長文を書いてるんだ…と、ふと我にかえって苦笑い…。すみません。長くなりすぎたのでこの辺で。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/04 (Sun) 19:35:27
連続投稿すみません。

> 私の子育てっていうのは、理解を超える息子の行動をひたすら観察するってことだったかな?と。

これが出来たって事は、非常に大きかったと思います。思えば私の親も、あんまりあれこれ口出ししなかったような気がします。よっぽど危ない時には強権をもって介入されましたが。ああそういえば、勉強しろってのは言われ続けましたね(^_^;)

> Katzさんは、伺う限りでは、ご両親と価値観が似ているのではないでしょうか? それをご両親が自分から強くアピールすることなく自然な形でKatzさんに寄り添っていたのかなと想像します。

恐らくそうだと思います。父も母も田舎の百姓出身で、家族や大人のあり方などの価値観は父母でブレる事はありませんでしたし。父は極めて穏やかな人で、母もその影響を大きく受けていて、強制される事はあまりなかったと思いますが、折に触れてそういう話は聞かされていた記憶があります。

洗脳という言葉を使えば、洗脳されたのかな、とは思います。ただ、長じて色々な考え方と比較しても、現代においても従う価値があると信じられるものでした。折に触れ少しずつ修正してはいますけども、大枠は変わらないですね。

> そもそも親の優しさどうせ思っている部分が根底から間違っている、そういう非常に判断の難しい虐待のことをいうのだとおもいます。

何か違和感が…と思って考えたのですが。親の優しさについて私が考えているのは、子の自由にさせること、を基準にしているんですね。「子の為を思って」という言い訳は、その点から私には詭弁に聞こえているのかな、と。お稽古事や塾の強制と同じで、それって親の自己実現を子で代替しようとしているだけ、ではないかと感じてしまうんです。だからそれは優しさではなくてワガママの範疇になるような気がするんです。

ちなみにその「自由」について。私の考えであって、世間的な定義はたぶん違うのですが、自由とは選択肢を選ぶ際に制約が無いこと、と考えています。そこでもう一つ重要な概念が「豊か」で、これは選択肢が沢山あること、です。だから豊かであっても自由でなければ意味が無く、自由であっても豊かでなければ意味は半減します。そして豊かで自由である事は、リスク管理の観点から極めて重要な意味を持ちます。リスクを回避しやすくなる、つまり致命的な大失敗を回避できるようになる、と考えています。

親が子の為にしてやる最重要事項は、豊かで自由な人生への切符を用意してやること。上記の意味で解釈するなら、将来の選択肢を増やす事と、その選択にあたって制約を無くす事、だと考えられます。選択肢を増やす為に躾は必要ですが、凝り固まってしまうようではかえって選択肢を減らしてしまいます。心理的に傷を残したら、選択に当たって大きな制約を作る事になります。教育も金銭も、すべては選択肢を増やす為の道具です。

> 昔のように、問題が明らかな形で出てこなくなったことが、とても大きな問題なんです。

難しいですね…。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/05 (Mon) 11:11:42
>にわとりさん

漢字だったので、他の方かと思いましたが、例のブログとあってので分かりました^ ^

記事が見つかったらぜひ教えてくださいね!

読んでいないので何とも言えませんが、にわとりさんが『楽にこなしている』と見えるというところにポイントがあるような気がします。
もちろん楽にこなせる人もいるでしょう。問題は、ストレスを抱えているのに他人には絶対に見せない人、誤魔化すのが上手な人、深層心理ではストレスを抱えているのに麻痺していて本人自身も楽だと思っている人も、同じように『楽に見える』ということです。
そして、深層心理にストレスを持っている場合は、必ず周囲から不具合を感じます。
言動が常に一致しない。自己反省はなくて他罰的。行き過ぎると犯罪に及ぶことも。一番周囲が迷惑を被るタイプだと思います。
むしろ自分でストレスを自覚できる人の方が人間的なんだとおもいます。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/05 (Mon) 11:21:53
>ココチさん

自己愛性人格障害者は、無意識のうちに自分を取り繕う技術を身につけていますから、表面的には人格者に見えるんですよね。本人も人格者だと信じてしまっている。
そして他人を貶めることでさらに自尊心を高めます。
親によって、本来の自分を牛耳られて、たくさんの毛皮で巻かれた状態がこの状態なんだと思います。
そして、借り物の毛皮を着た人間が、今の世の中には本当に多い。そういう目で見てみないとそれが借り物なのかどうかに気付きません。
幸いにも、私は夫との関わりで気付いてきましたが
(笑)
逆にそういう目で見だしたら、あの人もこの人も。自尊心の低い人間は容易にターゲットになります。そもそも、人の弱みを責め立てること自体、こういう傾向がある人だからなのだと思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/05 (Mon) 11:44:22
>Katzさん

息子はダジャレの質を高めることに固執しています。何か単語が出てくると、同音異義語を見つけたり、連想する単語をわざと持ってきてボケてみたりとか。要はクロスワード遊びみたいなものなのかな?それで、よほど深刻な場面でなければ場が和むので、余計にそれに意味を感じているようです。確かにこういうことが出来るとどこへ行っても『面白いヤツ』と好意的にみてくれますよね。よくこんな処世術が身についたものだと感心しています。
母親の私は全く逆で、バカがつくほど何でも真面目に考えてしまうタイプ。息子のおかげで、最近はツッコミもできるようになりました。
落語はまた間合いとか複雑な演出技術が要りますよね。そこまで昇華させるかどうかは息子次第でしょうけど、多分そんな大それたものではないかな?

Katzさんに似てるというのは、正しくはKatzさんとの話の中で感じた見方の違いを、息子との間でも感じるということです。
以前の話し合いで、私はCと思うけど、KatzさんはDと思う、よくよく突き詰めてみたら私はAという側面を見ていて、KatzさんはBという側面を見ていたということがありましたよね?(こんなたとえで分かりますでしょうか?)
息子とも、お互いに「それはちがう!」とやり合っていて、よくよく話していったら、息子と私は全く違うところを見ていたということがありました。
これ、Katzさんとのズレと同じだ!と感じたのです。
なので息子とKatzさんが同じ見方をするかどうかは分かりませんが、明らかに私とは違うところに注目する。それが個人的な感覚の違いというより、アスペ的見方と定型的見方の違いじゃないかなと、私には思えました。
おそらく、息子が本当に幼い頃からこの違いが大きかったので、私は自然と、「この子の感覚は、私の常識で捉えてはいけないんだ」と割り切ったんだと思います。
実際、専門家に説明してもらって、目からウロコのことがたくさんのありましたから。
息子やKatzさんにとっては、私の言動の動機を説明すると目からウロコってことになるでしょうね。
息子はまだ私の動機に耳を傾けてくれるほど大人ではないので、私が静観する姿勢を持つのが先決ですが。
その辺りは、Katzさんのおかげで整理がついてきたように思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/05 (Mon) 14:59:05
あすなろさん

お忙しいところ、お返事ありがとうございます!
いつも とても感心して読んでいます!

今回も 私は いろんな要素を短くまとめすぎちゃったかもしれませんね。
自己愛性パーソナリティー障害に近い人は、一見して そう見えないし、いるところには固まっていることも多いから 被害が甚大だけど、実際には 世の中には 信頼できる人たちだってけっこういるから「大丈夫」ということがいいたかったんです。(すみません)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/05 (Mon) 21:55:33
あすなろさん

http://kagewari.seesaa.net/article/419374432.html
http://kagewari.seesaa.net/article/419489834.html
この辺りでしょうか。
難しすぎて私の頭では理解するのは限界ですが。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/05 (Mon) 22:21:04
まずこのブログを解釈するには
メンタル問題
単独者
共同幻想(適応者)
歩止まり
これらの定義を理解してからでないと難しいかもしれませんね。
http://kagewari.cside.com/kage_tex1.htm

相談者の事例
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_063.html
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_066.html

出しゃばりすぎましたね。落ちます。失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/05 (Mon) 23:01:16
まずこのブログを解釈するには、
メンタル問題
単独者
共同幻想(適応者)
歩留まり
これらの定義を理解してからでないと難しいかもしれませんね。
http://kagewari.cside.com/kage_tex1.htm

歩留まり
http://kagewari.seesaa.net/s/article/405690528.html
http://kagewari.seesaa.net/article/406096428.html
http://kagewari.seesaa.net/article/406964007.html

相談者の事例にも共同幻想についての話が書いてあります。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_063.html
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_066.html

難解すぎて私は途中で挫折しましたが、理解できる方は参考までに。

出しゃばりすぎましたね。落ちます。失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/05 (Mon) 23:19:53
歩留まりについてはこちらの方がわかりやすいです(何回には変わりないですが)。
http://kagewari.seesaa.net/article/286215290.html
失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/06 (Tue) 07:47:15
ココチです。

もう一回だけ 補足させてください。
自己愛性人格障害に近いタイプのことに これまで疎かった人の場合は、そういう人がいる、と気がついて距離をおくことでラクになるように思うんですよね。
ただその後、 身近なところにこれだけいたとか、中心的な場所にこれだけいた、ということがわかってくると自分が非力に感ぜられる時期があるように思うんです。
そういう場合には、逆に、世の中には 自分と同じ価値観の人たちも、信頼していい人たちも、大勢いるんだ、だから大丈夫、と気がついてラクになれると思っているんです。
そういう人たちは、アピールが強くない場合が多いので、見落としがちだけど、たくさんいるんだって。
いつも、その線で動いていきたいです。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/07 (Wed) 23:43:36
>にわとりさん

資料ありがとうございます。

正直、アナ雪の話は、どこ?と思ったのですが、このブログを読んであの話と結びつけたにわとりさんの思考力がすごいと思ってしまいました。
『私の頭の中では理解するのが限界』なんて書かれていますが、次に挙げられた記事から入っていくのがわかりやすいとアドバイスまでできるということは、この難解なブログの内容をしっかり把握されているということですよね。
頭が悪いなどとご自分でよくおっしゃっていますが、論理的思考と読解力に非常に長けた方だと、私は思いますよ。少なくとも私よりは断然!(←お前が頭悪すぎ!って言われたら元も子もありませんが^^;)

それで、何回か挫折しながら読んでいくうちに、このブログ主さんのおっしゃりたいことと私も似たようなことを考えているかなと思いました。(誤解だったらごめんなさい)

結局、この社会は『共同幻想』によって成り立つ部分が多く、それに適応していれば、各個人の病理的な部分というのを改めて考える必要もない。しかし、その共同幻想に適応できない場合は病理的部分を見つめざるを得ない。
そもそも、誰にでも病理的部分は存在するのだけれど、共同幻想によってアイデンティティーを培ってきた人間にとっては、そこをわざわざ見つめることは、自分の根底を覆されることであって、危険を伴う。なので、そこを無視しようとする『歩留まり』の状態になる……ということでしょうか?

そういう解釈でよければ、私にも『分かる』気がするし、思い当たることも多いなと感じます。



Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/07 (Wed) 23:58:19
>ココチさん

私もだいぶ極端な書き方をしてしまったかなと思いますが、どうやらココチさんとは、対照的な捉え方をしているのかもしれないと思いました。

おそらくココチさんは『人格障害』と思われる人に会われた回数が、私より少ないのですよね。
それよりも同じ価値観を持っている人に囲まれている。
私の場合は、残念ながらそういった『異常性』を持った人間が周りに多かったわけです。
そうすると、私にとって彼らが『多数派』になるので、彼らが『正常』であり、どうしても私が『異常』であると思わされてしまってきたわけです。
常に『私が悪い』ということを、そういう人に出会うたびに思わされてきたので、自己否定が身についてしまった。そこから回復するには、例え多数であっても、彼らそれぞれに『異常』があったことを認めなくては始まらなかった。そうすることで、いくら相手が『多数派』であっても、私は正常だったんだと信じることができるのです。

もちろん、トラブルになっていない相手にまで疑心暗鬼になっているわけではありません。トラブルの回数があまりにも多かったので、それは自分ひとりの責任ではなかったと判断するための資料だったということです。

ちなみに、自己愛性人格障害者は、対する相手によって態度が違います。
なので、同一人物であっても、ココチさんとの間には問題はなく、私には問題のある部分を見せるという場合もあります。
そのとき、ココチさんは相手に疑いを持つことはないでしょうし、敢えてそうすることもないでしょが、私には相手の問題を把握する必要があります。

そういった違いによって、見方も変わってくると思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/08 (Thu) 17:36:06
あすなろさん

これを読解したのは私ではなく、知人です。私は難解すぎてすぐに放棄しました。
おかげで多少のことはわかるようになりましたが、知人も頭が良いわけではないので、解釈は正解なのかはわかりません。
なので、あすなろさんの解釈が正解かはわかりません。
私では説明のしようがないので、沢山の資料を貼り付けました。
すぐにはわからないですし、数年スパンでないと理解しきれないかもしれませんが、あすなろさんが知りたい話は載っているとは思います。
あすなろさんは自力で核心に近づく解釈をされています。こちらのサイトの考えに近づいてる印象もありるので、こちらのサイトをはりつけたのもあります。
しかし心因的なものや家族関係に触れる事柄もあるので、踏み込んだ解釈はあすなろさんご自身の判断あでお願いしたいです。

外郭部分のみで、知人の解説から自分なりに理解したのは、
共同幻想は一般社会に適応してる人(そこから精神病になる人は元々メンタル問題を抱えている。精神病にならない社会適応者でもメンタル問題を抱えてる人もいる)。
個人を捨てて共同幻想に忠誠を誓う。顔を使い分ける(会社なら部長、家庭ではお父さんなど)。

単独者は身近にいないので説明できませんが、世間様の評価、戒律や規則には縛られない人。「仕事は食える収入があれば良い」とのことでしょうか。
規則には縛られないけど(会社がチームプレイを要した場合はやむ得ず従う)、そのリスクも自ら引き受け、他人に助けは借りずに全て自分でやる。
集団や人には群れない。単独行動。人や恋人は作らない(作らないのではなく、そもそも恋人や友人、家族といった概念がない)。
属性がないため、顔を使い分けることがない(ASDの場合とは違います)。
kagewariさん(ブログ主)もこのタイプのようで、確か不動産業務をされています(ほとんどが単独業務の仕事)。

単独者は良い悪いの概念はなく、道徳にも縛られません(道徳は共同幻想が作ったもの)。
犯罪や人を陥れるなどの行為は心因的に問題がある人がやるものなので、メンタル問題がない単独者がそういった行為に走らないのかもしれませんが。

そのどちらにも属していない人がメンタル問題を抱えてる人となります。家庭環境が原因です。
共同幻想も病理的なんですが、多数派による合理性があるので病気とはならないのでしょうか。共同幻想は地域や民族によって変わるのは言わなくても分かりますかね。

本来なら思春期後に単独者か共同幻想選択のどちらかを選ぶのですが、メンタル問題を抱えるとそれに失敗する。
メンタル問題を抱えてる人の場合はカウンセラーなどを通じて自分のことを知った後にどうするか(自己分析は危険なようでブログ主さんは勧めていませんが)。
共同幻想を選択するか?単独者を選択するか?のどちらかになりますが、メンタル問題を自分の個性として生きていく場合は「歩どまり」となるのかな…。

知人の解釈も当たっているのか、自分の理解もどこまで正しいのかは分かりません。

Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/08 (Thu) 18:43:48
ちなみに共同幻想選択をする場合は「病理的な洗脳だとわかった上で」選択することになるのでしょうか。
個人の主張も共同幻想では許されない(許されるのは上の立場)。長い物には巻かれろ的な世界も受け入れることになる。最悪いじめや戦争が起きることもです。
※先進国では共同幻想崩壊過程、単独者社会に移行中だそうです(共同幻想全てが崩壊するのではなく、共同幻想も必要部分は残るようですが)。現在いじめや学級崩壊、モンスター親(教師)や家庭崩壊などの問題が派生しているのもそれと関連してるようですが。

単独者なら空気を読まずに発言することもある(空気を読む力がある上で空気を読まずに発言するので、ASDとは違う)。よくドラマのシーンで共同幻想適応者である脇役は長い物に巻かれているのに対し、主人公が空気を読まずに信念で行動するのは単独者の原理から来てるのでしょうかね。
ただ現実では単独者はつぶされてることもあるようですが(ブログ主さんも解雇された経験があるようです)。

何せ記事が読み切れないほど膨大にあるので、あすなろさんの読む気力があれば参考までに。
http://kagewari.seesaa.net/

(追記)
共同幻想とかメンタル問題とか歩留まりとか単独者とかの説明はあくまで知人の解釈を借りて話しただけなので、間違ってる部分は沢山あると思います。

わかりやすい記事を探してますが、なかなかないです。こちらに少し書いてあるかなと思いましたが(もちろんあすなろさんが参考にされるかどうかが前提なんですが)。
http://kagewari.seesaa.net/article/418972190.html


Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/09 (Fri) 08:38:23
あすなろさん

お忙しいところ ありがとうございます。
これでも 私的には あすなろさんと反対の捉え方をしているつもりはないので、自分の筆力に限界を感じています。
それなら 今回は 自分の経験を思いつくままに書いていってみようか、となりました。

うちの夫は、結婚前 私とつきあっていた時、義母から「 ~については 言わないように」と釘を刺されて その通りにし、私に重要な事実を隠していました。(そのことを、結婚してから 夫がぺろっと私に言ってしまった)
結婚して40年近くになりますが、隠した問題が繰り返し繰り返し出てきて もう大変でした。そして 肝心な時に 大事なことを言わないで切り抜けようとするのも 繰り返されて来ました。(日常的には正直な人)
大きな変化があって、うまくいかなかったような時、それを言う必要のある人にも言わない、言わざるを得ない時は 自分のせいではないように言う、のがいつものパターンでした。夫のその対応から、私のせいだと思われていた、その人たちに私が説明して誤解がとけた時もありました(誤解されたままになっているのも 少なくないはず)
こういう夫や義母のやり方は、私の価値観とは違います。ただ、夫とは、共通の趣味が幾つもあるので、10人以上の大きな趣味のサークルで付き合う距離ならいい相手なのかもしれません.でも 信頼する友人たちような 価値観を共にする相手ではありません。身内でないなら、もうとっくに距離をおいていると思います。(ロマンのかけらもないと思った方ヘ.私もこう割り切るまで長い長い時間がかかった)

結婚して20年近く経った時、私が体調を崩して、内科(漢方も)にかかりました.そうしたら、女医さんだったのですが、「あなたは、それだけの問題を乗り越えて来たんだから強いじゃない」と言われました。今まで そういう見方を言われたことがありませんでした。それで、 精算を待っている間 壁に貼ってあった女性フォーラムの無料電話の電話番号をひかえて、あとで電話をかけてみました。そうしたら「あなたはこれまで、なかなかできないことをやって来て 実り始めている。だからこれからは、もう少し、自分のやりたいこと、好きなことをやって行ったらどうか」と言われました.こんな見方もはじめてでした.
ある時母に、そう言われたということを、つい言ってしまったら「そんなところに電話をかけてくる人なんて、うつ病で死にたくなっているような人なんだから、そう言う風にしか言いようがないでしょう」と返されました.母は、いつもいろんな人の世話をしている人ですが、母のこういう見方・やり方は 私の価値観とは違います。
母との関係で苦しんできたことを女性フォーラム等で話していた時、母のこの反応も言ってみたことがあります。すると「お母さんの言われたことは、こういう仕事をしている私たちに対して失礼です。」等と返って来ました。これは 私の価値観と同じです。

あすなろさん、こういう書き方では どうでしょうかね?
私に対して、言いにくいかなぁ。
率直に言っていただけたら、うれしいですけどね。(^^)

長くなったので、ひとまずここで送りますね。(^^)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/10 (Sat) 02:06:02
> あすなろさん

注目するポイントが違いますか。なるほど。そういうポイントのズレの積み重ねが、最終的に大きな「価値観の違い」に結び付くのでしょうかね。

ちょっと息子さんとお話してみたくなりました。得意のダジャレも聞きたいです(^_^)

> にわとりさん

横から失礼します。ご紹介いただいたブログ、実に興味深いです。やっぱり難解です…。が、どの記事にも一つくらい、思わぬ所に結び付いて、へ〜っと唸るような一節がありますね。

私にとって一番うなったのが http://kagewari.seesaa.net/article/419489834.html この記事の前半にある一節でした。なんとなくオンザレールな『共同幻想』一般市民は、苦しみもがかなければならないハズの反抗期をソコソコで済ませて色々先送りしてなんとなく楽をしてるけど、そのまま一生楽なのかというと実はそうではない、という所。本気でしんどい部分を、深酒したり騒いだり不倫したり子供暴力振るったりで散らしながら先送りを続けて、結局は一生苦労とストレスの人生で終わっちゃって、最終的にはその病的な部分が、メンタル問題ではなくて寿命を縮めるという形で現れる可能性がある、と書いてあります。

私にはこれが大発見でした。「満足な豚であるよりも不満足な人間であった方が良い」と言った哲学者がいましたが、なぜ満足な豚であってはならないのか?に明確な理由を見出せなくて、ずっと考えていたのでした。人生において楽な選択ばかり続けて、最後まで楽ならそれでもいいんじゃない?と言われると、反論できなかったんです。でもその文章で、回答をもらった気分になりました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/10 (Sat) 08:40:47
>にわとりさん

たくさん貼りつけていただいて、ありがとうございます!
お友達とにわとりさんの解説もまた参考になりました。私とは若干読み方の違いがあるので、これもひとりよがりの解釈を見直すために参考になりました。

この方、本当に核心に迫る内容をいくつも提示されているのに、なんというか、表現自体がとても読みにくいところも多いですよね。誤字、誤表現も多いので、途中で「あれ? もしかして、これはこのことだったの?」と何度も見返さないと理解できないところも多くて、二重に読解に時間が掛かる。
おそらくそう声高に広く発信したいわけではないけど、とにかく思うことを書き綴らずにはいられないという感じがします。

すごーく気になるし、漠然とわかるのに、うまく読み解けない~! ちゃんと編集して本にしていただきたいくらい(←いや、活字になったら私はたぶん読まない(笑))
やっぱりにわとりさんのお友達の解説とともに読みたいです。
お時間があれば、またお友達の読解例も教えてください。

にわとりさんが関連づけられているのは、本ブログのこの一連のやりとりですよね? ↓

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-521e.html#comments

読み返してみたら、パンダさんも、同じような解釈をされているなと思いました。

それと関連する記事は、Katzさんが挙げられた記事も分かりやすいかな?
読める人には読める、探せる人には探せるものですね。目の前の一部しか見えない私は助かります^^
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/10 (Sat) 09:13:43
>ココチさん

ココチさんもお辛い経験をたくさんしてこられたんですね。
そうでなければ、興味本位でここを探し当てることはしませんものね。

前回のコメントに、「あなたはまだ幸せなほうよ」みたいなニュアンスが出てしまったようで、大変失礼しました。全くそんなつもりはなかったのですが、私の書き方はココチさんのご苦労を否定しているようにも取れますよね。本当にごめんなさい。

思い出すのもお辛いでしょうに、ご自身の経験を告白していただいて、申し訳ないことをしてしまいましたが、有難かったです。
ココチさんは、「辛いことも多いけど、世の中そんな人ばかりではないよ、救ってくれる人はいると思うことで自分も前向きになれるよ」というメッセージを伝えたいのかなと思います。
私もその通りだと思いますし、前回のコメントからもそれは感じ取れました。

ただ、ココチさんのご経験と大きく違う部分が、今回のコメントではっきりとしました。
これは、『世の中に人格障害者が多くて巻き込まれることが多い』というところではなくて、『私自身の問題が絡むのでそういう状況に陥りやすい。あるいは多少人格障害傾向のある人の負の面を引き出しやすい』ということの誤りです。

ココチさんのご経験と照らし合わせて決定的に違うのは、私は掛かった医者や相談者にも、「それはあなたの問題が大きいからでしょう」と見限られることが多かったというところです。
鬱も経験しましたから、メンタル面に明るい医者にずっと掛かっていましたが、「あなたの問題が大きい。とにかく治療しましょう」というスタンスで、夫との関係にはまったく目を向けてもらえませんでした。
女性問題の相談機関にも何度も足を運びましたが、夫婦関係の問題として取り上げてもらえることはほとんどありませんでした。一度など「あなたのような人だから、ご主人の苛立ちはよく分かる。ご主人は当然のことを言っている。それがわからないあなたには何を言っても無駄でしょう」と吐き捨てられました。

ここに来て、やっと夫の問題を見つめられるようになりましたが、こういう情報を与えてくれる場は、このブログが初めてでした。

おそらくココチさんご夫婦の関係と似たようなことが起きていたと思いますが、私の問題がクローズアップされてしまうので、まずはあなたを改善しなさいという方向で話が進んでしまうのです。

今になって、それはわたしのADHDの部分がそういう印象を持たれてしまう原因になっていたことが分かりました。メンタル面の専門家でさえ、そこは理解してもらえないし、問題を一緒くたにされてしまうわけです。

私が「世の中には分かってくれる人もたくさんいる」と思えない原因はそこです。
医者や相談員に人格障害があったわけではなく、彼らはむしろ真摯に向き合おうとしてくれる善良な人だったと思います。
ただ、軽度発達障害の本当の問題を理解していないのと、相手側(夫)の問題は別物であるという認識が持てないというのが問題であって、おそらく現状ではここまで理解を深めてくれる専門家は皆無に等しいと思います。
なので、私には、彼らを恨む気持ちはありませんが、『理解者もたくさんいる』とは思えないわけです。

かなり特異な例なので、それを一般的な言い方で「みんなそうだ」というようなことを書いてしまったのは失言でした。誤解を招くようなことを書いてしまって申し訳ありません。
ココチさんが修正してくださったので、助かりました。ありがとうございます。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/10 (Sat) 09:32:27
>Katzさん

いやー、機会があれば息子と膝を割って話していただきたいくらいです(笑)

Katzさんと息子の見解が一致するかどうかはわかりませんが、思考傾向が似ていると「違う!」という平行線にならずに「そこが違うけどその考え方は分かる」みたいな建設的な話になるんじゃないかな?

実際、私とアスペの娘がやり合っていると「(妹)の言ってることは俺とは違うけど、そう考えたくなるのは分かるよ。俺にはお母さんの言っていることのほうが理解できない」と言われることがあるので、アスペ同士だと意見が違うけど分かることが多いんだなと思います。

ダジャレね~。息子が絶好調だと、とんでもない方向に会話が進んでしまうので、私は疲れますが、Katzさんならいくらでも付き合ってくれそうですね!(爆)



にわとりさんの紹介されたブログの中で、Katzさんが目を付けられた記事はまさに『このことだ!』という感じがしますね。
最初ににわとりさんが関連づけられた『アナ雪』の話も、これと繋がるかも?

たくさん紹介していただいても、うまく読み解いたり、ポイントとなる記事を探したりできなかったので、助かりました!さすがKatzさん!
逆にこのブログはKatzさんにはツボのようなので、また読み深めて感想などありましたら教えてください。そのほうが私には理解できそうです!

すみません、にわとりさんに無断でこんなこと書いて……(^^;)
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/10 (Sat) 20:10:03
> あすなろさん

何というか、最初にこのブログを紹介してくれたにわとりさんを置き去りにして勝手に盛り上がっている感じがして、申し訳ないような気分ですが。にわとりさんにはスミマセンが、私も調子に乗ってもう一つ。

にわとりさんが紹介してくれた中でも、心理学テキストとして掲示されているものの最初の1つ。自己嫌悪という心理の謎解きです。テキストと言うだけあって、この文章は比較的読み易いと思います。
http://kagewari.cside.com/kage_tex11.htm
心理学テキストはまだやっとこの1つを読んだだけなのですが、これ、すごいです。自己嫌悪の心理構造に関するこの解説は、この掲示板やブログを訪れてくるすべての方に読んでいただきたいですね、定型かアスペかに関わらず。人間関係について悩みを持っているような方の場合、この心理構造に思い当たる点が必ずあるのではないかと思います。実際に自己嫌悪しているかどうかは別として(多分、自己嫌悪の自覚が無い場合も多いと思います)。

このテキストを読んだ上でもう一つ。これもにわとりさんに紹介していただいたものの中で、相談者の事例の1つ、会食恐怖に関する心理分析です。公開掲示板はまだこのスレしか読んでいませんが、実に興味深いです。実際に分析するに当たっての注意点や問題点のようなものが、強烈な形で表れています。なるほどこうなるから自己分析は危険なんだな、という事がよくわかります。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_063.html

自己分析で自分の心理的課題を乗り越えようとするには、相当の前準備が必要になるようですね。魔法の呪文を1回唱えれば、チチンプイプイのプイ!で悩みから解放されるような、そんなお気楽な話ではないようです。そこら辺に自己啓発セミナーがインチキである理由がありそうです。

この2つと、先に挙げた共同幻想再選択に関する記事とを踏まえて、私はどうだったかを振り返ると…というのもやってみたくなりました。じっくり考えてみますが、アスペだった事がうまい具合に働いていた可能性があるかな、という気がします。このブログ主さんはアスペの知識は無いようなので、そこら辺との絡みは自分で考える必要がありそうです。


> いやー、機会があれば息子と膝を割って話していただきたいくらいです(笑)

ここの掲示板ではオフ会とかって企画されないんですかね?私は警戒心が薄いので、こういうメンタル系の掲示板でも、顔を合わせてみたいなあと思う事は多いんですが。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/10 (Sat) 20:18:59
連続投稿すみません、一言だけ補足。
自己嫌悪の謎解きの話ですが、このスレで話題にしている文化的虐待も、この心理構造と深く関わっている気がします。共同幻想と深く関わる話のようなので当たり前と言えば当たり前ですが、こちらの文章は読み易いという点からも、注目したい記事です。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/10 (Sat) 22:15:15
Katzさん

私の変わりにわかりやすく説明頂いてありがとうございます。
本来はもっと私が皆様にわかりやすく説明するなどの配慮が必要だったのに、抜けていました。申し訳ないです。

ちなみに発達障害については一部書いてあるのですが、書いている意味が未だに理解できてないんですね。
http://kagewari.seesaa.net/s/article/423053156.html
>(やれ発達障害だとか臨床系で分類される認知系の問題は、スピルバーグやブラットピットやトムクルーズが同症状で有名で すが、それ系の現象が発症する背景にも『共同幻想』特有の”認知や情報の共有”が強迫的である側面が関係していると推 測するのが妥当で、見方を変えれば「共同幻想適応症(過度に 『共同幻想』を意識するあまり付随して二次的に発症した神経 症の一種)」とも言えるからね。←大きな枠組みで言えば「関係障害」です。それを「シナリオ拒否症」と見た場合だと自我 内部で『共同幻想世界観』が偏向(肥大乃至誇大化)している と考えるのが筋論でしょう。)

http://zenzenkinosei.web.fc2.com/
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_063.html
この相談者の方はおそらく発達障害のように感じます(私が勝手に決めつけてはいけませんが)。

http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_068.html
この方は高機能自閉症と統合失調症と診断されたようですが、解説が私の頭では解釈できませんでしたが、障害の問題となると、メンタル問題ではなく、医療系の問題になるんでしょうかね(ただ知的障害のパニックについて少し解説が書いてあります)。

あと、自己分析を勧める中でのもう一つの問題点が結婚してる方です。
例えばメンタル問題を抱えている者同士の結婚です(極論はDVされた人が暴力的な人を好きになるなど)。
メンタル問題抱えてる方の自己分析は、結婚生活のことや仕事、友人関係も含まれてきます(メンタル問題保持のために無意識に結婚相手や友人などをスカウトしている)。
DVやモラハラに限らず、メンタル問題を抱えてる方同士の結婚はあるようです。
こちらに閲覧してる方にもそういった可能性の方もいらっしゃるかもしれません。
最悪、メンタル問題からの離脱が離婚となる可能性があります(別れずに本人同士で話し合うように勧められているカップルもあるようですが)。
ちなみにアスペ定型カップルについてはメンタル問題同士の結婚なのか、そうでないのかは夫婦によって違うと思うので、何とも言えません。

私は共同幻想適応の問題を提示するためにブログを出したのですが、個人的な心理問題についての自己分析は自己責任でお願い
頂きたいです。

とりいそぎ、失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/10 (Sat) 22:37:40
自閉症の問題は医療系の問題になるんでしょうかね。
メンタル問題と医療系の違いが分からないのですが、このブログ紹介してくれた知人とは関わらなくなったので、自力での解釈に限界がありまして…(^^;)
Katzさん分かりますか?

Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/11 (Sun) 14:08:07
あすなろさん

とんでもない。
以前に、あんこさんが あんな風にいっぱい書いても、いろんな立場の人がそれぞれに読んで参考になってることについて、「自分はこういう経験をしたよ」という書き方だからだ、 とあすなろさんが解説されたのを読んで、なるほど!と思ったんです。
それを思い出したんで、今回は 自分の経験を書くスタイルにこだわってみただけなんですよ。

あすなろさんは、難しい問題に 地に足のついた前向きなコメントをされますね!
私は、あすなろさんのコメントで 特に思い返したいのを、大切なルーズリーフに書き留めています。

ところで、私は インディジョーズの考古学者のようになりたかったというあすなろさんが、その資質を、軽度発達障害という未踏の土地を切り開いたり、不屈の精神で、目に見えないけど価値あるものを見つけたり、見つけたものをつなげて解説したりすることに使ってくださって 本当にありがたく思っています。
(インディジョーズを見ていないので、言ってることがズレていたらすみません。言わんとしてることを汲んでくださいね(^-^))
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/11 (Sun) 20:02:09
あすなろさん

あすなろさんの意志を無視して次々にはり付けてしまってすみません。
空気を読めずに自分ペースで言ってしまいました。
Katzさんが気に入ってくださったようなので、結果論で良しとします。

keiさんのコメント(2015年5月1日16時14分)の一部を抜粋します。

>エルサが持つ「超人的な力」を普通は親が子供に「わがまま言うな世間のことを考えろ」と「欲望の力を抑圧」する。
かわりに「世間様」や「常識」をすりこまれる。
定型は「常識」「普通」「当たり前」を身につけ、かわりに「ありのままの自分を失う」。

kagewariさんのブログには「共同幻想適応者の家庭では幼少期から子供に共同幻想論をたたき込む(ある意味では洗脳する)」ということが書いてありますが、それと一致しますね。

幼少期は親が全てですから親の言うとおりにしようとしますが、反抗期になれば、親や周りに反発するようになりますよね。
下記のブログにも書いています。
http://kagewari.seesaa.net/article/419374432.html
>「思春期反抗期」ここでは『共同幻想』全体への反抗が行われる事になります。瞬間風速で『共同幻想』の全否定、ガラガラポンが起こる。

エルサの話であれば、思春期になって「超人的な力を好きに使っても良いじゃない!」と親や世間に反抗するようになるということでしょうか。

反抗期を経て、現実を認識するようになれば、「エルサは超人的な力を封印し、代わりに常識や普通などを取り入れ、社会に適合することを選択する」ということになるのでしょうかね(共同幻想再選択)。

一方、単独者選択というのは、社会とか常識とか普通にはこだわらず、超人的な力を維持するということでしょうか。
しかし人里離れた場所で生きるのではなく、社会とうまく共存する生き方です。
超人的な力は使いますが、もちろん普段は力をコントロールします。
村人には「あなたたちの領域は犯さないよアピール」をしながら。

現実ではフリーランスの仕事など、単独の仕事を好んで選ぶ。
やむ得ず集団の中に入らざるを得ない場合は「私は集団には群れませんよ」アピールしつつ、自分のペースで自分のやり方で仕事をする(共同幻想適応者の機嫌を損ねつつ自分のペースで仕事するというと、かなり難しそうですが)。
単独者と共同幻想適応者はお互いに考えが交わらないけど、お互いの領域には干渉せずに尊重しあいましょうみたいな。

ちなみに単独者であれば、エルサの話の結末は「妹の愛情によって…」などの結末にはならないでしょう。
単独者は家族や仲間などといった概念はなく、単独で行動しますから。自分で考えて自分で解決に導こうとするでしょう。

これが歩留まりであれば、「超人的な力をコントロールせずに自分の城で好きなように生きるわ」(メンタル問題)を自分の個性として受け入れて生きていくということになるんでしょうかね(歩留まりの意味も完全に理解できていません)。

共同幻想、単独者、歩留まりどれを選択するのも本人の自由になります。

ちなみにkeiさんの「エルサの城を見て!すごいでしょ」と言ったり、テーマパークにしたら良いのかなどのお話がありましたが、(2ちゃん用語ですが)中二病ということになると思います。

あくまで知人の解釈を元に自分なりに考えたことなので、正しいのかはわかりませんが。

Re: 発達障害と文化的虐待
  • Katz
  • 2015/10/13 (Tue) 01:40:25
>にわとりさん、あすなろさん

これより先は、このスレの主旨である文化的虐待についての話題を超えるのではないかと思いましたので、別にスレを立ててみました。勝手をして申し訳ありませんが、よろしかったらどうぞ。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/13 (Tue) 08:40:11
>Katzさん

解説とナビゲートありがとうございます!
内容は本当に興味深くて、知りたいのですが、うまく読めない!
別スレを立てていただいたので、非常に参考になりそうですし、余裕のある時にじっくり見ることができそうです。助かります!
ここに迷惑が掛かるわけではなくて、読む側がテーマを整理しやすいと思います。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/13 (Tue) 08:46:12
>にわとりさん

>あすなろさんの意志を無視して……

ちょっと、何のことだか分かりませんが、私は貼りつけていただいた資料が迷惑だとか言ってはいませんよ。逆に興味深くて、今までこういう主張を知る機会が無かったのでありがたいと思っています。
Katzさんが代わりに分析解説してくださるようなので、それもまたにわとりさんが投げかけてくださったお蔭だと思います。
私もうまく理解できないので、Katzさんの解説に期待しています^^
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/13 (Tue) 08:50:31
>ココチさん

大変! 私はここに書いてきたことをほとんど忘れています。なので、同じ話を何度も繰り返しているかもしれないし、前に書いた内容と違うかも?
自分的にはその都度考えて、適当なことを書いているつもりはありませんが、気持ちがコロコロ変わるので!
あんこさんのお話へのコメントやインディジョーンズの話もすっかり忘れていました!

逆に、前と言っていることが違うと思われたら、鵜呑みにせずにご指摘お願いいたします!!
Re: 発達障害と文化的虐待
  • ココチ
  • MAIL
  • 2015/10/13 (Tue) 11:31:45
あすなろさん

いや ~ むしろとても一貫していらっしゃる方だと思いますよ。だから お会いしたことないのに 何だか安心感があります。。
ただ そうですよね ~ あすなろさんが、 自分はADHDからくる こういうところがあるんだって 書いてらしたことからすれば、忘れる とか 気分が変わることから、問題が起きそうですよね。
でも実際には、ここでは起きてないと、私は思いますが。。
あんこさんのお話へのコメントや インディジョーズのことは、チラッと触れられただけだったし、その文脈やこのブログ全体でのあすなろさんのコメントは、どれも中身が濃 ~ いですからね。しかもこちらと同時進行で、家庭でも職場でも大事なやり取りをしていそう。(例えば 娘さんの学校での問題とか)それに加え、5人家族の家事やスケジュールの段取りとか。いくら働き盛りとはいえ、量だけでもすごい。それに、軽度発達障害や軽度パーソナリティー障害の問題があるので、質的にもすごい。
むしろ、これだけのことをやってらして、よくここまで一貫していられるなぁと感心しています。
新たに気がつかれてはリアルタイムで表現していかれる場に居合わせられてワクワクもしています。
あすなろさんのADHDからくるご苦労を、小さく見ようとしている、というつもりでは全くないんですが・・
何か別の要素でこうなれるのかな、と。
勇気をもらっているんです!
Re: 発達障害と文化的虐待
  • にわとり
  • 2015/10/13 (Tue) 14:41:36
katzさん

スレ立てありがとうございます。
文化的虐待の話からかなりそれてしまったので、別スレの方が良いですね。

あすなろさん、皆様大変失礼しました。
Re: 発達障害と文化的虐待
  • あすなろ
  • 2015/10/14 (Wed) 09:23:57
このスレはそろそろ終わりにしたいので、書き込むのはどうかと思いましたが、ココチさんの私の印象というのから、発達障害の見えにくさというところを、自身の経験から少し話させていただきたいと思いまして。もしかしたら同じようなところでご苦労されている方もいるかもしれないので、参考になれば。

ココチさんは、私の書き込みを見て、意見が一貫している。参考になる話があるとおっしゃっていますが、私のリアルでの周囲の印象は、いい加減、責任を持ってやっていない、不誠実、同じ失敗を何度も繰り返す、単純なことが覚えられない、通常の判断ができない……といったところでしょうか?
とにかく信頼が持てないので責任ある仕事が任せられないというところです。

何故こんなギャップが生まれるかというと、私は端的にADHDと言っていましたが、ネックになるのは協調性運動障害というものです。にわとりさんが再三話題にされていますよね。
ADHD=協調性運動障害ではありません。併存する確率が高いということで別物です。アスペやLDと併せ持つ人もいます。

概要はこんな感じ→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E8%AA%BF%E9%81%8B%E5%8B%95%E9%9A%9C%E5%AE%B3

私の場合、会話でも文章でも、一度だけで内容を正確に把握することができません。焦ると誤解や誤読で、とんでもない判断をしてしまうことがあります。そして記憶している力にも限界があります。
さらに把握したとしても、的確に反応することができません。なので、得に口頭だけの伝達、指示などは誤解してしまう可能性や、理解していない可能性が高いです。
会話は、これを瞬時に行うことの連続ですから、特に厳しいです。

知的な印象を受けるかどうかは、この瞬時に的確な反応ができるかどうかがとても大きいので、その逆である私はかなり知能レベルが低いと見られがちです。
さらに誤解したままの内容で動けば、理解力がないと判断されます。

私が小学生の時には隔年で知能検査が行われていました。この知能検査が大変で、限られた時間で課題をこなすものばかりなので、ほとんど出来た印象がありません。
その頃は結果は極秘事項で家族にも公表されなかったので、どのような成績だったかは全く分かりませんが、おそらくIQレベルはかなり低かったと思います。
ただ、時代的に、普段の学習の習熟度の補足みたいなものだったので、成績がそれほど悪くなかったために問題にはなっていなかったのだと思います。
(おそらくIQのみでの判断も重要視される今だと知的障害になっていたかもしれません。ただ、検査方法自体が今はまったく違うものなのでそういう安易な判断にはならないと思いますが)

この障害は、幼少期は特に運動面に強く出ていたので、他の成績はいいのに、体育だけがダメという、漫画の中の秀才君みたいなキャラということで収まっていたんでしょうが、実はコミュニケーションの問題や、動作ののろさ、巧緻性のなさなど、多くのことに影響していたんです。

さらに表情筋のコントロールにも影響していたので、いつもぼんやりと口を開けている馬鹿っぽい顔にもなります。

つまり表面はまさに『知的障害者』なわけです。

ネットでのやり取りを覚えて、自分の中にいろんな主張があることを知りましたし、数あるネット情報の中には、自分と全く同じ考え方を持つ人も居るということが分かってきて、私の考え方や知能レベルは世間のレベルから大きく外れているわけではないということが分かってきました。
こうして主張をしても頷いてくれる人がいるというところが、また自信になって発言ができるのです。

少し前に、心の中の思いと、表現の仕方ということで議論されていましたが、まさにそこのところで『誤解』を受ける人はとても多いのではないかなと思います。
ただ、相手の中にある思いというのは、表現という方法でしか知ることができないので、誤解が生まれるのは当然のことです。

こういう場で落ち着いて会話を続ければ見えてくることも、瞬時の判断を必要とする日常ではなかなか難しい。また、誤解を恐れて自分を出さない方が無難だと思う人も多いでしょう。
皆が皆、自分の中の思いをさらけ出すことが出来るわけではありません。
自分が晒したのに、相手は自分の殻に閉じこもっているとなれば、さらけ出した方は馬鹿を見ることになります。コミュニケーションの難しさ、特に発達障害を持つ人とのやり取りの難しさはそこにあるのかなと思います。


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