共同幻想について、かなり大事に捉えられている人が多いようですが、私はちょっとした工夫で、誰も我慢したり傷ついたりせずに改善していけるのではないかと考えています。
何か運動を起こすというのではなく、日常の見方を変えるということです。
それを思いついたときに載せていきたいと思います。
Katzさんに立てていただいたスレがあまりにも長くなってしまいましたので、そちらのお話の続きにもご利用ください。
共同幻想の崩し方
- あすなろ
- 2016/02/18 (Thu) 09:10:27
Re: 共同幻想の崩し方
- あすなろ
- 2016/02/18 (Thu) 09:14:26
※Katzさんのスレの、パンダさんのコメントについてのお返事です。
>パンダさん
理解していただいて、ありがとうございます。
書いたあとに、『あれ? もしかして?』と思ったことがありました。
パンダさんのお返事で、『やっぱり』と思いました。
それは、パンダさんと私では経験の質が違うので、『実感の仕方』が違うのだということです。
経験の質というのは、どちらが良くてどちらが悪いということではなく、単に、経験してきたもの、置かれた環境が違うということですので。ご承知ください。
(そうでないと、私はこんな経験をしてきたんだから、経験値が高いはずだ!と傲慢に言っているような印象になってしまうので、決してそうではないということで)
>周囲や社会の共感が一切なく途方に暮れる
私はこの経験を二種類しました。
ひとつは、ここでもお話している子どもの問題です。
普通に通えるはずだと思っていた義務教育にさえ、見放される現実があるんだということ。
最初は信じられませんでした。法律で保障されているはずなのに。その法律とは教育とは権利ではなくて、義務だった。義務とは一定の規定に沿わなければいけないものなのだ。
日本って、その規定に沿えない人間には教育を施すことはしないんだな、と。
愕然としましたね。この子は日本人として当然ある権利を受けさせてもらえない人たちなんだと。
親子で社会から見放される。
息子を小児科に連れていって、『こんな騒がしい子を連れてきたら、他の患者さんの迷惑になる』と言われたこともあり、え?この子は病気になっても助けてもらえないの?と思ったこともあります。
正直、本当にシンジュウを考えたこともあります。
この子どものことから派生して、自分のことも考えだしたので、それはおまけのようなものですが。
その時の感情は、
毎日が普通にやってきて、外で子どもたちが普通に登校する声が聴こえて、外では普通に時間が流れているのに、どうして私たちはその流れに乗せてもらえないんだろう。ここでじっとしていないと、また迷惑を掛けてしまうのかな~。でも外に出ないと食べるものも手に入らないし、出れば出てくるなと言われるし。息なんてできなければいいのに。
なので、この体験談のようなことを見聞きすると、その時のゼツボウ感がリンクされるのかもしれません。
まさに『体験しなければ分からない感情』ですよね。
もうひとつは、
私は父をジサツで亡くしています。
父は、ADHD傾向の強い人で、自分で会社を経営していましたが、経理にダマされてジサツに追い込まれました。父をはめた人間は、父の社会性のなさに付け込んで本人を自分で追い詰めるように仕組んでいきました。
それにともない、実家も没収され、父の亡きあともシャッキン取りに追い回される日々が続きました。
私はもう、家を出ていたので、直接被害を受けたのは母ですが。
家族がホウカイする。世間に追い回される。住んでいた、自分のふるさとだった場所が呆気なくうばい取られるといった、悔しさと無力感をとことん味わいました。
そして、このときも、社会って私たちがこんなに苦しんでいても、平気で回っていくもんなんだな~という呆れにも似た感情です。
ハンザイで家族をうばわれた人、震災で住む場所や故郷をうばわれた人の感情がリアルに分かるのかもしれません。
それを『実感して』というのは、逆に私ができないことを『出来るはずでしょ!』と押し付けられるのと同じ感覚だろうなと気付いたのです。
ヒガイを被っている人の感情を、被ったことのない人が想像しようと努力するとき、パンダさんのような感じ方になるのではないかなと思います。
私は『共感』でできる援助と、『同情』でできる援助は、質の違うものだと思いますが、どちらも必要なことだと思います。
『共感』してしまったら痛みの方が強くてなかなか行動につながらないかもしれない。けれど寄り添うことはできます。メンタル面の援助には非常に役立ちます。
『同情』は、痛みまでも共有しないために、冷静な目で援助を考えられます。すると、公共事業の整備、必要な物資を個人ではなく全体に配分するというような大きな動きができます。
『同情』というと、何かいけないものというイメージがありますが、経験したことないものを経験しようとする想像力という意味では善意あるものだと思っています。
※投稿禁止ワードが多くてひっかかるので、ところどころカタカナにしています。
>パンダさん
理解していただいて、ありがとうございます。
書いたあとに、『あれ? もしかして?』と思ったことがありました。
パンダさんのお返事で、『やっぱり』と思いました。
それは、パンダさんと私では経験の質が違うので、『実感の仕方』が違うのだということです。
経験の質というのは、どちらが良くてどちらが悪いということではなく、単に、経験してきたもの、置かれた環境が違うということですので。ご承知ください。
(そうでないと、私はこんな経験をしてきたんだから、経験値が高いはずだ!と傲慢に言っているような印象になってしまうので、決してそうではないということで)
>周囲や社会の共感が一切なく途方に暮れる
私はこの経験を二種類しました。
ひとつは、ここでもお話している子どもの問題です。
普通に通えるはずだと思っていた義務教育にさえ、見放される現実があるんだということ。
最初は信じられませんでした。法律で保障されているはずなのに。その法律とは教育とは権利ではなくて、義務だった。義務とは一定の規定に沿わなければいけないものなのだ。
日本って、その規定に沿えない人間には教育を施すことはしないんだな、と。
愕然としましたね。この子は日本人として当然ある権利を受けさせてもらえない人たちなんだと。
親子で社会から見放される。
息子を小児科に連れていって、『こんな騒がしい子を連れてきたら、他の患者さんの迷惑になる』と言われたこともあり、え?この子は病気になっても助けてもらえないの?と思ったこともあります。
正直、本当にシンジュウを考えたこともあります。
この子どものことから派生して、自分のことも考えだしたので、それはおまけのようなものですが。
その時の感情は、
毎日が普通にやってきて、外で子どもたちが普通に登校する声が聴こえて、外では普通に時間が流れているのに、どうして私たちはその流れに乗せてもらえないんだろう。ここでじっとしていないと、また迷惑を掛けてしまうのかな~。でも外に出ないと食べるものも手に入らないし、出れば出てくるなと言われるし。息なんてできなければいいのに。
なので、この体験談のようなことを見聞きすると、その時のゼツボウ感がリンクされるのかもしれません。
まさに『体験しなければ分からない感情』ですよね。
もうひとつは、
私は父をジサツで亡くしています。
父は、ADHD傾向の強い人で、自分で会社を経営していましたが、経理にダマされてジサツに追い込まれました。父をはめた人間は、父の社会性のなさに付け込んで本人を自分で追い詰めるように仕組んでいきました。
それにともない、実家も没収され、父の亡きあともシャッキン取りに追い回される日々が続きました。
私はもう、家を出ていたので、直接被害を受けたのは母ですが。
家族がホウカイする。世間に追い回される。住んでいた、自分のふるさとだった場所が呆気なくうばい取られるといった、悔しさと無力感をとことん味わいました。
そして、このときも、社会って私たちがこんなに苦しんでいても、平気で回っていくもんなんだな~という呆れにも似た感情です。
ハンザイで家族をうばわれた人、震災で住む場所や故郷をうばわれた人の感情がリアルに分かるのかもしれません。
それを『実感して』というのは、逆に私ができないことを『出来るはずでしょ!』と押し付けられるのと同じ感覚だろうなと気付いたのです。
ヒガイを被っている人の感情を、被ったことのない人が想像しようと努力するとき、パンダさんのような感じ方になるのではないかなと思います。
私は『共感』でできる援助と、『同情』でできる援助は、質の違うものだと思いますが、どちらも必要なことだと思います。
『共感』してしまったら痛みの方が強くてなかなか行動につながらないかもしれない。けれど寄り添うことはできます。メンタル面の援助には非常に役立ちます。
『同情』は、痛みまでも共有しないために、冷静な目で援助を考えられます。すると、公共事業の整備、必要な物資を個人ではなく全体に配分するというような大きな動きができます。
『同情』というと、何かいけないものというイメージがありますが、経験したことないものを経験しようとする想像力という意味では善意あるものだと思っています。
※投稿禁止ワードが多くてひっかかるので、ところどころカタカナにしています。
Re: 共同幻想の崩し方
- みるき
- 2016/02/18 (Thu) 13:57:37
あすなろさん、こんにちは。みるきです。
拝見させていただきました。
後半の部分、本当にそうだなと思いました。
私も共感、同情どちらも必要なものであり大切なものだと思います。
どちらに救われることも事実ありましたしこれから先もきっとあると思うから。
私は基本的には何でも無駄なものはなくてそれを力に変えていけるか、幸せであれるかはその人がその状況の中に1つでもいい、どんなに小さくてもいいから、何か無理やりにでも幸せを探すことができるかだと個人的に思っていて、だから、同情だって悪いことばかりではないと私も感じます。
正直言えば心情的に突っ込みたくなるときはあることにはあるけど、その同情の結果得られるものが私にとってやその当事者にとって、そして、全体の利益になるのであれば別に小さなことや些細ないざこざなどどうでもいいです。
私は、先の掲示板の折から一貫して思っていますが、あの中に間違ってる人もおかしい人もいないと言えます。誰かがもし間違ってるというならたぶんみんな間違ってるんだと思いますから。もちろん私も。
vsみたくなってしまうのではなくて、分かるかもしれない人が分からないかもしれない人に分かるように話を持ち寄って、それで分かればラッキーだし、分からないのもまた乙だよね~位にゆるくなるといいですね。みんなただただ一生懸命に生きているだけの素敵な人たちなんだと思うから。
そして、私もあすなろさんの最初のやり方賛同します。
私も誰かに物申すやり方ではなくて、自分の見方と視点を変えることで共同幻想を変えていける人になりたいです。
それでは、失礼しました。あすなろさん、大切なお話聞かせてくれてありがとう。そして、いつも楽しいやりとりありがとうございます。
拝見させていただきました。
後半の部分、本当にそうだなと思いました。
私も共感、同情どちらも必要なものであり大切なものだと思います。
どちらに救われることも事実ありましたしこれから先もきっとあると思うから。
私は基本的には何でも無駄なものはなくてそれを力に変えていけるか、幸せであれるかはその人がその状況の中に1つでもいい、どんなに小さくてもいいから、何か無理やりにでも幸せを探すことができるかだと個人的に思っていて、だから、同情だって悪いことばかりではないと私も感じます。
正直言えば心情的に突っ込みたくなるときはあることにはあるけど、その同情の結果得られるものが私にとってやその当事者にとって、そして、全体の利益になるのであれば別に小さなことや些細ないざこざなどどうでもいいです。
私は、先の掲示板の折から一貫して思っていますが、あの中に間違ってる人もおかしい人もいないと言えます。誰かがもし間違ってるというならたぶんみんな間違ってるんだと思いますから。もちろん私も。
vsみたくなってしまうのではなくて、分かるかもしれない人が分からないかもしれない人に分かるように話を持ち寄って、それで分かればラッキーだし、分からないのもまた乙だよね~位にゆるくなるといいですね。みんなただただ一生懸命に生きているだけの素敵な人たちなんだと思うから。
そして、私もあすなろさんの最初のやり方賛同します。
私も誰かに物申すやり方ではなくて、自分の見方と視点を変えることで共同幻想を変えていける人になりたいです。
それでは、失礼しました。あすなろさん、大切なお話聞かせてくれてありがとう。そして、いつも楽しいやりとりありがとうございます。
Re: 共同幻想の崩し方
- yasu
- 2016/02/18 (Thu) 14:02:20
あすなろさん お久しぶりです。
あすなろワールド全開のところお邪魔します。
これでもかこれでもかと次々と、書かれている悲惨な情報?経験?を読んでいて煮え湯を飲まされているかのような不快感が沸き上がってしまいます。
自分は耐えているのだから、皆さんも耐えるべきだと強制されているような感じがしましてね。
最近は分かりませんが、精神科の医師にジサツ者が多く平均寿命も短かったらしいです。
「共感」することで患者を救って、自身が病まれるようです。
二つ上の兄が統合失調症を47年間患っていまして、私もその医師に救われた経験もあり、その医師も突然亡くなりました。兄の発症当時は偏見も今とは比較にならないほどで、病名も違いましたし、そのことを社会全体が変わって何とかしてほしい、などと考えたことなどありませんでした。
家族の問題は家族で解決すべき、なんて思っていません。公開して情報を集め参考にすることは非常に有意義と考えていますよ。
でもあすなろさんは経験と情報を解決の糸口さえ示さず、垂れ流しでただ不安感を煽っている。それにご主人の問題をどのように自分の中に置いておられるのか、あれだけ問題提起されていて、まったく書かれていない。パンダさんのアスペ定型の参考になる一番近い夫婦間のことではないのですか?
Joeさんのブログを紹介してから、読まれたかどうかは知りませんが、その後ご主人に対する気持ちが変わったと書かれていましたが、ここのところを描かず何故悲惨な状況ばかりにスポットを当てられるのか?
あすなろさんの情報はある意味貴重だとは思いますが、不遜にも現実離れしているようにも思えます。
たぶん内容が広がり過ぎていて、断定的な言い回しも拒否反応をおこし、なんだか新興宗教の話を聞いている感覚に襲われます。
ちなみに我が兄は、今は調子が良いので特養に居る93歳の母のところに二日に一度通い、自分の病院に月2回通い、スーパーで食糧を買い出し実家で一人暮らししています。また悪くなる時期が来るでしょうけれど、その時できることをするだけです。
思想も何もなくただ心を痛め良かれと思うことをするだけ・・・その繰り返しでもその中にしかない小さな幸せもたくさんあります。
こういう事例もあるということで・・・
あすなろワールド全開のところお邪魔します。
これでもかこれでもかと次々と、書かれている悲惨な情報?経験?を読んでいて煮え湯を飲まされているかのような不快感が沸き上がってしまいます。
自分は耐えているのだから、皆さんも耐えるべきだと強制されているような感じがしましてね。
最近は分かりませんが、精神科の医師にジサツ者が多く平均寿命も短かったらしいです。
「共感」することで患者を救って、自身が病まれるようです。
二つ上の兄が統合失調症を47年間患っていまして、私もその医師に救われた経験もあり、その医師も突然亡くなりました。兄の発症当時は偏見も今とは比較にならないほどで、病名も違いましたし、そのことを社会全体が変わって何とかしてほしい、などと考えたことなどありませんでした。
家族の問題は家族で解決すべき、なんて思っていません。公開して情報を集め参考にすることは非常に有意義と考えていますよ。
でもあすなろさんは経験と情報を解決の糸口さえ示さず、垂れ流しでただ不安感を煽っている。それにご主人の問題をどのように自分の中に置いておられるのか、あれだけ問題提起されていて、まったく書かれていない。パンダさんのアスペ定型の参考になる一番近い夫婦間のことではないのですか?
Joeさんのブログを紹介してから、読まれたかどうかは知りませんが、その後ご主人に対する気持ちが変わったと書かれていましたが、ここのところを描かず何故悲惨な状況ばかりにスポットを当てられるのか?
あすなろさんの情報はある意味貴重だとは思いますが、不遜にも現実離れしているようにも思えます。
たぶん内容が広がり過ぎていて、断定的な言い回しも拒否反応をおこし、なんだか新興宗教の話を聞いている感覚に襲われます。
ちなみに我が兄は、今は調子が良いので特養に居る93歳の母のところに二日に一度通い、自分の病院に月2回通い、スーパーで食糧を買い出し実家で一人暮らししています。また悪くなる時期が来るでしょうけれど、その時できることをするだけです。
思想も何もなくただ心を痛め良かれと思うことをするだけ・・・その繰り返しでもその中にしかない小さな幸せもたくさんあります。
こういう事例もあるということで・・・
Re: 共同幻想の崩し方
- あすなろ
- 2016/02/18 (Thu) 20:06:22
>みるきさん
賛同していただいてありがとうございます。
別に大したことじゃないです。『あれ? これって、思い込み?』ということ多々ありますよね。
笑い話になるようなことさえ、『これは社会の常識として考えていたけど、実は無くてもいいよな~』ということたくさんあります。
そんな目線で物事を見てみるということです。
みるきさんもお気づきのことがあったら、教えてください。
>yasuさん
ご無沙汰しています。
私はあくまで前向きに考えて行こうとしているだけですが、それが不快とは、驚きました。
不快とは、私の経験ですか? それとも私が提示した経験ですか?
いずれにしても、実際に起きている事実を挙げただけで、個人攻撃をしたつもりもありませんが。
こういう事実があった。それは個人のうちで収めておくもので、それを公表すれば、皆が不快に思うのだから黙っていろ。そういうことでしょうか。
確かに衝撃的な事実だと思います。
けれどそれが聞くに耐えられないことなら、それを経験してしまった私や、今現在経験している人は、何だと思われるのでしょうか?
聞くだけでも耐えられないことに耐えている人は、もはや人ではないのでしょうか。
確かに夫婦問題から逸脱しているのは、ここにふさわしくないことです。
しかし、発達障害者の置かれている状況の事実を知らないで、歩み寄りをしようというのは無理があるのではないですか?
そして、そういう不幸なことがあった。それはたまたま個人の経験だ。と割り切ってしまったら、今後も同じ経験をする人は後を絶ちません。仕方ないことなんだから、黙って見過ごせというのでしょうか。
方法を示さないとおっしゃいますが、方法を考えるためにこのスレを立てました。
それも、これ以上『共同幻想批判』『共同幻想至上』みたいな極端な方向に行かないために、身近にこんなことを考えてみたらどうかなというスタンスでいこうかと思っていたのですが。
yasuさんのように不快に思われる方がいるというのは事実ですので、これ以上出しゃばるのは止めておきます。
定型アスペの問題ではありませんね。
幸運にも、今まで波はありながらもうまく乗り越えて来られた方と、どうしようもないところまで堕ちてしまった人との違いかもしれません。その堕ちた経験は、自分の責任では無かったと考えたいですが、どうやら乗り越えて来られた方は、自己責任だと割り切りたいようです。
ちなみに、Joeさんとは、直接電話カウンセリングでお話しました。
アスペ定型問題などと言っている場合じゃなく、かなり深刻なケースだということで、今はJoeさんのメソッドを元に、対策を練っているところです。
なので、この場には書けません。
紹介していただいたyasuさんには感謝しています。
アスペ定型の夫婦の問題であるはずのこの場に、私がしゃしゃり出ているのがおかしいですね。
失礼しました。
>パンダさん
申し訳ありませんが、私にはどこが不快な部分に当たるのかわかりませんので、もしお気づきのところがあれば、過去スレも含めて削除をお願いいたします。
いろいろと混乱をさせておいて、さらにお手数をおかけして申し訳ありません。
賛同していただいてありがとうございます。
別に大したことじゃないです。『あれ? これって、思い込み?』ということ多々ありますよね。
笑い話になるようなことさえ、『これは社会の常識として考えていたけど、実は無くてもいいよな~』ということたくさんあります。
そんな目線で物事を見てみるということです。
みるきさんもお気づきのことがあったら、教えてください。
>yasuさん
ご無沙汰しています。
私はあくまで前向きに考えて行こうとしているだけですが、それが不快とは、驚きました。
不快とは、私の経験ですか? それとも私が提示した経験ですか?
いずれにしても、実際に起きている事実を挙げただけで、個人攻撃をしたつもりもありませんが。
こういう事実があった。それは個人のうちで収めておくもので、それを公表すれば、皆が不快に思うのだから黙っていろ。そういうことでしょうか。
確かに衝撃的な事実だと思います。
けれどそれが聞くに耐えられないことなら、それを経験してしまった私や、今現在経験している人は、何だと思われるのでしょうか?
聞くだけでも耐えられないことに耐えている人は、もはや人ではないのでしょうか。
確かに夫婦問題から逸脱しているのは、ここにふさわしくないことです。
しかし、発達障害者の置かれている状況の事実を知らないで、歩み寄りをしようというのは無理があるのではないですか?
そして、そういう不幸なことがあった。それはたまたま個人の経験だ。と割り切ってしまったら、今後も同じ経験をする人は後を絶ちません。仕方ないことなんだから、黙って見過ごせというのでしょうか。
方法を示さないとおっしゃいますが、方法を考えるためにこのスレを立てました。
それも、これ以上『共同幻想批判』『共同幻想至上』みたいな極端な方向に行かないために、身近にこんなことを考えてみたらどうかなというスタンスでいこうかと思っていたのですが。
yasuさんのように不快に思われる方がいるというのは事実ですので、これ以上出しゃばるのは止めておきます。
定型アスペの問題ではありませんね。
幸運にも、今まで波はありながらもうまく乗り越えて来られた方と、どうしようもないところまで堕ちてしまった人との違いかもしれません。その堕ちた経験は、自分の責任では無かったと考えたいですが、どうやら乗り越えて来られた方は、自己責任だと割り切りたいようです。
ちなみに、Joeさんとは、直接電話カウンセリングでお話しました。
アスペ定型問題などと言っている場合じゃなく、かなり深刻なケースだということで、今はJoeさんのメソッドを元に、対策を練っているところです。
なので、この場には書けません。
紹介していただいたyasuさんには感謝しています。
アスペ定型の夫婦の問題であるはずのこの場に、私がしゃしゃり出ているのがおかしいですね。
失礼しました。
>パンダさん
申し訳ありませんが、私にはどこが不快な部分に当たるのかわかりませんので、もしお気づきのところがあれば、過去スレも含めて削除をお願いいたします。
いろいろと混乱をさせておいて、さらにお手数をおかけして申し訳ありません。
Re: 共同幻想の崩し方
- あすなろ
- 2016/02/18 (Thu) 20:32:47
最後に、こういうことを言いたかったのです。
出しゃばってしまい、不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
↓
http://www.komatteruko.com/entry/autism-adhd-ld-_awareness
http://www.komatteruko.com/entry/equality-vs-justice-inclusive-education
出しゃばってしまい、不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
↓
http://www.komatteruko.com/entry/autism-adhd-ld-_awareness
http://www.komatteruko.com/entry/equality-vs-justice-inclusive-education
Re: 共同幻想の崩し方
- suzeme
- 2016/02/18 (Thu) 20:40:37
yasuさん
横レスさせていただきますが、あすなろさんの記事に問題となる印象は受けませんでしたよ。
具体的な解決策というのはyasuさんの中では感じないのかもしれませんが、個人の問題ではなく、社会背景も絡んでいるのだとさまざまな事例で話をされているあすなろさんの話は貴重だと思いますよ。
yasuさんの中で何があるのかは分かりませんが、個人的に気に入らないことがあったとしてもあすなろさんを批判するのは違うのではないでしょうか。
横レスさせていただきますが、あすなろさんの記事に問題となる印象は受けませんでしたよ。
具体的な解決策というのはyasuさんの中では感じないのかもしれませんが、個人の問題ではなく、社会背景も絡んでいるのだとさまざまな事例で話をされているあすなろさんの話は貴重だと思いますよ。
yasuさんの中で何があるのかは分かりませんが、個人的に気に入らないことがあったとしてもあすなろさんを批判するのは違うのではないでしょうか。
Re: 共同幻想の崩し方
- suzume
- 2016/02/18 (Thu) 22:55:42
さっきまで気づきませんでしたが、にわとりさんだけでなく、あすなろさんまで追い出そうとしていたんですね。
多数派の感覚で気に入らない人を排除するのはこちらでも同じなんですね。
おそろしいです。
多数派の感覚で気に入らない人を排除するのはこちらでも同じなんですね。
おそろしいです。
Re: 共同幻想の崩し方
- 子育て経験者
- 2018/02/08 (Thu) 21:05:45
あすなろさんのご意見に不快なるものは見受けませんでした。
あすなろさんは問題提起をしただけですよね。
あすなろワールドと揶揄するくらいなのは、多数派に属している方達にとっては自分達がいる空間を批判されているようにしか感じられないのですね。
にわとりさんが非難された経緯も同じ理由からなようにしか思いませんね。
あすなろさんは問題提起をしただけですよね。
あすなろワールドと揶揄するくらいなのは、多数派に属している方達にとっては自分達がいる空間を批判されているようにしか感じられないのですね。
にわとりさんが非難された経緯も同じ理由からなようにしか思いませんね。
Re: Re: 共同幻想の崩し方
- あすなろ
- 2018/02/11 (Sun) 07:00:24
>子育て経験者さん
あなたは私を擁護しているつもりなのですか?
私をダシにして、ご自分の鬱憤を晴らしているようにしか受け取れませんが。
そもそも私が一貫して不快に感じているのは、生育歴によって人の生き方が左右される、親がそのカギを握っている、子供はそこから抜け出すことは不可能だという類の論調です。
私は真っ向からこれを否定しています。
親が悪いから子供に影響すると主張していらっしゃる子育て経験者さんとは、対立する意見だと思うので、私と同じ意見のように見せかけるのはやめてください。
あなたは私を擁護しているつもりなのですか?
私をダシにして、ご自分の鬱憤を晴らしているようにしか受け取れませんが。
そもそも私が一貫して不快に感じているのは、生育歴によって人の生き方が左右される、親がそのカギを握っている、子供はそこから抜け出すことは不可能だという類の論調です。
私は真っ向からこれを否定しています。
親が悪いから子供に影響すると主張していらっしゃる子育て経験者さんとは、対立する意見だと思うので、私と同じ意見のように見せかけるのはやめてください。
Re: 共同幻想の崩し方
- さろま
- 2018/03/21 (Wed) 06:35:08
子育て経験者さんをかばうわけではありませんが、あすなろさんをだしにして鬱憤を晴らしているわけではなく、純粋にあすなろさんのご意見に共感していて、あすなろさんを批判していた方に疑問を持っているように感じました。
子育てのご意見ではお互いに食い違うのかもしれませんが、少なくともここでは子育てのお話に関しておっしゃっているのではないかと感じます。
子育てのご意見ではお互いに食い違うのかもしれませんが、少なくともここでは子育てのお話に関しておっしゃっているのではないかと感じます。
さろまさん
- あすなろ
- 2018/03/21 (Wed) 10:52:47
面白いことに気付きました。
子育て経験者さんは、私に共感して、私を擁護している意識でおっしゃっていたのだとしても、私はそれが見当違いなので、まるで私がそう感じたような印象になってしまうことが不快でした。
これって、これまでアスペの方が感じられてきたことと似ているのではないでしょうか?
定型の方がアスペの方の感覚を理解しよう、擁護しようと思っても、本質的に理解できていないものを、できているといういう前提で擁護されてしまうと、一体何が問題だったのか、わからなくなってしまう。すると、元々発信元の人が言いたかったことがますます伝わりにくくなってしまい、勝手な解釈が生まれてしまって、発信元の人が困ることになってしまう。
炎上とは、一対一で成り立ちませんから、これが大きな原因の一つになるのではないかと、そんな風に感じました。
子育て経験者さんは、私に共感して、私を擁護している意識でおっしゃっていたのだとしても、私はそれが見当違いなので、まるで私がそう感じたような印象になってしまうことが不快でした。
これって、これまでアスペの方が感じられてきたことと似ているのではないでしょうか?
定型の方がアスペの方の感覚を理解しよう、擁護しようと思っても、本質的に理解できていないものを、できているといういう前提で擁護されてしまうと、一体何が問題だったのか、わからなくなってしまう。すると、元々発信元の人が言いたかったことがますます伝わりにくくなってしまい、勝手な解釈が生まれてしまって、発信元の人が困ることになってしまう。
炎上とは、一対一で成り立ちませんから、これが大きな原因の一つになるのではないかと、そんな風に感じました。
あすなろさん
- さろま
- 2018/03/21 (Wed) 20:29:18
立場や境遇が似ていて共感できると思っていても、相手からしてみれば全く自分の思っていたこととは違っている、検討違いだということもあるということですね。
なかなか難しい問題ですね。
なかなか難しい問題ですね。