自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/06/17 (Fri) 01:13:47
こんにちは、ガーディナーです。

掲示板に自分から(?)投稿するのは、初めてです。

昨日までは記事<素直VS調整>のコメントとして投稿していましたが、
書いていくうちにどんどん長くなっていきそうなので、
改めて、こちらで書き直そうと思いました。
よろしくお願いします。

コメントを投稿した発端は、パンダさんが記事の中で

>ガーディナーさんの場合はそういう
> 「素のまま」ではない「気を使った」生き方が,
> もうすでに「本物の私」として
>感じられるまでになっていらっしゃるのですね。

と書かれたことにありました。

私はそれよりも数日前のコメントで、ほとんど無意識に
「素のままの私」とか「本物の私」とか言っていました。
でもそれって何でしょう?
そもそも、「素」とか「本物」とか書いている割にはその実、
自分のことを少しも正しく捉え切れていないことに気が付きました。
それで私がそのあたりについて、
ちょっと整理してみたくなったのが始まりでした。

ここから少し、記事のコメントとダブりますが、復習の意味も込めて、
始めのコメントで私が整理した
<自分を表出する段階>をもう一度書いてみますね。

① 自分の気分そのままに振る舞う。
  ex「気持ち悪~い」「あたしに今話しかけないで!」
  「あたしもそうそう暇じゃないのよ」
  「(相手が沈み込んでいるのに気づかずに、はしゃいで)
   ねえねえ、聞いて聞いて」
② 自分の感情や気持ち、事情を表現する。
  ex「ごめんなさい、それ私苦手だから、
   ちょっと見えないところに置いて下さい」
  「今、怒りの感情がなかなか収まらないの。
   だから落ち着くまで待ってて下さい」
  「手伝って差し上げたいけれど、
   私はこの後予定が入っているので今日はこれで失礼します」
③ 自分の考えを整理して伝える。
  ex・今何に対してイライラしているのか。
                 ⇒Aの作業が滞っている。
   ・誰に対してカッとなったか?
                 ⇒Bの作業を依頼してきた人。
   ・初めにやるべきことは何か?
                 ⇒Aの作業を早く済ませること。
  結論としてBの人に伝えるべきこと
      イ<Aの作業が滞っている事情を話す>
      ロ<いつ頃からならBの依頼を受けることができそうか>
④ 自分の考えを相手にわかるように伝えられるよう試行錯誤する。
   例えば、「私はこういう言動がどうしても許せません」
   という気持ちを伝えたい場合、
   相手の基本的な考え方や、気質、経験などにより、
   どう伝えたら一番ストレートに届くかは変わってくる。
   根気よくやり取りをしながら、
   ストライクゾーンを探っていく作業が必要になる。
⑤ 相手の考えと自分の考えを交差して考え、その位置関係を理解する。
  「私が、この部分について強い憤りを感じるのは、
   ベースの部分でにどのような価値観を持っているからだろうか?
   また、私の怒りの大切さに気付かない相手は、
   私とは別の何を大切にして生きているのだろうか」
⑥  ⑤で掴むことのできた相手の価値観を大切に、
   相手の言動を受け入れることができる。

以上が、その時即席で考えた、『コミュニケーションの発達段階』でした。
そう、初めは、『自己表出の発達段階』と言って書き始めたのですが、
書いているうちに、『コミュニケーションの発達段階』に変わってしまいました。

さてさて、私の場合はどうでしょうか?
ちょっと自己採点してみました。

②ぐらいまではアスペルガーの私でも
そう苦労せずにたどり着けそうです。
③はちょっと(相当?)努力が必要です。
これには「整理が苦手」という私の持つ
ADHD的な要素も絡んできますから。
それから、予期せぬ変更にも弱いのです。
だから普段の心がけとは裏腹に、
何かちょっとイレギュラーなことに出会うと、
相手のことを思い図るというような余裕はなくなりますね。
④について。実は私も今、リアルな生活の中で、
本当に一生懸命やっていることです。
こういうことはエネルギーがいるので、相手のことを好き、というか、
お互いに肯定的にみられる関係でなければできませんね。
否定的にみている人を相手には絶対にできないことです。
相手も本当に根気良く私に付き合ってくれていると思います。
⑤ まで行くと、人間関係の達人ですね。さらに、
⑥ ができるだなんて人、これはもう神業ですね。

以上が、私の自己採点でした。

というところで、記事へのコメントは終わっていました。

Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/06/17 (Fri) 01:20:43
改めましてこんばんは、ガーディナーです。

数日前のコメントで、私は「気を使いながら、警戒しながら生きてきた今の私が云々・・」と豪語していましたが、実際まだまだ②の段階にいるわけで、パンダさんがこのブログで目指されている(と思われる)④⑤⑥ははるか遠くに位置しています。

でも、それは、私が自分のペースでこれから徐々に変化をしていけばいいことかな、と思います。

もう一度整理させてください。

コミュニケーションするときに必要なことを私は大まかに次の2点と捉えています。

A相手に対する誠実な心
B状況を把握する能力。

冒頭にあげた発達段階に沿って言えば、私はまだまだ②の段階にいます。
にもかかわらず、私は時々他人から⑥の段階にも達したような勘違いをされます。
それは、私が気持ちの上ではできる限り誠実に、相手の気持ちを大切にしたいと望んでいるからでしょう。
ですからコミュニケーションを、一つ精神論だけで考えた場合は、確かに私の段階は上の方に行くのかもしれません。

でも、コミュニケーションにはスキルが必要なのです。
その場その場での相手の感情や、その背景にあるもの、相手が話している内容を理解する力、それを踏まえて、自分の意見や思いをわかりやすいように言葉にする表現力、独りよがりにならない多面的な見方、言葉に現れない部分での相手を察する観察力、集団の中で自分はどの位置にいるのかということを理解する力・・・。
こんな風に書き出してみると大変な能力のようですが、おそらく定型の方たちは、ほとんど無意識のうちに、私が現場で使う何分の一かのエネルギーで、こなしてらっしゃるのではないでしょうか?

相手に対する誠実さや、まじめさや、情熱だけでは、気持ちの良いコミュニケーションは取れないような気がします。

という自覚の元、私は今コミュニケーション発達段階で②近辺をうろうろしています。
でもそれは恥ずかしいことではありません。

というよりも、逆に、発達段階を、ただただ上に進むことが、本当に私にとって良いことなのか?というのが、今の私の迷いなのです。
① に始まり②③・・・と変化を遂げることにより、(ちょっと飛躍するようすが)
一番大切な人間の「肌感覚の叫び」とか「心の奥に秘めた感情」などを押し殺すことになっていないか?ということです。
これはあくまでも私に限ったことを言っています。ほかの人は、例えばパンダさんが⑤でも⑥でも全然問題ないことですよ。
どこまでも個人的な問題として、私が⑤や⑥を目指すことが、本当に自分を生きることになるのか?ということをゆっくり考えてみたくなったというわけです。

今日はここまでにしておきますね。

Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • かぼちゃ
  • 2016/06/17 (Fri) 08:26:58
発達表いいですね。

ずっと同じところではなくても1から6を自由に行ききするような感じでもいいのかなあなんて私は思いました。

ひとによって、状況によって、少しわがまま、すのままぐらいの自分でないと伝わらない相手もいますしね(笑)

相手と自分にとって居心地のいい段階があるのかもしれないのかなぁと思いました。
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ぱんだ
  • 2016/06/17 (Fri) 08:46:26
なるほどなあ、と繰り返し思いました。いろんな重要な問題がてんこ盛りに、しかもすごくわかりやすい形で整理されて語られている。

ちょっと本筋から離れますが、コミュニケーションについて、これだけいろいろな角度から整理して理解されながら、他方でその「発達段階」の初歩的レベルと位置付けられたところにご自分がいらっしゃると判断されているところもすごく考えさせられます。

誠実さということについては私の見方は少し違う部分があるように思いました。というのは、何を誠実と感じるか、ということが、人によって、立場によって、社会によって全く違う、という問題に突き当たってしまったというのが私のそもそもの出発点だからです。お互いに自分は誠実だと思いながら、相手にはそれがとても不誠実だと感じられ、悲劇的な対立関係に展開するという(風に私には思える)出来事を、あらゆるところで見続けてきた経験からは、そこで誠実さをそのまま問題解決の基本にすることができなくなっています。

肌感覚の叫びについても同じ問題が感じられるんですね。このblogでも繰り返し語られてきたことですが、そもそも肌感覚自体が人によって絶望的な位にずれるという現実があって、それをそのまま表明しても、それだけでは「ああ、あなたの肌感覚は全然違うのね」という確認にたどり着くところが精一杯で、それで「わたしもそう感じる」という納得感にたどり着くことができないと感じられました。逆に肌感覚のぶつけ合いは「あいつの感覚は狂っている」という評価にさえ行き着く可能性がありますし、私が見る限り、世の中の他者否定にはそのパターンが溢れかえっているように思えます。

ということで、肌感覚の違いを認め合うことは必要なステップですし、そのためにはお互いに自分の肌感覚を伝える努力も欠かせないわけですが、それは「相手の肌感覚を共有できる」ということに結び付くのは、全く不可能とは言えなくても、とんでもなく困難なことだと感じています。

実際このblogでも、私が自分の定型的想像力を使って「アスペのかたはこういう感覚で見られているのだろうか」と想像したことについて何人かのアスペの方から「理解された」という感想をいただくこともありましたが、でもそれはあくまで限られた問題について、私の想像力で作られや部分で、私の感覚がアスペになったわけではありません。

もちろん誠実さをおとしめる意図は全くありませんし、コミュニケーションにとってそれがとても大事な要素になるとは思いますが、私の場合はその限界の部分に今は意識が向かわざるをえない状況なのですね。ここで交わされたこれまでの全てのやりとりを思い返しても、その問題を克服して誠実さや肌感覚の共感的理解によって、(一時的なものではなく)安定したやりとりになった例は全く思い付きません。

現実に起こっていることは、時々「共有・理解が成り立った!」と感じられる時もあり、またそれが崩れることもあり、ということの延々とした繰り返しと思えます。

ただし、だからといってその過程が同じことの単なる繰り返しにすぎず、無駄なことだとは全く思いません。行きつ戻りつしながら、確実に定型アスペ問題の理解は深まっているし、単なる誤解による不毛な対立を回避できる部分も増えてきています。

ということは、誠実さを感じたり、感じられなくなったり、肌感覚の理解や共有ができたように感じたり、またできないと感じたり、という揺れ動きを繰り返しながら進むのがコミュニケーションだ、と考えることが、今の私には一番現実に見あった理解になります。そのどちらかの要素を単独で基本に据えて考えるのは私には今は困難です。そこがちょっと違う部分でしょうか。
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • まる
  • 2016/06/17 (Fri) 12:49:48
みなさん、こんにちは!

ガーディナーさんのお話、本当におもしろいです!ここ最近(ほんとに、1、2週間レベルでの最近です)私が考えていたこととリンクしている気がして、ちょっと感動しています(*^_^*)

ちなみに私の段階としては、これまで④⑤を表面的にこねくり回していたところで、色んな本、ブログや自身の経験から、あれ?もしかして①②を味わい尽くさないといけないんじゃないの?という所に行き着いた感じです。と、すると必ずしも①から⑥に進化していくものでもないのかな?それとも土台作りが大事ってことかな?なんて、いろいろ想像がはかどりますね。

さて、自分で言うのもなんですが、私は割と我慢強い性格の方なので、辛いことがあっても「自分が我慢すれば大丈夫」だと思ってきました。それが何がキッカケというわけでもないんですけど、色んな経験値が貯まってきたのか、私自身が私に嘘をついてどうするんだろう、何だか自分がかわいそうだ、みたいな気になってきたんですよね。それから自分の中の①②を注意深く観察するようになったら、どれだけ自分の頭が自分の心や体を騙してきたのかわかり始めて、結構愕然としています(笑)。でも、どんな感情が出てきても(それが世間では持ってはいけないと言われるような悪い感情でも)ただ感じて、否定せず、「うんうん、そう感じるんだね」って自分に語りかけるだけで、何だかスッキリするので、おもしろいなーなんて思ってます。私がたまたまそういう本やブログに巡り合っているのかは分からないですけど、結構このやり方は色んなところで普及しているみたいで、私が「心や体」と表現した部分も、神様、宇宙、自然、ウニヒピリと、色んな捉え方がなされているようです。ぶっ飛んだものだと「子宮の声」って表現されている方もいて、ほんとにおもしろいです。

話は変わりますが、パンダさんのレスを読んで、パンダさんはやっぱり人間同士の共感、分かり合えたという実感を大事にされているんだなぁ、と感じました。同時に共感が得られるまでは本当に理解したとは考えない、厳しさみたいなものもほのかに感じました。少し私とパンダさんの違いがわかった気がします。私は動物関係の資格職をしているので、動物に対してははなから共感は期待してないんです。それが私の人間関係にももしかしたら影響しているのかもしれないなー、なんて思いました。共感を期待してない、とは言いましたが、やっぱり「あ、今通じた!」みたいな感覚もあるし、動物は心と体がほんとにつながってるなーという感じがして大好きなんです。あれ、なんの話だったっけ(笑)

ガーディナーさん、またまた続き楽しみにお待ちしてますねー!
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • キキ(アスペ+ADHD)
  • 2016/06/17 (Fri) 20:03:02
ガーディナーさん、こんばんは^ - ^
すごいですね、これだけ考えるのには相当な神経がいったことでしょう!

ガーディナーさんのおっしゃる、

① に始まり②③・・・と変化を遂げることにより、(ちょっと飛躍するようすが)
一番大切な人間の「肌感覚の叫び」とか「心の奥に秘めた感情」などを押し殺すことになっていないか?ということです。


これはなるほど、と思います。
ガーディナーさんとは感じ方がまた違うかもしれませんが、
私は④あたりは何とか頑張ればできるようになりましたが、
それは社会に適応するために仕方なくそうなったこと(無意識でしたが)で、
いまとなっては、本当の自分の気持ち、好きなもの、色々なことが
わかりづらく感じづらくなってきているのは確かです。

エゴグラムテストというのを専門家にしてもらったのですが、
見事に下記ふたつがグーンと高くて、
※「A…大人の自我状態。根拠を集めて分析する。冷静。冷たい人と言われることも」と
「AC…我慢してしまう子供の心。育ってきた過程が大きく影響する」と、
内容は簡単に勝手に簡略化して書いてますが^_^;
要するに、我慢することで協調力を得ているわけですね。

しかし、いくら我慢しても、とても⑤や⑥は無理なのです。
感覚として持っていないので、④くらいまでの、真似でできるものではないのだろうと思います。
残念なような気もしますが、その境地は味わうことはできないでしょう。

そうなると、④まで何とか得られた知識や技術は駆使しながらも、
「我慢しすぎない」ことを心におきながら、これからはチョット、
あえてやってる、と自分の中で自慢しながらやっちゃうとかあるかもしれません(笑)

なんにせよ、まあ、自分、頑張ってきたな、と、うん、たまには褒めてやりたくなった記事でした。
ありがとうございました(^∇^)
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • キキ(アスペ+ADHD)
  • 2016/06/17 (Fri) 20:44:52
スミマセン!
毎度の2度投稿、申し訳ないです。
どうも、1度投稿すると、また書きたいことが出てきて、しかもそれを書かずに我慢するということが出来ない^_^;
ここは完全にADHDの「H」ハイパー衝動性な部分に感じてます、すみません。
この場所ではいつも甘えさせて頂いて感謝してますm(._.)m

さて、その昔若かった頃、よく自己啓発本を読んでいたのですが、
あれは要するに⑤や⑥になりたくて読んでいたんだなぁと思いました。
その頃はまだ①、せいぜい②、な感じだったくせに、
⑤や⑥を目指してたんですね〜ϵ( 'Θ' )϶

その頃、当時の仕事でちょくちょくお会いする年配の芸術家の男性がいたのですが、
その方は私の話を面白がって、よく聞いてくださってました。
(刺激的だったのかなー 笑)

その先生に、言ったんです。
「私、いい人になりたいんです! だから今、こんな本を読んでます。
"良い人になるための7カ条"!」

すると、先生は
「あははは、あなたは良い人になんか、なりませんよ〜爆笑」
と。
いま思い出すと、芸術家の感性で、私の個性を見抜いていたんだなぁと思います。

たしかに、⑤や⑥を目指す本は、何が書いてあるのかチンプンカンプンでした(笑)
~_~;

書かせて頂き、ありがとうございます〜m(._.)m
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • キキ(アスペ+ADHD)
  • 2016/06/17 (Fri) 21:13:43
いやー、本当にすみません、まさかの三度投稿は初めてかも(☆。☆)

先程の私のコメントは「私はどう頑張っても5や6は無理!」って言っちゃってるんですが、
この掲示板でそれを言ってしまったらオシマイじゃないか!と思って慌てて書き足してます。

ハイ、唯一の親友にだけは、5や6をいつも心がけているし、かなりの頻度で共感しあえます。
それは彼女が私に5や6で接してくれるので、徐々に彼女との間でだけは、そのやり方が少しわかるのです。

彼女の気持ちをわかってあげられなかった時は、『この場合、彼女はどう感じていたんでしょう?(定型の先生、教えて〜(;_;))』と主治医に相談するくらい、彼女のことが大事です。

なので、大切な人との間には、アスペ定型問題があるにしても、共感するまでになることは可能だと思うと、言いたかったわけです。

失礼いたしましたーm(__)m
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • あすなろ
  • 2016/06/17 (Fri) 21:48:55
>ガーディナーさん

コミュニケーションの段階を分かりやすく分析されていて、これは療育とかに使えるのではないかな~と、すごく貴重に思えます。

しかし、ちょっと自分のことに照らし合わせてみたとき、私は独特の発達段階だな~と思ってしまいました。

私は、今①はよくやってしまいます。
というよりも、長年①の出来ない人でした。①がストレートに出来る人を羨ましいと思ったり、逆に、なんでそんなことするの?と腹立たしく思ったりしていました。自分が①をしたいのにできないジレンマだったんですね。
自分を大切にしようと思ったときから、なるべく①を素直に出すように心がけています。
まあ、もともと①に抵抗があった人ですから、多少ストレートに出してもやり過ぎにはならないだろうと……(^^;)

③と⑤と⑥は出来るんです。
仕事上、様々な障害を抱えた方、言葉でのコミュニケーションの出来ない方と接しているので、とにかくまず、言葉や態度をストレートに受け取らず、その背景を考えなくてはいけませんし、それが間違っていた場合、大変なことになりますから、あらゆるパターンを想定して、違ったらこっち、それも違ったらこっち、と常に憶測を働かせて対応しなくてはいけません。
だから大抵のことは肯定できます。殴られてもひっかかれても蹴られても、「ああ、そんなに苦しいんだね~、分かるよ」と共感しますね。

でも、②、③、④は非常に苦手なんです。②を申し出ることには抵抗があるし、③は、整理することは出来るけど、伝えることは出来ません。整理して、自分の中で納得するだけです。④なんて、とてもとても! それで毎回、『私はこう思います!!』って①丸出しにしてみんなが不快な顔をするという……。

つまり、相手の状況と自分の気持ちについては冷静に分析できるんですが、自分自身の思いを伝えるということが、非常に苦手で、まだ①の段階がやっとというところです。

あ、文章だと、多少タイムラグがあるのでいいですが、会話はもう、幼稚で単純な言葉の羅列です。

入力は出来るが、出力が出来ないってことですね。
この出力の部分に、成育歴の影響もあって、非常に難があるようです。

息子に、「ほんと、感情丸出しだよね。少しは冷静に考えろよ!」とか「自分の言ってること分かってるのかよ!」と怒られる所以はここにあったのか!

こんなアンバランスな人間もいますよ~ってところで^^;
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/06/18 (Sat) 00:55:54
こんばんは、ガーディナーです。

昨日から書かせて頂いたこの掲示板ですが、
やっぱりコミュニケーションに関してはみなさんそれぞれのお立場で
いろいろ考えていらっしゃるようですね。
読ませて頂くたびに私の頭は刺激されて、
お陰で当初書こうと思っていた内容を大幅に変更せざるを得なくなりました
(本当にいつ終わることやら・・・)。
書かれたお一人お一人にお伝えしたいこともありますが、
それをやっていたら大迷路の中に突進していきそうなので、
まずは私の本分を全うしようと思います。
決してスルーしているのではありません。
みなさんから受けた刺激によって、新しい方向を探りつつ、
時々みなさんの書かれた文などを引用しながら進ませて頂きますね。

さて・・・。
あすなろさんはやっぱり鋭い方ですね。
私の発達段階表を見て、「療育プログラムのようだ」とおっしゃいました。
言われてみれば、そうなんです。
私が10年ぐらい前に自分で作成した
「対人関係スキルアップ大作戦ノート」に書かれていたことと
ほぼ同じような内容でした。
もうほとんど忘れていましたけどね。

実を言うと、私も障がいを持った方たちと関わる仕事をしていまして、
子どもさんを対象とする療育プログラムなども自分で作ることもあるのです。
私の「教育好き」が自分育てでも役に立ったようです。
とはいえ、いまだに②の近辺をうろうろしているわけですから、
このプログラムは、私にとってはあまり良質なプログラムではなかったらしいですね。
その理由が今日わかりました。

それは、私が喜々として作ったのは
「定型の人と仲良くなるための」療育プログラムだったからです。
昨日から今日にかけて皆さんの書かれたものを読んでいくうちに気が付いたのです。

私は10数年前に自分の障がいに気付いて以来、
何とか定型社会で通用するような人間になりたいと、試行錯誤を重ねてきました。
そしてそれなりの成果を上げることはできましたが、
でも、それによって私は何かもっと大切なものを失ってきたのではないか?
というような迷いも持つようになりました。

迷いのきっかけは、一年ほど前、初めてこのブログを読んだことにありました。
そのあたりのことは今までにも何度かコメントに送り、
パンダさんにも聞いて頂きましたよね。
それらはずっと持ち続けていた私の迷いだったのですが、
言ってみればまだまだ抽象的な迷いでした。
私が一連の迷いを、具体的に考えるようになったのは
記事<素直VS調整>に送られた、
まるさんのコメントを読ませて頂いて以来のことです。

ところで、ここから先に書いてあることは、
私がまだ今日の記事<限界を知るとき>を読む前に書いたものです。
パンダさんの心の傷(と言って良いのでしょうか?)がこれほどまでに深かったことに気付かずにいた時に書いたものです。
だから、今読まれると、楽観的過ぎる私の洞察能力を露呈するようで、
少し抵抗があるのですが。
とにかくタイムラグはあるものの、私がその時に感じていたことをそのまま述べることにしますね。

まるさんは、にわとりさんとパンダさんを巡る問題に対し、
ご自分の思ってきた疑問をとても素直な言葉で綴られてました。
どちらが良いとか悪いとか、というのではなく、
パンダさんがAと感じることを、私はBと感じる。
同じことを見ていても、この感じ方の違いは何でしょう?と。
私はそこに、まるさんのパンダさんに対する信頼を感じました。

それに対し、パンダさんは、今まで自分が大切にしてきた価値観が、
実は別の人にとっては何か理解しがたいほどのこだわりとして見えていたんだと気づき、その理由はなんであったのかということまでも静かに顧みていらっしゃいました。

私はこの時、コミュニケーションって本来こういうものなのかもしれない、と思いました。
そしてこんな交信ができるお二人を、羨ましいとも感じました。
何かに行き詰まりを感じた時に、まず初めに正しいことありき、ではなく、
その正しさって、本当に普遍的なものなの?と疑う目を持つこと、
自分では気づかなかったことを第三者から指摘されて新しい視点に立つことができ、
それを感謝して、次に進む。
まるさんとパンダさんのやり取りの中にはこんなことがあったのだと思います。

パンダさんはそれを「膠着しない」と表現されていました。

自分にはできない関係の築き方を目の当たりにして、
私は初め、これは私が他者と基本的な信頼関係を結ぶことができない証だ、と思い、
悲しくなりました。
そして、これからの私の新たなる課題を提示されたようにも感じました。
それが昨日までの心情です。

それが夜になり、ちょっと変わりました。
が、もう今日はおしまいにします。
なかなか進まなくてごめんなさい。
私自身、本当に迷いながら迷いながら書いているのです。
少しお休み
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/06/19 (Sun) 01:02:58
こんばんは。
この掲示板を立ててまだ2日くらいしかたっていませんが、早速お休みをいただくことになりました。ごめんなさい。

コミュニケーションをゆっくり考えてみたいと思い、始めたこの掲示板です。でも今現在、隣の掲示板では、そのコミュニケーションによって、深く傷ついた人たちがいて、それを取り巻くたくさんの人たちが、自分の言葉を発していますね。

本当に私がコミュニケーションについて真剣に考えたいとおもうのならば、ここにいてのうのうとそれについて語るのではなく、もっとやるべきことがあるのではないか?と考えたからです。

誰が私のおぼつかない言葉に耳を貸してくれるのか?
いったい何が伝わるのか?
そもそも私が伝えたいと思っていることは何なのか?

それすらわからない状態です。
でも、今私がいる場所はここではなく、隣の掲示板なんだと思います。

何から書き始めていいかはわかりません。
とにかく今はパソコンを開き、隣の掲示板に向かい、
静かに自分自身に問うてみたいと思います。
今私がすべきことは何か、と。

結果、一言も発することができないで帰ってきたとしても、
そうやって考えた時間は、血となり肉となり、
再び書き始めるコミュニケーションの掲示板に、もしかしたら厚みが出るかもしれません。
Re: 少しお休み
  • あすなろ
  • 2016/06/19 (Sun) 01:21:49
>ガーディナーさん

私もついつい、放っておけなくて、思ったことを思ったままに書き込んでしまうので、反省が必要なんですが、今のにわとりさんに本当に伝えたいのは、隣(?)の掲示板ではなくて、このガーディナーさんのコミュニケーション表や、Katzさんの生活の知恵じゃないかと思うんです。
過去に何があったといくら言っていても、進歩はない。
以前、にわとりさんが表情を馬鹿にされると書かれて他の方からお化粧のアドバイスを受けて、ご本人も努力を始めたとおっしゃってました。
多分、基本的生活の部分でもいろいろ見直して行かれると、変わってくるんじゃないかなと。
そういう点で、あの議論から、こちらに目を向けられるようになってほしいなと願っていますが。それも老婆心ですね。
とにかく、対立関係に話が戻るのは、敵になろうが味方になろうが、にわとりさんの成長にとってはあまり良くないと感じています。
Re: 少しお休み
  • Katz
  • 2016/06/19 (Sun) 10:21:10
発達段階表、とても興味深いです。ガーディナーさんのおっしゃる通り、1→6がこの順で発達するのは順当に定型的な発達をした場合だと思います。だから無駄だとか無意味だとかいう事ではなくて、これを掴むのがまず必要な事なのでしょう。それが出来て初めて自分の特徴を掴む事が可能になり、原因と対策を考える下地が出来るのだと思います。

ちなみに私の場合、1〜6全部、部分的に出来たり出来なかったりですね(^_^;) 特に3と4は、仕事でホウレンソウの場合に必要不可欠になりますが、ここがネックになっています。今私の上司というかマネージャーになってるのが後輩なんですが、私の特徴をよく理解してくれていて、「それじゃわからん!」と笑いながらハッキリ言ってくれるので助かっています。まぁ相当イライラさせてるんだろうなとは思いますけど。周りからはかなり厳しいやり取りに見えるらしいです…(^_^;)

4と5については、1つ重要な精神的特性が「想像力」です。相手の知識や前提条件などは全部明文化できるはずもありません。わずかなヒントをかき集めて(ここには注意力や記憶力などが関わってくる)そこから推論を重ねます。導き出される結論は1つにならず、論理的にはいくつも可能性があります。その中からあり得ない結論を取り除いて妥当な結論を採用。この妥当という点が極めて重要で、これが発達心理で言う所の「想像力」なのだそうです。ものすごく高度な脳の機能の組合せになっていますが、定型発達の方がこれを難なく出来るのは、脳の機能として自動化されているから。自閉症圏の人間はこのような「想像力」に難があるとの事。私もそれでして、カミさんにも時々怒られています…

ガーディナーさんのお休みは残念ですが、またお戻りになるのを楽しみにお待ちしてます。というか、その時その時で思い付いた事を少しずつ書いてみるのもいいのではないかと。
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • キキ(アスペ+ADHD)
  • 2016/06/19 (Sun) 10:38:46
そうですよ〜、あすなろさん、パンダさん、Katzさんのおっしゃる通り、
こういうやり取りは他ではできないので貴重です!
色々自分について考えますしね…
新たな発見があったりして、新たな対応策がみつかったり。

正直、私は、感情のやりとりが激論されている場所では固まってしまいます…
ハイ、隣の掲示板でも、「何か言わなくちゃ!」と思って書いたのが、
まー、稚拙なコメントで…~_~;

Katzさんのおっしゃる、「想像力」がホント、低いんだと思います。
やり取りされている皆さんのコメントの殆どが理解できてません(; ̄ェ ̄)

でも、ガーディナーさんやKatzさんの、実践的なこういったコメントは、
すんなりと頭に入るんです。
だから有難いし、楽しいのです…(=^ェ^=)
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ガーディナー
  • 2017/01/21 (Sat) 08:12:44
皆さんこんばんは。
久し振りにこちらのスレッドに帰ってきました。宜しくお願いいたします。

今回題材にしたいのは、2016年3月4日の記事<具体的な描写が下手な私>です。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e15a.html#comments

記事の内容と、それに続くあすなろさんのコメントに、
それまで持っていた私のコミュニケーションの基本的な理解を
覆されてしまったような気持になったからです。
一年近くたった今でも、やっぱり大きな出来事として心に残っているので、
これはどうしても一度皆さんにお話しした方が良いという思いが、
日に日に募ってきたというわけです。
でも、そのことをお話しする前に、まずは私が若かった頃、
他人とどのようなやり取りをしていたか、そして、
その後どう変わっていったかを、簡単に振り返ってみることにしますね。


私が若かったころ、自分のしゃべることを
他人があまり聞いてくれなくて寂しい思いをしていました。
言いたいことはたくさんあるのに、誰も聞いてくれないという思いでいました。
そして、自分の障がいに気づくちょっと前に、ある仮説を立てました。それは
「あたしのしゃべることを人があんまり聞いてくれないのは、
このしゃべり方に原因がある。
私は自分の言いたいことを主観と感情だけで飛ばし過ぎるのだ。
もっと具体的に情景描写しながら、
相手にも状況が伝わるように工夫しなければいけない」と。
他人が自分のいうことを聞いてくれない原因はほかにもいくつかありましたが、
一番初めに立てたこの仮説も、確かに当たっているものでした。

実際私はこんな風にしゃべっていたと思います。
「ねえねえ聞いて、すっごい感激しちゃったの。ドアを開けた瞬間、キャーって感じ。
それから次に受付のカウンターがあったんだけど、それがもう最新式っていうか、
あ、ニューヨーク文化ってこういうことをいうのかな?みたいな・・(以下略)」

というのはまだいい方で、
「ねえねえ○○サンったらね、スッゴイこと言うのよ、
ほんと、信じられないッ。どう思う?ひどいと思わない?」
ADHD的な要素も手伝って、ヤングガーディナーは、大体こんな感じでしたね(恥)。

でも、これじゃ、いけない。
別に罪はないけれど、人に聞いて貰おうと思ったら、
これは直さなくてはいけない、と徐々に思うようになりました。

以来私は、何かを人に説明することを想定して、
まず「いつのことか」「場所はどこか」、それが「どんな時か」等を
なるべく描写的に、でもあまり長くならずに伝える訓練を始めました。

次にやったことは、例えば初めから
「もう、ホンっとに怒れちゃったワ!」と息巻くのではなく、
そこへ行くまでのいきさつを、相手のことをできるだけ責めることなく、
「初めはこんな風にちょっとした疑問を抱き」
「考えていくうちに混乱が襲ってきて」
「それを払拭するためにはあの人に確認しておこうと思い」
「意を決してアポを取って出向いていった」etcというように、
怒りに到達するまでの私の心境を落ち着いてしゃべる、という訓練もしてみました。

それから、前提となる知識がないとなかなか伝わらないような話題の時に、
相手に最低限の情報を伝えるためにはどうしたらいいか、
を考えるようにもなりました。その場合、アスペルガー特有の、
「相手の興味関心にかかわらずとうとうとしゃべり続ける」
というパターンは避けたいと思いました。
だからできるだけ相手を退屈させないように、
分かりやすく手短かに情報を伝えることを考えました。

自分一人で練習している時はできても、
現実の相手がいる時にしゃべろうと思ってもなかなかうまくいきません。
練習を始めても10年以上は効果が出ませんでした。

相手がいるとできないというのは、要するに、
相手がこの話に興味を持っているのか、それとも退屈しているのか、
という気持ちを読み取ることが苦手であることにも関係していると思います。
これはアスペルガーである以上、ある程度は仕方のないことではあります。
で、私の場合は、どうしても、
「私のこんな話、きっと相手は退屈しているんだろうな」と焦り、
「こんな話、早く終わらせなきゃ」と早口になったり、
中途半端なところで終わってしまったり・・・。
というような紆余曲折はありましたが、
それでも10年以上そういう意識を持ち続けた結果、
みんなが私のしゃべることをよく聞いてくれるようになりました。

というわけで、私は10数年かけて今の喋り方を生み出し、
これこそが定型社会の中でよりよいコミュニケーションをとる
パスポートであるかのような気になっていたのです。

(後編へ続く)
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • ガーディナー
  • 2017/01/22 (Sun) 06:18:40
さて、今日はパンダさんの書かれた記事<具体的な描写・・・>と、
そのコメントについて、私の感想を書かせて頂きます。

そんな過去を持っている私には、パンダさんの書かれたこの記事、
それからそれに続くあすなろさんのコメントがどうしてもしっくりこなかったのです。
パンダさんのしゃべり方が、奥様の言われるように、
感情だけでしゃべってしまい、具体的な説明ができていない、
というのならば、それは私が若い頃に持っていたしゃべり癖と全く同じで、
それこそ発達障がい者のしゃべり方の癖だと思い込んでいました。

そしてそれに続くあすなろさんのコメントがまたまた意外でした。
パンダさんがある施設の立派さに感激したという記事を読み、
「その具体像はわからないままに、私は私でまた別の施設を思い出し、
そこに感激した自分の気持ちをパンダさんの感激を重ね合わせ、
共感できた」ということを言われていました。
私は驚嘆しました。そんなコミュ法、私には想定外だったのです。

私は、訓練の結果、定型の人たちからも受け入れられやすいしゃべり方を
身につけたと思っていました。
事実、みんな10年前より確実に今の方が、私の話に熱心に耳を傾けてくれます。
でも、もしあすなろさんとパンダさんの言われるようなやり取りが、
定型の方たちの間で日常的に交わされているとしたら、
もしかしたら、私は定型流コミュニケーション法を身に付けたのではなく、
訓練の結果、非常にアスペチックな話術を獲得したのかもしれません。

たしかに、言われてみればそうですよね。
定型と言われている人たちの中にも、かつての私とそう変わらず、
主観だけで話したり、感情的になって興奮したり、
という人がよくいます(←今、気が付きました)。
よくわからない冗談を言って高笑いして
「ねえ、面白いでしょう」と共感を求めてきたり、
いったい何があったのか「とにかく悔しかった」と憤ってきたり、
事情の説明もないままに「で、あの後考えたんだけどさあ」とか・・・。
一体<あの後>っていつのことを言っているのでしょう???

定型どうしの会話では、そんな感情だけの、非具体的な会話でも、
十分に共感し合っているんだということなんですよねぇ。
ハ~ッ(ため息+ひれ伏す思い)

私は、相手がそんな風に感情を一番前に出して、
非具体的な話をしているのを聞いても、あまり共感はできません。
でも、共感的には聞いています。頭で一生懸命考えて、
「あ、笑って欲しいんだ」とか、「悔しかったんだろうな」とか、
相手が何を望んでいるのかを、考えてしまうのです。
で、努力してそれに即した言葉をかけようとします。

定型の人もみんな、私と同じように翻訳作業をしているのだと思っていました。
その翻訳作業は社会で生きていく上での必需品だと思っていたのです。
事実私はそれができるようになってから、
人の中にいても違和感を感じることが少なくなりました。
相手の感情に合わせて、それ受け容れるといことは、
人として大切なことだとごく自然に思っていました。
その思いは今も変わらないと思いますが・・・。

あすなろさんが、非具体的な話を聞いても、
自分の体験をそこに重ねて共感できると言われたとき、
定型とアスペの大きな違いを感じました。
どんなに訓練を積んでも、私には絶対結ぶことのできない、
定型どうしの共感関係があるんだということに気づいたからでしょうか。
今までそれに気づかなかった自分に、少なからずショックを受けたのかもしれません。

でも皆さん、どうかご心配なさらないでくださいね(特にアンブロさん)。
こうやって一つ一つ、私と定型の方たちの違いを発見することは、
「ショックだァ」「大混乱!」とか言いながらも、結構楽しんでいるのです。
ホッとする、という感じでもあります。
「疲れて当然、よく頑張ってるよ、私」みたいな、
ちょっと自分を甘やかしてやりたいような気分です。
Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • アンブロ
  • 2017/01/22 (Sun) 09:27:01
ガーディナーさんへ

>でも皆さん、どうかご心配なさらないでくださいね(特にアンブロさん)。
こうやって一つ一つ、私と定型の方たちの違いを発見することは、
「ショックだァ」「大混乱!」とか言いながらも、結構楽しんでいるのです。
ホッとする、という感じでもあります。

はい(*^▽^*)了解しました!
(ちなみに、こんな風にガーディナーさんの文章をコピーして、貼り付けする作業は
家に帰って、パソコンでないと、なかなかできない作業なので
*普段はスマホでコメントしているので*

いきなりの質問に驚かせてしまっているとは思いますが、いつも丁寧なお返事
ありがとうございます)

>定型どうしの会話では、そんな感情だけの、非具体的な会話でも、
十分に共感し合っているんだということなんですよねぇ。
ハ~ッ(ため息+ひれ伏す思い)

私の場合ですが、誰かが私に
「聞いて~こんなことがあったの!!」と言われた場合

内容というより、その感じてる「気持ち」に意識が向きます。
嬉しそうなら、「あぁ、うれしいと感じているんだね。よかったね」となります。

例え私の心情がその話を聞いて、同じ「うれしい」と感じていなくても

相手と、私は違うのだから、あなたはうれしいのですね。それは良かったね。
となるかな・・・
そこに嘘をついているような気持ちになんて、全くなりません。

私は、小さいころ(今もですが)あんまり自分の思っていることを言える子供じゃなかったので
(こうやって文章にすると、書きたいことがどんどん出てくることが多い)

なので普段は誰かの話を聞くほうが多いです。
(でも決して大人しいわけではありません 笑)

彼にも攻撃的ととれるような文章をいわれても、するりとかわし、逃げていたと
思います(。-∀-)
でも、後から言いたくなったら言いますけど(>_<)

議論なんて、大の苦手・・・(汗)

今は、自分の受け止め方次第だなと思っているので、彼とのことは特に
問題は感じていないのですが

私の中の気持ちがモヤモヤし、言わなきゃ気が済まない!!となった場合
言います。
それは、彼に限らず
私と関わりのある人にです。

そして普段の生活でも、好きな人・友達・職場の仲間どの人に対しても
私のしゃべり方も変わらないので

彼には私がどんなに彼を好きかは伝わっていないような気がします
(。-_-。)

このブログを読んでいる人には伝わっていると思いますが(*^^)

言葉では伝えていますけどね。行動面ではわからないかなと思います。


で、また話がそれましたが、また、思うことがあったらコメントしますね(*^▽^*)

Re: 自作<コミュニケーション発達段階表>
  • アンブロ
  • 2017/01/22 (Sun) 10:18:07
追記です。

例えば、相手が話す内容で
「私も同じ体験をした」だったりした場合は
「こんな風にやったらうまくいったよ」
「こんな風にしたけどうまくいかなかった」
と、自分の過去を思い出して、相手に伝えると思います。

でも、同じようにやりなさいと言ってるわけではなく、
やるか、やらないかは あなた次第だけどね。ということが前提です。
(この前提を伝えてはいませんけども)

言葉が足りないと彼にも思っていましたが、私もそうだったんだなと思います。

ガーディナーさんの中の「自分で決めたい」という部分は
私も常にあるし、
違いを発見するとき

私の場合は、「おぉ!そうだったんだ~」「なるほど・・・」と
言葉で表すなら「気が抜ける」ですかね。

ガーディナーさんは
>「ショックだァ」「大混乱!」とか言いながらも、結構楽しんでいるのです。
ホッとする、という感じでもあります。
「疲れて当然、よく頑張ってるよ、私」みたいな、
ちょっと自分を甘やかしてやりたいような気分です。

とコメントしていますが


きっと、言葉の選択がちがうだけで、心情(気持ち)は同じなのかな。とも考えています。



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