発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/07 (Wed) 05:19:16
いきなり重い題名ですみません。
けれど、このテーマを考えない限り、現在起きているアスペ定型問題の根本的な解決は出来ないのでは?と思い、思い切ってスレを立てさせていただきました。
もし、過激な内容だと思われるようでしたら、管理人さん、削除をお願いします。

私は、現在の社会で生きる人は、大なり小なり、トラウマを背負っていると考えています。
生まれてすぐ、初めての社会である家庭が機能しない場合があります。
家庭が円満であっても、幼稚園、小学校、中学校と、義務教育の中で出会う、友人、教師、部活の顧問、コーチ、外部で出会う、塾や習い事の友人や先生。

この中で、誰からも好かれ親しまれ、優遇され、傷を負うことは全くありませんでした。などという人はいません。必ずどこかで傷つく体験をし、理不尽な思いをするものです。
もし、私はそんなことは一切ありませんでしたよという人がいたとしたら、状況が著しく理解できないという知能に問題があるかもしれません。

このトラウマの度合いが、実は大きなトラブルの鍵になるのでは?と感じています。

以前からこの掲示板などでも、発達障害者がどのような理不尽な体験をするか、例を出してお話したりしてきました。
それに対して、定型の方は、誰でもそういう傷つく体験をする。アスペ、発達障害者に限ったことではない。という反論がありました。
もしかして、この部分の感覚の違いが、ネックになるのかなと感じました。

トラウマの大きさによって、それこそ犯罪を犯すほど『重体』になることもあります。

統合失調症は、今では先天的器質と言われていますが、私は、もともと神経症的な器質を持っていた人が、トラウマを受けることによって深刻な状態になってしまったのではないかと思っています。そうでなければ、極端に人や物やある特定の事柄を恐れたり回避したりするようにはならないと思うからです。

その次に、人格障害があると思います。これも器質の上に、大きなトラウマを抱えてしまった例ではないかと思います。

次に神経症。人格障害にまで至らなくても、極端に何かを恐れたり、回避しようとしたりする傾向があり、他人に対して起こることもあれば、自分に対して起こることもあります。

私はこの神経症を抱えています。
一時期は重度の鬱状態になったこともありますが、今はだいぶ落ち着きました。しかし、ちょっとした環境の変化で、すぐに身体を壊します。今現在も、発作的に不調になります。
また、人に対して基本、懐疑的です。心から信頼できると思える人は、実はいません。常に懐疑的なので、信頼できたかな?と思ってしまうと、裏切られた感じの方が強く働いてしまい、傷つきます。私の信頼というのは、実は自分目線の依存なんですね。
なので、まずそのことを自覚しなくてはいけないと訓練中です。

神経症までいかなくても、性格が極端だとか、強い嗜癖があるとか、そういった、多少神経的なものを抱えている人もいます。

そして、神経的なものは無くても、こういう人とは合わない、こういう場は合わないという、感覚的なトラウマがある人もいますね。

こうやって、トラウマが原因で、人間は様々な問題を抱えています。
トラウマというのは、単にその体験が酷かったかそうでないかで判断できるものではなく、受ける側の性格、器質にもよるので、こういう体験をしたからトラウマも深刻になるといえるものではありません。

アスペと定型に深刻な溝が生まれるのは、ここのところなのかもしれません。

私が考えるのは、カサンドラとは、純粋にアスペ定型の違いを知って解決できるのか?ということです。

夫は、私から見ればかなり重度の人格障害を抱えています。
同じアスペの子どもから見ても、理解不能な行動をするので、みんなが戸惑います。
けれど根っこにはアスペの特性があるので、アスペの息子からは、行動はともかく、根拠は理解できると言います。

問題となるのは、こうした人格障害や神経症を抱える人同士は、自分の受けたトラウマに過剰反応する傾向があるので、どちらも似たようなトラウマを抱えていると、相手への不信感と、自分への嫌悪感が強まってしまう傾向にあるんじゃないかと。

神経症が強ければ強いほど、盲目的になります。
なので、統合失調症の人は自分のやっている行動を理解できない。
神経症的な人も、自分が過剰反応していることは認めたくないのです。

私が鬱を脱してから心掛けていることは、自分のトラウマをしっかりと見つめることです。
時々、感情が翻弄されて、神経症が強くなることがありますが、自分が受けてきたことをなるべく冷静に見つめられるように訓練しています。

私の場合、親からの洗脳なので、本当に幼少期に身に付いてしまったので、これが本当に根深い。一生、スッキリ解決は無いと覚悟してしています。
はじめは親を全否定して憎みました。
次に自分を否定した人たちを恨みました。
これ、とても危険な感情だと思って蓋をする人が多いのですが、これを否定するとその感情は全く違う形で爆発して、余計に危険なんですね。
だから、親が嫌い、私を否定した人は嫌いでいい。
しかし、あくまで個人について考えます。属性はなるべく考えないようにします。
とはいえ、似たような人を見ると、無性に腹が立ったりするんですけど。
その気持ちも、原因は分かっているので仕方ないなぁと受け止めてやります。そして、あまり感情が翻弄されるようなら、関わらなければいいのです。
害の無いところで愚痴を言って発散するのも手です。
しかし、直接、あなたのここが気に入らないと言ったり、こういう傾向のある人だからいけないんだと思い込んだりするのはNGです。

私には神経症があり、それは一生治ることはない。けれどどうして神経症になったかを考え受け止めてやることで、状態は安定しますし、問題を回避することができます。

カサンドラというのは、何か相手の行動が本人のトラウマを思い起こさせるものであって、強い嫌悪感に繋がった結果ではないかと、私は考えています。
さらに言えば、これはお互い似たトラウマを抱えているからこそ起きるのではないかと。
似たようなトラウマがあるから共感できるとはいえません。
なぜかといえば、それはお互いに、決して思い起こしたくないものだからです。むしろ、衝突は激しくなるでしょう。

私は敢えて、自分のトラウマから目を背けないことで、だいぶ楽になりました。

もちろん、アスペと定型の感じ方、考え方の大きな違いも、壁となりますが、そこに相手と自分のトラウマが絡んでしまうと、より関係が複雑になるのではないかと思います。

そして、発達障害者が現代社会で生きる時、このトラウマの数が半端なく多いということにも、注目しなければいけないのではないでしょうか。

しかし、社会は徐々に変わりつつあります。

障害者差別禁止法が今年から施行されましたし、多様な生き方をお互いに認めようという意識は、これをきっかけに可視化されて広まっていくと期待しています。

社会が変わることに期待することと、これまでの理不尽さは不幸にも回避できなかったが、そんな中を生き抜いてきたことに誇りを持つということが大切ではないかと思うのです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • パンダ
  • 2016/09/07 (Wed) 07:35:27
とても大事なことだと思いました。

生きるということは何かを求めることでもあるし,身を守ることでもある,というふうに当たり前のことを改めて考えてみると,傷口を守ろうとするのはごく自然な当然の姿になるわけですし,傷口が深ければ深いほど,守ろうとする警戒心は深まり,「過剰反応」も出やすくなる,というのはこれまた当然のことなのですよね。

定型アスペ問題はもともと多かれ少なかれ傷を抱えた人間が,そのずれによってさらに過剰に傷を深め合う形で展開し,悲劇的な結果を生んでいく,という展開になりやすいということのように思います。

精神障がい,人格障害,神経症を縦に並べるのはむつかしそうに思いますが,ずれが大きいほど受ける傷も大きく,回復が困難になる,という意味では「重篤度」という点でそういう並べ方もできる場合があるかなと思いました。

「私はそんなことは一切ありませんでしたよという人がいたとしたら、状況が著しく理解できないという知能に問題があるかもしれません。」と言う部分は,具体例が思いつかなかったので,ちょっと一般化が過ぎるような気がしました。
Re: 発達障害とトラウマ
  • キキ
  • 2016/09/08 (Thu) 20:55:35
こんばんは(^^)

毎度のごとくズレてしまうと思いますが、ひとつ思ったのは、あすなろさんやパンダさんのように人の気持ちが嫌でもわかってしまうのって、大変だろうなと思いました。

なぜなら、自分の傷に触れるような場面に沢山出会うのではないかと思うからです。

私も同じく傷をかかえますが、どうしても人にあまり関心が向かない、向いてもわからないことが多いので、その分楽な部分もあるのかなぁ?と思ったりしました。

誰も必死で生きてるんだなぁ、と思いました。

ただの感想でスミマセン(^o^; (自分の考えというものが、よくわからないのです)
Re: 発達障害とトラウマ
  • ぱんだ
  • 2016/09/08 (Thu) 22:31:55
キキさん

 なんかこのコメント,新鮮でした。「はあ,そういう感じ方もあるんだ!」というような。ちょっと意表を突かれるというか,で,面白く感じました。なんだろう,この違いは,というところに興味深々。

 「誰も必死で生きている」ということ,ほんとにそうなんですよね。でもだいたい人間は(私ももちろん含め)自分の必死さはわかるけど,人の必死さは理解できないことが多い。あるいはわかっても無視したり。

 だからみんな自分の必死さについては訴えたりするけど,必死さのぶつけ合いに終わってしまうことが多いのでしょうね。

 「どうしても人にあまり関心が向かない」と言われつつ,ここのやりとりには関心を向けられているのがまた面白いです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/09 (Fri) 10:11:18
>ぱんださん

補足ありがとうございます。精神障害、人格障害に序列を付けるのは無理ですね。問題が違うので。私の書き方が間違っていました。

それぞれに、元々の器質があって、それにトラウマが被さることで、多様な状態になるとする方が正しいです。

生まれてこのかた、誰かの言葉に傷ついたり、やりにくいなと感じたり、喧嘩したり、落ち込んだり、そういうことが無かったという人がいたら、そのことが問題でしょうということです。
人と人が集えば、それぞれに考え方感じ方があり、違和感や衝動は、多かれ少なかれあると思うのです。
もちろん、それが傷にはならない、別に気にしないという人もたくさんいます。その前段階で、自分の周りはみんな自分と同じ方向で動いていたと信じている人のことを言っています。


>キキさん

キキさんのように、色々な衝突をしても、楽に前向きに考えられる人もいるでしょうし、それもすごい才能というか、恵まれた性質だと思いますよ。
でも、実際にキキさんが、今後のことを選択するときに不安になるとおっしゃっていましたよね。
それはやっぱり過去のことがネックになっているんだと思います。
誰かに遠慮するとか憎むとか、そういう対人の部分だけでなく、自分に自信が持てなかったり、出来そうなことも躊躇してしまったり、そういう防衛反応も、自分のトラウマを見つめることで、根拠がわかるんじゃないかなと思うのです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • タユミ
  • 2016/09/10 (Sat) 05:18:32
 あすなろさん、ぱんださん、皆さん、少し傍観者のようにこのブログを眺めていました。
 それというのも私自身とても大変なことがあって、ここに訪れて荒れた気持ちで書き込みをしたくない部分がありました。
 トラウマやカサンドラといった話題はまさに今身に起きて少し落ち着いたかなという、まさに今の私の状態だと思います。(機会があれば新しく場を作りたく今は落ち着くのを待っている状態です。)
 その折は何もかもさらけ出せたらなと思っています。(いい意味で)

 私自身のトラウマを上げるのならば一番最初にくるものは、とても単純な計算ができない、読み書きができない、こういったことが始まりでした。
 そこを経て中学の頃に家でをし、ここでは書けないような内容なこともあり、非行に走った時期もあってか、まともに読み書きや計算を覚えたのは二十代になってからでした。
 様々な機関のお世話になりました。
 そういうことがあって、振り返りながら生活をし今に至ります。単純計算は未だにできない部分もありますが、形として捉えるということにおいて代用してます。
 読み書きは小学生低学年に出会った恩師の影響で俳句や詩から、小説を模写するという作業を経てこちらは意外とあっさりと落ち着きました。
 ただ、平仮名がぱっとでずに『ぬ』と『む』の区別が未だに判然としなかったり、一文字抜けたような状態になったりするのは相変わらずです。
 一から十の区切りの五の位置が今いち掴めずずっと好きでありませんでした。
 そういった失敗からくる『トラウマ』は仕事で不適応を起こし、働かない時期もかなりありました。
 恥ずかしながら今は小さな工場でバイトをして生活しています。
 私のトラウマは人が平然とできることができないということが一つ。
 
 もう一つは、誰かに騙されているんじゃないかという怯えが一つ。
 恋愛や友人関係で利用されるということが多くあって、一時はそれをやり返すようなひどいことをした時期もあり、未だに誰かに利用されるんじゃないかという恐怖はありますし、自分が何とか逃避をして逆に利用してやろうとした時期の罪悪感までもあります。
 この誰かに利用されるんじゃないかという恐怖と、騙されるんじゃないかという恐怖は未だにトラウマでどうもここから抜け出すのはもう、難しいのではないかと考えたりしています。
 こういった生々しい話で恐縮ですが、私の親友は過去に男である私に告白のようなことをしたをしたこともありました。
 もう長い付き合いでそういったことを超えてとても仲良くしてもらっていますし、この間そういったことを確認したりもしました。
 彼は覚えてないという私は覚えてるという堂々巡りでしたが、どうでも良いことのようにも思えました。
 こういった極端な関係が多く、その親友とはものすごく低い確率で何かが成立しうまくいってるんだなぁと感じています。

 そこから心理学や発達障害を学びこのぱんださんのブログに落ち着いて、最近思うことがあって、やっぱり頭の中では何も解決せず、それは膨大な時間がかかったり、することなのだなぁと実感しました。
 心理学は需要があり普及したという側面もあると思います。
 考え方を変えるとユングやフロイト、アドラーこういった普及を呪いのようだと捉えている人も未だにいるわけで、そこに素人の私がお勉強をしようとも、受容をすれば極端になり、勉強をして認知行動療法のようなことがどこかで起きて危険な状態になるのではないかと、考えられるようにもなりました。
 最近では一度枠を外して考えてみて、原始仏教である気づきや癒しという観点から、あるがままの自分という側面を見つめ直そうかと考えていたりしてます。
 ここで私はそういった心理学やそういった枠組みを否定しようと書いている訳ではなく、自分の性格という専門家は自分ではないと私は感じるようになっています。
 例えどんな思考であれ、そこに強烈な負の感情を抱くのならば、自分の中にあることが原因なのか相手が原因なのかではなく、冷静にそういったことがあったと捉えることが重要な気がしています。
 ぱんださんはこういったことをいっていたなのだなぁとそこはかとなく感じています。
 ただやはりこれには行動がともなって、間をあける、どうしても無理なら距離を開ける、それでも無理なら別離を選ぶということなのだと感じました。

 人と関わらない状態ならば、トラウマを見つめるというよりも冷静にそういうことが起きたと捉えることができるようになればなぁと感じています。
 思えば思うほど極端に歪んでしまうような気がして、嫌ではないという今の状態までもってくるのにやはりかなりの歳月がかかりましたし、これから先、自分はこういうこともあると冷静にとらえることできらなぁと考えています。
 悲しいですが私はトラウマを癒す方法は時間と無理をしない極端にならないということしか思い浮かびません。
 こういったことが起きたからこうするというのはどうも身を守るというより、極端に何かに蓋をしてしまう気がするのです。
 難しいですね、それは本当に正しい行動だと思うのに私にとってはうまくいかなかったです。
 
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/10 (Sat) 08:51:00
>タユミさん

なんと!タユミさんのご経験、現在抱いていらっしゃる葛藤、恐れ、トラウマとの向き合い方、すべてわたしの経験したこととそっくりです。

あ、家出だけは出来ませんでした。
外の世界と孤独が異常に怖いという超ヘタレ人間なので。^^;

もう少し、タユミさんのお話から深めてみたいなぁと思うので、またじっくり考えてお話させていただきたいのですが、心理学やトラウマを見つめる作業は、恐らく私もそのような経緯から非常に興味を持ったところでして、スピチュリアル的なものにも、はまりまくりました。共同幻想などを突き詰めているのもそのせいだと思います。

私の興味が今、社会問題に向いているのは、そのせいだと思います。
生きやすさの追究に、マイブームがあるというか。
悪く言えば、飽きっぽい!手を変え品を変え考えているところです。

そこで面白いなと思ったのは、私は心理学を知れば知るほど、とても心が軽くなるのです。
へえ、人間って、アスペ定型だ、障害だ、なんだかんだと言いながら、所詮は人間っていう動物なんじゃない!
アレをやったらコウなる、っていう基礎的な行動論理はみんな同じなんじゃない。心理というのが人間という動物に特別に与えられた感覚ではあるけれど、その心理さえも基本を追究すればみな同じ方向性がある。
それを知ることが出来たのは大きいなと思います。

私が心理学を学んで得たことは、また詳しくお話させていただきたいし、タユミさんが勉強されて得たことと比較してみたいなと思いますが、と言っても私も概論を覚えただけで、深い内容まで知らないのですが。

ひとつ言えるのは、心理学の論理よりも、心理学者の経歴に興味を持ったところでしょうかね?
フロイトは極度のファザーコンプレックスを持っていましたし、ユングはものすごい引きこもりで臆病で、こだわりが強かった。アドラーは割と精力的にグイグイ進んでいくタイプで、カリスマ性があった。
この三人の違いも大きいし、世の中で流行る心理学の傾向も、それをよく現しているなぁと、思っています。

中でもユングの性格は一番共感できるところが多い。しかしその論理は難解。実はユングは体系を作ることはしても、それでどうなのだという結果論があまり無かったみたいなんですね。深めるだけ深めて、オチがない!みたいな。これも、彼が研究することがこだわりだったという証拠なのかも!

タユミさんもご存知かもしれませんが、ユングのエピソードで、幼い時に川辺に塔を築いていて、年を取って引退した後も、この塔をひたすら築いていたというのがありますが、これを読んで、人間って偉そうなことを並べても、純粋性は持ち続けているし、下手にそれを抑え込むからおかしなことになるのかな?と思った次第です。

その他、ユングの『やらかした』エピソードを読んで、娘に『見てみて、きっと心理学ってこういう経験をした人が深めることが出来る分野なんだよ~!』といって笑いあいました。

娘も色々と『やらかして』きて、今は心理学を勉強したいという夢を持っていますので。

おんなじだぁ!と目を輝かせていました。

あれ、話が脱線。

そうそう、タユミさんのお話を伺って、人によって見方は大きく違うのだなと感じたところです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/10 (Sat) 13:06:38
>タユミさん

連続で失礼します。
面白い講義を聴きました。

何故学習障害が生まれるのか。それは学校や社会のこだわりである。

読み書きが出来ない、計算が出来ないことが、なぜ悪いのでしょうか?

発展途上国には、読み書き計算が出来なくても生活している人はたくさんいます。
日本も明治時代までは、読み書き計算の出来る人の方のが少なかった。

前に大河ドラマで教育、特に女性教育の礎を築いた吉田松陰の妹の話をやっていましたが、その時代は、逆に教育なんて要らないものをするな!と猛反対されたのです。

つまり、社会が、教育よりも生活というこだわりから、生活するには教育という『こだわり』に変わっただけのことです。

で、多数派のこだわりに付いて行けない子が排除されるのです。

大河ドラマの時代は、勉強していて働かない子が排除されました。
主人公も、多数の人々から、とんでもない運動をしていると非難されて排除されそうになります。

人間が生きる本質は何も変わらないのです。

心理学を学んで苦しくなるのは、心理学を使って多数派のこだわりに合うような自分を作ろうと無理をするからです。

今、氾濫している心理学は多くがコレですよね。

人に好かれる人になる。
努力を惜しまない人になる。
やる気を起こさせる。
多くの人から支持される。

心理学は、別にそんな無理なことをするためのツールではありません。
本当は自分とはどういう人間なのかを追究するものなのです。

ユングの研究にオチがないのは、そういうことです。
ユングは最後まで自分の思いのままに生きました。
自分だけが理解できるこだわり(塔を作る)を最期まで捨てませんでした。

だから彼が知りたかったのは、多数派に合わせる方法ではなく、自分というものがどうしてそんな行動をするのか、その原因の追究だったわけで、別にそれでどうこうしようというつもりは無かったのだと思います。
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/09/11 (Sun) 13:17:35
一連のお話、すごく興味深いです。私も心理学に興味はあるんですけど、どうも本格的に勉強するほど食指が動かないというか…なんか自分の中の興味が中途半端ですね。心理学は文系の学問だから、あるいはそのせいもあるのかも知れません。

あすなろさんのお話はすごく面白いです。

> トラウマが原因で、人間は様々な問題を抱えています。

私もこれを感じます。心理学によってはトラウマなど無い!と主張する極端な派閥もあるようですが(アドラー心理学でしたっけ?)言葉の定義はともかく、本人にとって許容できないような経験が原因で思考の選択肢が削られる事があるのは事実と思います。重要なのは「本人にとって」という所であり、「客観的に見て」ではない。ここに難しさと誤解とすれ違いの原因があるのではないかと考えます。

基本的には人間関係に無頓着で、他人に興味と関心が向かない傾向が強い私がそんな実感を抱くに至ったのは、実は女性相手に観察と分析と対応を繰り返してきたという昭和のオヤジのスケベ心が基礎になっていまして(^_^;;)こういう場ではあんまり偉そうに講釈を垂れる事が出来ません(^_^)ゞポリポリ

というわけで。私も拝見しています(^_^)/ 勉強させていただきます。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/11 (Sun) 20:00:25
>Katzさん

文系、理系の思考の違い、大きいと思います。
私は逆にKatzさんの技術系の話は、何となく分かるようで、細かい部分で理解できなくて、後はお任せいたしますー!きっとすごいアイデアなんだろうな。というところまでしか想像できない。
それと同じ感覚でしょうね。

私もそう詳しくは無いのですが、ちょうど必要に駆られて勉強しているところだったので、タイムリーでした。
ここに書きながら、勉強できるかも?という腹黒い魂胆もあったりして。

女性を口説くためという根拠、全然OKですよ!むしろ人間らしい動機です!

心理学が急速に発展したのは、戦争で人をコントロールする必要があったからなんですよ。フロイトはナチスに利用されそうになって逃げたために、家族が不幸になりました。
行動分析学のスキナーは、動物を使ってミサイルを発射させる方法を研究していたそうです。
科学が進歩してきた背景は、実はそんなキレイごとではなかったし、その恩恵を受けている私たちも、そんなキレイごとで済まされることばかりではありませんよね。

Katzさんの動機なんて、それに比べたらいかに純粋で誠実か分かりますよねー!
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/12 (Mon) 00:33:00
相変わらず、受け売りですが。
ちょうどこんな話を聞きました。

人間の成長とは、もともと持っていた原始感覚を鈍磨させていき、抽象概念を持つことだ。

五感というのは、生まれたばかりの時が最も鋭く働いているそうです。
視覚(赤ちゃんはしばらく目がよく見えていないと聞いたことがあるので、ここはよく分からないのですが)、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……これらが原始的な感覚に近くて鋭いそうです。

これが段々と鈍くなっていき、代わりに抽象概念(目に見えない、触れないものを想像する力)が発達してくるのが成長なんだそうです。

発達障害は、発達がある部分で阻害されるために、一部に感覚過敏が残されてしまったりするそうです。

この抽象概念が掴みにくいというのが、相手の気持ちを察する、状況を察することの苦手さに繋がるのでしょう。


ここから、私は考えたのですが、では発達障害の人でなければ、抽象概念が育っているのか?ということです。

例えば、自分の気分だけで怒鳴り散らす上司。
部下の気持ちや、職場全体のモチベーションを想像するという抽象概念が出来ているのでしょうか。
すでに自分の感覚だけを頼りに行動しているのに、周囲は、この上司をこれ以上怒らせると後々面倒だという想像が出来るために、上司の横暴を許してしまう。

こんなことが、あちこちで当然のように起こっているのが現代社会です。

人間の成長は、あるところで退化していき、再び赤ちゃんのころに戻っていく。それが老いです。

この上司は、すでに感覚が老いてきているのかもしれない。
しかし、年功序列と、高齢者優遇の慣習がある日本社会では、老いて幼稚な感覚に戻ってきている人に、文句はいえないわけです。

発達障害を持つ人、特にアスペの人は、自分がこの抽象概念を苦手としていることを、学校社会の関わりの中で幼い頃から感じ取っていると思います。
私がいった『トラウマ』とは、嫌でもそういう違いを見せつけられる体験をすることも含みます。

しかし、何とかしてそれを獲得しようとする。
そこで身につけるのが『論理性』なのかもしれません。
抽象的な思考の代わりに、物事の根拠や法則を見つけ出して、見えないものを想像する。

この論理的思考の方が、漠然とした抽象概念よりも、より確実なものになります。
コンピュータやネット社会の基礎を築いた人にアスペが多いのは、こうした論理性が大いに活かされた結果ではないかと。

しかし、上記の上司のような、実際には抽象概念が働いていないのに、一人前の振りをしている人や、その上司に文句を言わない周囲の反応は、最も難解な問題です。

実はこういう上司のような人は、学校にこそ多い。
典型的なのは『教師』です。勉強さえしていれば、あるいは得意なスポーツさえしていれば、周囲から賞賛され、その得意分野で教師になった人は、生徒の心理を推察するという抽象概念が育っていないことがあります。
実際、保護者として学校を見ていると、それをつくづく感じますし、保護者の中にも問題に気づいている人はとても多い。

しかし、個人的にそれを言って変わるほど、学校が開けた社会でないことも分かりきっている。

その中で、教師を持ち上げ、自分の子だけを優遇させようとする保護者も出てきます。

アスペにとって生きにくいのは当然です。

抽象概念を身につけていないのに、身につけた振りをしている大人が増えたこと。
もともと抽象概念を持っていなかったために、努力して論理思考を磨いたアスペの人は、本当に抽象概念を持った人とならうまくやれると思うのですが、振りをしているだけの人たちは、最も理解不能で厄介な存在であり、そうした人たちが優遇されている社会の歪みを、鋭く感じ取っているのではないかと思います。
Re: 発達障害とトラウマ
  • noa
  • 2016/09/12 (Mon) 14:37:08
こんにちは。
トラウマの話に共感したのでお邪魔します(^^)

私も親によって作られたトラウマが根深くて相当苦戦しました。今も完全に抜け出せてはいないのですが、大人になりアスペの彼とADHDっぽい息子を育てながら自分の親についても理解が進みました。

・父は私に無関心で愛せなかったわけではなく、ただアスペの特性を持っており愛情の表現の仕方が私に理解できなかった。

・母はかなり衝動性の高いADHD特性があり、突然人が変わったようにキレて怒鳴るのも叩くのも、言うことがコロコロ変わるのも特性によるものだった。

・母と兄は幼い私に暴言を吐いたが、パニック中に言った言葉で本気で言っているわけでもなければ、何を言ったか覚えてすらいなかった。

小学校低学年から大人になるまで悩み、もがいてきた事の真相はこんなくだらない事で、家族中で私しか悩んでいなかったというわけです。
そのからくりに気付いてからは、自分らしく生きる事への罪悪感はいくらか減りましたが、未だに囚われている部分もあり、パートナーと息子以外にありのままの心を見せることが全くできません。まだまだ自分を癒す治療の途中です。
いつか、外でも自分を出せるようになるのが目標です。

心理学、実はすっごく興味があるのですが、活字を読むのが本当に苦手なので「マンガでわかる~」みたいな本しか読めていません 笑
ここでの心理学のお話も期待してます(^^)
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/12 (Mon) 23:06:56
>noaさん

どうしましょう!まだ勉強中の身なので、何にも分かってないし、参考になるようなことは何も書けないと思いますけど^^;

親子関係については、私も、大きなトラウマを抱えていて、物心付いた頃から受けていた傷というのは、性格の根元になってしまっているので、おそらく一生闘い続けなくてはいけないのかなと思っているところです。

私の闘いとは、本当に些細なことを決めるときにも、自分の気持ちなのか、建前なのかが分からないということです。
建前とは、親から、当然そうするべきでしょう、世間ではそれが常識よ。と植え付けられた偏見です。

この建前は、聞こえのいい事ばかりを求めて、本質がない。だからその選択を誰からも評価されなかったとき、自分が落ち込むんです。
でも、自分の選択なら、誰がなんと言おうと、自分さえ良ければそれでいい。だから何を選んでもハッピーなんです。

本当の自分がもとめているものが何なのか、未だに分からない。

だから1つ1つ、客観的に見て、本当に必要なものか、そうでないのか、見極める。こういう気持ちとの闘いをずっとやっていくんだろうなと、思っています。
Re: 発達障害とトラウマ
  • noa
  • 2016/09/13 (Tue) 21:22:16
>あすなろさん

自分の気持ちなのか建前なのか見極める闘い。同じですね。定型、アスペ、ADHD…関係なく、成長過程の人格形成を許されなかった人達は同じ闘いをしているんでしょうね。
私も親元を離れてから一から私という人格を育て始めました。自分の意見を持つ、人と自分は違うという事を知る、感情を持つ事に罪悪感を持たない…本来イヤイヤ期等で育つはずだった所を大人の今やり直してます。迷惑被ってるのは歴代彼氏と元夫ですけどね 笑
声をあげて思いっきり泣いたり、イヤイヤ期に近い事をしてみたり、思いっきり甘えてみたり、彼氏以外に見られたら完全にヤバイ奴なので友達の前では毅然として大人のフリしてます^^;

こういったACの人達も、抽象概念を身に付けていないのに自分は正しいと信じて疑わない大人も、偏った価値観による教育の結果なんですよねー。親は選べない、教師は選べない。だから運の善し悪しがその人の人格に、人生に多大な影響を与えてしまうっていうのはやるせないですね。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/14 (Wed) 20:44:27
心理学は、人をコントロールするようで嫌い。学校教育は、心で教育するもので、心理学的なノウハウやテクニックは要らない。むしろ、そんな無機質なもので生徒を縛りたくない。

そんな意見をよく目にします。

別スレで話題にした応用行動分析学(ABA)は、ある行動に報酬を与えて、その行動を定着させたり、逆に問題行動を無くしたりと、条件で人の行動をコントロールするもので、これを用いるのには、賛否両論あります。

心理学といえば、現在は自己啓発系のものが氾濫していますが、もともと、人間の行動や情動は、だいたい似たような条件で動くものであり、逆にその条件が無ければ自分自身の心構えで何とかなるものではないのです。

それなのに、頑張って心理を変えれば良い行動になるということの方が難しい。
教師も、心意気があれば生徒に伝わるなんて思っている人が多いのは滑稽です。
そんな心構えひとつで、人間の心理が変わるなら、歴史が思わぬ方向に行くことなどあり得ない。
何故、心理学が発展したかというと、人間があまりにもどうしようもない行動を取ったり、予測不可能なことをするので、そこに法則は無いのかと考えたからです。
そして、ABAのように、人間の行動には決まった法則があり、その法則に従ってアプローチすれば、だいたいの行動をコントロールできるというようなものが生まれたのです。

思い込めば何とかなると思うことこそ、妄想であり、それで解決するなら心理学が研究される必要はないのです。

心理学で人の行動をコントロールするなんて、恐ろしい。そんなものは要らないという意見の人も多いでしょうが、よくよく考えてみれば、私たちはすでに、この心理学を利用して、コントロールされているのです。

例えば、CMや広告。あれは、巧みに購買意欲をそそるようなカラクリが仕込まれているわけです。
店のディスプレイや、照明の色も、全て意図的に設置されています。
店員の話術や振る舞いもです。
認知症の方が、使いもしないものをどんどん購入させられて、店員が逮捕されたことがありましたが、店員がちゃんと心理学を学ばなくても、サービス業のマニュアルはそうやって人の行動を効果的に操作するために出来ているのです。店員自体も、営業成績を競わせることでコントロールされているといえるかもしれません。

最近最も顕著なのは、マスコミの情報操作です。
某タレントの不祥事が世間を騒がせましたが、あの同時期に、何が起こっていたのか、覚えている方はいるでしょうか?
あの時、イタリアとネパールで、大地震が起こり、たくさんの人が亡くなっているのです。
詳しい報道も無ければ、日本から何かしらの援助を行ったという報道もありませんでした。
台湾大地震の時も、確か、某タレントの不倫が世間を騒がせていました。

狙いは何か、分かりませんが、明らかにおかしいのです。

政治絡みで、大規模な心理操作が行われていることは、感じ取れます。

これらは、コントロールされる側に、何の利益ももたらしません。
操作されていることにも気付かない。
心理操作とは、本人が心からそういう行動を取ろうとしてしまうので、問題だとは思わないのが問題なのです。

心理学のモラルは、必ず本人にとって利益とならなくてはならない。

問題行動がクセになっていて、どうしてもやめたい時、ちょっとしたコツでやめることができれば、本人にとって利益になる。

または、自分がそういう行動をどうして取るのか、その心理を分析し知ることで、意識的に変えていくことが出来る。

本来なら、本人の幸せのためにあるものなのです。

心理学で人の心を操るなんて、という人は、すでに自分が社会から心理操作を受けていることに気付いていません。

社会という巨大な組織に洗脳されないためにも、個人個人に心理学が浸透していくことは、大切ではないかと思うのです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/09/15 (Thu) 22:56:20
> 心理学で人の行動をコントロールするなんて、恐ろしい。

私もこういう意見には反対です。そもそも集団の中での個人の行動とは、いかにして他人をコントロールするかという、その一点に尽きるでしょう。

こういう意見は何と言うか…自分の言動を綺麗事で理論武装したい、という欲求の表れにも見えます。

一貫してさえいれば、偏った価値観に基づく教育でも構わないと、私は考えています。まずは何か一つ価値観を知らなければ、自分で考える手掛かりがありません。何か一つを身に付けていれば、そこからの比較で様々な要素を的確に学ぶ事が出来ます。そして次の段階で価値観の相対化が起こり、最後に自分自身で試行錯誤しながら選択します。これが自我の確立というものではないかと…(心理学で説かれている内容がわからないので、もし誤っていたら御指摘お願いします)

この「自分自身での試行錯誤」の過程で、人生とは社会とは綺麗事だけでは済まない事を理解していくのだと思うのですけども。


というわけで、あすなろさんの解説とは反対側?の目線で少しだけ考えてみました。
Re: Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/17 (Sat) 00:36:33
>Katzさん

綺麗事。そうなんですよね。根や茎のない花のような、実を結ばない花のような、ただ綺麗な花だけを見つめていたい、そんな空虚な価値観だと思います。

学校ではよく、この花になれということを教えて、花を咲かせるには何が必要で、花の後に何になるかを想像せず、ただ綺麗な花を楽しめと教えます。
だから、子供たちは混乱するか、実にならない花になってしまうんです。

1つの価値観のお話、Katzさんはそう考えられるのだなと、新鮮でした。

例えば、フロイトの精神分析では、逆に、親や養育者に、複数の価値観を植え付けられたあと、バーンアウトが起こって、自分の価値観が確立されるとしています。
本来持っている無垢な欲望は、そのままでは社会で通用しない。母親的な人への思いやりや気遣いといったものや、父親的な社会通念、規制、道徳を植え付けられていく。
ある時期に、『親殺し』という、親の価値観を全否定して、本来の自分の欲望と、社会通念を、バランスよく自分のものとして身につけることができる。
これがうまくいったときに、『1つの価値観』が生まれるというものです。

複数の異なる価値観を受け入れるだけ受け入れて、自分の価値観を確立するということですね。

トラウマを抱える要因の1つに、親の価値観が強く影響しすぎて、自分の本来の欲望が押し殺されてしまった状態。あるいは、『親殺し』のタイミングを逃してしまった状態があります。

複数の価値観が混在していて、分裂している状態ですね。
本来の欲望というのは、『抑圧』されて無意識の中にあるのですが、これが自覚のないままに吹き出してくると、嗜癖とか、押さえの効かない問題行動になったりします。

……というのが、フロイトさんの理論です。

私はどちらかというと、フロイトさんの理論に納得しますね。

でも、もともと人間は1つの確かな価値観を持っているとすると、それを社会に通用するように変化させていくのが、躾や教育とも考えられますね。
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/09/22 (Thu) 23:06:15
うむむ、親殺しとか欲望とか、いかにもキリスト教文化圏的な過激な理論だな…と思ったんですけども。よくよく考えてみると、私の見方とは言葉が違うだけで、結局似たような内容になっていると気付きました。良かった私は間違ってなかった、一安心…

一番大きな違いは、フロイトさんが親殺しと表現した全否定を、私は相対化と見ている点ですね。私は、親の価値観そのものは認めた上で、それとは異なる他の価値観も同じくらい重要だと気付かかなくてはならない、と考えました。しかし反抗期の存在を考えると、親殺しという表現の方がわかりやすいようにも感じます。

また、私は主に4つの段階に分けまして、いわば起承転結のような形を考えましたが、フロイトさんは3段階の序破急のようになっていると思いました。でっかい話で考えれば、日本的な一つの価値観への同調圧力を前提とする社会か、それとも西洋的な複数の価値観の並立共存を前提とする社会か、の違いとも言えるかなと。

いずれにしても、最初に叩き込まれた価値観への疑問?反逆?を許されなかった場合に、自力で考える事の放棄が発生するのでしょう。フロイトさん的には、表現を変えれば、押し付けられた複数の価値観を消化しきれていない状態…と言えるのでしょうか。私は、叩き込まれた一つの価値観と現実の状況との矛盾を飲み込めずに持て余している状態…なのかなと考えています。

見方はともかく、この状態は精神的に大変なストレスがかかりますね。こういうタイプのストレスから解放されるには、私は、まず自分の価値観に疑問を持つ事から始めるのが順当だろうと考えています。これが他の価値観を学ぶ動機となり、やがて相対化の流れとなります。

しかし価値観への疑問とか否定とか、言葉にすれば一言ですけども。悩め悩め若人よ…なんて言うといかにも年寄臭いですが、まぁそういう事です。それは悩みに悩んで鬱を患おうかって位の深い精神活動であり、そうでなければ浅く表面だけ受け流して終わってしまいます。つまり悩みは解消されません。ストレスは残ったままになります。で、酒や宴会で気分を盛り上げる事でごまかしちゃう訳ですね。

私事になりますが、私は反抗期が無かったそうです、親の話によりますと。思えば確かに親への強烈な反発とか、あんまり感じた事がありません。あんたはそういうの無いはずだよね〜とカミさんにも言われます…女にそう言われてしまう男ってのもどうかって話ですが。

その代わりと言いますか、まぁ、時間を掛けてゆっくりと色々やってきました。自分の欲望をはばからず表に出す事を覚え、世間の価値観にこっそりと反逆し、自分の見聞きしたあらゆる矛盾に一本の筋を通す屁理屈を考え続け、そして気付いたらこの歳になってしまいました。

はい、私の成長は十年遅いんですよね。親にも言われますが、自覚もあります。仕方が無いので、十年長く生きたいと願っています☆
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/23 (Fri) 08:24:11
>Katzさん

おお!Katzさん説に、一票です!(←変わり身の早い!)
確かに、ちょっと表現が過激ですよね。
『親殺し』というのは、私が訳したんですが、ギリシア神話で、自分の母親を手に入れるために、自分の父親を殺したというエディプスという少年の逸話から、『エディプス・コンプレックス』と呼ばれるもので、4~5歳の時にこの過程を経るというものです。だから、思春期の反抗期よりもっと自然発生的なものなんですよね。だから、激しい反抗というより、『お父さんの言ってること、そのまま信じていいのかな?』と疑問を持つくらいのことかな?という感じなんですけど。
でも、Katzさんがおっしゃるように成長がゆっくりの人もいるので、年齢によって決めるのはどうかと思います。
ただ、思春期の二次反抗期とは質が違うのかなと思います。

フロイトは、幼少期の過程をすごく重視していて、それ以降は何だか雑というか。なので、親、子、その中庸、みたいな三段階なんですよね。
だから、それ以降の複雑な人間関係を見ていったら、Katzさんがおっしゃるような四段階にも、もっと何段階にもなると思います。

ごめんなさい。
私も基礎を勉強するならまずフロイト、と言われてちょっと勉強しましたが、フロイトは基礎の基礎なので、心理学はここから派生して色んな方向に行っています。古典というか、原始人みたいなもので、それ以降をちゃんと勉強していないので、下手なことは言えないです!
(まあ、それ以降を全部勉強したら、臨床心理士になれますね!)

なので、Katzさん的な説を説く流派もあると思いますよ。

私自身、この『エディプス・コンプレックス』にとても興味を持ちました。私は、思春期以降、ずっと反抗期だったんですが、どんなに親を否定したくてもできない状態にイライラしていたんですね。
くだらないことで当たり散らすけど、本質のところは『反抗』できなかった。
これが解消できてきたのは、本当についこの間で、フロイトの説を知ってから、一気に謎が解けた!という感じです。

つまり、この『親殺し』こそ、Katzさんのおっしゃる『相対化』なんです。フロイトは、もうすでに、幼児期にこの『相対化』が始まっているとした。母子、父子だけの関係に、他人が入り込んでくる時期に、視野が一気に広がるということなんでしょう。
そこで親が強烈な支配をしてしまうと、私のような、反抗してるのに、根本的に親を否定出来ていないという人間が出来上がるのだなと思いました。

なので、Katzさんのように、成長がゆっくりであったとしても、ちゃんと順序を踏んでいればOKなんだと思います。

これは女性の方が分かりやすいと思うんですけど、ちょうど今夏に、湊かなえさんの、『ホーリーマザー・ポイズンドーター』という本が出ました。まさに、このフロイトの『親殺し』が出来なかった女性の末路がリアルに描かれていて面白いです。
ご興味があれば。^^;
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/25 (Sun) 06:38:17
こんな本があるそうです。
読んでいませんが、私も興味があるのでご紹介!


トラウマで苦しむのはなぜ? その回復プロセスと支援を童話『赤ずきん』から理解する(ダ・ヴィンチニュース)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160923-00012009-davinci-life

Re: 発達障害とトラウマ
  • noa
  • 2016/09/26 (Mon) 20:49:55
katzさん、あすなろさん、こんにちはー(^ ^)
難しい事は苦手なのでコメントしていないだけで、ずっと楽しみに読ませていただいてまーす。

『赤ずきん』の記事読みました。
>冷凍されたトラウマ記憶は、少しずつ解凍され、消化が進んでいくが、記憶の解凍は安全が確保されて初めて起こる。
>心の傷が癒えたように見える赤ずきんは、まだまだ大量の肉を冷凍庫に残している。

この2つの文章にギクッとしましたよ〜 汗
まだまだ私の冷凍庫もいっぱいだー!と。安全が確保されないとお肉を解凍できない。なるほど、そうかもしれない。だからなかなか減らないのかー^_^;

また、面白い情報ありましたら載せてください。楽しみにしてます♩
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/09/27 (Tue) 00:28:33
> noaさん

こんばんは〜(^_^)/ 何だか難しくなっちゃいましたかね…どうもスミマセン。なるべくわかりやすい文章を心掛けます(^_^;)

またコメントお願いします。


> あすなろさん

なるほど『エディプス・コンプレックス』という言葉には聞き覚えが…内容までは覚えてませんが(^_^;)

フロイトが基礎の基礎というのはわかるんですけど、そこから学説が派生する…というのが理系的に納得いかないんですよね。と、学問全体を批判してはどーしよーもないのはわかるんですけども。人間心理というたった一つの対象を理解しようとしているのに、研究者によってそんなに見え方が違うというのは、そもそも見方を間違っているという風には考えないのかな〜と思ってしまったりして。そこから理論的検討とか実証実験とかを通して磨きをかけるのが理系の考え方なんですけども…う〜ん。納得いかん!(^_^;)

> くだらないことで当たり散らすけど、本質のところは『反抗』できなかった。

私は、あすなろさんのこの部分に興味を持ちました…と言うと失礼かも知れませんが。何というか、まさに人間あるあるという感じで…というのはもっと失礼ですね。スミマセン。その原因は、深く掘り下げるとそこにつながるのか、というのが私にとっては新鮮でした。なるほどエディプスコンプレックスですか…

「ホーリーマザー・ポイズンドーター」確か本屋の店頭で見かけたような気がします。あんまり興味がわかなかったんですが、こういう観点から読んでみると面白そうですね。また見かけたら手に取ってみます。
Re: 発達障害とトラウマ
  • noa
  • 2016/09/27 (Tue) 14:08:41
>katzさん

katzさんはどうかそのままのkatzさんの文章を載せてください!
むしろこちらこそスミマセン^^;
理系の脳を私が持っていないだけで、似た脳の方には解りやすいと思いますし。
また、気まぐれにコメントさせてください!
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/09/30 (Fri) 01:03:12
> noaさん
またコメントお願いします(^_^)ノ
まぁ、肩肘張らずに気楽にいきましょう〜



というわけで、特に何がどうという訳ではなく、何となく思う事。

豊かで自由なら、人生の問題はほとんど解決できる、というのが私の信念です。「豊か」とは選択肢が多い事、「自由」とは制限が無い事、だと考えます。選択肢が沢山あって制限が無いなら、まぁ大抵は何とかなります。

ここで、選択肢を減らす大きな原因の一つがトラウマなのだと思います。

トラウマにも種類があるのではないかと私は考えていますが、価値観への反逆が許されなかった事によるものは、解消の処方箋があると思います。無限の自由が認められる環境で、際限無くバカとワガママをやって、一緒に笑ってもらえる、それを数年程度…でしょうか。

要するに、反抗期に育むはずだった何かを、同等の環境でやり直す、という事ですね。躾のなってないお子様にこれをやったら、逆に人格が崩壊するかも知れませんが。分別のある大人なら大丈夫というのが私の経験則です。もちろん若者だったから許されたバカは、大人になったら控えなければなりません。その辺りを心に負担を掛けずに自力で加減する事が出来る…というのが分別のある大人であり、そうであれば本当に無限の自由を提供できます。提供する側には相応の余裕が必要ですが…

と、そんな事を考えるのでした。
Re: 発達障害とトラウマ
  • noa
  • 2016/09/30 (Fri) 11:58:37
”無限の自由が認められる環境で、際限無くバカとワガママをやって、一緒に笑ってもらえる、それを数年程度…”

確かに、これができればトラウマが癒えそうです!最高の環境ですね!
そんな環境を見つけられるといいなあー^^

”提供する側には相応の余裕が必要ですが…”ここが問題ですよねー…。とりあえず、一緒に笑ってもらえる環境が今ないので、自分で笑ってあげる事にしてます(心の中で) 笑

一種の言葉やある限定された環境でトラウマによるパニックが起こる時、パニックが起きた時に「大丈夫だよ」と笑いかけてもらう事で私は乗り切ってきました。

ただパニックを起こす度にパートナーにそうしてもらっていても、私は未だに繰り返してしまうのですが^^;それでも回数は減っていると思うのでいつか完全にパニックを起こさない状態まで回復できると信じたいです。
まぁ、「地雷ワード」を私に投げつけてパニックを誘発するのもパートナーなんですけどねー 笑
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/09/30 (Fri) 20:15:46
>Katzさん

>際限無くバカとワガママをやって、一緒に笑ってもらえる、それを数年程度…でしょうか

すごい!的確です、Katzさん。
私はこれを許してくれた人がいたからこそ、深刻な状態を脱出できました。
私の親であり、姉であり、友人であり、恩師です。
しかも、30過ぎに出会った……。

私が親から否定されてきた自分の趣味を、素晴らしいと絶賛してくれました。そのままでいいよと言ってくれました。私が建前だけで頑張っていたときに、『聞こえのいいことは、必ず無理が来る』と叱責してくれました。
親への愚痴や恨み言をずっと聞き続けてくれて、一緒に怒ってくれました。

それからですね。一気にトラウマが解消してきたのは。

奇しくも今日はその人の命日でした。

ほとんどネットのやり取りで、会ったのは数回だったんですが、大きな存在ですね。
バカをやっても、それでいいんだよという言葉を掛けてくれる。
怒りたいときに一緒に怒ってくれる。
本来親がやるべき、無条件に存在を認めてくれる人は、親以上の力を持っています。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/02 (Sun) 08:29:33
ブログのコメントで、ココチさんとお話させていただきながら、ふと気付いたことがあります。

以前に、ココチさんが紹介されていた『前者、後者』のお話からも考えていたのですが、定型のココチさんの感覚と、何かが決定的に違うなと思っていた部分について、まとまってきた気がします。

ココチさんには、お手間を取らせてしまって、申し訳なかったのですが、おかげさまで考えがまとまりました^ ^

前者、後者論で、私は、自分は前者(物事を分類して理解する人)のような気もするが、やっていることは後者(たくさん散らばった情報から必要なものをその都度抜き出す人)のようだとお話しました。

結局よく分からないなと思っていたのですが。

私は、本来の性格は、バリバリ前者なんですね。
物事は全部根拠を考えて分類しないと先に進めない。きちんと整頓されたところに居心地の良さを感じる。
突然イレギュラーなことが起こると整理しきれなくなる。
整理しきってから、ストンと納得できる。

それが本来の性格のようです。

で、そんな自分の性格とは裏腹に、ADHDの特性が真逆の行動をさせてしまうのです。整理して考えたくてもまとまらない。突然気分が変わる。これとこれを分類しようと思っていながら、次の瞬間に忘れてしまう。
結局まとまりのない行動を取ってしまい、周囲からもそういう風に見られている。

発達障害の傾向が、本来の性格と真逆だと、自分に苛立つことばかりです。本当はこうしたいのに、できない。こうありたいのに、そう見てもらえない。

同じように、アスペの人を考えた時、本来社交的で人に対する興味がとても強い人が、アスペの特性から、多数派との行き違いを多く経験してきて、結局孤独になってしまうケースも、同じようなストレスがあるのではないかと。

うちの子供たちは、どちらも、本来社交的なようです。『アスペっ子あるある』ですが、道を歩いていて、知らない人に突然話しかけてしまったり、付いて行きそうになったり。
簡単に誘拐されるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたものです。
学校でも、友達のことをよく観察していますね。どうしてそこまで情報通なんだと思うくらい。けれど、友人たちとはノリが違うことが多いので、なかなか一緒には行動できないわけです。

そんな風に見てみると、勝手にお名前出して申し訳無いのですが、みるきさんは本当に社交的な方だと思います。
複数の方のこともそれぞれよく見て、理解していらして、スポーツチームの監督とか、大勢をまとめるような才覚のある方だと思います。
本来、そういうことが性に合っていらっしゃるんじゃないかと。

よく、アスペのご自分の振る舞いを何度も確認されることがありますが、そういう本来の性格とアスペの特性が折り合わないジレンマを感じていらっしゃるのは、他ならないご本人なんだろうなと想像しました。

しかし、本来の性格と特性が真逆というのは、悪いことばかりではないのかなとも思います。
私はもしかしたら、何でも杓子定規に捉えて融通の利かない性格になっていたかもしれない。
社交的な人は、アスペで無かったら、人に囲まれることに夢中で、自分を深く見つめる時間を持たなかったかもしれない。

そう簡単に割り切れることではないのですが、そんな風にも考えられるよなと思いました。

自分に強いストレスを感じると思われる方は、性格と特性のギャップに注目してみると、いいのかもしれません。
Re: 発達障害とトラウマ
  • ココチ
  • MAIL
  • 2016/10/02 (Sun) 12:06:27
あすなろさん

なるほど・・・

と言いながら、わかったつもりで わかってないところもあるのかもしれませんが、とても参考になりました!
ありがとうございます。
Re: 発達障害とトラウマ
  • Katz
  • 2016/10/02 (Sun) 19:07:00
”無限の自由が認められる環境で、際限無くバカとワガママをやって、一緒に笑ってもらえる、それを数年程度” の件

noaさんにはおわかりいただけたようで、あすなろさんはコレの経験があったのですね!あすなろさんの経験談がまさに私の言いたかった事の補足説明になっていると思います。

いえ、私のこの言葉だけだと、つまりは社会に馴染めない落ちこぼれのアウトローだろ?という話になりかねない表現だな〜とは自覚してます。読み手の目線が変わると、そういう読み方も出来てしまうでしょう。

ただ、今回はわかっててこういう表現を選びました。刺激的な言葉で注目を集めようとした訳では無く、こういう表現の方が理解を得やすいだろうと判断したからです。そして実際、現場でやる事はまさにコレですしね。決して大袈裟な表現ではありません。

というわけで補足説明。わかってる方には蛇足もいい所ですが、公開掲示板という事で色んな方が見てらっしゃる事を想定しまして。

やろうとしている事は価値観の試行錯誤。その先で、自分の価値観を見出す事です。うんうん言いたい事はわかるよ、それでもやっていい事と悪い事があるだろ?という意見は、ここでは通りません。「価値観の試行錯誤」とはそれほど大きな事です。

・ワガママ
これは、周りに遠慮せず自分の意志と感情を表示する、という事を意味します。
叱られるかも知れない、反対されるかも知れない、迷惑掛けるかも知れない。あるいはそのバリエーションで、道徳に反する、倫理にもとる、世間様に顔向け出来ない、恥ずかしい。
これ全部、周囲からの抑圧ですね。自分の意志ではありません。こういった抑圧から解放された所で、何をどうすると何が起こるのか。これを自分で経験する事、それが試行錯誤です。
ある程度は書物その他で学ぶ事も出来ますがね。生活上の細々した事まで含めるとその範囲は膨大で、ちょっと勉強とかそういう量ではありません。それに理論と実践は違います。やはり自分自身で「実験」してみる必要があります。

・バカ
失敗しちゃった〜てへぺろって所でしょうか。試行錯誤すれば、成功もあれば失敗もあります。不文律に抵触すれば、それは「バカ」若さ故の過ちってヤツになります。
しかしそういう経験も必要。その時の周囲の反応、その後の経過、それに自分の感情はどう反応するか、等々。
すべてが自分自身を理解する為に必要です。失敗は自分で経験してこそ血肉になるのです。

・際限無くバカとワガママをやる
上述した説明を踏まえれば、心行くまで試行錯誤する、そして納得するまで失敗できる、という意味になります。

・一緒に笑ってもらえる
失敗しても失敗しても失敗しても、それでも許してもらえる、という意味になります。
こういう文脈での「許す」というのは、言葉では無いんですよね。うんうん失敗しちゃったね今回は許すよ、でも次から同じ事はしないでね…とか、そういう態度が透けて見える場合。価値観の構築という観点から見ると、これは判断基準の強制です。結局許していないのと同義。それでは話になりません。


ここまで、大した補足をしてないつもりだったんですが、ものすごい長文になってしまいました。しかも、またしてもわかりづらいかな?という文章。う〜んなかなか難しいですね。そしてまだまだ書き足りません。苦笑するしかないですが、このネタはそれだけ大きな内容という事なのでしょうか。私個人としては、そんなに大した内容ではないつもりなんですけども…

という訳で、ここらで一区切りにします。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/02 (Sun) 22:39:13
ココチさんのコメントが見られていない状態ですが、追記です。

私の感じている違和感……。
『定型にも同じ傾向がある。みんな似たようなところがある。定型にも苦労している人はいる』
という方向に話が行くことの違和感です。

上に書いたように、特性とは『障害』なのです。
それは、本来持っている性格とは別物です。
脳機能によって、性格や思考が制限されることなのです。

完全な状態である定型も、もちろん人生思い通りに行くわけではなく、様々な苦労があるでしょう。
発達障害者も、特性とは別のところで人生の苦労はあります。

そこを比較すれば『苦労は同じ』と言えますが、その前に、そもそも自己を確立する上で障害を受けているわけです。

つまり、目の見えない人も、人間関係に傷ついたり悩んだりするけれど、目の見えないことによる別の苦労があるわけで、そこは定型の苦労とは全く別物になる。
そこを失念してはいけないということです。

発達障害、特に自閉という、はっきりとしない、本人も何が障害されているのか分からないものを、理解するのは大変ですし、だからと言って、どうすればいいのかと言われても分かりませんが、明らかに、『定型もそういう傾向を持っている』とは、言ってはいけないものですし、全く別の配慮が必要なものなのです。

アスペの方は、ご自身で、どこがどう障害されるのか、実感されている方もいるかもしれません。

ADHDでいえば、常に思考がクルクルと動いていて定まらない。色々なものが目についてしまう。神経が高ぶっている時と、全く身体が動かなくなる時の落差が激しく、そのリズムを自分ではコントロール出来ないといったところでしょうか。

根性論や自己啓発では決して変わるものではない。そもそも、一生この傾向とともに暮らしていかなくてはいけないものだということです。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/02 (Sun) 23:38:07
先日、こんな騒動がありました。

聾の方が、『字幕の付いている邦画が少ない。聾でもいろんな映画を楽しみたいから、字幕を付ける映画を増やして欲しい』と発言しました。

それに対して、
『字幕があると雰囲気が壊れる』『画面が見づらい』『字幕が付いていることで、そこに気が散ってしまって映画に集中出来ない、例えばADHDなような人もいる』という反論が多数来ました。

最終的には、聾の人は少数なのだから、我慢するべきだなどという意見が多数寄せられて、発言した方は、深く傷つきました。

ADHDは字幕があると集中できないと言ったのは、定型の人のようです。

どちらにとっても『偏見』だったわけです。

私は字幕映画が好きです。
BGMとセリフが重なっていると聞き取れなかったり、台詞が長すぎたり複雑だったりすると、耳の情報が全部聞き取れなくなるからです。
字幕だとセリフを耳で追うより一目でだいたいが把握できるからです。

観る小説というような楽しみ方もできます。

障害があると、何が不都合で何が必要なのか、それは本人の実感でしかわかりません。だから、本人の訴えを素直に聞く姿勢が必要なのです。

聾の方が、字幕を付けて欲しいという素朴な訴えを、字幕がない事に慣れている多数の定型が、あれこれ理屈をくっつけて受け入れようとしない。
関係のないADHDまで引き合いに出して偽善を押し付ける。

現実に、こういうことが起きているのです。

今の社会のやり方が最良だとして、そこにしがみつくことほど、愚かなことはないなぁと感じた出来事でした。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/03 (Mon) 06:26:18
大事なところなので、連投ですみません。

聾の方の主張が何故受け入れられないのか。
その対立に何故、ADHDが引き合いに出されたのか。

これは、多くの人が自分にはない『障害』を、ステレオタイプで理解しようとするからです。

ろうあ者は、こう思っているだろう。視覚障害者は、こう思っているだろう。知的障害者は、こうだろう。

というステレオタイプを作って、そこから外れることを言う人を、『それは障害のせいでは無いだろう』と勝手に判断してしまうからです。

パンダさんが勘違いなさっていた『共感できるアスペの人もいれば、できない人もいる』というのが、そういうステレオタイプをパンダさんが作ってしまったということになります。

悪気が無いのはわかります。

例えば、ではシンプルアスペの方は、ADHDがどうするかわかりませんよね。

みるきさんが、ADHDって、そうなんですねー!と感激(?)したり、にわとりさんに、視覚障害者の方がおっしゃっていた『本音』を教えたら、『そうだったんですか!』と驚かれていましたが、それでいいんだと思いました。

しかし、そこでまた『ステレオタイプ』を作り上げてはいけない。
どこまでいっても『傾聴』です。

自分の障害が、自分にどういう影響を及ぼしているのか、それがわからない人は、自分に対して『傾聴』する。

ひたすら声を聴く。

それだけです。

知的障害の方は言葉に表せない。
ひたすら『観察』です。

観察できずに、本人のステレオタイプ像どころか、社会での位置づけまで勝手に決めつけてしまったのが、例の津久井の殺人犯です。

私が徹底的に『割り切ろう』としているのは、そういう思い込みを持ちやすいからです。
全く知らないものとして観ることで、発見できるものがたくさんある。
それを出来る限り、そのまま受け止める。
自分の頭で法則は作らない。

そういう訓練です。
Re: 発達障害とトラウマ
  • みるき
  • 2016/10/03 (Mon) 09:39:43
あすなろさんへ。

こんにちはー^^

なんだかいっぱい書きたいことはあるんですけど、ちょっとおお!その話!と特に切実だった部分について書いてみます。

邦画の字幕についてなんですけど、それまさに!で私もずっと思ってたんですよねー。
自分の特性であんまり耳からだと情報が整理しにくいっていうのもまああるんですけど(これ自体は興味のあるものだと尋常じゃないくらい集中できてなんでも聞こえるので好きな映画見てるわけだからそれほど問題じゃないんですけどね^^)、それよりも、私は大好きな祖父母がいるんですが、歳をとって早口だと聞き取りにくかったりぼそぼそしているとよく分からなかったり、音を大きくすると効果音ばかりが大きくて人の話し声は小さくてーとなんかものすごく不便を感じてるみたいなんです。
だから、そういう人にとっても字幕をつけるかつけないか選べるといいのになーと思っていました。

でも最近ってまだまだ物によるのかもしれませんが、字幕をつけるかつけないか選べる映画も増えてきてるみたいだからそこはすごくよかったなと喜んでいるんです^^
先日身内から某音楽グループのライブDVDを借りて見てるんですけど、なんと!音楽DVDなのに歌の歌詞とトーク中の会話が字幕として見られるんです!!衝撃でした!最近はこういうのがふつうなのか、それともたまたま気が利く制作会社さんなのかまだわかりませんが、こういうのがあると嬉しいなーとあったかい気持ちになりました。歌詞とかも私は耳からだと聴いてるんだけど頭に入ってこないとかあるのでああやって目から見えると改めていい歌詞だなーと思えるのですごくありがたかったです。


なんだかよくわかんないコメントですが(笑)でも、なんだかんだいいながらもみんなで前に進んでるんだよなー^^っていう感動と字幕もいいもんだよねーっていう意味不明な共感でしたー

じゃあまた~
Re: 発達障害とトラウマ
  • ココチ
  • MAIL
  • 2016/10/03 (Mon) 11:11:01
あすなろさん

おはようございます。

昨日は 午後から出かける用事があったので、その寸前に書いたコメントで。それで今朝その続きを書いていたら、うっかり消してしまって・・
長い文章だったので、 プレビューで確認しているうちに・・
最初 あすなろさんへの感嘆と感謝をずっと書いて来た(もちろん 本音。再現したいけど、今日はできないから残念)
それから 昨晩のコメントに困惑していることを書いた。
(昨日、 ブログの「恥ずかしいはなし」で、あすなろさんが同じようなことを書かれて、その時も困惑しながら返事してる)

そこへ また あすなろさんのコメントが入った。
そこで ハタと思いついたこと書かせてください。

わたしは あすなろさんからみたら、消極的でグズで しょうもないやつなんじゃないかしら。
ただ 芸術系の才能だけは、一流の先生に認められたことがあるんですよね。(自慢するために書いてるんじゃない、というの わかってもらえるかな) 感性がいいということで。
そのことと 気の長さがドッキングして、ステレオタイプ的な結論から入りにくいのが特徴だと思うんだけど・・。だから、わたしが何かを単純に分類しているように見えるとしたら 話の便宜上わかりやすくするために その時はそうしているだけで、いつもそう思っているわけじゃないってことは 日頃の言動を見てもらえたらわかると思う。
内心までも かなりはっきり線を引く時は、わたしの場合 もうよくよくの時。

もちろん 今の説明も わかりやすいように単純に分類している、現実は もっと複雑って言うのもわかっているんですよ。

こういう人もいる、ということで・・。


あすなろさんの経験は、わたしが言うのもおこがましいけど、貴重ですよね。
ココチさんは、わたしのことよく知らないでしょう?て言われるかな。

それでは、わたしはこの辺で 区切りをつけますね。
Re: 発達障害とトラウマ
  • みるき
  • 2016/10/03 (Mon) 11:24:40
あすなろさんへ。

さっき書き込みをしたんですけど、なんか・・えー!このタイミング!!って感じな気がしてきました・・・。

とても大切な話を私のおかしなコメントがさえぎっている形になってしまったのでびょんと私のコメントは飛び越えて続けてください。

Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/03 (Mon) 21:03:09
>みるきさん

そうなんです!その騒動で、アメリカでは字幕を自分で選べる機器が浸透している、日本でなぜ導入されないのか?という貴重な情報がありました。
まさにみるきさんがおっしゃっているような画期的なものは、アメリカでは普通に日常に浸透しているんですよ!

こんな有益な情報につながることもあるのに、大半は、少数派は黙ってろ!という意見で炎上してしまって、ご本人は何故自分が欲しいものを言ったらワガママだとか責められなくてはいけないのかと、世の中の理不尽さを嘆いておられました。

みるきさんのように、問題の本質を見つめて、『こういう方法もあるんじゃないか』と言える人が少数で、大半が『一人のワガママのために変える必要はない!』と言い切る……世の中、どうなっちゃってるんでしょうね。
何だか、生きにくさを感じている人がたくさんいて、どうにもならない怒りを、誰かにぶつけたくて仕方ない、と思えます。

全然見当違いじゃありません!

やはり、みるきさんの目線は鋭い!と改めて思いました!

>ココチさん

今回は、私が誤解を招くような発言になっていたようですね。
ココチさんのことを否定したかったわけではありません。
定型の方から見える発達障害者の生きづらさというのは、多分イメージできないものですよ。
でも、きっとそれはお互いさまだし、他の要素で生きづらさを抱えている人のことは発達障害者でも、定型でも分からない。

それを突き詰めていけば、所詮他人のことなどほとんど分からない。
だから割り切った方がいいし、その気持ちの線引きにやり過ぎということは無いと思うということです。
割り切ると、見捨てるというのは、全く別のことなので、割り切ることが人間関係を冷たくすることはあり得ない。
逆に熱い視線でとことん観察することもあるはずですから。

最初、ココチさんに『空恐ろしい』と思われたことに対しての、私の言い訳です。

それでどうして、ココチさんがご自分を卑下されているのか、全く分かりません。
ココチさんも割り切ろうとされているのはよく分かりました。でも微妙な違いがあるんですよ、と言いたかっただけです。
けれど、私の発言がそこまでココチさんを責めているように感じられたのは、どうしてだろう?

これは、アスペの方の発言が意図せずに定型を傷つけてしまうのと、同じようなメカニズムかも?

ココチさんがどの部分に責めるような感じを受けられたのか、教えていただけると助かります。

Re: 発達障害とトラウマ
  • ココチ
  • MAIL
  • 2016/10/04 (Tue) 00:03:13
あすなろさん、

かみ合っていなーい。

あすなろさんから、責めるような感じを受けたって どこにも言ってなーい。

自己卑下って、そのあと 東京芸大の先生から感性をほめられたっていうことを言うための、クッションみたいなもの。
わたしは 自分のこと とても気に入ってるんですよー
ステレオタイプから入ることが少ないところとか⬅ ここに注目してほしかった

その他の点も、おんなじことの繰り返しになってるー
わたしが書いて来たことのうち「空恐ろしい」と言う言葉だけが 届いたのかと思うくらい。⬅書いたこと 無駄だったんだろうね。



たぶんADHDからではなくて、後者から来てると思う⬅わたしが ここまで割り切るのはよくよくのこと。
THE 定型でも、同じような人がいるから。
あすなろさんがご自分で言われていたような性格と、後者が合わさった人の特徴だと思う。
ここは、似たような人の集まりと思う。(全員ではないかもしれないけど)
福祉系の仕事やボランティアをしているグループで、 目立っている人たちに よく見かけるタイプ⬅わたしがここまで言いきるのはよくよくのこと
すごく面倒見がよくて 根がかなり頑固⬅わたしのことはたいして関心がないんだろうけど、自分のことには すごく関心があるんでしょうから、このコメント全体で、このことばだけが記憶に残りそうね。このブログで、わたしが書いて来たこと、きれいに忘れているものねー
なので 読者の誰かが 何かをつかんでくれることを願って おいとまします。
Re: 発達障害とトラウマ
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/10/04 (Tue) 00:15:00
あすなろさん、こんばんは。
10月2日8時29分33秒に投稿された内容を読ませて頂きました。自分が本来持っている性質と、ADHDの特質が真逆の場合、、、というお話でしたね。それが、そのさらに10日ほど前に記事<共通部分の模索>にあすなろさんがコメントされていたことと重なるようで面白いと思いました。

>そう!ADHDって、感情が激しいんですよね
>最近、もしかして定型よりもアスペの対極にいるのは
>ADHDなのかもしれないと思っています。
>それじゃ、両方持っている人は何?と言われてしまうと
>分からないんですが。^^;
(2016年9月22日(木)11時19分投稿)

の部分です。
私はアスペルガーでありながら、ADHDももっています。まさに真逆の性質です。どちらも障害としては軽い方だとは思いますが、相反する特質を一人であわせもっているのですから、それなりのストレスも感じているのです。とはいえ、両方持っているということが、時に私の助けにもなっているのです。というようなことをこのコメントにお返事しようかな、と思って10日も過ぎてしまったところでした。

私の特質のほんの一例ですが、アスペルガーの私はモデルルームの様な「キチッと片付いたきれいなお部屋」で暮らしたいと、心の底から思っています。でもADHDの私は整理整頓ができないんですね。そのジレンマたるや、ただ事ではありませんでした。毎日汚い部屋で過ごして、慢性的に気持ちが悪かったのです。

私が自分の障がいに気が付いたのは30代の半ば頃でした。いつも何かに取り組むときに、どうしても集中が続かない原因の一つは、整理整頓ができていないということにあることはわかっていました。だから何とかしてこの荒れた部屋を少しでもきれいにしなくてはならない、と思い始めました。
そこで全開させたのが私のアスペルガー的特質でした。課題の計画をきっちり立てて、実践し、反省して、次回の方針を立てる、というサイクルを作り、5年ほどかけて何とか快適に過ごせる部屋を維持することができるようになりました。と言っても、普通の人にとっては特にきれいな部屋というわけではなく、ましてやモデルルームとは程遠いものでしたが。普通に床が見えて、それほどあちこち物を探さなくても良い、という程度には片付いたわけです。それだけでも、私がもし、ADHDだけの人だったらできたかどうか・・・、疑問です。
アスペルガーの私がADHDの私の先生役になって、一人カンファレンスを続けながら、曲がりなりにも成し得た課題でした。

あすなろさんがおっしゃりたかったのは、もう少し内面的な問題だったのかもしれませんが、私はそれを生活編として捉え直し、ご報告してみたくなりました。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/04 (Tue) 07:12:23
>ココチさん

私は、ココチさんって独特の人生を送っていらっしゃる人だなというのは感じました。
だからこそ、やっぱりココチさんがどういう方か、はっきり分からないので、ココチさんの生き方についての言及は避けてきました。
これが割り切りなんですけど、ココチさんには『どうでもいい』と取られてしまうのか……。

ココチさんが『割り切るのはよくよくのこと』

もう、ここが違うんですね。
ココチさんは、割り切られると、ご自分を無視されたと思われてしまうのかな?
私は下手に判断が出来ないことは下手に判断しない=言及しない、と決めている。

そもそも、私が言いたかったことは、ココチさんがおなじかどうかではないし、同じとは思わないし、他の誰かも同じとは思わない。

ただ、割り切らなくてはいけない事情には、『障害との闘い』があったということを知ってもらいたかっただけです。

ココチさんのことはどうでもいいわけじゃなく、どう結びつくのかが分からないということです。

とはいえ、ココチさんの生き方は、すごく独特で興味があるなとは思っています。私なりに『こういう方かな?』というのはあるけど、もう少し具体的にお話していただかないと、判断は出来ない。それほど不思議な方だなと感じていますので、個人的に興味はありますね。

それは最初の議論とは違うので、分けて考えています。


>ガーディナーさん

それ、知りたいところでした!
ある程度予想はしていたんですが、やっぱりそういうやり方もあるんですね!

なんか、便利なような、でも自然と中庸にならない苦労が半端ないというか……。
我が娘もミックスなんですけど、なぜかリビングには娘のものが山積みなのに、自分の部屋は超整然……。

それは違うだろ!!と思います。

大人になると、どこにポイントを置いたら良いかがわかってくるのかな(笑)

Re: 発達障害とトラウマ
  • ココチ
  • MAIL
  • 2016/10/04 (Tue) 07:42:21
補足です

5つ上のコメントは(おはようございます、のコメントは)

「・・(わたしは)ステレオタイプ的な結論から入りにくいのが特徴・・だから わたしが何かを単純に分類しているように見えるとしたら 話の便宜上 分かりやすくするために その時はそうしているだけで、いつもそう思っているわけじゃないってことは 日頃の言動をみてもらえばわかると思う。
内心までも かなりはっきり線を引く時は、わたしの場合 もうよくよくのこと。」⬅あすなろさんが目指しているのと同じ(あすなろさんは、わからないと早めに割り切る。わたしは わかった と遅めに割り切る)

ここが肝で、これが 伝われば あすなろさんは、これまでずっとわたしに見当はずれなことを力説して来た、というご自分の滑稽な姿に気がついて恥ずかしくなるだろう。みんなも見てる中だし。
と思ったから その前後に クッションになることば(立てることば)を入れたのです。


そうしたら 傷ついている、と受け取られるとは・・恥かしい思いをさせないように配慮するとこうなる。

わたしがこんなことで 傷つくような人じゃない、っていうことがわからないということは、これまで わたしの話をよく聞いたり、わたしをよく観察したりして来なかったって証拠ですよね。
わたしが もめたり 炎上したりしにくいのは、よく聞いたり 観察したりする方だからだと思う。
それなのに、あすなろさんが わたしに よく話を聞く、観察する、ステレオタイプで見ない、と一生懸命教えてくださるのは、気持ちはわかるけど、滑稽な姿なんです。
そこを 晒し者にしないように気をつけて書くと、仰天な誤解が起きてしまう。

それで、次のコメントでは あえてストレートに書いてみたのです。
でも 比較的短かかったので、過去に短いと誤解が起きたことを思い出し、これを書いています。
これも あえてストレートに書いていますが、感情的になっているわけではありません。
わたしが 傷つきやすい人で、傷つくと思わず過敏に反応する人だったら、もうとっくに何回ももめていたでしょう。ここに何年も来ていますから。(もちろん もめることが必要な時もあるのはわかっています。わたしも あえてはっきりいう時もあります)
そこを を観察してくださっている方なら、短いコメントでも ステレオタイプな解釈はしないので、わたしもこれを書く必要はないのですが、そうじゃない方が多いんでしょうね~。

それで、ここは似た方が多いですね。とあえて書きました。
みんなとおんなじだから、ということでそれでいいとは限らない。
多数派だとやりやすいけど、多数派の定型はこれだからなあ、て みなさん 繰り返し指摘してきましたよね。
似た人たちと いつも親しくしていると、いいところも 悪いところも増幅される。そしてそれに気づきにくい。

だから、「すごく 面倒見がよくて 根がかなり頑固」という特徴をあえて挙げさせてもらいました。マイノリティーからの指摘として、物差しの一つにされるかどうかは もちろん あなたの自由です。
(「福祉系の仕事やボランティアのグループで、特に目立った人に多いタイプ」とあえて書いたのは、ここに来ているそういう背景の人がそうだ、と決めつけているわけではありません。あくまでも一般的な話です。ここを読んでいる人たちの中に、そういうところと関わりを持つ人たちがいると思ったからです。そういえば あすなろさんも、福祉職には変わった人が 一般社会より多い、とおっしゃっていました。しかも、自分は正しい、と思い込んでいるんですよね、と。つまり頑固)

わたしがマイノリティーだというのは、のんびりした性格で 前者だからです。
これをあえて書くのは、発達障害と そうじゃない人の違いではない、ということを強調しておきたいからです。(あすなろさんの、現在のマイブームは、発達障害のない人には 発達障害の人のことがわからない、なので すぐにそっちに話が行ってしまうと思って。でもわたしは よく聞き、観察し、考えたうえで、ついにこう割り切ったのです。「前者 後者問題」の信者 というわけではありません)

ここに集っている方たちは(全員ではないかもしれないけど) コレっと思ったことを 一途にかけ抜けていくのが性に合っているんでしょうね。それぞれ とても有能なところがあって。人を求める気持ちが強いので 影響し合う。ただ 柔軟性にかけるところがあるので、良きアドバイザーが必要。
自分と違うタイプの中に、信頼に値するアドバイザーを見つけることができるかどうかが大きいのだとおもいます。
そういう人を見つけ、可愛いと思われてる人には わたしはなんにも言うことはありません。

今後 わたしのような人がここにくるかは分かりませんが、そういう時があったら、わたしの言葉を見返してみてください。

あすなろさんとやり取りしたおかげで、「恥ずかしいはなし」と、ここのスレに まとまってわたしのコメントがのりましたので参考にしてください。
ブログは 読み返せるからいいですね。パンダさんは 気まぐれに消してしまうような方ではないので安心できています。

もう これだけ書けば、大きな誤解は出ないでしょう、と思っておいとまします。さようなら。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/04 (Tue) 10:27:13
>ココチさん

ココチさんは、ご自分のことを話されたことはほとんど無いと記憶しています。ご主人との折り合いの仕方くらいかな?
私はこんな経緯があって、こんな生活をしていますということを、ここで話された記憶が私には無いのです。
もしかしたら、過去にずっと話されていたかもしれないけど、そこまで見返す余裕が私にはありません。

対して私は口が軽いので、家族のことや仕事のことをこちらで開けっぴろげにしています。
だから、ココチさんにとって、あすなろ情報はたくさんあるわけです。

今回のやり取りを見ても、突然大学教授の話が出てきたり、ココチさんは芸術家なのか?
と突然の情報が多すぎて、私はそれを想像でしか出来ないわけです。

これまでどのような時に書き込まれていたかを見れば分かるというのは、少々乱暴ではないでしょうか?
これだけたくさんの方が書き込みをされているのに、一人の方の書き込みのタイミングを見て、私はこんな人ですよ、とわかって欲しいというのは。

はっきり言って、私はココチさんがどのような人で、どちら側にいるのかということは、問題にしていません。
途中から、ココチさんに言っているのか、全体に言っているのか、混乱するような書き方をしてしまったことは、私の大変なミスだったと思います。
ステレオタイプの人の話は、社会全般のことを言っていますし、ココチさんも最初のコメントで、私はそういう見方をしたくないとおっしゃっていたのはわかっています。

ただ、そういう見方をしたくないとおっしゃっているココチさん本人が、アスペ定型の問題を、前者、後者の話で判断されようとしている。
私は、発達障害というもの自体が、自分をこっち側あっち側と分けることの出来ない複雑なものであるということを分かって欲しかったのです。

定型にはこんな苦労はわからないでしょうね?
ではなく、
定型の方が考えているような基準で説明のつくものではない
と言いたかったのです。
自分自身でも、自分をどうしていいのか分からない人も多いです。

だから、ココチさんがご自分に絶対的自信を持っていらっしゃるのは、眩しすぎるくらいなんですよ。

私は、ココチさんがご自分を本心で卑下されたとは全く思っていません。

あすなろから見たココチさん像は、そうかもしれませんね、と言われたことが不快でした。
私は人をそういう風に判断する人間だとココチさんに思われたということですよね。
さらに、その後の書き込みでは、私という人間を限定し、ここに集まってくる人たちを限定している。
めったに割り切りませんと言われながらも、最初からそういう偏見があったということになるのではないでしょうか。

同じ側の人間ですよ、とか、違う立場ですよ、と主張すること自体が矛盾していると、私は最初から言っています。

ココチさんが私と同じか、違うか、そんなことは問題じゃないし、どの人にとってもそれは問題じゃない。

だから、ココチさんが何を主張されたいのかが分からないのです。

ココチさんがステレオタイプで物を見ないことと、他のステレオタイプで物を見ない人がいても、その部分は同じであっても、全く感じ方が違う。

だから簡単に同じ側にいるとは言って欲しくないし、同じ側って、そもそも何?と思います。

私との議論のはずなのに、他の方の傾向までひとくくりにして、さようならとは、まさに全てを一緒くたにして判断した結果ですよね?

私はこの掲示板の他の人たちとも、全く別思考をする人間だと思っています。
だから、他の方たちの代表みたいに思われたらバチが当たります。

私はその違いを発見するためにここに来ています。

なんか、前田敦子さんのあのセリフが浮んで来てしまいました!

>あすなろのことは嫌いになっても、この掲示板のことは嫌いにならないでください!!

そもそも、あっちゃんは、AKBの一員だけど、あっちゃんがAKBの代表じゃないから!!

まあ、あすなろも、単に目立っちゃっているだけで、孤立した人ですから。

あっちゃんと比較するなんて、あすなろ、どんだけ図々しいんだというツッコミは置いておいてください!
Re: 発達障害とトラウマ
  • みるき
  • 2016/10/04 (Tue) 10:50:19
ココチさんへ。

こんにちは。
「おいとま、さようなら」に反応して来てしまいました。
も・・もしかして・いなくなっちゃうとか、もうこない・・とかですか?
それとも私がよくやってる「出て行く詐欺」の親戚ですか?違いますよね・・きっと。ココチさんはそういうことをされる感じには私には見えません。

もしかすると本当にこれで最後なのかな?という気もしなくもないので、ちゃんと今までお世話になったお礼をさせてください。

何度もここぞというタイミングで助けていただきました。確かにあんまり長い文章ではなかったけど、そのタイミングとかコメントのメッセージ性とかに私は何回も救われたし、ココチさんのおかげで救われた方は他にもたくさんいらっしゃるんだろうなと感じます。
それは、ココチさんがよく人を見ていらっしゃる方だからなのだろうなと思います。
本当にありがとうございました。

追伸:アスペの私としては去る人は追わずに見送るのが誠意だとも思う部分もあるので実はこれを書いてるのはアスペ的には不安もあります。でも自分の感情としてはココチさんにはとてもお世話になったのだからという気持ちの方が強かったので余計なことかな?とも思いましたが書かずにはいられませんでした。余計なことだったら申し訳ないですが、本当にお世話になりました。ありがとうございました^^!
Re: 発達障害とトラウマ
  • ガーディナー
  • MAIL
  • 2016/10/07 (Fri) 23:48:34
あすなろさんへ。

こんばんは、ガーディナーです。忘れた頃に失礼しますね。
本当はすぐにでもお返事したかったのですが、ココチさんとあすなろさんが、とっても手大切なお話をしていらっしゃるときに、全然違う話でお邪魔をするのもなんかなぁ・・・、と思っているうちに今日になってしまいました。
というか、前回の私の投稿も、見事にバットタイミング!お二人の真剣なやり取りを中断したことにすら気が付かない鈍感さは、もはや「アスペだからしょうがない」とかそういう問題ではないですね。しっかり反省しましたので、お許しくださいませ・・・。

ところで、例のアスペとADHDが同居しているミックスの話です。あすなろさんがお嬢さんのことをこんな風に書かれていましたね。2016/10/04(Tue)7:12:23
>我が娘もミックスなんですけど、
>なぜかリビングには娘のものが山積みなのに、
>自分の部屋は超整然……。
>それは違うだろ!!と思います。

いや、違わない違わない。お嬢さんは偉いです!
正にミックスの王道を歩く人ですね。私も見習いたいくらいです。

さて、ミックスを3つの状態に分けてみました。ABCです。

Aは、甘みその胡麻和えです。
味噌はそれだけでなめるととても辛いですが、
中にお砂糖やみりんを和えると辛みと甘みが中和して、
さらに胡麻が応援に駆けつけてくれて、とってもいい味が出ますよね。
五平餅なんてご存知ですか?
もしかしたらこれ、うちの地方だけかもしれないですね。
好みによって甘みと辛みのバランスを変え、
それが何とも言えない個性となって現れます。
絵具で例えたら、赤と黄色で濃淡様々なオレンジ色を作る楽しみのような。

Bは、マカロニグラタンとお刺身です。
どっちもとっても好きだけど、一緒に食卓に並べるには具合が悪い。
せめて、白いご飯があったらな、とか、コーンスープが飲みたいよ・・・、
なんて、せっかくのご馳走なのに、なんだか悲しくなったり、
組み合わせの不幸を嘆いたり・・・。
絵具で言ったら、きれいな赤ときれいな緑を合わせのに、
思いがけずに真っ黒になってしまった、というような。
不意に訪れる混乱状態から体が固まることも。

Cは、お抹茶とケーキかな?
本来、お抹茶には羊羹、ケーキには紅茶、というのが正しいと言われている組み合わせです。でも、そのミスマッチを楽しみましょうと敢えて同じテーブルに並べてみる。その場合、ミスマッチを前提に置くのだから、間違っても、相手と融合しようなどとは考えない、ケーキを口に残したまま、お抹茶を飲んだりしない(あれ?意外に美味しいかな、書きながら矛盾を感じています。でもスルーして)。色で言ったら、トラの模様です。お互いの領域を侵さないように細心の注意を払いながら黄色と黒が整然と並ぶ様子を想像してください。あすなろさんのお嬢さんはまさにCですね。リビングは黒、お部屋は黄色と、当然のように並立している。見事です。


では、ABCのうち、どの状態が望ましいかということですが・・・。

もちろんAのようにお互いの要素が喧嘩もせずに、程よく中和されているという状態が一番いいとは思いますが、でもそれでは普通の定型と変わらなくなってしまいますね。そう簡単に定型にはなれません。

Bの状態が一番苦しそうですね。でもまあ、どんな状況でも、受け入れようと思えば受け入れられるわけで、インターナショナルなメニューを味わったり、黒の深みを楽しんだり、気は持ちようかもしれません。

Cの状態は、どうでしょう。両者の個性を、お互いが侵すことなく、そのままの色で輝くことができる。一人二役はハードだけれども、これこそ私たちミックスの理想像だなと思います。先は長そうだけれど、目指してみるのもいいかもしれないと、身の程知らずにも思っています。


「ADHDだけの人ってなんか毎日楽しそうで良いなあ」とか、
「アスペだけだったらもうちょっと落ち着いた生活が送れるのになあ」とか、
いろいろ考える時もあります。
でも、よく考えてみれば、ADHDとアスペ、
そのどちらがなくなっても、私が私ではなくなってしまうので、
大変だけど私はこのままで良い、これで手を打とう!と思っています。
Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2016/10/08 (Sat) 09:07:16
>ガーディナーさん

いえいえ、ココチさんとのやり取りは、結局、私がココチさんのおっしゃりたいことを理解できずにいたので、あまり続けない方がココチさんにとっては良かったようです。ガーディナーさんのお話と、どちらも興味深く拝見していましたので、大丈夫ですよ。

時々、感じるのですが、他のスレで議論が白熱している時、何で他の方が遠慮しなくちゃいけないのかな?ということです。
ここは、1つの会議場ではなくて、それぞれがそれぞれの部屋で会議しているのが、たまたま中継で繋がっているだけなんじゃないかと。
みるきさんが、何か議論が始まると、それで書き込みたくても書き込まない人が出てしまうと言われていましたが、それは違うんじゃないかな?
そうなってしまったらいけないんじゃないのかな?と思うんですよね。
議論している側が自然と他の方の口を閉ざすような形を強いているとしたら、議論していることで他の人が書き込まない状態を作る加害者になってしまうようなものですから。
かえって、ガーディナーさんが遠慮されると、そういう事態を強調してしまうように思います。
(いつも出しゃばっているくせに、どの口がいう!ですよね……反省)

3つのミックスの話!
例の出し方が、ガーディナーさんらしい!
どこからそんな発想が生まれるのか、感心してしまいました!

でも、すごくわかりやすいです。

なるほど。みんなそれぞれ、合わないようでいて、微妙なバランスの違いで、上手にミックスされている。
3番目の、抹茶にケーキは、最初『?』と思いました。
最近は、そういう喫茶店多いですし、実際、この夏、娘と古民家カフェに行って、冷抹茶とロールケーキを、美味しい美味しいといただいたことがあったので!
そういえば、少し前まで、抹茶にケーキなんて、考えられなかったんですよね。今では抹茶味のお菓子が大ブームなので、感じなくなっちゃったんでしょう。
なら、ほうじ茶にケーキはどうか?
なんか、これももうブームが来そうな気がします。

味噌ダレも、最初は味噌に砂糖を入れるなんて!と思った時代もあったでしょうね。
私は幼い頃、味噌田楽の味噌が甘いとは思っていなかったんです。(味覚障害というより、思い込み)それでただの味噌を付けてみたら、不味い!大人になって、ようやく砂糖が入っていることを知って。同じく煮物やうどんつゆに砂糖が入っていることも教えられるまで気付きませんでした。
外国人は、デザートじゃないものに砂糖を入れる日本人は不思議みたいですね。
うどんなども、甘ったるく感じるらしい。

これ、時代と地域の違い、すごく影響あると思いませんか?

もしかしたら、グラタンの上に刺身を乗せて食べるのが流行って、何年後かには、普通に食べられているかもしれません。
日本食ブームの昨今、世界のどこかでは間違った日本食として食べられていそうな気もする!

まさに、共同幻想は、どうにでも変わっていく、ってことですよね。

アスペとADHDのやり方も、普通になる日が来るかもしれません。

ガーディナーさんの事例が面白くて、脱線しまくりました!(笑)

うちの娘も、きちんと片付いた自分の部屋が心の拠り所だから、いいのかな?
実は片付いているのは、理由がありまして。
好きなキャラクターのポスターとフィギュアを汚したくないのです!ちょっとした展示室です。
それで、ほとんどその部屋ではゲームをしたり遊んだりしません。あ、勉強もほぼ、他の部屋でやっている!
あれは、やっぱりギャラリーとして使い分けているんだ!(←今、気付いた!)時々、ギャラリーを眺めて精神安定を図っているんですねー!

兄はシンプルなアスペですが、妹の行動はあまりにも動機がはっきりし過ぎていて、理解できないそうです。
将来が心配だと言っていました。(私より、本気で心配している)
私の行動も、よく注意されるので、彼にはADHD的行動が、本当に理解不能で危なっかしく見えるんでしょうねー!
特性の違いがよく分かります。
Re: 発達障害とトラウマ
  • みるき
  • 2016/10/29 (Sat) 10:24:58
ココチさんへ^^

こんにちは。ふらふらと散歩していたら急に思い立ち急に行動するみるきです(笑)。
ただただ思いついたことを伝えたいだけーという至ってココチさんには迷惑なお話です^^

以前から何度か私にはココチさんが「お花」に見えるようなイメージがありました。(はー何言ってるの?という感じです^^;)
それでずーっと気になってはいたんですが、いかんせん私のほうがあまりにもお花に造詣が深くないものでこれといって名前が浮かばなくてもやもやとしてたんです。
先日ちょっとふと思い立ってイメージに合うお花を調べてみました^^そうしたら、結論から言うといっぱいありすぎてなにがなんだか分からなくなってしまって迷走してしまいました・・。
しかも、それぞれ花言葉とかその他色々難しくて私にはとてもじゃないけどさっぱり分かりませんでした。(情けないよーうわーんとちょっぴり心の中で残念でした)こちらにお花に詳しい方がいらっしゃったらそれこそ苦手だったはずの「相談」をさせて欲しいくらいです!(まあ、本題と全く関係ないから難しいけどね^^)

そうじゃなくてーそうじゃなくてですね。←独り言(笑)

私の中ではココチさんはとても気品があって、優雅で、控えめな優しい美しさ、っていう単語とローズピンクっていう色のイメージが浮かんでいます^^
(実はそこから、ローズかー薔薇ね!→薔薇の色とか花言葉調べる→なんだかよくわかんなくて困惑→く~なんて奥が深いんだー分からないじゃないかー→残念だけどせっかくのお花を贈りたい作戦は今の自分の力量ではとてもじゃないけど無理だ・・→がっかりしたけど仕方がないからおいおい機会があったら花屋さんにでも教えてもらえばいいかーまあ分からなくても死にはしないしなーとお気楽に戻る→今現在みたいな感じです)

こちらには、とても色々な方がいらっしゃって沢山の素敵な色や形や音があって、世界があって、見ていてとても美しいですが、ココチさんと同じ色は2つとしてないので、そろそろまた戻ってきていただけると嬉しいです!
いるだけでそこが華やかになるような品格高いとても綺麗なローズピンクなのでまたお目にかかれると幸せです(ほんわか)
それに、私がよく人様から言われる青だとするなら、ピンクは近すぎずでも遠すぎないとても相性のいい素敵な色合いです。暴走しすぎる私にはほどよい距離で見守ってくれるココチさんのような方が必要です。
それに、(それにそれに言ってますね(笑))ココチさんは非常に冷静で博識な方に見受けられます。そしてなんといっても素晴らしいバランス感覚をお持ちです。公平に見極める目をお持ちで全体のバランスをとることにとても長けていらっしゃいます。今、こちらにも公平な方もバランス感覚の長けた方も大勢いらっしゃいますが、アスペと定型として考えた場合、アスペと名乗っている側にも定型と名乗っている側にも双方バランスよく同じものを見ることのできる人が同程度必要に思えます。

お仕事のお話もされていらしたのでお忙しいかと思いますが、もしもまだこちらをご覧になっていて、ココチさんがご迷惑でなければまた戻ってきてお力をお貸し頂けるとありがたいです。

それにここはおいておいても(←ほんと自己中な私^^;)私はまだココチさんから学ばせていただきたかったことが沢山あったので帰ってきていただけると非常に助かります。せっかく、書き込むタイミングとか表現方法とか勉強してたんですから~!^^

あーすっきりしたー(まったり)
急にそれが言いたくなりました。

まあ無理なものは無理なのでそれはそれで諦めるのであんまり深く考えることもプレッシャーに感じることもないので気が向いたらまたお話させてください。
それではー。ほんとにありがとうございました^^

また散歩でもしてきます



追伸:みなさーん!(ココチさん以外のここにいるみなさん)なんだかおかしなタイミングでやってきて、かなり場違いな感じがものすごーくするので戦々恐々としていますが空気読めなくてごめんねー^^;
いそいそとまたお散歩に帰りますね。
じゃあまたー^^
Re: 発達障害とトラウマ
  • やっぱりおかしい
  • 2017/01/14 (Sat) 15:21:42
ココチさん

上の立場にいる人や変化を拒絶するのは定型ではなく、発達の方だと決めつけて非難するあなたの方が疑問です。
確かに上に立つ発達の中にはそういった人もいるのは否定しませんが、定型だってそんな人は沢山います。あすなろさんは定型のみを非難したわけではないでしょう。
あすなろさんは事実を言っただけです。
yasuさんもあなたも守りの姿勢になって、あすなろさんを悪者にしたいだけでしょう?
そんなに定型優位の社会を守りたいんでしょうか。

改めて言わせていただきます。

独善的で滑稽、自分が正しいと思っているのはあなたの方です。
むしろあなたのような頑固な方が福祉関係のお仕事をなさっていることが恐ろしいです。
その無自覚さで、今まで様々な利用者さんを傷つけてきませんでしたか。私ならあなたのような支援者は願い下げです。
福祉関係者として失格です。

あすなろさんは独善的で自分が正しいと思っている人だとは感じません。そう感じるのはあなたか少数派に対する偏見が強いからです。
あすなろさんはむしろ視野が広くて、的確に物事を見て、人の気持ちを察して動ける人だと感じます。
福祉関係者として向いてるのはどちらか?それは言うまでもありません。
私ならあなたのような方より、あすなろさんのような方に福祉関係者として支援していただきたいです。

利用者でも立場のある意見として言わせていただきます。
Re: Re: 発達障害とトラウマ
  • あすなろ
  • 2017/01/16 (Mon) 08:06:07
>やっぱりおかしいさん

ココチさんは、そのような事はどこにも書いてませんよ。
私もマイノリティの1人です、という主張をされていたんだと思いますが、私がそれと発達障害の人が抱えるものと違うというような書き方をしたので、歩み寄りを拒絶されたように受け取られたんじゃないかな?
また、憶測すると、おかしなことになるので、やめておきます。
ちょっと、私には理解できない内容だったというだけです。

しかし、やっぱりおかしいさんの解釈は違うというのは分かります。
どこからそういう解釈になるのかが不思議ですし、そう思い込んで定型から攻撃されたと思い込んでしまうと、ご自分が苦しいのではないかと思います。
過去のやり取りはもうご覧にならない方が良いかもしれませんよ。
とくにやっぱりおかしいさんが直接関わっていないものに関して、議論しても、余計に誤解が生じておかしな方向に行くと思います。
Re: 発達障害とトラウマ
  • やっぱりおかしい
  • 2017/01/16 (Mon) 13:49:23
私はあすなろさんに対する非難と中傷としか取れませんでしたが、あすなろさんがそう仰るなら。


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