ASDの方にお聞きしたいのですが。(その2)
  • あすなろ
  • 2015/03/05 (Thu) 09:34:23
連続ですみません。
お陰さまで前回からASDに対する誤解が少しずつ解けてきたので、またさらに疑問を持っていることをお伺いしたいのですが。

AS-Pさんのスレにも関連するのですが、私の家族にも、問題が起きた時に、私は長期的な繋がりから判断し、アスペの家族はその場その場の対応をするために行き違いが生まれることがわかりました。

そのことに関して、AS-Pさんのところに書かせていただいた息子の例で考えると、テストを控えた大事な時期に、今にも雨が降りそうなのに天気なのに、レインコートを持たずに自転車で登校した。大雨が降り出し、ズブ濡れになって、風邪をひいた。ちょうどテスト当日に熱を出してしまった。我慢して受けたが全くできなかった。進路決める大事なテストで成績が落ち、今後が不安。
ということがありました。

私としては、先ず天気予報も確認せずに飛び出していったことが発端と考えるわけですが、息子はテスト前で緊張して熱を出したと言い張ります。

次のテスト前に、やはり同じシチュエーションがあり、テスト前に熱を出したら大変だからレインコートを着ていくように言いました。
しかし息子はそれが原因ではないと言い張って私の助言を拒否。結局また濡れていき、前回ほどではなかったものの、体調を崩しました。

AS-Pさんのお話から察すると、前回のことと、現在は別物である。と息子は思っているのでしょう。
さらに、天気予報→体調→テストの不出来の因果関係があまりにも飛び過ぎて結びつかないということも考えられます。
しかし、明らかに因果関係があることは、私からは分かるので、何とかしたいわけです。

AS-Pさんが、忘れてしまうとおっしゃっていましたが、忘れてしまうということは、本人も確信が持てないということですから、相手の判断に従ってみようという気になれないのは、何故かなと思うのです。

息子からはある意味、意地のようなものも感じられます。
または、他人(家族であっても)への強い不信感とも取れます。

そして、この傾向は夫や娘にも見られます。
娘などは、本当に幼い頃から、友達の言動が自分を傷つけると言って泣くのですが、よく聞いてみると、娘のことを褒めたり、好意的に接しようとしてくれていたことを、娘が誤解して……ということが大半でした。

幼い頃からなので、他人、または外部のものに対する不信感、恐怖感というのが、本能としてあるのかな?と思ってきました。

この過剰な不信感が、本来なら味方となる人も敵に回すような事態も生みかねない、また回避できる危機も回避できないと、見ていて思うのです。

ASDの方で、我が家の家族たちの気持ちが分かるという方はいらっしゃるでしょうか。
それに対して定型的な私が感じている危機をどう思われるでしょうか?

思い当たる方がいらっしゃれば、教えていただきたいと思います。
Re: ASDの方にお聞きしたいのですが。(その2)
  • あすなろ
  • 2015/03/06 (Fri) 20:58:57
>にわとりさん

具体的な方法を考えてくださってありがとうございます。
すごく的を得ていて、先輩ママに相談したのかと思うほどです。(笑)

これを書いてから、自分自身で「あれ?矛盾していないか?」という疑問が生まれてきました。
私の考えた因果関係は、果たして真実か?ということです。
例え雨に濡れたとしても、風邪をひかないこともある。
風邪をひいたのは、息子がテスト勉強で疲れていて、その時たまたま濡れてしまったということも考えられますね。
結局、真実はわからないけど、私は自分の予測が正しいと思い込んで息子に強要したことになるのでしょう。
息子からすれば、勝手に憶測されて、混乱するのは当たり前ですね。
にわとりさんのおっしゃるように、ただ雨に濡れないためにレインコートを着て行きなさいよとシンプルに伝えるしかないし、真実はそれに尽きます。

定型は、少なくとも私は、どうやら自分の経験から限定されたパターンを想像し、それを真実と思い込んでしまう質があるようです。
そう考えてみると、もしかしたら定型の方が視野が狭いのかもしれないなと思えました。
アスペの人は、物事がそんな単純なパターンで出来ていない、その人の経験の範囲で想像できることは限られていて、それ以外の無限のパターンがあることを、漠然とであっても実感している。
その逆で、定型は、自分の経験の範囲で、未来のことも限定したがる。それ以外のパターンが存在することを認めたがらない。

それが、見える範囲で物事を処理することに意識を向けるアスペと、これまでの経験すべてから、未来までも想像しようとする定型の違いなのかもしれないと思えます。

そんな視点を持った時、娘がどうして相手の好意に嫌悪感を抱くのかも分かるような気がしてきました。
相手が褒める、こうした方がいいよとアドバイスをくれる。それはいくら善意であっても娘の印象や可能性を限定するものとも取れます。
相手の感情まで察することが難しいとすれば、相手からのコンタクトは、負の感情から来ても、正の感情から来ても、余計な干渉となってしまうでしょう。

そうなれば、にわとりさんのおっしゃるように、根気強く相手の好意を説明し続ける必要がありますし、それでも娘の中に浸透するにはかなりの時間が掛かるといえますね。

息子に対しては、幼い頃は「直接対決を避ける」ということを意識してきました。
今回のレインコートと同じことが起きたときは、本人を説得することはせずに、にわとりさんのおっしゃるような、レインコートの予備を用意するなど環境を整えることを重視してきました。
しかし、もう大人に近くなり、そろそろ社会に出て行く時期が近づいて、本人に一度した失敗を振り返る意識を持って欲しかったのと、社会人になって、例えば上司からの助言を素直に受け止められるようになってほしいなという願いもあり、直接対話することを心がけていたんですが。

どうやら、これは定型的に限定した考えだったようです。

ただ、社会は、特に上下関係のあるところは、定型的観測から、限定された予測を押し付けられてしまうことは、非常に多いでしょうね。

アスペの方がそういう関係の中でストレスをかかえてしまう原因も、この視点からもひとつ説明できるような気がします。

もしかしたら、自分の視点を保ちつつも、うわべでは分かった振りをする、ある意味不誠実な対応が、ひとつのテクニックとして必要なのかもしれません。


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