無題
  • にわとり
  • 2015/06/22 (Mon) 11:04:04
パンダさん

人様のスレだったので、こちらに書かせて頂きました。

>憎しみはさらに状況を酷くさせる

努力してもできないことを馬鹿だからできないとの一言であしらわれたり、障害を言い訳にしてるなどと言われ、見下された態度や酷い仕打ちを受けた場合。
相手が誰であっても優しく、穏やかに、友好的に接しなければならない。
相手が許せないと思うとさらに状況を悪くさせるだけだということですよね?
正論なのかもしれませんが、見下してきた人達に心を広くできません。

他にもコミュニケーションが上手くできないのも原因にあると思いますが、本当に空気の読みようがないのです。
環境要因で変えられないとこだわりや決めつけてるわけじゃないです。
色々やっても空気の読みようがないんです。どうしたら良いのでしょうか?
私自身は間にジョブコーチの支援を入れるしか方法が思いつきません。


>必要な時には戦うが、戦い方を工夫する

法で訴える以外に何かあるのでしょうか?


質問ばかりですみません。

Re: 無題
  • パンダ
  • 2015/06/22 (Mon) 18:14:17
にわとりさん

ちょっと言葉足らずだったかも知れないですね。
相手が誰であってもということを言いたかったわけではありません。不当に傷つけられた場合には抗議する権利が誰にでもあると思います。
それににわとりさんがずっと書いてこられたように、少数派の苦しみはなかなか実感をもって理解されにくく、結果としてかるく見られてしまい勝ちです。多数派は悪意のあるなしに関係なく、多数派であることでどれだけ自分が守られるか、少数派の人にはどれ程脅威を与えられるかには気づけないことの方が普通だろうと思います。
ですからにわとりさんなりにギリギリまでの努力を続けてこられて、その上にさらに努力を求めるのはやっぱり酷だと私でも思えるんです。その努力は多分私の想像を遥かに越えていそうですし。

だから努力しろとは私は言えませんが、ただ工夫はしていけないかと思い続けています。もちろんその工夫が難しいことは承知ですが、でもそこは諦めたくはないんですね。他の皆さんも親身に考えてくださっていますし、そこは「努力」というより、気持ちを長く、じっくり考えていってほしいんです。

私の想像ですが、にわとりさんのコメントに反感を感じる方は、そのところで他の方が一生懸命考えて書かれたことについて、すごくあっさりと「それはだめ」と否定されることが多いと感じられているのではないでしょうか。にわとりさんとしてはご自分の感覚ではそれは違うと思われたから、正直にそう書いているだけということなのかも知れないのですが、そこは定型的な感覚では(?)「今はまだ分かりませんがもう少し考えてみます」とか、折角の意見にたいしてもうちょっと時間をかける姿勢を示してほしくなるのだと思います。そこがそう感じられない表現になってしまっているから、「自分のことばかり言って、人のいうことを聞こうとしない」という反発が生まれてしまうのでしょう。そんな気がします。

これは、差別的ににわとりさんに向かってくる人の話ではなくて、好意的に向き合おうとしている方や、そういうきもちでやりとりを見られている方のことです。差別的な書き込みについては削除することになっていますから、にわとりさんはそこはできれば無視して、ちゃんと向き合おうとされている方にはもうちょっと時間をかけたやりとりを心がけてはどうでしょう?

そういうやりとりの工夫は定型はよくやっていることですし(もちろんそれが出来ない方もありますが)他のアスペの方もそうされている方はいくらもいますので、アスペだから出来ないというより、そういうスタイルを学ばれたかどうかの問題が大きいのではないかという気もするんです。もしそうならなにか工夫があるかもしれません。



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