Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/13 (Tue) 00:45:06
にわとりさんに紹介いただいた精神分析のサイトについて、読んで考えた事などを書き込みます。
Kagewari精神分析相談所 http://kagewari.cside.com/kage01.htm
難解な文章なので、私自身のメモ書きも兼ねてます。従って、このサイト主さんの意見の代弁にはならないかも知れません。私の主観的意見もだいぶ混ざると思います。
以上を踏まえて、皆さんもどうぞご自由に御参加ください。あんまり堅苦しくないようにしましょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2015/10/15 (Thu) 08:08:13
wagewariさんのブログをまだ読んでいないのですが,よく,発達障害(など)は神経の問題なのか,心の問題なのかという議論の仕方に出会います。でも素朴に言って私はすごく不思議なんです。

たとえばこうやって文章を書いてますけど,これって心の問題でしょうか?それとも神経の問題でしょうか?神経が働かない心理の問題というのがあるんでしょうか?

意識しないけど神経は働いているということはいくらでもありますし,そうじゃなければ呼吸だって寝ている間に停まってしまいます(笑)。だから意識しない部分ならそれは「心ではない」とすれば,その意味では神経の話だ,ということになるのかもしれませんけど,でも「意識しない心(無意識とか)」みたいなことを言いだすとこれもまた訳が分んなくなってしまいます。精神分析ってたぶんそんなことやるんですよね?

という感じで神経だとか,心だとか,そのどちらだとか,そういう話ってどういう意味で言われているのかなあと,いつもよく分んないんです。私には神経のない心というのがよく分らないし,心の問題は全て神経の問題だといえなくもないけど,でもそうすると今度は「心の問題なんてない」という話になってしまいますよね。

じゃあ人と人の問題を考える時に神経の話で全部理解できるのかというと,それも変で,このやりとりだって,別に私は神経のこととしてやりとりしてなくて,「考え方についての議論」という「心の問題」としてやりとりしているわけですから,そういう意味で「心の問題」としてやり取りしながら,一方で「すべては神経の問題だ」と主張するのも変な気がして…(笑)。

それとも,「心の関係しない神経」のほかに「神経の関係ない心」とかもあるとか,そんな話なんでしょうか?で,発達障害は「心の関係しない神経」の問題か,「神経の関係しない心」の問題か,というのが「神経か心か」という話になるのでしょうか?そこんとこよくわかりません。

という意味で,「神経の問題として考えること」の利点と限界,逆に「心の問題として考えること」の利点と限界がどっちもあるように思うんですが,どんなもんでしょう?なんか,どっちかに決めつけて議論すると,つじつまがあわなくなるように思うんですが。



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