Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/13 (Tue) 00:45:06
にわとりさんに紹介いただいた精神分析のサイトについて、読んで考えた事などを書き込みます。
Kagewari精神分析相談所 http://kagewari.cside.com/kage01.htm
難解な文章なので、私自身のメモ書きも兼ねてます。従って、このサイト主さんの意見の代弁にはならないかも知れません。私の主観的意見もだいぶ混ざると思います。
以上を踏まえて、皆さんもどうぞご自由に御参加ください。あんまり堅苦しくないようにしましょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/15 (Thu) 23:44:41
一部を読みながら解釈していますので、ブログの解釈とは違ってくると思いますが。

にわとりさんが最初にあげられた相談例。
私には、この相談者の問題は、発達障害とは関係ないものと思われます。職場でうまくいかない理由も、失敗を繰り返す、叱責を受ける、仕事以外のことでも悪口を言われるという情報だけで、その要因が発達障害と判断できる要素はここにはありません。

それに対し、かなりkagewariさんが興奮して回答されており、内容も複雑で専門用語の連続になっているので非常に分かりにくい。Katzさんが独善的とおっしゃる雰囲気は感じ取れますが、私にはkagewariさんの主張の方が筋が通っていると思えます。

ここで、kagewariさんが主張されている内容と、にわとりさんが次にあげられた三例のうち、最初(すみません。最初の相談例を途中まで読むのが精一杯でした。続きも読むつもりですが、忘れてしまいそうなので、ここで書き込ませていただいてます)の例に共通するものがあります。

上記の相談内容(就職に関するもの)をAとし、後者の相談内容(親子関係に関するもの)をBとすると、Aの回答で、kagewariさんは、そもそもその仕事を選んだ動機は、自分自身で考え選択したものかという問いかけをされています。それに対し、相談者は自分で選んだものだと言い切っています。kagewariさんは、自分自身で選択したものなら、それが好きでたまらない、誰が何と言おうとそれがやりたかったものであって、叱責すらありがたいこと。つまり努力の指針が見えてくるものになる。と言っています。しかし、相談者が『自分で選んだ』という主張は、どう読み返しても共同幻想に脅迫されたもので、それしか選択肢がないと思い込んで選んだと取れます。
kagewariさんは、『本当に自分で選択したものでない』場合、自己選択としては、いかにその仕事から回避しようとするか、怠ける、適当にやる、または退職する、ということになり、それこそが自己選択、自分の心に正直な生き方になると言っています。
つまり、最初の時点での『動機』が大きな問題であって、動機の持ち方によって、その後の自分の取り組み方はまったく反対になるということです。
おそらく、好きな仕事ならだれが何と言おうと努力できるし、周囲の人の反応は、逆に独りよがりの暴走を食い止める、世間に通用する仕事にするために重要なアドバイスになるが、好きではないが仕方なく就いた仕事なら、動機はそこにはなく、例えば好きなことをするためにお金がほしい、仕事自体に魅力は感じないが、困ったことにならないように適当にやって、給料が確保できればいいと割り切る。
そんな違いなのではないかと思います。
相談者の方は、仕事の内容に対しては『好きなこと』だが、周囲からの叱責が辛く、排除されているように感じる、だから仕事がうまくできない、その仕事ができない自分は社会落伍者だと決めつけてしまって、kagewariさんの回答の内容をスル―してしまっています。
周囲の叱責、排除、社会落伍者(自分と仕事の関係について言っているのに、社会全体の問題に拡充してしまう)こと自体、共同幻想に縛られて、共同幻想の枠内でしか自己実現してはならないという強迫観念に陥っています。

ここで重要なキーワードが『動機』というものになってきます。

この『動機』の重要性を、次のBの相談の回答でも触れられています。
仕事と家族関係、まったく違う内容の相談に見えて、すべての物事の本質がここにあるということがよく分かります。

長くなりそうなので、一旦ここで切ります^^


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