Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/13 (Tue) 00:45:06
にわとりさんに紹介いただいた精神分析のサイトについて、読んで考えた事などを書き込みます。
Kagewari精神分析相談所 http://kagewari.cside.com/kage01.htm
難解な文章なので、私自身のメモ書きも兼ねてます。従って、このサイト主さんの意見の代弁にはならないかも知れません。私の主観的意見もだいぶ混ざると思います。
以上を踏まえて、皆さんもどうぞご自由に御参加ください。あんまり堅苦しくないようにしましょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/13 (Tue) 01:31:49
という訳で、専用スレッドを立ててしまいました…。にわとりさんを差し置いて申し訳ありません。これ以上あちらのスレでこのサイトの話を続けると、かえって御迷惑になりそうな雰囲気だったので…。

早速ですが。メンタル問題と医療系の違い、そして自閉症圏との関係について。
にわとりさんも疑問を提出されてましたが…
http://communicative.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6613703#13555620
このサイトのここ↓を読んで考えてみました。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_068.html
心の構造に起因する問題(主に強迫心理から来る思考の束縛、でしょうかね?)を指摘するのがメンタル問題あるいは心理学で、脳機能の偏りを指摘して対症療法を施すのが医療系、という事かと思います。

う~んと、もうちょっとわかり易い例を考えてみます。
例えば、読み書き障害という脳の障害があります。他の脳機能は全く問題無いのに、文字の読み書きだけが出来ません。これもそういう問題の基礎知識が無いと、対応を誤って大変な事態に陥り易いわけですが。それで、この読み書きが出来ないという事態に対しては、心理学は何ら意見を持たないのでしょう。極端に言えば興味が無い。
心理学が問題にしたいのは、読み書きが出来ないという事ではなく、その結果いじめられたとか、虐待に遭ったとか、そういう所から来る心の傷の方でしょう。逆に言えば、読み書きが出来なくても何の問題も無く社会適応できるなら、心理学的には問題無しと判断されるのではないかと。(「社会適応できた事でOKとする」という「診断」はあり得ないというのがこの方の主張になるので、これは私の表現がよろしくないのですけど)
…これで果たしてわかり易くなりましたでしょうか?

この掲示板でも出てきた言葉を使うと、二次障害を扱うのが心理学という事になるのではないでしょうか。私も二次障害について詳細な知識を持っているわけではありませんので、想像の域になってしまいますが。ただ、公開掲示板を見ると、私が二次障害として分けて考えたいと思っていたモノが、積極的な分析対象になっているように感じます。そしてその分析結果として強迫心理が指摘されますが、それがどこから来たものかというと、本人の脳機能の偏りとの関連性の指摘は一切ありません。逆に言えば、強迫心理=思考の偏りは、脳機能の偏りとはあまり関係無いとも言えます。二次障害が「二次」的な障害である所以でもあるのでしょう。

というような点から、自閉症圏について考えるここの掲示板において、このような心理学(精神分析)に関する知識は、非常に重要な位置を占めるのではないかと考える次第です。
単に、私の興味の対象と非常によく一致しているだけ、かも知れませんが :p
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/13 (Tue) 20:38:00
katzさん

スレ立てありがとうございます。

確か発達障害についてはメンタル問題だとこのブログ主の方が言ってたように思います(勘違いでしたらすみません)。
下記は発達障害とは書いてないですが、特徴は近い方の書き込みです(ここの相談者の大半はそれっぽいですね)。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_071.html

ちなみに私は発達障害はメンタル問題ではなく、神経系の問題だと思っていますが。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/15 (Thu) 02:19:56
私も、発達障害は神経系の問題だと思っています。このブログ主さん、kagewari氏は、確かメンタル問題と捉えるのが妥当と書いていました。えーとどこでしたっけ、にわとりさんに紹介していただいたリンク先だったはずです。ただ、その捉え方についてあんまり詳しく書かれていなかったので、心理学を知らない人間としてはその理由がわかりませんでしたね。どうも、発達障害そのものではなく、発達障害者に多い二次障害の方を捉えていたのではないかと思われます。あるいは、アスペ系で過度のコダワリから世界に認められるに至った大御所を見た判断、ではないかと。例として挙げていた有名人が、またすごくゴツイ巨匠ばかりでしたし(^_^;) 「共同幻想への過度の強迫心理から生じる神経症の一種」というような書き方をしていたと思いますが、それもまぁ妥当な理解と言えるのかも知れません。そういう見方で論じるならば、そこまでの強迫心理をなぜ発生してしまうのか、という部分に発達障害の根本的な問題があると言えるのでしょう。

リンク先の書き込み、見てみました。いや何とも、これもまたえらく極端な表れ方をしていますね(^_^;) にわとりさん、特徴的なモノをよくこう次々と拾い出せるものですねぇ、、、2〜3紹介していただいたと思いますけど、どれも実に興味深かったです。それともどれもこんな感じでしょうか?まだ紹介していただいたものしか見ていないので、全体の雰囲気を掴めずにいます。

公開掲示板での依頼者とのやり取りは、途中からかなり強烈な「叩きのめす」ような書き方をしていますが、これは心理学的にそこまでしないとヤバイから、というのが理由の半分くらいですね。残り半分は元々の性格のようです。ブログの方によく表れています。かなり理屈っぽくて刺激的な言葉を選ぶ傾向が見られますが、文の書き方がちょっと独善的です。あすなろさんも書いていましたが、そのせいでかなり読みづらい。このkagewariさん自身、アスペ寄りなのではないかと見ましたが。どうでしょうかねぇ。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2015/10/15 (Thu) 08:08:13
wagewariさんのブログをまだ読んでいないのですが,よく,発達障害(など)は神経の問題なのか,心の問題なのかという議論の仕方に出会います。でも素朴に言って私はすごく不思議なんです。

たとえばこうやって文章を書いてますけど,これって心の問題でしょうか?それとも神経の問題でしょうか?神経が働かない心理の問題というのがあるんでしょうか?

意識しないけど神経は働いているということはいくらでもありますし,そうじゃなければ呼吸だって寝ている間に停まってしまいます(笑)。だから意識しない部分ならそれは「心ではない」とすれば,その意味では神経の話だ,ということになるのかもしれませんけど,でも「意識しない心(無意識とか)」みたいなことを言いだすとこれもまた訳が分んなくなってしまいます。精神分析ってたぶんそんなことやるんですよね?

という感じで神経だとか,心だとか,そのどちらだとか,そういう話ってどういう意味で言われているのかなあと,いつもよく分んないんです。私には神経のない心というのがよく分らないし,心の問題は全て神経の問題だといえなくもないけど,でもそうすると今度は「心の問題なんてない」という話になってしまいますよね。

じゃあ人と人の問題を考える時に神経の話で全部理解できるのかというと,それも変で,このやりとりだって,別に私は神経のこととしてやりとりしてなくて,「考え方についての議論」という「心の問題」としてやりとりしているわけですから,そういう意味で「心の問題」としてやり取りしながら,一方で「すべては神経の問題だ」と主張するのも変な気がして…(笑)。

それとも,「心の関係しない神経」のほかに「神経の関係ない心」とかもあるとか,そんな話なんでしょうか?で,発達障害は「心の関係しない神経」の問題か,「神経の関係しない心」の問題か,というのが「神経か心か」という話になるのでしょうか?そこんとこよくわかりません。

という意味で,「神経の問題として考えること」の利点と限界,逆に「心の問題として考えること」の利点と限界がどっちもあるように思うんですが,どんなもんでしょう?なんか,どっちかに決めつけて議論すると,つじつまがあわなくなるように思うんですが。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/15 (Thu) 23:44:41
一部を読みながら解釈していますので、ブログの解釈とは違ってくると思いますが。

にわとりさんが最初にあげられた相談例。
私には、この相談者の問題は、発達障害とは関係ないものと思われます。職場でうまくいかない理由も、失敗を繰り返す、叱責を受ける、仕事以外のことでも悪口を言われるという情報だけで、その要因が発達障害と判断できる要素はここにはありません。

それに対し、かなりkagewariさんが興奮して回答されており、内容も複雑で専門用語の連続になっているので非常に分かりにくい。Katzさんが独善的とおっしゃる雰囲気は感じ取れますが、私にはkagewariさんの主張の方が筋が通っていると思えます。

ここで、kagewariさんが主張されている内容と、にわとりさんが次にあげられた三例のうち、最初(すみません。最初の相談例を途中まで読むのが精一杯でした。続きも読むつもりですが、忘れてしまいそうなので、ここで書き込ませていただいてます)の例に共通するものがあります。

上記の相談内容(就職に関するもの)をAとし、後者の相談内容(親子関係に関するもの)をBとすると、Aの回答で、kagewariさんは、そもそもその仕事を選んだ動機は、自分自身で考え選択したものかという問いかけをされています。それに対し、相談者は自分で選んだものだと言い切っています。kagewariさんは、自分自身で選択したものなら、それが好きでたまらない、誰が何と言おうとそれがやりたかったものであって、叱責すらありがたいこと。つまり努力の指針が見えてくるものになる。と言っています。しかし、相談者が『自分で選んだ』という主張は、どう読み返しても共同幻想に脅迫されたもので、それしか選択肢がないと思い込んで選んだと取れます。
kagewariさんは、『本当に自分で選択したものでない』場合、自己選択としては、いかにその仕事から回避しようとするか、怠ける、適当にやる、または退職する、ということになり、それこそが自己選択、自分の心に正直な生き方になると言っています。
つまり、最初の時点での『動機』が大きな問題であって、動機の持ち方によって、その後の自分の取り組み方はまったく反対になるということです。
おそらく、好きな仕事ならだれが何と言おうと努力できるし、周囲の人の反応は、逆に独りよがりの暴走を食い止める、世間に通用する仕事にするために重要なアドバイスになるが、好きではないが仕方なく就いた仕事なら、動機はそこにはなく、例えば好きなことをするためにお金がほしい、仕事自体に魅力は感じないが、困ったことにならないように適当にやって、給料が確保できればいいと割り切る。
そんな違いなのではないかと思います。
相談者の方は、仕事の内容に対しては『好きなこと』だが、周囲からの叱責が辛く、排除されているように感じる、だから仕事がうまくできない、その仕事ができない自分は社会落伍者だと決めつけてしまって、kagewariさんの回答の内容をスル―してしまっています。
周囲の叱責、排除、社会落伍者(自分と仕事の関係について言っているのに、社会全体の問題に拡充してしまう)こと自体、共同幻想に縛られて、共同幻想の枠内でしか自己実現してはならないという強迫観念に陥っています。

ここで重要なキーワードが『動機』というものになってきます。

この『動機』の重要性を、次のBの相談の回答でも触れられています。
仕事と家族関係、まったく違う内容の相談に見えて、すべての物事の本質がここにあるということがよく分かります。

長くなりそうなので、一旦ここで切ります^^
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/16 (Fri) 09:59:34
>にわとりさん

ブログのリンク、削除されたのですか?
非常に重要なことを掴みかけていたのに、残念です。

一旦、公開されたものを削除しないでください。
規定にもありますよね?

できればもう一度戻していただきたいと思います。



読み返しながら続きを書こうと思っていたのですが、記憶の中でしかないので、私の独断ということになります。

Bの相談内容は、暴力的な父親と、それを受ける母親に育てられた方の事例でした。自分も父親によって暴力的に支配され、母親はその鬱憤を晴らすかのように自分を否定し、辛く当たった。自分は家から独立し、海外で就職して家を離れたことで平穏を得られた。しかし、妹は、そんな両親から否定されることなく、親の望む高学歴を積み、両親から受け入れられているように見えたのに、大人になってメンタル問題が噴出し、自傷を繰り返すようになってしまった。妹を救いたいというような内容でした。

相談者は、父親は外面的(世間的)には立派な人であって、常識人であり、母親こそ、『自分は馬鹿だから』と言ってしまうような非常識な人としています。なので、父親は尊敬に値するが、母親の無知が自分を苦しめたと思っています。

ここで、kagewariさんは、そもそもその『父親』が、人格の確立されていない、暴力によって自分を認めさせることでしか人間関係を保てない、非常識な人間としています。
逆に母親は、父親の問題には気付いているが、常識としてはそんな父親であっても、家庭を崩壊させないことが子育てに必要なことと考える『世間の常識』をよく理解している『常識人』だとしています。

そもそもの問題は、この両親の結婚の『動機』であって、この夫婦は本来なら夫婦になるべき相性ではなかった。それをどう処理していくのかというところだと(たぶん、そんな感じだったと)いうところでしょうか。

この『動機』の取り違いは、おそらく今の社会の大きな問題の根底になっているのではと、私はこれらを読んで感じました。

Aの相談者は、『動機』はちゃんと自分にあったと断言していますが、よくよく読んでみれば、かなり共同幻想に傾倒して出した結論に近いのでは?と思います。
kagewariさんは、仕事、さらには経済活動そのもの自体、幻想の部分が大きく、例えばお坊さんは(職業蔑視では決してありませんが)本来自分自身の追究であるべき思想を一般の救済にも使いその心付けを受け取ることで生活している。消費者の利益になるかどうかは、消費者自身の幻想部分にあるわけで……。本来なら経済活動として成り立たないものを成り立たせている部分がある。
さらには政治家など、その最たるもので、国民の利になっているかなっていないかなど、裁断される以前に、自動的に税金から高額な所得を得ている。これこそ、『幻想』ではないか
(すみません。kagewariさんの考えより、自分の考えの方が前面に出ているかも?です)

そういった幻想だらけの世界の中で、『自分』を当てはめようとすれば、必ず不具合が出てくるもので、選択肢の幅は極端に狭くなってしまう。その中で適職を選ぼうとしても無理があるということです。
共同幻想を無視することはできないけれど、幻想は幻想と割り切って、本来自分に大切なものを見つめて選んだのであれば、幻想から抜け出せない他人が何を言おうとも「ああ、幻想に縛られてしまっている人たちはこう考えるのか、それなら少し幻想に近い方向で動いてみようか」というスタンスになる。

しかし、そもそも共同幻想で作られた『自分』が選んだものとなると、幻想の中で自分を確立しようと思ったのに頑張っても常に頭打ちに合う(これは当然のこと。各個人の幻想に過ぎないので、合致するはずがない)。だから幻想社会では生き残れないというスタンスになる。(当然)

その違いではないかなと思うのです。
これが『動機』が本来の自分にあるか、幻想に惑わされている自分にあるかの違いではないでしょうか?

それと同じようにBの相談者の両親も、まさに『幻想』に惑わされて一緒になったカップルであり、夫婦関係の持ち方も『幻想』に捉われている部分が大きい。一昔前は、この『共同幻想』の外に本来の自分があるという考え方ではなかったので、高齢に差し掛かったこの両親は『幻想のまま』関係を続けていくのであって、それはそれで『幸せ』である。

しかし、その子どもに大きな影響が出てしまったのは、子ども世代がこの共同幻想が崩壊を迎える時期に生まれ育っているので、幻想に振り回される両親の問題と、『個人の確立』の狭間になってしまったのではないか。
さらに『幻想』を死守したい人たちは、家庭内のことを口外しないということで自分たちを守ろうとするので、問題が明るみに出にくく、第三者の目線で他との相違を指摘されることがない。絶対的な幻想になってしまう。

この相談者が妹を救うのは、そういう家庭内の問題のカラクリを、同じ体験をしたものとして妹に話していくということでしか道がない。相談者本人も、まだ幻想に捉われているところが多く、そこから抜け出さなくてはならない。

そんなことを(私の解釈では)おっしゃっていたように思います。


この『動機』というものは、ちょうど私が『どうして夫と結婚したのか』ということを考えている最中で、タイムリーでした。
本当にこの書き込みを見るのとほとんど同じタイミングで気付いたのですが、私が夫を選んだ動機にかなり『幻想』に惑わされた『自分』が選んだ部分が大きかったのです。

私は幼いころから『共同幻想』から外れものになることが多く、親が何とか『共同幻想』に沿わせようと必死になり、それでも零れ落ちた私を見捨てるという経験をしたことはすでに書いてきましたが、その反動で、共同幻想社会の中で理想的な位置に居る人に強く憧れるようになったように思います。

表面的には、いわゆるイケメンだとか、社会的地位の高い人、あるいは確固たる『自分』があって周囲が従うような人。しかし、一方で共同幻想に敗れた自分がそういう人たちに近づくことは決してない。という諦めもある。
そうすると対等の立場でお互いを思い合うという恋愛はイメージできなくなります。ファンがアイドルに憧れるような幻想しか、自分の中にイメージできないし、万が一アイドルとファンが結婚したとしたら正体がバレて悲惨なことになると思っていたかもしれません。

理想ばかりが高いと、その対極に居る自分を卑下していきます。
しかし、そんな『卑しい』自分も、適齢期で恋愛を経験してみたい。すると『卑しい』自分と同じ雰囲気を醸している人を探さなくてはいけない。
もちろん、相手の人格が『卑しい』のではなくて、『卑しい』部分に魅力を感じて近づくということが起こる。私は夫の『卑しい』部分に魅力を感じたのではないかと気付いたのです。
どうやら、同じ傾向を感じる夫側も、そうだったのかもしれません。
私にも彼にも、実は『憧れ』の存在がいたので、かなり真実に近いと感じます。

ただ、間違いだったかといえば、均衡を保ってこられたのは、実は似た意識があったからということもいえます。本当にアイドルとファンではうまくいかなかったということが起こっていたかもしれません。

成育歴の中で植え付けられた共同幻想があまりにも強く、自分自身が見えなくなる。共同幻想から外れることを極端に恐れながらも、共同幻想の中で自己実現できて(いるように見える)存在に強く憧れる。少しでもそれに近く見えるように取り繕いたい。

『動機』は本来の自分のものではなく、その幻想に近づきたいと強く思うところから生まれる。

これは、恋愛対象だけでなく、仕事にも言えることです。
その幻想だけでうまくいっている人もたくさん居ます。しかし、それは砂の城であって、どんな波が来ても崩れないものもあれば、呆気なく崩れてしまうものもある。そういった不安定な状況で建っているに過ぎず、その城で悠々と暮らしている人もいれば、あの人の城は何故崩れないんだろうと、崩れてしまった自分の城の前で地団太を踏んでいる人もいる。
崩したくなければ、波打ち際に作らなければいいのにね、ってことなんですけどね。

なんて、すごい飛躍した解釈をしてみました。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/16 (Fri) 10:24:06
あすなろさん

もう一度書き直そうと思って削除しました。すみません。

社会適応出来てる方からの相談事例です。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_035.html
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_018.html
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_010.html
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/16 (Fri) 16:49:26
あすなろさん

http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_071.html
この方の失態は健常者ではあり得ない様子なので、発達障害だと感じましたが、kagewariさんのお話を聞くと、仮に共同幻想選択するのであれば、障害があってもなくても条件は同じようにも感じますね。


(103レス目 一部抜粋)
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_071.html
>仮に『共同幻想』選択が決定している場合なら『共同幻想』側からのダメ出しは「できる話・できない話に関わらず」全てありがたいアドバイスと同意なので、何か相談する要素は全くなく「毎日嬉しく思う事ばかりです」ていないと矛盾する (野球が好きな子が軍隊並に叱られてばかりなのに何故 「憧れの野球部」に入るのかと言えば?)

(105レス目 一部抜粋)
>>仕事とは関係ないこと(容姿や血縁者のことなど)で侮辱された場合でもですか?

>あったり前でしょーーが!
>どういう理由で映画『フルメタルジャケット』推薦したと思ってるんですか。
>ハートマン軍曹は紳士でしたか?個人的侮辱をしませんでしたか?
>これに兵士はなんと答えるのがルールですか?
>単独者系の野村監督ですら、外見や身体的特徴及び技能を 揶揄します。 理由は簡単です、「そんな事は(社会に出る=出家同然なんだから)とっくに捨てているな」の確認です。
>『共同幻想』の兵士を鍛えているんですよ。 猛烈野球部の話にたとえれば「お前野球のためなら親も殺す覚悟できたか」の動機を確認してんですよ。「お前何しにきたんだ」と。
(特に軍部の場合その動機が”アレ”だったりすれば他の兵士が死にます。野球部で言えば地区大会で敗退するんですよ?個人の人権?ハードな『共同幻想』がんなもの尊重するワケが無いでしょう。『共同幻想』こそが最優先の権威なんですから。) 野村が個人の外見や云々を揶揄するのも似たような話です。 「んな事指摘されていちいち気にするような奴は(もうその時点で動機アウツ)辞めちまえ」「やる気あんのか(志望動機は確かか)」です。 >(或いは『共同幻想』なり野球界(野村の場合『個が抗(あらがう)対象』)なんぞ で何が面白いのかやろうって奴がどんだけの覚悟が必要かを懇切丁寧に説明差し上げているって事です。)

共同幻想選択するのであれば、侮辱や障害に無理解な言葉も全て「全て有り難いアドバイス」であり、それに対して喜んで「ありがとうございます!」と言わなければならない。
共同幻想選択するのであれば、それらも喜びや幸せの要素になる。
それに対して反論や憤りを感じるのは持っての他。
もともと共同幻想は軍隊のようなもので、「できないとか障害というものははじめから想定されていない(できることが前提)」。
発達障害当事者からしたら障害に無理解だったり、いじめに感じますが、「共同幻想論としては正しい」となるようですね。
共同幻想を選択するのであれば、そのくらいの心意気がないとだめだということのようです。
(共同幻想適応者ではなく、メンタル問題持ちがいじめてる場合は人格障害となるのでしょうかね)

私なら言われたら言い返しますから共同幻想の決まりとしては違反になるということですね(自分や家族や友人を侮辱されてるのに有り難いお言葉と受け止められませんね)。

http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_071.html
発達障害であってもそうでなくても、共同幻想選択するのであればそれ相応の覚悟がいるし、どこに行っても仕事ができず、生活できないのであれば生活保護を受けるように相談者に勧めていますね(市役所や身内が生活保護申請を拒否するからやっかいなんですが)。


Katzさん

発達障害ではなく、二次障害の部分をメンタル問題との意味で発してるなら理解できますね。

kagewariさんの言うことはあなたが悪いと相談者を責めてるような印象は受けますね。
周りにブログを見せたら、kagewariさんはASDではないかとか生きづらさを抱えてる人とか言う人もいて(個人的には生きづらさを抱えてるとは感じませんが)、受けは悪かったですね。
言ってることは当たってるのですが、言い方なんでしょうかね。


パンダさん

発達障害は神経系、心で感じる部分は心の問題だと個人的には感じます。


Katzさん横レス失礼しました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/16 (Fri) 19:58:23
うーん、にわとりさんの見方と私の見方とは、表裏のように違うように感じますね。
その相談者の方とkagewariさんの見方も、そういう違いで平行線になっている感じがします。

kagewariさんの本意はどうかなど、私には分かりませんが、私がこの一連のやり取りから感じたのは、共同幻想は別に意識して選択するものではなく、これまでの経験から無意識の中に刷り込まれてしまっているものじゃないかと。極端にいえば、他人の目を気にすること自体、共同幻想が入っているわけです。
kagewariさんの主張は、他のスレにもあったような気がしますが、そこから抜け出せ、自分の幻想に気付けと言っているように思えます。
幻想なんですから、敢えて選んだり、見ようと思って見るもんじゃないですよね。夢と同じ。夢の世界で生きよう!なんて決意する人はいません。しかも、自分を苦しめている『悪夢』なんですよ。それを選択するって、どうなんでしょうか?

kagewariさんは、相談者の方に目を覚ませ!と言っているのに、相談者の方は、私は悪夢など見てない!これは現実だ!だから何とかしてくれと言っている。
その応酬に、kagewariさんがうんざりして、ひどい言葉遣いで叱咤しているように、私には取れます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/16 (Fri) 20:21:55
この部分です。

>とにかく『共同幻想』社会に適応したい、と強烈に希望しているのであれば別ですが、
ところが相談の話の流れはそうなってません。
(一体何を好き好んで話のテーマが『共同幻想と私』というくくりになるのかさっぱりわかりませんが)
言うならば投稿文のその思考の流れは、
「自分の思考そものが『共同幻想』との関係性という話に”依存”している」のであり(だから話をどこから切り出しても『共同幻想と私』話の域を出る事が無い)、
更に、
現在この件(既に説明済みの)を相談することで、
(前述の論法で言えば)
さて「俺はどうすっか」という思考が『自分』の実存そのものです。←極論カウンター表現で話を簡略化すれば「俺はどすっか」と考える事が自分の価値である。

つまり、kagewariさんのいう『共同幻想選択』というのは、相談者がその考えから抜け出せないことを皮肉っているわけです。そんなに共同幻想の中で生きたいなら、我慢するしかないでしょ?でも我慢できないんだったら、共同幻想に囚われるんじゃないと。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/16 (Fri) 23:34:36
すみません、ちょっと時間が無いので短文にて失礼します。

この相談については全部目を通してみましたが、これ、半分は意識的に叩いているのだと思います。うんざりしているのではなくて、そこまで厳しくやらないといけない事態に進行してしまっているという事なのだと私は理解しました。

厳しい言葉の間に埋もれている感じがしますけども、現在この相談者の心理状態は危険な事態であるというような内容がkagewariさんの発言の中に書かれています。つまり、無意識領域の強迫心理を一度追いやっていて(ここまでが前回の相談部分)、その後に揺り戻しというか反動というか、「強迫心理が再び宿ってしまっている」状態に陥っているようです。で、kagewariさんの一連の発言を読むと、それは想定の範囲内らしいですね。ここをいかに乗り切るかというのが非常に大切であり、難しい所でもあるようです。で、それへの対応としては「他人への依存を断ち切る」つまり自分の問題として自分自身の中でケリをつけなければならない。他人であるkagewariさんに質問(という形の強迫心理への追従)を投げかけている場合ではない、と。

では具体的にどうするかといえば、kagewariさんとしてはとにかく突き放すしかない。一人になってじっくり考えろ、と。しかし言い聞かせて理解できる状態ではないから、無理でも一人にするしかない。その部分に関する対応が、一見すると「うんざりしてサジを投げた」とも取れるような、滅茶苦茶に攻撃的で断ち切るような対応に見えるのでしょう。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとか、野生の動物に見られる子離れの激しさとか、それを連想させるものだと私には感じられました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/17 (Sat) 14:07:49
私もkagewariさんの知識や考え方に触れて、今まで漠然と感じていただけの問題が急速に明確になってきた感触を味わっています。こういう時ってものすごく楽しくて、考えて書きたい事が山ほどあり、それをぶつけあって議論して深めていきたいと思うんですけど…いかんせん時間(と体力)が足りません…。

というわけで。しばらくは長文を連続投稿して、しかも話題があっちこっちに飛びまくり、更に誤字やら単語の選択ミスやら色々発生して、御迷惑をおかけする事が増えるかも知れません。ある程度は大人の読解力で飲み込んでいただけると助かりますが、アレっと思ったら躊躇せずご指摘ください。私の方も、そういう事も起こり得る事は認識していますので、指摘の際にはあんまり気を使わなくても大丈夫です。ナンだったら箇条書きの一覧表をドン!と示していただく形でもOKなくらいの勢いです。
神経か心か
  • Katz
  • 2015/10/17 (Sat) 15:05:26
パンダさん、にわとりさん

パンダさんお久し振りです(^_^)/ また会話ができて嬉しいです。

神経と心の区分について、パンダさんの疑問はごもっともだと思います。私が思うに、発達障害を考えるに当たって非常に重要な問題であるにも関わらず、世間的にはこの区分を明確に考えている方はあんまりいないのではないでしょうか。私も不勉強で、発達障害の根源みたいな議論を見た事がありませんので、余計にそう感じるのかも知れません。

以下は私の独自の考え方です。正解の保証は何もありませんが、今のところ辻褄は合っていると思っています。

脳はコンピュータの一種である、というのが私の基本的な理解です。物の喩えではなくて、本当にそうなのだろう、と。問題は現代で普通のコンピュータとの違いですね。つまりパソコンとか、スマホとか、更には自動車でエンジン制御をしていていたり、電子ジャーで美味い飯を炊くマイコンとか、あるいは世界一のスーパーコンピュータ京とか。そういうのが現代で普通のコンピュータですが、脳による情報処理の方式はそれらとどう違うのか。そこにこの問題のカギがあります。

そういう考察に役立つ知識って、専門学校とか資格試験とかでは多分、教わる事はありません。教わるとすれば、大学で情報工学(あるいはその類似学科)を専門に勉強した、どちらかというと研究者の為の教育を受ける場合だけだと思います。なぜなら、そういう知識は産業の役には立ちませんから。企業の即戦力を求められるような場所では教わらないでしょう。

前置きが長いですが(^_^;)

脳と言うコンピュータの特徴は、下記3点であると私は考えています。
・情報処理の方法が、ニューラルネットワーク(日本語では神経回路網)である
・プログラムは物理的な配線によって表現・蓄積される
・遺伝子による初期プログラムがインストール済み
それで、脳と言うコンピュータの上で動いているプログラムが心である、と考えられます。プログラムでもアプリでもソフトでも何でも言葉はどうでもいいんですが、要するにそういうモノです。

そう考えると、心というものに関する世間の色々な評価が、すべて腑に落ちるんですね。曰く、目に見えないけど確かにそこにある。曰く、目に見えないけど重要なもの。とかとか。心そのものの文学的表現は沢山あると思いますが、そのほとんどに理系の感覚で納得できます。

そして、現代コンピュータとの最も大きな違いが「プログラムは物理的な配線によって表現・蓄積される」この点です。これがまた、心と脳の関係をわかりにくくさせていると思います。つまり、脳や神経の物理的な様子を観察する事で、心の動きや働きをある程度まで推測できてしまう。また薬や事故で脳が変化する事で、心にも大きな変化が現れる。ここに「脳=心」という誤解が生まれる余地があります。「脳=心」というのは明らかに誤解です。脳の上で動くプログラムが心であり、そこには概念上の大きな違いがあります。

医療周辺の世界において、心理系と神経系との境界線が曖昧であるというのは公開掲示板でのkagewariさんの発言にもありましたが、その理由もここにあると考えられます。

なお、もっと大きな規模で見て、物理的な動きと、その上に現れる抽象的な概念の働きという構造は、実はそこかしこにあります。kagewariさんの大好き?な共同幻想もそういうものの一種と私は捉えています。また、マルクスのいう下部構造/上部構造というのも、そういうものの一種でしょう、私は経済学は全然わからなくてwikipediaあたりの要約からの想像ですが。ドラッカーの言う組織の定義も、そういう見方が出来るでしょう。などなど。これらは余談ですが。誰かの言動を分析して、その人の価値観を理解する、というのも、この構造を下から見て上を推測する方法と考えられます。

という訳で。私は、こういうモノに関する知見は理系に属するべきだと思うのですが、世間的には文系の世界になってしまいますね。主な理由は、主観を柱とする世界になるからだと思います。しかし最近は、主観を客観的に分析するという分野がITとの関連で興り始めていますし、いずれ理系にシフトすると信じています。そうなればkagewariさんのやっているような精神分析なども保健医療の範疇になってくるのでしょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/17 (Sat) 18:12:37
あすなろさん

>極端にいえば、他人の目を気にすること自体、共同幻想が入っているわけです。

共同幻想は入ってると思います。
共同幻想適応を選択する際には周りの評価や世間的な感覚で動く部分も含めて受け入れる覚悟となりますから、他人の目を気にして行動するのは自然ではないかと思います(病的な部分や洗脳されてる部分を確信犯で受け入れて再選択しますから)。
共同幻想を選択してないのに周りの目を気にするからメンタル問題となるわけです。


>kagewariさんの主張は、他のスレにもあったような気がしますが、そこから抜け出せ、自分の幻想に気付けと言っているように思えます。
>幻想なんですから、敢えて選んだり、見ようと思って見るもんじゃないですよね。夢と同じ。

メンタル問題持ってる人は自分の中での幻想に浸っている。まずはそれを認識しないといけない。
共同幻想適応者は多数派の合理性の中での幻想に浸っている。

前者の場合は自分のメンタル問題を振り返った上で、それも個性だと受け入れて生きていくのもあり(歩留まり選択)。嫌なら単独者か共同幻想選択どちらかをするべき。
後者の場合は反抗期を経て、幻想による洗脳を確信的に受け入れる(大半の人は自覚なしに共同幻想センタ桑しているのかもしれませんが)。
精神分析ではその選択は強制しないと仰っています。


>kagewariさんのいう『共同幻想選択』というのは、相談者がその考えから抜け出せないことを皮肉ってい るわけです。そんなに共同幻想の中で生きたいなら、我慢するしかないでしょ?でも我慢できないんだったら、共同幻想に囚われるんじゃないと。

kagewariさんの言葉に書いてあるとおりだと思います。
共同幻想選択は
「嫌味や侮辱などの差別的な発言も『先輩からの有り難いアドバイス』と感謝する。喜んで受け入れる。」
「どんなに仕事が不出来で、周りからいじめられてもひたすら努力。努力できることが喜びと幸せだと感じる」
などと書いてますから、我慢ではなく、心から幸せに感じるということだと思いますよ。


そもそも共同幻想は必要があって存在してる部分もあり、完全になくなることはないと解釈しています。
http://kagewari.seesaa.net/s/article/396068658.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/396239039.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/368596630.html
(※経済学や政治の話などは全く分からないので、何となくの理解で載せています)
ただ、旧来の共同幻想では社会を維持できないので(下手をすれば人類滅亡になる)、形を変えて共同幻想は残るのでしょうかね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/17 (Sat) 18:18:43



ここはkagewariさんは全く関係なく、個人的な見解ですが。
結婚制度は共同幻想適応者が作った一種の幻想かもしれませんが、共同幻想適応者同士が「この人と一生添い遂げたい」「何があっても私はこの人のそばにいる」などの思いは本物でしょうし、そのリスクも引き受けての覚悟の上だとは思います。
仮にあすなろさんが例えに出された砂の城が崩壊しても「(極論ですが)生き埋めになっても死をも伴にする。この人と一緒にいられて何よりの幸せだ」だとの思いも夫婦で共有されることもあるでしょう。

問題なのはメンタル問題を抱えて一緒になった場合です。
うちの両親が典型的なパターンですが、お互いに人のせいにし、愚痴りあっている。特に父は自己中。母はそんな父とは別れない(経済的な理由だけではなく、両親共に離婚する気がない)。
結婚に限らず、メンタル問題抱えてる人が選択する問題点は色々あります。
(「この人と一緒にいる」などとメンタル問題を確信犯的に受け入れる(歩留まり選択)もありなのかもしれませんが)

私も完全に理解できてませんが、一応幸福論の記事を載せておきます。
http://kagewari.seesaa.net/s/article/427020063.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/427201792.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/427361140.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/427569244.html
神経か心か2
  • Katz
  • 2015/10/17 (Sat) 19:23:14
長かったですが >>14 を踏まえて、パンダさんの疑問 >>5 を考えてみます。…と言いつつ、もうちょっとコンピュータの話を。

情報を処理する事に関して、プログラムで処理するかハードウェアにするか?というのは、実はCPU設計者の頭を悩ませる問題だったりします。具体的には、例えば掛け算をどうやって実現するか?という問題など。必要な回数だけ足し算を繰り返せば、掛け算と同じ事になります。もともと掛け算とはそういう計算ですし。そうすると電子回路を部分的に省略できてコストが下がる、というメリットがあります。ところが計算のスピードは遅くなります。そのトレードオフの間でどっちにするか、という選択がありました。これはコンピュータの歴史の中で、実際に議論された問題です。実際にはもう少し泥臭い部分で面倒な問題があり、商品としては両方存在して鎬を削ったのですが。そんな話が掛け算だけでなく、色々な機能に関してそれぞれ議論があります。

ここで重要なのは、どっちでやっても利用者から見れば全く同じ結果が得られるという点です。つまり、プログラムで処理してもハードウェアで処理しても、外からは違いはわかりません。これを脳と心の区分に置き換えると、何か心理上の「機能」を実現するのに、神経回路として物理的に用意されているのか、汎用的な心の流れの中で無意識のレベルで処理しているのか、という違いになります。「神経回路として物理的に用意されている」というのは、脳の中でこの部分が○○を分担しているとかそういう話ですね。脳地図の話に近いです。

そういう観点から考えると、神経と心を明確に区分する事には、あんまり意味がありません。パンダさんが何となく漠然と感じている違和感を明確にすると、多分そういう話につながっていると思います。

ならば神経と心は不可分で、一括して同じものとみなすべきか?というと、それもまた違う。神経には神経の役割があり、心はその上で動いている何かだ、という基本的理解は必要です。それはにわとりさんが漠然と感じている事とつながると思います。

そこで発達障害ですが。コダワリ(=過集中)とか、注意欠陥とか、多動とか、感情の不安定とか、また体感の過敏、ワーキングメモリの不足、過度な記憶力(=忘却力の不足)、応用力の有無、顔に表れる表情を読む、更には宗教的な信仰の過剰、その他そういった現象は、主に神経回路の問題になるようです。本来は適度なバランスをもって神経回路が用意され、その連携も適度に調整されて、心の働きを支えるものです。

そしてその心について、人間として大きな関心事となるのが自我の問題です。自我とは何か?については多分、心理学の専門知識が必要になるのでしょう。私もあんまりわかっていなくて、kagewariさんの文章を読んでの推測になるので申し訳ありません。その範囲で許していただけるなら、自我とは、意思を決定する機能と意思決定に関わる周辺機能の総称、ではないかと見ています。周辺機能については、部分的には神経回路を直接利用する部分もあるのでしょう。それが、心と神経の境界が曖昧になってわかりにくい(だから議論の余地が出てきてしまう)理由だと思います。

その、意思決定に関わる周辺機能というのが、集中力であったり注意力であったり記憶力であったり感情であったり、また外界の様子を知る為の各種感覚であったり、等々です。だから神経の問題としてこれらを強制的に調整(=投薬など)すれば、意思決定が安定してくる、即ち社会にとって都合の良い自我になるのだと思います。
神経か心か3
  • Katz
  • 2015/10/17 (Sat) 23:24:52
長々と連続投稿で申し訳ありません、皆さん。こんなに長くなるとは、我ながら驚きです…。御迷惑をお掛けします。

心とは何か、自我との関係はどうなるのか?という話です。

精神分析では、心には構造があると考えるのだそうです。kagewariさんの文章のどこかに書いてあったと思うのですが今探すと出てきません…。そしてこれはkagewariさんの理解ですが、大きく自意識(=自我)と無意識に分けられる。これは心理学テキスト Ⅱ 自我と主体論 http://kagewari.cside.com/kage_tex21.htm の 3)無意識 に書かれています。良かった、こっちは見つかった(^_^;)

それでこの無意識の領域に強迫心理が宿り、それは自我の意思決定の選択肢を奪い去る原因になるのでしょう。どうして強迫心理が宿るのかについては、上記テキストの 2)順番論 に記述がありました。

> 過去に家族間や家族に等しい人物と解決の難しい問題を抱えていると、その人物の事が気になって落ち着きません。つまりいつもその人物が傍にいるようで何をするにも「自分の順序や序列」に関わる事のストレスが大きくなってしまいます。
> この状態が恒常化するとそれは「常識化」を経て「自分の一部」になってしまいます。

虐待が強迫心理につながる理由がこれなのでしょう。洗脳は、精神的に非常に強い刺激を与える事で、短期間に強迫心理を作り上げる技術と言えるのかも知れません。

そしてこれらは心の問題です。但し「プログラムは物理的配線によって表現・蓄積される」ので、神経回路がそのように構成されている事になります。その意味では神経の問題であるとも言えます。ただ、強迫心理ではない部分を表現する配線とは区別が付かないでしょう、多分。とすれば神経の問題と言っても、その方面からのアプローチは役に立たない可能性が高いと言えます。

神経の話とは別になりますが、この強迫心理というのが二次障害と深い関わりがあると私は思っています。ほとんど同一と言ってもいいのかも知れません。とすると、強迫心理を発生し易い神経系の問題はあるのだと思いますが、定型発達であっても状況次第で同じ心理状態に陥る可能性はあるという事になります。公開掲示板において、相談者がほとんど発達障害に見えるというにわとりさんの感じ方は、そういう所から来ているのではないかと思いました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2015/10/19 (Mon) 00:37:02
Katzさん

 ありがとうございます。心=ソフト,神経=ハードというたとえ(?)は分りやすいですね。
 ある問題が起こった時に,ソフトで対応するか,ハードで対応するかという選択肢があって,そのどちらも得られる結果は同じになる,というたとえ(?)もわかりやすかったです。

 その話を応用すれば,精神分析とかは問題をソフトの面で組み替えようとする働きかけ方で,普通の医療の方はハードの調整かつくりかえを目指す働きかけ方だ,というそんな感じの整理になるでしょうか。で,どちらでも同じ結果が得られる可能性がある,という理解になるのかな。

 実際にはソフトで対応することには限界があったり,あるいは可能であってもあまりにコストがかかりすぎたり,効率が悪すぎたりする,ということもありそうな気がするし,ハードの作り替えをしようとしても,あまりに微妙な部分でとてもではないがそういうやり方では細かいところに対処しきれない,ということもありそうな気がしますので,そういうところで「心」か「神経」かという問題がもしかすると発生する可能性は感じないでもありませんね。

 この私の後半のたとえがどこまで有効なのかはわかりませんけど (^ ^;)ゞ
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/19 (Mon) 09:24:43
パンダさん

いやいや、まさに私もそう考えています。そういう所で心理学系が有効か医療系が有効かの違いが発生するのではないかと。

そういう捉え方が私はわかり易いと思っていますが。世間的に、あるいは各業界の方々がどう考えているのか、はわかりません。「すべては心で説明できます」みたいな学者さんもいそうな気がしますし(^_^;)
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/19 (Mon) 10:37:15
あすなろさん、にわとりさん

横入り失礼します。私も少し。
…の前に。

>>6
> Katzさんが独善的とおっしゃる雰囲気は感じ取れますが、私にはkagewariさんの主張の方が筋が通っていると思えます。

すみません、これは私の言葉の選び方が悪かったです。「独善的」というのは話のロジックではなくて、表現方法についての評価です。こんこんと諭すような、相手に通じるかどうかを考慮した書き方では無い、という意味でした。ロジックの組み立てで言えば、kagewariさんは一貫して筋が通っていると私も思います。ただ、それが読み手に伝わるかな…という点で「独善的」という言葉を使ったのでした。

>>7
> これが『動機』が本来の自分にあるか、幻想に惑わされている自分にあるかの違いではないでしょうか?

動機が重要になるという意見には私も賛成です。ただ、何と言いますか、動機の動機…というとかえってわかりにくいですね。その動機を生み出す心の構造を組み上げなければならない、という所が最重要点なのでしょう。その意味であすなろさんのおっしゃる「本来の自分か、幻想に惑わされているか」という言葉は的を射ていると思います。

ただ、ですね。その後のあすなろさんの話の流れは、失礼ながらちょっとそこから外れているように見えます。(あすなろさんの自己分析は見事だと思います。そうではなくて、公開掲示板の相談事例に関する考察の方です。)にわとりさんとあすなろさんの話は、同じ内容を違う表現で語っているように、私からは見えます。なんでこれが意見の相違になるのかな…と。

共同幻想と言っても、仮にもそれで社会全体がうまく回っていた時代もありました。そんな社会を再現する為には、外せない前提条件がありますが。その上で、それを良しとするような心の構造を組み上げるかどうかが問題なのだと思います。「心の構造」とは、我々の掲示板で使われていた言葉に翻訳するなら「価値観」となるでしょう。

ブログの方の記事「『共同幻想』再選択って具体的にどういう状況か」
http://kagewari.seesaa.net/article/419374432.html
http://kagewari.seesaa.net/article/419489834.html
この記事もちょっとわかりにくいんですよね。私も、これを読んだ上で公開掲示板を見たりして少しずつわかったような気分に、やっとなってきた所です。だから私の理解も思いっきりズレてる可能性もありますが。

強烈な反抗期を経るというのが一つの大きな課題で、自分はどうしたいのか、それを踏まえて自分はどう生きていくのか、の2つを自分で決めなければなりません。考えるべきはこの2つであって、どちらか1つでは無いのが、多分ポイントなのでしょう。そして考えるだけではなくて、決めなければならない。これもまたポイント。

それを示唆する表現がブログ中にありました。

> 重要なポイントに「少なくとも発展途上国以上の環境の場合、同年齢は学生であり”働いていない”」のです。
> 所謂食い扶持・シノギのために「言わずもがなで就職という形式による社会適応を迫られる状況に無いワケです。」

それで、上述のポイントを適当に流して、つまり考えたフリをして決めたフリをして、フリをしてるだけだから実は周りに流されているだけで、要するに社会的圧力に屈している、そしてその自覚が無い、…という状況が↓

> ●「誰だって、部活選択は友達とかにどうしよっかだとか普通どうだろうかとか、常識的にとか考えるのではないか?」
> うんとだね、上記のスタンスは言うならば「中途半端なモデル」なのね。←確信犯的再選択では無いワケだわ。端的に言うと「部分的反抗期の後、反抗期の一部を先送りしつつ微妙に中途半端なまま『共同幻想』再選択をしている」状況なワケ。

これを別の言葉で言い換えると

> 「なんとなくオンザレールで『共同幻想』再選択が普通であると社会的強迫に対して無抵抗(無反抗)に白旗あげちゃっている現代人」みたいな状況

になるのでしょう。

長くなったので分けます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/19 (Mon) 11:41:46
自分はどうしたいのか、自分はどう生きていくのか、この2つを自分で決めた人間のメンタルってどうなるのか?

これ、昭和のスポ根マンガを読むと良くわかります。今風の中から選ぶとすれば「ヒカルの碁」かな…これも今やちょっと古くなりましたね。大人向けだと「サラリーマン金太郎」が近いかも知れません、これも既にちょっと古いマンガですが。意外とあるものですな。コレを表現してる作品は、今でも探せばまだまだあるのかも知れません。

要するに、にわとりさんが挙げている箇所 >>9 になります。
http://zenzenkinosei.web.fc2.com/bbslog/log_071.html#105
>どういう理由で映画『フルメタルジャケット』推薦したと思ってるんですか。
>ハートマン軍曹は紳士でしたか?個人的侮辱をしませんでしたか?
>これに兵士はなんと答えるのがルールですか?
>単独者系の野村監督ですら、外見や身体的特徴及び技能を 揶揄します。 理由は簡単です、「そんな事は(社会に出る=出家同然なんだから)とっくに捨てているな」の確認です。
>『共同幻想』の兵士を鍛えているんですよ。 猛烈野球部の話にたとえれば「お前野球のためなら親も殺す覚悟できたか」の動機を確認してんですよ。「お前何しにきたんだ」と。

フルメタルジャケットの中には名言が色々ありますよね。ちょっとぐぐって探してみました。

「貴様ら雌豚どもが俺の訓練に生き残れたら、各人が兵器となる。」
→その道(兵器になる)を選択するのが共同幻想再選択に相当し、その為にはどんな事(俺の訓練)も飲み込む(生き残る)覚悟をするってのが自分で決めるって事です。実はどの道を選んでも厳しさには大して変わりがありません。という事実を、反抗期に気付かなければならないって事なんですよね。

「その日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ。貴様らは人間ではない。両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない! 」
→厳しい訓練ってのはこういう侮辱まで含むものです。レベルの差はありますが。それを黙って飲み込む覚悟をしてきたか?を動機という言葉でkagewariさんは表現しているのだと思います。更に言えば、こんな侮辱は訓練が終わっても続きます、社会に関わって生きるなら。ちなみに単独者を選んだ場合は、これを本人がひっかぶる事になります。共同幻想の中なら、これをかぶる役目の人が他にいる事もあります。本番でのこういうのは訓練の比ではありません。だから共同幻想を選択すると楽なんです。

「貴様らは厳しい俺を嫌う。だが憎めば、それだけ学ぶ。」
→ぶっちゃけコレなんですよね。覚悟を決めてきたヤツなら、これを理解しています。そして覚悟を決めるってのはそういう事です。

「俺は厳しいが公平だ、人種差別は許さん。黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん。すべて―――平等に価値が“ない”!」
→訓練する側の心得ですねコレは。厳しければ厳しいほど差別はしないものです…というのは私の願望ですかね。本当に厳しい人ってのは自分にも厳しくて、相手によって対応を変えたりしないものだ、と思っています。「すべて平等に価値が無い」ってのは行き過ぎですがね(^_^;) ただ、訓練期間中の人間が「自分の意思を尊重してくれ」ってのは傲慢の一つだと私は思っています。が、それを教える側が取り違えてはいけません。教育が最大の効果を発揮するように調整するのは、教える人間の義務であり責任です。それは体力や精神面の考慮を含みます。


何となくオンザレールな共同幻想再選択をして意図しないストレスに晒されている人間、それに対して動機の再確認と自分自身の決定を促すやり取り。私の私対策 人生の王道の為に(裏) で紹介させていただいた「ナナとカオル」15巻の前半に、まさにその話が描かれています。ポイントは結論を強制しない点。でももだっても、促す側にもありません。その辺が捻りも何も無くストレートの直球で表現されています。とてもわかり易い。まぁ、なかなか手に取りづらいマンガだと思いますが…。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/19 (Mon) 22:10:29
>にわとりさん
>Katzさん


>にわとりさんとあすなろさんの話は、同じ内容を違う表現で語っているように

その通りです。kagewariさんの回答を、同じように読み取っています。
しかし、その回答をそのまま受け取るか、逆説的なものとして受け取るかという違いです。
だから、表裏のように違うと表現したのです。

Katzさんが、フルメタルジャケットの内容を細かく挙げてくださったので、ますますそう感じました。
あくまで私が、kagewariさんの真意を推測したに過ぎませんが。

フルメタルジャケットや、野村の例は、非常に極端な例ですが、本人に『共同幻想再選択』を自己決定していなかった場合は、それほど厳しく感じられるものであって、自己決定して敢えて再選択を決意していたのなら、それすらも喜んで受け入れられる(ように、していない者には見える)
それほど大きな違いだと『警告』したかったのではないかと。

相談者は、そういう厳しい現実であるということはこれまでのやり取りで理解しているのですが、だからこそ『社会は厳しい。私には無理』という結論に達してしまっている。
そこを、kagewariさんが、そういうことを言いたかったわけではなく、そんな厳しい共同幻想を敢えて選択せずに、単独者の方の生き方も参考にするか、なんで共同幻想が自分にとって厳しいのかを見つめ直しなさい。と諭している。
しかし、相談者は字義通りにしか受け取ってくれない。

kagewariさんの、この相談例の回答に関しては、まさに独善的で冷静さを欠いています。
そこには、Katzさんがおっしゃたような『獅子が子を谷底に落とす』といったような愛情的なものは感じられないし(きっと、このやりとりの前にはそういうスタンスでやりとりされていたんでしょうが)もうこれ以上、やり取りしても無駄なのだから、書き込まないでくれという怒りすら感じます。

それは、他の相談例の回答と比べれば分かりますし、その怒りの言葉の中にも、ちゃんと論理が通っているところが、kagewariさんの凄さかもしれません。

何を好き好んで、フルメタルジャケットのしごきに耐えて生きて行かなくてはいけないのでしょう?
それに、そんな『忍耐』を必要として共同幻想を生き抜いている人など、それほど多くありません。
多くは何となく順応しているのです。(これが喜んで受け入れるということです。しごきをしごきとは感じていない)
それが何故そうなるかといえば、鬼軍曹のしごきも、その先にある自己実現のための手段と思えばなんてことないからです。なかなか掴めない『崇高な目標』に近づく手段だと割り切っていれば、しごきさえも有難い課程と思えるのです。
その自己実現の目標や手段と割り切っていなければ、ただの我慢大会になってしまいます。

共同幻想再選択というのは、自己の目的達成のための手段に、『共同幻想』を敢えてチョイスした人。それでやっぱり遠回りなら、『単独者』を選べばいい。
そういうことなのだと、私は解釈します。

にわとりさんが結婚のことを例に挙げられていましたが、その目的が『その人と添い遂げる』ことにあれば、砂の城が崩壊しても一緒にいられれば幸せというのも、その通りだと思います。
しかし、メンタル面に問題があって、共同幻想を妄信していると、『適齢期』だから『三高』だから『何となく楽そうだから』そんな打算が多く混じっていることがあります。

それで砂の城が壊れてしまえば『ああ、こんな人と結婚したために、私は不幸になった』と相手に責任転嫁することも考えられるでしょう。

ここで、その状況を選択した『動機』というのは、非常に重要になってくるし、その違いで『幸』と感じるか『不幸』と感じるかが大きく分かれてくるのだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/20 (Tue) 21:23:05
あすなろさん

>単独者の方の生き方も参考にするか、なんで共同幻想が自分にとって厳しいのかを見つめ直しなさい。
と諭している。

あすなろさんには諭しているように感じるんですね。
私には公開掲示板に質問されたから仕方なく説明してるのかと思いました。


>やり取りしても無駄なのだから、書き込まないでくれという怒りすら感じます。

これは私も感じます。
ただ独善的で冷静さにかけてるとは感じませんでした。
掲示板を荒らすななどの怒りはあるでしょうけど、投稿者にクレームを出すのは当然ですね。
  
kagewariさんが独善的であろうと、閲覧している私には単独者や共同幻想適応者の定義がわかりやすく説明してあったのでどうでも良いですが。


さて本題ですが。
> 『忍耐』を必要として共同幻想を生き抜い ている人など、それほど多くありません。多くは何となく順応しているのです。
>しごきをしごきと思っていない。

共同幻想適応者のためのカリュキュラムでできていますから大半の人はしごかれることはほとんどないように感じます。
しごきがあっても陰で親しい人に愚痴る程度(我慢できるしごきのレベル)でしょう。度が過ぎればクーデターを起こすか別の軍隊に入る選択肢もありますからね。
この相談者は職場になじめず、ふつうの人以上のしごきを受けたり、別の選択肢がなかったからしごきに耐えられなかったのでしょう。


>遠回りなら、『単独者』を選べばいい。

人と関わりたい欲求があると、共同幻想適応者に憧れるのかもしれません。私もそうでしたから。

それに単独者選択は全て自分の力で切り開き、自分で対処し、人に助けを求めず、全て自分でやらなければなりませんから能力が欠けているこの相談者には単独者選択も無理なように感じます。
低所得の仕事に移っても自分で生活するくらいの知恵と精神力があれば別ですが、この相談者には難しそうに思います。


>メンタル面に問題があって、共同幻想を妄信していると、『適齢期』だから『三高だから』『何となく楽しそうだから』そんな打算が多く混じっていることがあります。

メンタル問題から離脱して共同幻想選択していれば(高望みしなくなりますから)、たとえ低所得だろうと、万年野球部の玉拾いだろうと幸福感は感じられるとkagewariが言ってましたが、 この相談者も自分の能力以上の欲があって高望みしたのがいけなかったのはありますね。
まあ私も人のことは言えませんが…(^_^;)




Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/20 (Tue) 21:53:57
Katzさん

>「すべて平等に価値が無い」ってのは行き過ぎですがね(^_^;)

共同幻想論であれば正しいと解釈しています。
兵士を育てる上では「人間」ではなく、「兵器」として育てられますから人権なんて尊重されないでしょう。

もしそれが行き過ぎた行為だというのであれば、共同幻想そのものを壊さなければならないのではないかとkagewariさんの文章から解釈しました。


>訓練期間中の人間が「自分の意思を尊重してくれ」ってのは傲慢の一つだと私は思っています

共同幻想論としてはそうだと思います。
フルメタルジャケットを見ましたが、微笑みデブのように周りからリンチされても反論する権利はないとのことでしたから。
それを逆手に取って、障害者や弱い者をいじめたり、理不尽なマウンティング行為をする奴もいるわけですが。

ただ単独者選択をした場合には空気を読まずに発言するのが自然(それによるリスクも自分で引き受ける)と書いてましたが。


>それを教える側が取り違えてはいけません。教育が最大の効果を発揮する ように調整するのは、教える人間の義務であり責任です。それは体力や精神面の考慮を含みます。

権力を逆手に取ってえばり散らすだけの奴も少なくないですね。
ハートマンは共同幻想的には正しい人間の見本なんですね。あくまで共同幻想的にはですが(戦場では個人の人権は尊重されませんから)。

ただ個人の体力や精神は考慮されるでしょうか。
体力や精神がやられた人は除隊です。除隊だけなら良いですが、ナチスだったら処刑の対象です。
共同幻想はそういった残虐性を含んでいます(そう解釈しています)。本来は自分の所属する集団を優先しなければなりません。
さすがに先進国の職場であれば、もともと健康な人の体調や精神を無視した働き方をさせる企業は問題とされますが(建前だけかもしれませんが)、個人の事情よりも会社を優先させなければならない部分もありますよね。


>実はどの道を選んでも厳しさには大して変わりがありません。という事実を、反抗期に気付かなければならないって事なんですよね。
> 「貴様らは厳しい俺を嫌う。だが憎めば、それだけ学ぶ。 」 →ぶっちゃけコレなんですよね。覚悟を決めてきたヤツなら、これを理解しています。そして覚悟を決めるってのはそういう事です。

この部分は私も同じ解釈です。

ただ理解出来ない部分があります。
ASDは常に生きづらさを常に感じ、ストレスは半端ないですが、普通にハードルを越えている健常者が潜在的に感じるストレスの正体は何なのか?

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/20 (Tue) 23:28:27
あすなろさんへの返信で訂正があります。

>単独者選択は全て自分の力で切り開き、人に助けを求めず、全て自分でやらなければなりませんから能力がに欠けているこの相談者には単独者選択も無理なように感じます。 低所得の仕事に移っても自分で生活するくらいの知恵と精神力があれば別ですが、それもこの相談者には無理なように思いますす。

能力は関係ないとkagewariさんのブログには書いてましたね。
共同幻想適応選択、単独者選択どちらであっても、低所得で生活が苦しくてもそんなのは関係ない、共同幻想適応選択なら共同幻想適応者の一員になれることに(結果はどうであれ)幸せを感じ、単独者であれば自分の選んだ選択にた対して結果は関係ない(所得も含む)と書いてありました。
発達抱えてるとさらに選択へのリスクは高まりますが、結果を求めることがメンタル問題となるんでしょうね。

どちらにしてもグズグズ言う人には選択は難しいというか無理かもしれません。そういう私もいろんな葛藤があるから偉そうには言えませんが。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/21 (Wed) 09:55:50
>にわとりさん

やはり、にわとりさんと私の解釈の仕方が真逆のように感じます。
しかし、これはkagewariさんが、相手に伝える表現というのをあまり考慮していないために、いろんな取り方ができてしまうためであって、どちらがkagewariさんの真意をくみ取っているのかは、判断できません。おそらく、これまでの自分自身の経験から、勝手に先入観を持って解釈してしまう結果だと思います。

その点を考慮していただいた上で、私の解釈をお話すると、


>結果を求めることがメンタル問題となるんでしょうね。

これは、私は全く逆だと思います。
メンタルに問題があるために、自分自身の『結果』を追求できない。要は自分の到達点は何なのか分からない状態がメンタル問題なんだと思います。

結果というのは、『自分自身のなりたい自分』であって、共同幻想が押し付けている結果ではありません。結果=個人の理想像ということです。その理想像になるために、社会の力(共同幻想)を利用できるかどうかというところです。

理想像は、経済的に自立するということばかりではありません。ボランティアで人の役に立ちたいというのも、立派な理想像ですし、芸術や技術をとことん追究するというものもあります。

しかし、何をするにも、『資金』というものは最低限必要になってきます。

正社員として働ければ資金は十分潤いますが、それには共同幻想によって掛かってくる負担が大きい。ブラック企業などではまさにフルメタルジャケットの世界を耐え抜いていかなくてはいけない。
その負担が自分の理想像に近づく努力を侵害するのであれば、アルバイトや派遣といった手もある。
それでも負担だという場合は、生活保護というものも社会から保障されているわけです。

ある写真家は、自分の撮りたい写真を追究するために、自身の作品をポートレートにして企業を回り、スポンサーを見つけるために苦労しているというドキュメントを見たことがありますが、その写真家の『理想像』はこだわりの写真を撮ることであって、経済的自立ではありません。経済はあくまで自己追究の資金を得るための手段でしかないのです。

kagewariさんのいう喜んで受け入れる状態というのは、どんなにブラックであろうと、その収入に魅力を感じれば喰らいついていけるし、周囲が酷い人間ばかりであっても、その会社の理念に惚れこんで働きたければ、それも喰らいついていけるということなのでは?と私は思います。

相談者に、kagewariさんが怒っているのは、そういう視点で社会をみれば、辛いことなど何ともなくなるし、逆にそういう視点がなくて社会をみた場合は、理不尽で横暴なことの連続であって、普通の精神ではとても耐えられるものではない『フルメタルジャケット』のような異常世界だと言いたかった。

しかし、相談者は社会は『フルメタルジャケット』のような異常世界だということばかりを解釈してしまって、それならもっと自分を戒めなくてはという逆の理解をしてしまい、kagewariさんが『諭した』ことを逆に捉えてしまった。

kagewariさんは、共同幻想論の捉え方を工夫しなさいと言っているのに、相談者は、もっともっと共同幻想の厳しい部分を見て耐えられるだけの根性を付けなくては!でも、自分には厳しすぎるという諦めモード。

これは、何を言っても平行線になるのに、相談者からはkagewariさんの伝えたいことを理解しようともせず、相変わらず『どうしたらいいですか?』という質問が来る。
それで『もう、あなたとのやり取りは無駄だと言っているじゃないですか! いくら聞かれても私には解決できないんですよ!』と怒っているわけです。

別に荒らしとみなして排除しようとしているわけではありません。

……と、私には伝わりました。

この誤解は、kagewariさんの表現力の乏しさにも問題があると思いますが。
だから、にわとりさんの解釈と私の解釈の違いが生まれるのも当然ですよね。

そこで、もうひとつ。

Katzさんが指摘されたように、kagewariさんの視点に、発達障害はメンタルの問題としていることが、問題を大きくしているのではないかと感じます。

ここでは相談者の方が発達障害だとする根拠はどこにもありませんが、にわとりさんがご自身の経験と照らし合わせてそう察したということは、そういう視点でも考えられるといえます。
すると、あくまで定型でメンタル問題を抱えている場合は、kagewariさんの叱咤激励が効くのでしょうが、発達障害から不適合を起こしている場合は、返って追い込む結果になるのではと感じました。

定型であって、メンタル面だけの問題であれば、意志を強く持つことで解決できることがたくさんあります。
kagewariさんのいう『俺はどすっか』を、他からの雑音を気にせずにいれば考えられるからです。

しかし、発達障害で出来ないことが多く、これまでの成功体験が極端に少ない場合、他の雑音をシャットアウトしたとしても、『俺はどすっか』自体が思い浮かばないということが考えられます。

あくまでkagewariさんの理論は、個人と社会をどう関係づけるかというものであって、発達障害者が自己実現を果たすための工夫は何かを教えるものではありません。

そこが、発達障害者が抱える問題を、(Katzさんが例えられた)ハード面で捉えるのか、ソフト面で捉えるのかの、大きな違いでしょう。

実際にはどちらも抱えているケースが多いので、kagewariさんの理論も無駄ではないと思いますが、この相談者のように、違う解釈をしてしまった場合、かえって危険なのではないかと感じます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/21 (Wed) 17:53:14
あすなろさん

お互いに解釈が一致しないですね。

>>結果を求めることがメンタル問題となるんでしょうね。
>これは、私は全く逆だと思います。
メンタルに問題があるために、自分自身の『結果』を追求できない。要は自分の到達点は何なのか分からない状態がメンタル問題なんだと思います。

私は両方メンタル問題だと解釈しました。


>ある写真家は、自分の撮りたい写真を追究するために、自身の作品をポートレートにして企業を回り、スポンサーを見つけるために苦労しているというドキュメントを見たことがありますが、その写真家の『理想像』はこだわりの写真を撮ることであって、経済的自立ではありません。経済はあくまで自己追究の資金を得るための手段でしかないのです。

経済的な自立をしたら解決とはならないのはそうかもしれませんね。kagewariさんのブログにも同じようにかいてあったと思います。


>発達障害で出来ないことが多く、これまでの成功体験が極端に少ない場合、他の雑音をシャットアウトしたとしても、『俺はどすっか』自体が思い浮かばないということが考えられます。

これは「発達障害のせいでできないことが多く、そのために選択肢が限られて自己実現できない」との意味でおっしゃってるのでしょうか?
もしそうなのだとしたら違うと思います(あすなろさんの解釈が違っていたらすみません)。

>http://kagewari.seesaa.net/article/423053156.html
>『共同幻想』適応選択をするのであれば、大原則が「自らの不快選択により獲得された参加身分」これに幸福を感じなければならず、その先の『共同幻想』内部のインセンティブ(ヒエラルキー構造により上位者こそ偉いという設定)←ここは努力を促進する”エサ”まきであって(経済成長原則)、それは『共同幻想』の本旨では”ありません”。←原始共産制なら「各人の能力問わず完璧な年功序列制」もあり得るんですから。
>(『共同幻想』をネタにやたら内部的地位や能力的差異に固執するのは「既にメンタル問題」である。)

>『単独者』なら?
>単独者的演劇ってのは、ストリートなので個人的なパフォーマンスやるみたいな話なので、役名も地位も技能もへったくれもありません(誰にも理解できないキテレツなのでもアリアリなんだから)。
>そもそも一般的な評価を拒絶するから『単独者』なのであって、
>そこに出来不出来があるとするなら、それは「誰の意見にも振り回されず、思ったようにやっているだろうか」に尽きます(そもそも個人でやっていて被る同様ジャンルが無いのだから「偏差値的出来不出来」という認識があり得ない)。

「結果論に意味はない」とkagewariさんがおっしゃっていたのは言葉通りだと思いますよ。
たとえば万年野球部の玉拾いやベンチ席での応援しかできなかったとしても、共同幻想選択していれば、「(チームへの忠誠が最優先なので)チームやチームメイトの活躍は自分のことのようにうれしい」「大好きな野球部に入り、チームの一員として皆と一体となってベンチ席から応援できることがうれしい」「(チームへの利益を最優先に考えるので)玉拾いでも何でもチームが活躍しやすいようにサポートできることを考えよう」となります。
※PL学園だったかな?以前に野球部の教育と称したいじめが問題となっていましたが、ハートマンのしごきのようなものはそのうち消えていくのかもしれません(いつ消えてなくなるかはわかりませんが)。

単独者であれば、他者からの評価を気にしないので、「大好きな野球をやれることが幸せだ」「大好きな野球をただひたすら練習する。結果は二の次だ」となります。

結果論にこだわるのはメンタル問題だと書いています。

どちらを選択するにしても、上記の心構えがあれば(結果論は関係ないので)その時点で「自己実現」となり、幸せだと思えるのではないでしょうか。

↑私はそう解釈しました。
心構え一つなんだと思います。これは障害者も健常者も関係ないでしょう。
なので、kagewariさんは発達障害のための工夫の仕方として書かなかったのではないでしょうか?

たとえ発達障害で幼稚園児のような絵しか描けなくても、腕がなくてあごに筆を挟んで描いているために思うような絵がかけなかったとしても、絵が好きで描いてることが自己実現、幸福感につながるのではないでしょうか?
「少しでもうまく書けるようにただひたすら練習するだけ(結果論は二の次)」この心構えが大事なんだと解釈しました。


ここで議論するよりもkagewariさん本人に聞かないとわかりませんが(有料相談で質問しないと答えてもらえないと思いますが)。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/23 (Fri) 09:29:06
>にわとりさん

ご紹介の記事ひとつにしても、注目する場所がまったく違うのですね。
この記事の大前提として、kagewariさんは、以下のようなことを書かれています。


>所謂『共同幻想』社会適応する状態を標準とする」なんて事を心理学がやったら「もう思想的な洗脳バリバリ」になりますから。
その後当事者が何を志向しようと干渉しませんが、
何か特定の人格構造を優位であるとか、人として標準であるとか、それが可能になる事がやれ社会復帰であるかのような予断は単に『共同幻想』の論理に過ぎず、
人間個人と対峙する心理学が軽率に発言したり示唆したらイカンのです

>、『共同幻想』適応人格ってのはここのところ書いてきたエントリーで鉄板の論証したように「完全に個人の能力にリミッターかける仕組み」です
いかにも『共同幻想』適応な社会復帰をどうたら」みたいな話をされてもですね、いやいや個人の能力的なものをスポイルする人格構成の話になってしまうんですがって「ガチの論理矛盾」に突き当たります

>「一般健常者」みたいな扱いとなっている『共同幻想』社会適応選択の病理性みたいな話

つまり、共同幻想選択は、避けては通れないものであっても、それ自体、病的なものを多く含んでいるものであり、その病理に気付いていないなら、敢えて心理学的アプローチをする必要が無い(歩留まり)が、気付いてしまったときメンタル問題が発生するのであって、そこから心理学はその病理的な部分も含めて解説していきましょうというスタンスではと、私は思います。

メンタル問題が病理的な物ではないとする理由もそこにあると思います。

気付いたのに、敢えて共同幻想を信じて戻ろうとするのは、まさに強迫心理では?と感じますし、kagewariさんもそこを警告されているように感じます。

この病理的なもののひとつとして、にわとりさんの挙げられた事例が提示されていて、そんな異常な世界なんですよと解説しているように思われます。

『結果』を求めずに、今行っている労役や、そのポジションにあることだけに幸福を求めるなど、人として終わっているように感じますね。
前にもどなたかが挙げてられましたが、ナチスの最も過酷な強制労働は、ひたすら穴を掘って、それを埋め、また掘るというもの。エジプトの奴隷の労働にも、石をひたすら積みあげて、崩し、また積み上げるというものがあったと聞いたことがありますが、結果=目的=夢が無い状態で動き続けることほど過酷なことはありません。

kagewariさんは、その『結果』を、共同幻想の中に求めることが間違いであり、強迫観念だとおっしゃっているんだと思います。
演劇なら主役になりたい。会社なら出世したい。フリーランスなら世間から注目されたい。

この前のスレで、私が言った『結果』とは、『自己実現』のことで、共同幻想にはまったく関係ない個人的なものです。個人のこだわりなので、誰も共感してくれなくても、誰にも話さなくてもいいわけです。

スポンサーを得るために企業回りをするカメラマンの例だと、企業に共感してもらうのは、『資金』を得ることであって、自分のこだわりを理解してもらいたいわけではありません。
しかし、ただのこだわりだけでは資金繰りができないので、敢えて共同幻想を意識して、なるべく公に受けのいい宣伝方法を考えなくてはいけません。

それが、『結果』のために、敢えて共同幻想心理を理解して、利用するということではないでしょうか。

ちなみに、発達障害者が『結果』を求めることが困難になるというのは、これまで、できないところにばかり注目されて、自分の利点や得意分野を認めてもらえる体験が少なかった場合が多く、そうすると、自分には何ができるかということを正しく認識できなくなるため、『自己実現の目標』が立てにくくなるということです。

叱責ばかり受けてきたのでは、新しい分野を開発しようとする意欲も湧きませんし、何よりもまた失敗したら怖いと、守りに入ってしまいますから。

発達障害を神経医学的に分析しなくてはいけないのは、今の一般社会に、発達障害者の行動の特異性ばかりを指摘する声が多いために、脳機能の働きからそうなっていることを知って、一般論では見つけにくい、発達障害の利点、欠点をしっかり見極めることが必要だからです。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/10/23 (Fri) 10:25:38
補足

ちなみに、その人の求める結果が、この集団の中で、このポジションで、楽しく活動できること、なら、それで十分なわけです。
結果の設定は、それぞれであって、本人がそれを心から良しとすれば、それでOKということだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/26 (Mon) 22:40:27
あすなろさん

kagewariさんがわかりやすく解説して下さると良いんですけどね。


>演劇なら主役になりたい。会社なら出世したい。フリーランスならみんなから注目されたい。

これ自体がメンタル問題です。メンタル問題から離脱した人は「大きな役がほしい」「出世したい」「みんなから注目されたい」とは考えず、ただそれが大好きでひたすら練習するというだけですから。
だから「結果にはこだわらない」のだと解釈しました。
メンタル問題から離脱し、共同幻想、または単独者を選んだ時点で「自己実現は成り立っている」わけです。

いくら環境を整えても何の特技もない人もいます。
だからといってそれが悪いわけではなく、結果を出したり、得意分野を見つける必要もない。
仕事となると結果を出さなければなりませんが、kagewariさんは無理に仕事をする必要はないと相談者に言っています。
叱られた経験があって悩んでる時点で(他人の評価を気にしてるので)メンタル問題となりますから、あとは本人の心意気だと思いますよ。

同じ事を繰り返し言ってるので、また新たな発見があれば書かせていただきます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/10/26 (Mon) 22:55:46
心理学とは関係ない話ですが、経済学の話です。
私の頭では理解できませんでしたが、経済がインチキだとか何とかの話のようです。
Katzさんは政治経済の話も関心ありそうなので、もしよろしければ。
http://kagewari.seesaa.net/s/article/368596630.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/168399935.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/169283424.html
http://kagewari-retour.seesaa.net/s/article/282754522.html
http://kagewari-retour.seesaa.net/s/article/282896413.html
http://kagewari.seesaa.net/s/article/377874436.html

kagewariさんのもう一つのブログにも政治経済について書いてあります(主な内容は不動産や住居に関する内容ですが)。
http://kagewari-retour.seesaa.net/
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/27 (Tue) 14:44:53
にわとりさん紹介ありがとうございます。

とりあえず最初の1編だけ読みました。このページの前半、私の父が何度か話してくれた内容と全く同じでした。笑ってしまいましたねえ。経済ってのは巨大なねずみ講で、定期的に行き詰まるから戦争おっ始めてぶっ壊す事でリセットする、でも現代はそうもいかなくなったんで、さてどうするか、って所。この辺は私も興味がありますので、私も色々書いてみたいんですが、さすがにこの掲示板ではテーマが違いすぎますね(^_^;)

一言だけ言えば、紙切れの共同幻想性を最大に生かして、ベーシックインカムを日銀の事業にしてしまったらどうか、と私は考えていたんですけども。これはアメリカ90年代の追っかけになると書かれていますので、私ももうちょっと勉強が必要なようです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/10/27 (Tue) 15:03:51
あすなろさん、にわとりさん

色々考えたのですけども、「共同幻想」が具体的に何であったのかを探るのが、一つのカギになりそうな気がします。
kagewariさんは、現代は共同幻想の崩壊過程にあると書かれているので、今現在の状況から時代を遡っていくと少しずつその変遷が見えてくると思うのですが、それを明らかにする事で何かわかる事もあるのではないかと。

実際、今現在の一般企業の様子と、我々の親世代または祖父世代のモーレツ社員時代とでは、何もかも色々と違っているワケですし。そこを押さえた上でkagewariさんの年齢(50過ぎでしたっけ)を考慮すると、何か見える事もあるかなと思います。

で、時代のキーワード程度の内容を箇条書きにしてみようと思ったのですが。何しろ記憶を総動員して思い出さないといけないので、その程度でも時間がかかってしまいそうです。。。
共同幻想の推移1
  • Katz
  • 2015/10/31 (Sat) 20:01:07
共同幻想を具体的に捉える為に、時代の特徴をいくつかのキーワードで表現する事を試みてみます。私のつたない記憶を総動員して、細かい調査は後回しにするので、誤りなども多いと思います。違和感がありましたらどんどん突っ込んでください。今回は歴史的事実を並べるのが趣旨ですので、ご遠慮等々無きようお願いします。

そして分量が多くなります。。。かなり鬱陶しいと思います。申し訳ありません。しかしこれら時代の特徴の羅列が、社会常識の強制、社会的な鬱屈の構造などを知る手掛かりになるかと考えていますので、そういう補足も歓迎します。というか、そちらが最終的な目的となります。

まず、今です。最近数年くらい。
ゆとり世代が社会に出てきて、その問題が明らかになってきた所です。この期間、私がゆとり世代に直接対峙したのは1度だけですが。ニュースやwebサイトで見る限りでは、現実を知らないオコサマ、の一言に尽きます。そう言えば私は公私共に若者に接する機会がありませんでした。それはそれで問題ですな…。
教育界では、まさにこの掲示板のテーマである所の自閉症関連について、最新の知見に基づいた教育プログラムが作成され始めました。同時に社会的にも「自閉」「アスペ」「ADHD」などが注目されるキーワードになっています。
社会全体の風潮としては、日本スゴイ的な話題が随分と増えました。日本人が自尊心を取り戻そうとしていて、それを産業に生かす(=金儲けのネタにする)ようにしようという流れだと捉えています。個人的には、日本人がこういう流れに乗ってしまうとロクな事にならないと思っていますが。
少子高齢化が本気で話題にされているのもここ数年でしょうか?高齢化はとにかく少子化の方は、若い男の性欲減退が主な原因と私は思ってますけども。子作りしないから子供が出来ないのです。草食男子という言葉が出て定着したのもここ数年ですよね。これにはエッチな話題ではなく、共同幻想以前の、現実を心にアップデートできていないという問題が隠れていると私は睨んでいます。

その前、およそリーマンショックを境にその前数年くらい。
経済的な特徴としては、景気が良かったです。しかしこの頃は、労働者向けにはあんまり景気の良さは宣伝されなかったような気がします、これは今もそうですけど。ただ株高などで、本業の低収入を株で補うという事例が個人レベルでもあったようです。
アラフォーという言葉が出たのもこの頃と思います。最初はアラフォーのオヤジが若い女の子にモテているという話から始まったと記憶しています。余談ですが、アラサーやアラフィフという言葉はアラフォーに倣って産み出されただけで、経済的な意味は無いと思います。当時のアラフォーがなぜ注目されたかというと、実はバブル世代なんですよね。だから金を遣う事に慣れていて、またバブル世代の男は女の子のエスコートに慣れていたので、当時の20台後半の女性が食いついたのでした。そして当時の20台後半の女性はチヤホヤされる事に慣れていた。これは、更に遡る事10年前に女子高生ブームというのがあり、その頃の女子高生がこの当時の20台後半なのでした。
社会的には、この頃は「だから日本はダメなのだ」のような議論が多かったように思います。そういうのを聞くと私は反発して、いやいや日本はいいところ沢山あるでしょと思ったものですが、それって確かこの頃ではなかったかと。。。
また、団塊の世代が定年退職する事で、現場の技能が一気に失われる事が問題になり始めたのはこの時期でしたか。もう少し後かな?中国韓国からの引き抜きがものすごかった時期も大体重なっていたと思います。モノ作りニッポンの問題はその後どうなったんでしょうね。
秋葉原襲撃事件もありました。ぐぐってみるとリーマンショックの数か月前のようです。共同幻想について考えるなら、この事件がネタとして適切かも知れません。

その前、西暦2000年前後。
Windows2000が発売される前後です。インターネットが大きく発展し、時代のキーワードになっていた頃だと思います。私の記憶誤りが心配なのと、私はそこにどっぷり漬かる立場だったので世間とのズレが心配なのと、それらがあるので、一般世間の方々からの補足があると嬉しいです。
掲示板が流行し、ブログが生まれ、web2.0の礎が出来た頃です。個人の力が増幅される仕掛けが定着したと言えるでしょう。これまでは人数が少なければコミュニティの社会的影響力はほとんど無かったワケですが、たった1人であっても声が大きければ社会全体に影響する時代になりました。
またこの当時、ネットの世界は本当に自由でした。社会の一部と言える程の人数が参加しながら、規制はほとんどありませんでした。良くも悪くも権力者(あるいは秩序を重視する人達)が、当時まだインターネットを知らなかったからでもあります。
フツーの産業的には、私が関わっていた範囲で言えば、印刷業が最後の足掻きをしていた頃と思います。印刷屋は、今はハッキリと斜陽産業になってしまいました。
経済的には「失われた10年」の末期ですか。しかしIT産業は好景気に沸いていました。
教育界は、この時期にゆとり教育が始まったようですね。その直前は、大学進学競争や詰め込み教育で、子供達が大変な事になっていた頃という事になります。そういえば夜10時過ぎに電車でドリンク剤を飲みながら参考書を開いていた小学生の話を聞いた事がありましたが、それはこの時期の前半くらいという事になりますかね。
話は飛びますがこの前後の20年ちょっとくらいの時代については、エロをテーマに語り出すと止まらなくなります。スケベ心全く無しでも、その流れの急変化は、ちょっと他に類を見ないほど面白い。社会の流れというものに興味があれば是非調べてみる事をお勧めします…が、ネタがネタだけに、調べてもわかるかどうか…。

と言うワケで。私の予想以上に長くなっています。しかも何だか、共同幻想考察の役に立つのかどうかサッパリわからん内容です…。申し訳ありません。もう少々お付き合いください。補足や訂正や、これに基づいた考察などなどお待ちします。
閑話休題・マンガのネタ
  • Katz
  • 2015/11/02 (Mon) 21:40:21
スミマセン。ここに書くのは適切ではないと思うんですが、kagewariさんのいう自身の強迫心理を壊す行為が、実にストレートに表現されているシーンを見つけましたので、箸休め的ネタとして書きます。

青年向けマンガ週刊誌の1つのビッグコミックスピリッツ。今日発売なんですが、その中の「王様たちのバイキング」という連載作品です。周りに怒られる事を警戒して無意識に抑え込んでいた気持ちを、仲間を得た上でギリギリの緊張感を強制される事で、その抑制に気付いてぶち壊す=自分の気持ちを開放して能力のリミッターを外す、というシーンがありました。いやぁ、ドキドキしますね。

いい表現だと思いますが、ここまでの物語がわからないと楽しめないかも知れません。もし御存知の方がいらっしゃったら、共同幻想と強迫心理とその破壊、という観点から読み直してみてはいかがでしょうか。
共同幻想の虚しさ
  • あすなろ
  • 2015/11/03 (Tue) 14:51:57
これも、kagewariさんの主張とは違うかもしれませんが。

最近、共同幻想の崩壊と、共同幻想に縛られた個人がどうなるかを実感しているところなので、私の経験を参考までに。

もう、6年ほど前、知り合いが鬱にかかり、仕事を辞めました。詳しくはわかりませんが、今話題のA社の研究職だったようです。
A社は、つい最近まで鉄板の大企業というイメージでしたし、彼も第一線のエリートというイメージでした。
鬱になったのは、忙し過ぎたせいかなと思っていました。

彼は退職後、なかなか体調が戻らず、療養を続け、回復して、少しずつ自分の本来やりたかった勉強を始めましたが、それを仕事にするには、年齢的にも、キャリア的にも厳しかったようです。それでもアルバイトなどで生計を立てていました。

エリートコースまっしぐらで来て、働き過ぎで心と体を壊し、結局、A社でのキャリアは一般には通用せず、世の中厳しいなと感じていましたが。

最近になって、A社の暗部が暴かれていくにつれ、彼の心を壊したのはこれだったのか!と気付きました。
内部告発のようになるので、彼は鬱になった原因をはっきり言いませんでしたが、A社が一流企業というのは表向きだよ。実態はひどいものだよとだけ、話していましたが。

共同幻想でいけば、A社に就職できれば間違いはない。そこで食らいついていければ将来安泰と思うでしょうが、実際には幻想でしかなく、いつ崩れ去ってもおかしくない状態だったわけです。
心と身体を壊してまで食らいついた結果、本人の努力とは関係無く見限られることもある。
しかし、その幻想から目覚めて単独者への道を歩こうとしても、未だに共同幻想に縛られている社会では、なかなか認めてもらえない。

抜け出す過程とはいえ、世の中は厳しいです。

しかし、彼にとっては確実に進歩だったのでしょう。A社にいたときとは、経済的には雲泥の差でしょうし、体も弱ってしまって大変なようですが、どこか前向きで楽しそうです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/07 (Sat) 01:22:32
再び横レス失礼します。

Aさんは前向きになられたんですね。

ところで私の方は最近共同幻想への未練が復活してしまいました。
ハロウィンで皆が仮装して楽しそうにはしゃいでる姿や居酒屋で若い子が楽しそうにはしゃいでる姿を見たのがきっかけです。

http://kagewari.seesaa.net/article/419374432.html
http://kagewari.seesaa.net/article/419489834.html
http://kagewari.seesaa.net/article/427569244.html
kagewariさんは強迫心理に惑わされるなと警告されてます。
しかし自分は友達関係が上手く行かず、職場では浮いていて、騒ぐなんて無縁。恋人との関係は上手く行かずに別れた。
共同幻想の人達のように仲間や恋人とはしゃいだり、楽しい時間を共有している現実を見て、自分も同じようにしたかったとの思いが強くなりました。でも現実はそれができない。

以前、あすなろさんのお話を伺った時に私と似たような経験があったように記憶してますが、自分の中で整理はつきましたか?
整理できたとしたら、どうやって気持ちを整理しましたか?
あすなろさんのお手数おかけして申し訳ないですが、お願いします。

Katzさん、スレをお借りして申し訳ないです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/07 (Sat) 19:45:39
>にわとりさん

お気持ち、すごくわかりますよ。私も長年、『わたしの人生はどうしてこんなに張り合いがないんだろう』と思ってきました。
成育歴、自分の障害の部分、いろいろと原因が明らかになっても、だからこそ、生まれたときからフツーの人生が送れない宿命ってなんだろう?と悲しくなってしまいますよね。

実は、未だにそういう気持ちがむくむくと湧き上がってくることがありますし、これはきっと一生続くんだろうなと感じます。
けれど、その原因のひとつに、私の特性を分かってもらうのが難しい社会の仕組みを理解することと、だからこそ諦めなくてはいけない部分をはっきりさせることで、整理が付くようになったかなというところです。

その理解を助けるもののひとつに、kagewariさんの分析も大いに意味があるなと感じています。

最近、私は『定型的フツーの生活への憧れ』が必要以上に強いんじゃないか、それは成育歴に起因しているんじゃないかと感じていましたが、それも、kagewariさんは読み解いていらしたんですね。
にわとりさんが紹介されていたところに、答えが載っていました!

※幼児期(自我活動として差別的に誰しもが『被(こうむる)』状況に追いやられる時代)、反抗期による現実アップデート(その都度自主独立領域の拡大)をせずに(或いはできない事情があり)、旧来の依存性・固着性(幼児特有の権威性固着)が温存され(=あてられる、見せ付けられる場面ばかり継続)、「幼児が大人の社会をやたら凄いものだと信じているのと同じ図式とスケール」で「『共同幻想』のやることなすこと眩しく見える」からです。←勿論完璧な錯覚に他なりません。

そうそう! その通りだと思います。
なので、私のフツーの生活への異常な憧れというのは、おそらく解消できないものとして一生付きまとうだろうけど、それは『異常な感覚なんだよ』と自分に言い聞かせることでしのいでいこうと思うところです。

ちなみに、Aさん(正しくはA社を辞めた知人ですが、Aさんとしたほうが分かりやすいですね!)は、正社員という道を諦めて、アルバイトで生計をたてることを選択し、仕事よりもある趣味に夢中になっていて、イベントなどで全国を飛び回っています。趣味関係での仲間がたくさん出来ました。
仕事は最低限の生活費と、趣味の費用を確保するためのものなので、イベントがあると、うまく言って休んでいるようです。
「もう倒せる親族がいなくなっちゃたよ」と言っていました。親類が亡くなったのでとか言って休んでいたそうで(笑)
まさに単独者の生き方なんでしょうね。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/08 (Sun) 16:11:22
あすなろさん

Aさんは色々ご苦労されながらも自分で道を切り開かれてるんですね。バイトだと生活費は大変ですが、他に充実したものが見つけられて何よりです。

うまくいかない現実は辛いですが、それに執着するのは被害認知(被る感覚)であり、強迫心理なんだと言い聞かせるんですね。
やはり発達に生まれた者の宿命として、死ぬまでこの感情と向き合うことになるんでしょうね。
お忙しい中、答えて下さってありがとうございます。

Katzさん、スレをお借りして失礼しました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/11/08 (Sun) 18:31:24
いえいえ、強迫心理とそのkagewari流の分析という意味ではスレに沿った内容ですし、私がスレ主のつもりもありませんし、全然構いません。

Aさんも、自分で納得できる生き方を見つけたようで、何よりです。

> 旧来の依存性・固着性(幼児特有の権威性固着)が温存され(=あてられる、見せ付けられる場面ばかり継続)、「幼児が大人の社会をやたら凄いものだと信じているのと同じ図式とスケール」で「『共同幻想』のやることなすこと眩しく見える」からです。

私個人の感覚で言えば、これがあんまり感じられません。共同幻想が眩しく見えるような、見せ付けられるような事は少なかった…のだと思います。更に、社会に出てから、共同幻想が大揺れするのを何度か見ていますし。逆に、共同幻想に寄りかかった将来設計には不安を覚えるくらいです。

そうですね、自分の人生のもう1つの可能性というのを最近たまに考える事があります。アスペ特性全開で、周りに迷惑を掛けまくって、その代わりに自分の好きな事だけを全力で進んでいったなら、自分の人生は違っていただろうな…と。そんな博打にもしも勝っていたら…それはそれで1つの人生だったろうと思いますが、結果として私は今より不幸になっていたかな、というのが結論です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/08 (Sun) 19:05:09
Katzさんこんばんは。Katzさんにもお聞きしたいのですが。

>共同幻想がまぶしくみえたり、見せつけられるような出来事が少なかった

私自身は挫折経験、孤立した人生だったからそう思うのですが、Katzさんは自分の描いた道に進んだり、近づいたりすることがあったからでしょうか?
それとも他に理由があれば教えて頂けますか。


>共同幻想が大幅に揺れているのを見ているし、逆に共同幻想によりかかった将来設計には不安を覚える。

私にはそうは思えませんが、Katzさんはどの辺りで感じますか?

孤立で人との交流とは無縁で、仕事や日常生活でも挫折しかない発達からしたら、共同幻想にいるリア充が羨ましくて仕方ないです。

お手数おかけしますが、よろしくお願いします。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/09 (Mon) 08:37:20
>にわとりさん
>Katzさん

横からすみませんが、私自身の感想を参考までに。

Katzさんが、共同幻想への憧れはないとおっしゃるのは、予想通りと感じました。
思うに、この違いは、発達障害のあるなしに関係なく、親が共同幻想を盲目的に信じていたかどうかの違いではないかと。

共同幻想を盲目的に信じるというのは、その中でうまくやろうとすることもありますが、逆にむやみやたらに反発したり、共同幻想から落ちこぼれたと感じて無気力になることも含まれると思います。

私の母は、自分は行きたい学校に行かれなかった、女だからと親に好きなことをさせてもらえなかった、母の親が病気がちだったので家事を全部やってきたと、よくこぼしていましたが、今思うと、この愚痴は、潜在意識で共同幻想に縛られている自分を不満に感じながら、何とか共同幻想に食らいついていこうとする執念が強くなってしまった表れではないかと。


なので、子どもの私には、共同幻想の中で何とか抜きん出る存在であってほしかった。けれど私には見えない障害があって、母の思う通りどころか、その逆をいくような行動ばかり。それで母は何とか私を共同幻想に沿わせようと焦っていたのではないかと。

Katzさんのお父様は、冷静に共同幻想の問題点を見出しておられた。Katzさんにもその冷静な視点が受け継がれていても不思議はありません。

子どもはどうしても、親の生き方を受け継ぐ部分が多くなります。親が間違った価値観を持っていても、よほどのことがない限り、その価値観に疑問を抱くことはないでしょう。それがそのまま生き方の根底になってしまうからです。
反抗期があっても、表面的な行動への疑問や反発にとどまる程度で、信念の部分では受け継いでいることが多いと思います。
だから、若い頃反抗ばかりしていた人も、年を取ると親に似てくることが多いのではないでしょうか。

これを覆すには、徹底的に親の生き方の問題点を探る必要があります。
尊敬に値する親ならば、リスペクトして、確信的に親の生き方を倣っていくこともできるでしょう。

Katzさんは、お父様の生き方を心から尊敬して、それに倣ってご自分の生き方を決めていらっしゃる。
反対に、私は疑問だらけの母親の生き方から何とか離脱しようと試行錯誤している状態。
その違いなのでは?と感じます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/09 (Mon) 22:42:45
あすなろさん

あすなろさんのお母様は色々無念な思いを抱えられてたんですね。
男尊女卑が強い時代でしたからお気持ちを考えると悔しいで済まされるものではなかったのかもしれませんね。
それを娘に期待するのは娘からしたら迷惑ですけどね…。


うちの両親は私に何か期待することは全くなかったので、むしろ楽でした。

ただ両親自身が周りからバカにされたり、いじめられたりしてきて劣等感を抱えていました。
両親が劣等感の固まりで、暗く、絶望的で、後ろ向きでいつも卑屈になっていました。
両親は私にそれをぶつけることはなかったですが、私自身が他人からバカにされ続けてきたことへのフォローもありませんでした。
両親は悪意があったのではなく、障害ゆえに子供をフォローするという概念が分からなかったのです。
それが私自身の劣等感の塊になってたことは否定できません。


ただ、今回は無能な自分へのコンプレックスが原因でむなしくなったわけではありません。
kagewariさんが富国強兵政策で競争社会を導いたことを仰ってましたし、経済学は全くわかりませんが、今の経済のあり方には限界が来ている、インチキだという話もされてました。
別サイトでは江戸時代はもっとおおらかだったという話を聞き、同じ劣等者である自分もその時代に生まれていたらもっと伸び伸びと育っていただろうとも思います。
コンプレックスは競争社会によって洗脳されたことだということも分かりました。

しかし人と関わりたいという欲求は残ります。
リア充達が仲間と楽しく過ごしてる姿が辛くて仕方ないわけです。
共同幻想そのものは時代背景によって形を変えていくかもしれませんが、仲間ができないという虚しさや悲しみは残るのだろうなと。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/11 (Wed) 09:21:10
>にわとりさん

kagewariさんのブログを読み解くことを無視して、にわとりさんやKatzさんと私の感じ方の違いから、勝手に想像を膨らませてしまっているので、ちょっと脱線して申し訳ないんですが、にわとりさんのコメントから、またひとつ気付いたことがあります。

あくまで私の妄想ですので、それはおかしいよと思われたら、どなたでもご意見いただきたいのですが。

まず、kagewariさんのブログに、こういう一節があります。

>『共同幻想』適応人格ってのは、ここのところ書いてきたエントリーで鉄板の論証したように「完全に個人の能力にリミッターかける仕組み」

このリミッターをかけている仕組みが、にわとりさんと私では微妙に違うのかなと思ったのです。

Katzさんが、にわとりさんと私は、同じことを言っているように感じるとおっしゃっていましたが、おそらく共同幻想社会と自分との関わり方のリスクに関しては、同じことを感じているんじゃないか。しかし、その困難さの原因をどこに求めているのかが違うのではないか?と。

>うちの両親は私に何か期待することは全くなかったので、むしろ楽でした。

親に徹底的に管理、強制された私とは対照的ですよね。
おそらくにわとりさんは、幼少期からご自分の力でご自分のことを決めざるを得ない状況だったと思います。だからこそ、『自我』というのものはしっかりと育っていらっしゃるのでは?と感じます。
(あくまで『自分自身の確立』であって、『社会とのかかわり方の難しさ』はまったく別問題とします)

それが、

>無能な自分へのコンプレックスが原因でむなしくなったわけではありません

ということなのだと思います。
自分は変えようがないけれど、社会の問題点がなくならない限り、受け入れてはもらえないだろうという視点でしょうか?

対して私は、『自我』というものが『親の承認』によって成り立っているものだったため、まさに『無能な自分へのコンプレックス』が原因で虚しくなります。
どんなに社会に問題点があろうと、『無能な自分』を何とかしない限り、生きてはいけないと考えますし、そこさえどうにかできれば、社会に受け入れてもらえるのではないかという『幻想』を抱きます。


ただ、どちらにしても、『共同幻想社会』に対して、大きな諦めと、そこに混じれないことへの虚しさを感じます。

その諦め感や、混じれないことへの虚しさ自体が、親の価値観を受け継いでいるのではと、私は思うのです。
つまり、親が『共同幻想社会』の絶対的な力を信じていて、それに抗うことができない虚しさを感じていたので、その姿や行動を見て育ったことで、同じような感覚が身に付いてしまったと、考えられるのではないかと。

これは親に反抗心があるとか、親の事情が理解できていないとか、そういうこととは別問題です。
あくまで、自然に身に付いてしまった感覚です。

長年一緒に暮らしていれば、その人のことが好きか嫌いかに関係なく、価値観が似てきてしまうってことはありますよね。ましてや、まだ自我が確立していない幼少期の親の『生き方』はとても重大な影響を及ぼすと思います。

その証拠としては何ですが、Katzさんは共同幻想に同調することにそれほど魅力を感じたり、そこから外れることに虚しさを感じられないとおっしゃる。
もともとお父様が盲目的に共同幻想社会を信じる方ではなかったので、共同幻想社会がなんぼの物?というおおらかな見方ができるのではないか?

>アスペ特性全開で、周りに迷惑を掛けまくって、その代わりに自分の好きな事だけを全力で進んでいったなら、自分の人生は違っていただろうな…と。そんな博打にもしも勝っていたら…それはそれで1つの人生だったろうと思いますが、結果として私は今より不幸になっていたかな、というのが結論です。

つまり、『アスペの特性全開』だと、共同幻想社会はそれを許さないだろう。共同幻想社会にだって、問題は山積みだが、とりあえずは共同幻想社会が喜ぶような行動を取って、その流れに乗って行った方が得策だ。というある種の『画策』を立てることができる。
自分も楽だし、周りも楽な、中庸を考えることが出来る。

盲目的に『共同幻想社会』を恐れず(にわとりさん的感覚)、盲目的に自分自身も卑下しない(私的感覚)生き方ができるのではないかと。

そんな違いを感じました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/11 (Wed) 23:04:45
あすなろさん

私も落ちこぼれという劣等感はつい最近までありました。
親に問題があってもでも共同幻想社会が落ちこぼれの自分でも受け入れてくれる、社会が私への理解がなくとも両親がフォローしてくれたなら、悩むことはなかったでしょう。

現在はある場所で、掃除のボランティアをしています。
単独でできますし、 仕事のように高度な技術は必要ないので、自分にでもできるもことで貢献しようと思っています。

一番の救いはkagewariさんが「現在の経済システムはインチキだ」と仰っていたことや共同幻想の話をされていたことでした。気持ちがすくわれたことで少し余裕が出てきました。
職場を辞めた時はこちらでも励ましの言葉を頂きましたが、自分のことで精一杯で周りが見えてなかった。
今も変わらないですが、自分は人のお世話にならないと生きていけないお荷物なんだと本気で思いましたからその頃に比べたら前向きになれましたね。

しかしそれでも人との関わりが羨ましいです。その中にある仲間と楽しく過ごしたり、絆を深めたりしていることは事実ですから。
発達さえなければ…との思いは残ってますね。


うちの親の話に戻りますが、うちの親は「どう躾て良いのか分からず、対応できなかった」という方が正しいです。
決して良い環境ではありませんでしたが、親がほったらかしにしてたのは唯一の救いでした。
モラハラ三昧の父も、私の自閉的な部分を責め立てることがなかったのでその意味では楽でした。
あすなろさんのお母様や「何でできないの!」と責め立てるような親から育ってきたら、常識をたたき込まれるたびに今以上にひねくれて育ったと思います。

ただその上で社会な常識くらいは教えてくれたら(空気や状況を読めないとか協調性運動障害などは治りませんが)、パターン化して対応できる物は身についたでしょうね。
両親に不満があるのはそこですが、彼らも障害があったのでわからなかったのだとあきらめています。
そういう意味ではKatzさんのご両親のような育て方が理想なわけですね。




Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/12 (Thu) 20:50:33
Katzさんへの問いかけ半ばで、たくさん横やりを入れてしまって申し訳ありませんが^^;


>にわとりさん

ボランティア、始められたんですね! 何よりです。

自分の経験から思うに、同じ作業でも、利害関係(給料、収入、取引等)が発生すると、途端に制約が生まれます。それが正当なものならいいのですが、本来なら利害に影響ないことまで制約していることが多いです。
例えば、上司や先輩よりも上手にやってはいけないとか、当然の主張をしてはいけないとか、個人的に必要と思ったことでも段取りを組まずに要求してはいけないとか。
なぜそこまで?と思う理不尽なことも、『給料をもらっているのだから』ということで我慢させられること、少なくないです。
お客様がどんなにひどいクレーマーでも、お代をいただくのだから我慢しろって言うのも、接客業の鉄則ですからね。

本当に好きな作業で純粋に人の役に立ちたいと考えたら、収入のために、おかしな集団でおかしなルールに縛られて我慢するより、無償でも自由のきくやり方でスキルを磨いた方がいいのではないかと。
その時にもらった感謝の言葉や、自分自身のやり方を磨いていくことが自信につながって、のちに収入にもつながるようになるかもしれませんし。


にわとりさんと親御さんの関わり、問題点、教えてくださってありがとうございます。

>「どう躾て良いのか分からず、対応できなかった」

これは、私の親も同じですね。分からないから対応しなかったにわとりさんのご両親と、わからないくせに間違った対応を必死にしてしまった私の親とでは、悪影響にはあまり違いはないかと思います。

>社会的な常識くらいは教えてくれたら、パターン化して対応できる物は身についたでしょうね。

これは、私の場合、間違ったパターンを教え込まれた。それ以前に、『どうせお前にはできないはずだから、余計なことはやらなくていいよ』とすべてお膳立てされてしまったために、自力で解決する力がなくなってしまいました。
中学生くらいかな? これまで手とり足とり親がやっていた生活から突然放り投げられて、「私はここでどうすればいいの? 私ってなんでこんなにみんなと違うの? 私ってひとりで何にもできない」と愕然とした記憶があります。
親のやり方をパターン化して覚える、あるいは親がそのやり方を押し付けることほど危険なことはありません。親の常識は必ず古くて使い物にならなくなるからです。気付いたときには社会から取り残されていることでしょう。

自力で解決するしかなかったにわとりさんは、ある意味では大きな危険を回避できたのではないかと、私は思います。

親からの放任や虐待が無かったとしても、現在の共同幻想社会では、発達障害者が定型者との差に愕然とし、無理解に苦しむ状況はとても多いと思います。

私も、ずっと自分が悩んできたことは、定型者にとっては息をするように苦も無く解決できることだったんだと、本当に最近になって知りました。
定型者に合わせるためには、息をすることさえ、その理屈を理解して常に意識していないといけない。けれど、定型者には私がそんな苦労をしていることなど、まったく分からない。
疲れて息苦しくなっても「なんでそんな自然なこともできないの?」と思われるし、息が止まってしまったら自業自得と切り捨てられる。

そんな苛酷な現状があるのは事実です。

でも、社会のお荷物だとは思いません。神さまでもない限り、他人を荷物扱いに出来る人などいないからです。

確かに、発達障害者が煩わされている底辺の苦労を知らずに楽しく過ごしている定型者は眩しく見えますよね。私もそんな仲間に憧れますし、実際、殊勝にも私を誘ってくれる友人たちと集まってみたことも何度かありますが、毎回疲労困憊していました。
表見には眩しく見えるけど、根本的に会話や生活スタイルのレベルが違うんだと気付いて、それから集まりには顔を出さないようにしました。無理して仲間に入ろうとしても、自分が辛いだけだと気付いたら楽になりましたね。

私のペースは独特なので、きっと誰も合わせられないし、私が誰かに合わせることにも無理がある。ならば、自分ひとりの時間を有意義にする方向に努力しようと思っています。

発達障害といっても、千差万別なので、あくまで私への対処法ですけどね。
無理は禁物。いまは、本当に自分がそれで心地よいのか、よくないのかという主観を第一にしようと思っています。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/13 (Fri) 18:19:52
あすなろさんありがとうございます。

定型者とは会話レベル、精神年齢、人生経験が桁外れに違いますから発達はついていけないですね。
無理するのは良くないですが、発達でなければこんな思いはせずにすんだと思うとやりきれないですね。

無理しても辛くなるだけですから宿命だと割り切るようにします。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/13 (Fri) 22:11:41
あすなろさんありがとうございます。

ケースワーカーからはボランティアできるなら働くように言われますが、ボランティアしかできることがないですから頑張ります。


親の育て方は問題ありましたが、もし親自身に問題がなかったら親は供依存での結婚をしない選択をすることになりますからその場合は私は産まれてなかったでしょう。
運命に逆らった生き方を選択した両親の付けが回ってきたんでしょうね。

しかし発達障害でもレベルの合った発達障害の友達を作る選択肢もありますから、自分が精神的に自立していたら自立した精神の発達障害の友達ができて、それなりに楽しい人生を切り開くことはできるのかもしれませんね。
健常者ばかりに目を向けると辛いですが、分相応をわきまえ、考え方を変えたら人生も変わるのかもしれません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/14 (Sat) 10:24:03
昨夜遅く、ETV特集の再放送で『ナチスの障害者ぎゃくさつ』についてやっていました。
ここでのタイムリーな話題だったので、ときどきウトウトしながら頑張って観ました。

*禁止ワードにかからない程度に言葉を変えて投稿しています*

元の放送をご覧になった方もいらしゃるかもしれませんが、『共同幻想問題』を歴史から見るということでは、かなり参考になるのではないかと、(半分寝ぼけていたので曖昧なところも多いですが)内容の要約を載せておきます。

障害者ぎゃくさつの発端は、19世紀に台頭したダーウィニズム https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 という考え方で、ダーウィンの進化論を曲解して、『「おとった」人々は「優れた」人々に置き換えられることが望ましいとする』という考え方に発展していき、優生学というものが生まれました。

ヒットラーはこの考え方を支持していて、政権を握ると、弱者(障害者)を根絶させるための法律を作りました。障害者(視覚・聴覚、身体欠損、てんかん、パーキンソン病、その他)は子孫を残してはいけないとし、断種法という法律を制定して、対象者に避妊手術を強制しました。

ナチスが勢力を拡大するに従って、どんどんと極端な障害者根絶へと発展していき、主要な精神病院にガス室が作られました。入院中の患者はもちろん、民間で暮らす障害者も捕えられ、すぐにガス室に送られるという事態になっていきます。

ホロコーストと同じ仕組みです。
実際に手を下していたのは医師、看護師ですが、彼らはそれが『正しいこと』だと信じ切っていて、さつじんをおかしているという感覚はまったくありませんし、むしろ国に貢献しているという誇りさえありました。

患者を差し出す家族は、患者を家族に持っていること自体に負い目を感じ、むしろ進んで彼らを差し出し、その後は患者の存在は無かったものとして、患者については口を閉ざしました。

ガス室の煙と異様な匂いで、病院で異常なことが行われていると感づいていた周辺市民も、ナチスを恐れて疑問を口にすることはできませんでした。

その時、障害者ぎゃくさつに疑問を呈したのが、ある司教の説教で、『障害者を非生産的として社会から排除するなら、彼らだけでなく、われわれもいずれ、年を取って働けなくなったときには排除されなければならない。疾病、負傷などで働けなくなれば、排除されなくてはいけないだろう』というような内容の抗議を行いました。

この説教が書き写され、世間に広まると、ナチスは途端に、障害者の粛清を撤回したのです。
つまり、世論が反対の方向へ動き出したら撤回できるような曖昧な理念だったわけです。

しかし、すでに洗脳されていた医師たちは、粛清を止めることはしませんでした。障害者の排除がよりよい社会を作ると信じて疑わなかったからです。
ガス室が使えなくなっても、薬物によって患者を粛清し続けました。

その後ナチスは、ターゲットを障害者からユダヤ人へと変えていったのです。

つい、70年前まで、こんな事実があり、いくら近代化が進んだ社会であっても、人間が集団催眠のように極端な思想に染まってしまう現実がある。
それは『共同』に依存しやすい人間の傾向をよく象徴しているのではないかと思います。

ちょうど、イスラム国が似たような選民思想を掲げていますよね。
現代でも十分起こり得る問題であって、その危険性は些細な日常の中でも存在しているんだと思います。

ちなみに、『共同幻想』という言葉は、吉本隆明という思想家が定義したもので、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%B9%BB%E6%83%B3
戦前の大日本帝国の在り方に疑問を呈したものでもあったんですね。

その点でも、非常に歴史と関係の深い言葉であって、現代にも警鐘を鳴らすものだと思います。


Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/11/14 (Sat) 14:57:13
*上記コメの補足*

重要な情報を目にしました。

番組にはありませんでしたが、ナチの障害者ホロコーストの発端は、重度心身障害の息子を持つ父親が、ヒットラーに息子の『慈悲シ』を願い出たこともきっかけだったそうです。

老人や重度障害者の介護に、家族が困窮する現状は、当時と同じです。

当事者の『安楽シ』を真に望むのは、当事者や家族が圧倒的に多いという事実も見逃せません。

何故そういう状況が生まれるかといえば、障がいに応じた生活を保障する体制がほとんど出来ていない、最終的には家族身内がまるごと背負い、社会には出すなと封じる、タイトな『共同幻想』社会です。
問題の根本解決を図ろうとしていない社会は、ナチスの時代も、現代の日本もほとんど変わらない。
さらに、当時を美化する風潮があることも見逃せません。

共同幻想社会を根本から見直すのは、必須事項なのかもしれません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/11/14 (Sat) 17:34:41
すみません、お返事が遅くなりました。

>>42

私が共同幻想を信用していない原因は、あすなろさんの推測通りかも知れません。父も母も、社会が良いと認める人間だから良いとは判断しませんでした。今振り返ると良くわかります。

私の父は、番長とか不良とか言われる人種から随分と可愛がられたようです。一緒につるむ事は無かったようですが、何かと頼りにされてたようですね。父自身も、そういう人達とはウマが合っていたようです。尊敬する政治家は?と聞くと田中角栄を挙げてました。

母は母で、魅力的な人間とは?という話題になったとき、医者と、会社の社長と、ヤクザの親分、と言っていました。この3種類に共通するのは、修羅場をくぐってきた経験。それが人間を魅力的にすると言います。これは大叔母の影響が大きいようです。そう言えば母方の親戚は、いわゆる荒波に揉まれたというか、ちょっと違うなという感じの人間が多いですね。

お分かりの通り、父も母も、問題を起こさない事で年功序列の出世をしただけの人間は、評価の対象外になっています。その上で人付き合いに関してはきちんと押さえる、と言う事を意識しています。独自なら何でも良いわけじゃありません。思えばこのバランス感覚というか、そういうのはスゴイです。

挫折経験ですが、にわとりさんやあすなろさんの前では言いづらいですが、大きな挫折というと大学受験の失敗が最初でした。挫折したと意識したのは…という事なので、世間的な感覚での挫折はもっと前からあったかも知れませんが。そのほとんどは私にとって数ある失敗の内の一つでして、長期間の気分的落ち込みを伴う失敗=挫折と定義すると受験失敗が最初だと思います。

共同幻想との関わりという点では誰にでもわかり易い強みがあったので、変わり者だったかも知れませんが一目置かれている所はあったのだと思います。振り返ると、個人攻撃された記憶はあまりありませんし、かばってくれる人物が必ずいました。当時はそういう事をあまり理解していませんでしたが。

共同幻想の大きな揺れについて、私が覚えているのは:
・いわゆる国民的アイドルや、国民的俳優などが、長いこと現れていない。
・大量生産された食品への反動。具体的には美味しんぼというマンガの連載開始とその衝撃。
・農産物の国産=安全という神話の崩壊。平成の米騒動、産地偽装、とかとか。
・定年退職年齢の引き上げ。これも一番最初は、ものすごい社会的ニュースでした。
・昨今の年金問題。
・日本の国債発行残高。日本という国はいつ破産するのか?
・日本が世界一になったという経済ニュースと、その後の急速な崩壊。その報道の過程で発生している日本スゴイ話と日本ダメ話の繰り返し。要するに、日本の共同幻想は、社会の理想と現実について考えがまとまっていない。
・教育制度というか大学受験形式の不安定さ。世論に押された場当たり対応の繰り返ししかしていません。これも日本の共同幻想が社会の理想について何も考えていない証拠でしょう。

もう少し身近な家族関係/友人関係/職場関係においても:
・共働き世帯の増加と、カギっ子という言葉の流行。
・番長がいなくなった。その代わり目に見えない形で問題が進行するようになり、それが社会問題化した。
・友達って何?が問われるようになった。
・過労死が社会問題化した。
・特許の報奨制度が問題になった→理系研究者の滅私奉公と、利益を独り占めする経営者、という問題の表面化。
・皆さんが苦しんでいる所の「優しい虐待」など、虐待問題の表面化と間口の広さの認識。
・会社主催の飲み会の意義が変質している。
・女性に関わる各種問題の表面化。社会進出とかの派手な話だけではありません。

改めて、書き出すと止まりませんね…。他にもいくらでもあります。これすべて、私は共同幻想の崩壊過程に現れた現象と見ています。少なくとも社会が変質していて、求心力を失ってきたのは間違い無いでしょう。こうした積み重ねが、社会というものは信じるに値しないという判断の根拠になっています。信じるには値しませんが、利用する価値はある、というのが複雑な所です。

長くなって申し訳ありません。参考になりましたでしょうか?もしズレていたら、改めて質問ください。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/15 (Sun) 12:32:41
Katzさん

答えて頂いてありがとうございます。


>問題を起こさずに年功序列で過ごしてきた人は評価の対象とならない

なるほど。ご両親のおっしゃる意味も頷ける部分もあります。
私が関わってきた中では(ヤクザは関わったことがないので分かりませんが)、会社の社長や医者の場合は人によりましたが、荒波に揉まれたやってきた人は語ることも違いますね。
そういう人は障害者とか地位は関係なく、その人個人で見てくれるような印象があります。

事なかれ主義の共同幻想適応者は問題から目をそらしたり、なかったかのように振る舞いますね。
変えようとしたら共同幻想適応者の邪魔が入る。
だから日本は何も進展せず、悪化するばかりなのかもしれませんね(共同幻想が崩壊しているアメリカの尻拭いを押しつけられてるせいもあるのでしょうけど)。


>信じないには値しないけど利用する価値はある


社会システムを信じ切ってることにも問題はあるけど、 社会のシステムから外れて生きていくのはよほどの能力者でないと無理ですね。
社会システムにも弾かれ、自力で生きられない人にも問題はありますから、上手くバランスを取れるようにならないといけないですが…。



Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/11/21 (Sat) 17:09:42
にわとりさん

遅くなりましたが、ボランティア始めたんですね!おめでとうございます。

だったら働け、などという「雑音」は無視しましょう。それも共同幻想の崩壊と関係あると私は考えています。

元々、生活保護は色々矛盾を含む制度だったらしいですね。マスコミからの情報で申し訳ありませんが、労働の最低賃金より受給金額の方が高く、昔は審査基準も非常に甘くて、それだけに悪用の温床になっていたようです。それがマスコミに問題視されてから審査が厳しくなり、受給金額と最低賃金の差額も少しずつ是正されて、今は社会保障費の予算全体が厳しくなって…という状況になっています。

つまり、役所の都合と思います、色々言われるのは。「予算が少ないから厳しくします」とは窓口では言えませんから、個別の事情に合わせてもっともらしい理由をくっつけて締め付けているだけでしょう。にわとりさんに非はありません。ボランティアという社会参加の道を選んだ自分を誇っていいと思います。

> 荒波に揉まれたやってきた人は語ることも違いますね。
> そういう人は障害者とか地位は関係なく、その人個人で見てくれるような印象があります。

話を振った私が言うのもナンですが、苦労人は違うという事を理解できるのは結構すごい事です。世の中にはこの違いのわからない人も多いです。私も、本当に理解しているのかどうか怪しい所がありますし(^_^;)

自分に出来る事を淡々と積み上げていれば、見ている人は見ていますし、わかる人にはわかります。わからない人は、無理に相手する必要はありません。必要な時だけ適当に頭を下げておいて、心の中で舌を出していればいいんです。社会を信じないけど利用するというのはそういう事かと。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/11/22 (Sun) 21:27:25
Katzさんお返事ありがとうございます。

ケースワーカーも上司から圧力をかけられ、市役所は国から圧力をかけられてると聞きました。
支援者から聞いた話ですが、ケースワーカーも短期間で辞めたり、鬱病になる人もいるようです。
ある国の理不尽さと戦っている共産党議員(共産党の思想もあまり鵜呑みにしてはいけませんが)が「公務員は待遇は良いが、ケースワーカーはかなりハードな仕事だ」と言ってました。
しかし生活保護を受けてる時点で、社会を利用してるとも言えます(生活保護制度があるうちは)。

苦労人というか、広い視野で見られる人、苦労を自ら買って出るから上に立てるのかなとも思います。
仕事ができるだけでなく、周りを見渡す視野が広いからいろんな気配りもできる。視野が広いからその人の中身にも気づけるのかもしれません。
高校時代の担任、中学の保健の先生、過去に出会った同僚にいました。いじめられた時に味方になってくれた数少ない理解者です。
理解者であった中学や高校時代の先生は他を敵に回してでも生徒を守ろうとしてました。
過去の同僚は苦労人というか、広い視野で見られる人でした。仕事も誰よりも出来ました。
はじめから脳の作りや人間性が違うような印象があります。


Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/02 (Wed) 09:51:54
共同幻想がいかに流動的で、しかも社会と個人の在り方が、それに大きく振り回されているのだということを、考えさせられる記事に出会いましたので、ご紹介します。

『朝ドラで、妾を描くべきか』

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151130-00000002-pseven-ent

朝ドラをご覧になっていない方はよく分からないかもしれませんが、朝ドラということで、ほほえましい夫婦、ほほえましい家族像が魅力になっているので、妾という存在が当然のように出てきてしまうことに、違和感があるわけです。

けれど、私も施設に入る伯母の戸籍を取った時に驚いたのですが、亡くなった伯父(伯母の夫)は、ある大店の主人の妾の子で、正妻の娘と、成人したときに結婚しているのです。
伯父が妾の連れ子だったのかは分かりませんが、戸籍は幼い頃からその本家にあり、兄妹のように育った本家の娘と結婚(させられて)いる。そして数年後に、伯母とともに住所を移しているので、駆け落ちしたのかというところ。
伯父の父親である主人には、他にも妾がいたようです。
90過ぎの伯母が若い頃には、こういうことも『当然のこと』としてあったんです。
大正から昭和初期を生きた伯父と伯母の人生は、現代を生きる私たちには全く理解できないものだと、つくづく感じました。

また、先日亡くなった水木しげるさんの戦争体験に、こんなものがありました。

http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/dd68f3b8a009d3ca799d4199a34a04af

水木先生は戦争体験の本をたくさん出されているので、ご存知の方も多いでしょうが、改めて、戦争がいかに人の価値観をひっくり返すものかが分かります。
いや、戦争当時ではなく、その過程での昭和中期の価値観でしょうね。
国のために個人の命を犠牲にしなくてはならない。それができない人間は価値がないと、強烈に全国民の精神に叩き込んだ結果なのです。

水木先生が、この強烈な『共同幻想』に抗うことが出来なかったとしたら、私たちは水木先生の作品に楽しませてもらうことはなかったでしょう。ある意味日本のサブカルチャーの礎を築いたともいえる偉大な人を失っていた。
そう考えると、『共同幻想』の犠牲になった人たちの中に、どれほど、生きていれば国の発展に大きく貢献する人材がいたのだろうかと思わずにはいられません。
将来のノーベル賞候補だって、たくさんいたかもしれませんね。
その運命の違いは単に、『共同幻想』に抗えたか、そうでなかったかの違いともいえます。

こんな強烈な記事もあります。

http://ameblo.jp/et-eo/entry-11782166894.html

前に載せたナチの障害者ホロコーストの話題と併せ、『共同幻想』とは、基本は無くてはならないものなのだが、異常性も多く含んでおり、一度流れが出来てしまうと大勢が巻き込まれて大変な悲劇を生むこともある。
しかし、その中で中庸を保とうとするには、よほどのリスクを覚悟しなければならない。

現代の、弱者を非生産的と排除しようとする傾向や、支援と名を打った偏見、善意と思い込んでいる支配などは、これらの火種にもなり得ることを自覚しなければならないのではと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/02 (Wed) 10:10:38
上記、水木しげるさんのインタビュー、元記事はこちらです↓

http://mainichi.jp/feature/news/20151130mog00m040004000c.html
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/04 (Fri) 17:46:54
あすなろさん

http://kagewari.cside.com/otdlog/log_051.html
不倫に関しての解説が少しあります(本題はストーカーなんですが)。


水木しげるさんのお話を拝見しました。
戦場で、生きるために銃を捨てて逃げ延びたのに「天皇陛下からいただいた物を捨てて生き延びようとするな!」と言う上官の言葉が衝撃でした。改めて共同幻想の恐ろしさを感じます。
戦争さえなければもっと社会で活躍していた人はたくさんいたでしょうね。
戦争の話をきくたびに自分の仲間が死んだような感覚になり、涙が出ることがあります。体験してないのに戦争に関連するものに対する感情移入は自分でも戸惑うくらいです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/05 (Sat) 09:32:30
>にわとりさん

ご紹介のkagewariさんの記事、最初は、ストーカーの疑惑が何の関係があるのだろうと思って読んでいましたが……。
目からウロコが、数十枚落ちるような内容でした!

>そもそも個人の時代の台頭で、誰しもがみな結婚しなくちゃいけない的な認知に社会的な疑問が広がった結果、晩婚化や少子化が起きているんですから(明治以前を考えれば「子供を生むことに特別な意味が無かった(後継ぎ以外は農家の労働力程度の意味でしか無かった)ので」バンバン6人も7人も産んだのです)、本来これは如何なものかと、背景となる歪んだ社会性(結婚願望現象)の変革を現在待っているような状況なのです。
社会的にも薄々好き好んで若い時に結婚する等いかがなものか(10代なんかで結婚してしまう芸能人の報道は半ばドキュン認定に近いものが阿吽の呼吸で背景にある)なぐらいの勢いになってます。

又、結婚式ネタ等も(未だに女性にはこの強迫にかかっている層が多いのは事実ですが)、限りなく阿吽の呼吸で「不快ネタ」として定着しつつありますよね。
社会全体が一度結婚幻想をチャラにして、もっと気ままに(結婚イベント等行う事が恥ずかしい行為と定着するぐらい)「結婚したり別れたり、子供産んだり、産まなかったり」等一度文化的にも再構築が必要な状況にあるんですよ。
なのでどんな政策を打っても少子化問題が解決していないんです。
文化の問題である証明です、
それこそ個人の選択ですから「非婚の人の親友には子供5人産んでる人がいる」な自由な世界が在るべき姿でしょう。
本来結婚はオメデタイ会ってワケでもありません。オメデトウって言葉はご祝儀ですから、むしろ「オメデトウと言うしかない会」なんです。
「心機一転ベンチャーの会社を立ち上げました」って、そりゃ確かにオメデトウと言うしかありませんが、みなさんそれこそ阿吽の呼吸で「これからが大変だよ(半分以上が失敗する賭けに出たんだね)」と冷静に見つめなくちゃいけませんからね。


kagewariさんが、単なる『個人の哲学的な思想』を語っているわけでないことは、自身の経験に照らし合わせても深く頷けることが多いということで、証明できます。

伯母の話になりますが、私から見たら、略奪愛のように思える伯父との夫婦関係に、(あくまで書類上で推察しただけのことですが)どうも理解できない部分がありました。
それは、元妻と、短い期間でも同居していた形跡があり、元妻との間に出来た子を、自分の子のようにかわいがっていて、その家族と晩年までずっと交流があったことです。元妻と死別していたなら、戸籍にも載るはずですから、それはないと思います。
そして、伯父の墓は、生母と一緒に祀られているので、伯父と生母の姓が違うのです。
伯母は、伯父の骨を分骨してもらって、他の墓に入れてあり、自分が亡くなったら、そこに埋葬してほしいと遺言を残しています。

つまり、伯母の姓(伯父の本家)とのかかわりは一切絶っているのです。

私は、伯母は本当に苦労して悲惨な人生を送ってきたのだなと思っていました。
でも、kagewariさんの分析を読んだら、そもそも『家を構える』ということ自体、後から作られた共同幻想で、『伯母が悲惨な人生を送ってきた』と思うこと自体、私に植え付けられた『強迫観念』ではないかと思えました。

その証拠に、伯母はとても人当たりの良い穏やかな人で、身体の具合に合わせて施設を転々としましたが、どこへいっても○○さん!と名前で呼んでもらえるほど、職員さんに好感を持って接してもらえる人です。伯母が幸せな人生を送ってこなかったら出ないオーラだと思います。

翻ると、
『カサンドラ問題』も、アスペ定型の意思疎通の難しさが表面にあるとしても、それぞれに植え付けられてしまった『強迫観念』が大きく関係しているのではないかと、思えてきましたね。



Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/06 (Sun) 17:34:19
水木しげるさんの記事に続き、こんな記事も見つけました。
97歳の画家、堀文子さんの番組でのインタビュー。

当時の暴走する共同幻想で幸せになったものなど誰もいなかったということが、つくづくわかります。

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1883780/1892607/102142920
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/06 (Sun) 18:21:20
生活保護申請拒否の実態

http://nikkan-spa.jp/231224

http://nikkan-spa.jp/231225

http://nikkan-spa.jp/231220

http://nikkan-spa.jp/231223

こんなことが横行しているんですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/11 (Fri) 14:56:14
決めつけは良くないとは言え、相談者の中には発達障害らしき人もいますね。
kagewariさんの返信を読む程、発達障害への知識はないように感じます。
仕事や人間関係ができない方に対しても全てメンタル問題が原因だとおっしゃっていますが、発達障害の疑いも視野に入れた上でアドバイスするべきだと思いました。

私もkagewariさんがおっしゃってることは、状況は変わらなくても全ては考え方次第だとおっしゃってるのだと思いこんでました。
もちろんその意味でも仰っているのだと解釈してますが、仕事ができなかったり、人間関係でつまづいてることまでメンタル問題だと言い切ってると「全ては自分が悪い」と捉えて余計に二次障害がひどくなるかもしれない危険性を考慮してませんでした。

健常者の方は分かりませんが、発達障害や知的障害の方には一次障害の改善ではなく、二次障害防止での意味で読んでいただいた方が良いと思います。
共同幻想や経済学のからくりなどの説明は目から鱗ですので、発達障害の二次障害改善のヒントにはなると思います。

紹介した時点できちんと説明するべきだったのに何の配慮もなしに無責任なことをしてしまって申し訳ありませんでした。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/19 (Sat) 14:47:28
http://kagewari-retour.seesaa.net/article/431128074.html
フィンランドでベーシックインカム導入

日本にもベーシックインカムが導入されれば、定収入を発達障害の経済問題の助け船にもなりそうですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/12/19 (Sat) 19:52:25
にわとりさんご紹介の不倫解説の記事、すごいというか何というか。個人のストーカー問題→不倫の内幕暴露までは良いとして、関連する当事者各々の性格&成育歴の喝破から、社会の共同幻想の問題にまで切り込んで、少子化問題まで言及するという間口の広さ。kagewariさんのこういう部分、私の憧れです。

それはそれとして。

> それこそ個人の選択ですから「非婚の人の親友には子供5人産んでる人がいる」な自由な世界が在るべき姿でしょう。

こういうのが自由を標榜する個人主義社会のあるべき姿ですね。確かに。

私も、ばいしゅん禁止の歴史を少し調べてみた事があり、そこからの流れで今の結婚制度や性モラル意識がいかに作られたかを知るに至りました。色んな都合で、非常に恣意的に作られた結果です。江戸時代の日本の恋愛観などを見るにつけ、今の結婚を含めた性モラルは日本人には合わない、と思います。それと比べたら最近話題の夫婦別姓がどうとかなんて大した問題じゃありません。ただ、表だってそんな主張はしませんが…。主張したら一発で危険人物判定されちゃいますから。

そういうものの名残が明治時代に制定された戸籍制度に表れていて、続柄の選択肢として「妾」というのがあったそうです。あすなろさんは戸籍でこれを見たのでしょうか?社会制度というか一般常識として、妾というのはそのくらいごく普通の存在だったようです。で、これがごく短期間で無くなったらしい。欧米列強の価値観と相いれなかったからというのが理由のようです。…という話はkagewariさんのブログで見たんでしたっけ、情報源は忘れてしまいました。すみません。

こういう問題を調べると、本当に、共同幻想を強迫観念として持つ事の馬鹿馬鹿しさを感じます。選択するなら、前提条件を認識した上で自意識が納得しなければ、結局不幸になるだけです。そしてその不幸の「責任」は誰もとってくれません。

そういえば日本の共同幻想の形を、歴史というか時間経過と共に遡ってみる試みが途中のままでした。う~ん(^_^;)
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/21 (Mon) 00:07:14
>Katzさん

妾が戸籍に記載されていた時期もあったのですね。
私のところは、伯父の生母が、伯父の実家の姓と違っていて、伯父はその本家の後継となっているのに、もともと本家に居た娘と結婚しているという、複雑なものでして。一見、近親結婚なのか? それとも、妾の連れ子なのか?現代の感覚では全く理解できません。
しかも、後継である伯父が離婚して伯母と家を出ているので。

子どもは家を存続させるための道具というドライな考え方だったんでしょうね。明治から昭和初期は、子ども側もそれを甘んじて受け入れているが、その中で一から自分の人生を叩き上げて社会に食らいついていくという強かさがあったように思えます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/22 (Tue) 01:56:42
Katzさん

いじめ、自殺、親子や夫婦の問題、ステップファミリーの難しさ、嫁姑問題、財産や金銭争い、パワハラ、セクハラ、犯罪、不倫、妬みひがみ、戦争、差別、全ての原因は一つに繋がってるんですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • Katz
  • 2015/12/23 (Wed) 12:17:26
にわとりさん

はい、私はそう考えてます。詰まる所は心の持ちよう考え方一つではないでしょうか。自分を守る事に固執するから難しくなる。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
何だか新興宗教か自己啓発セミナーみたいになっちゃいますが…(^_^;) そういう感覚を身に付ける為に宗教を頼るのは、有力な選択肢の一つと思います。但し、一部の新興宗教のように、洗脳で新しい強迫観念を植え付けるのでは何にもなりません。


あすなろさん

非常に複雑な関係ですね。その事情を色々考えると、それもまた、勉強になりそうな気がします。

> 子どもは家を存続させるための道具というドライな考え方だったんでしょうね。

家の存続は人生の至上命題であり、人生の価値そのものだったのでしょう。それだけに「ドライ」という言い方には少々疑問を感じます。当時の人達にとっては極めて「ウェット」な考え方だったのだろう、と私は思っています。

逆に言えば、家さえ存続できるなら、子供も自由にしていて良かったはずです。実際、長男次男まではともかく、三男以降は単なる居候扱いだったようです。貧乏旗本の三男坊など、町人の人間関係にクチバシを突っ込みまくっていたりして…というのはドラマの設定なので参考にはなりませんが、遊び人が沢山いたのは事実のようです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/27 (Sun) 19:31:36
あすなろさん
Katzさん

http://communicative.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6707374&parts=1&num=5&width=360&fsize=12
いじめ論についてまとめてみましたが、何か違うと感じるところはありますか?
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/28 (Mon) 16:30:20
>にわとりさん

貼り付けられた記事は、全部詳しく読めていませんが、にわとりさんの解説で、だいたいのことが分かりました。
ただ、軍隊を元にした教育というのが、日常のどんな部分で言えるのかというのが、イメージしにくいと思います。kagewariさんご自身がそういう例を出されているので仕方ないですが、私なりに、ではどのような場面でそう言えるのか、考えてみました。

例えば、発達障害者の場合、自分に合った方法、合ったリズム、環境が整えば、『できない』というものは、少ないのではないかと思えます。発達障害というもの自体、発達しないのではなく、発達が極端に遅かったり、偏った方へ発達したりという誤作動が起こる、それが障害とされているものです。

そこで、発達障害者が社会適応できない原因を、よくよく突き詰めてみると、定型が定型のやり方を教え込もうとした結果、混乱してできなくなってしまうということが多いのではないかと思えます。

例えば、社会に出るとよく言われるのが、失敗は、1度目は失敗ではない。そこで学ぶもの。二度目もまだ許容範囲である。しかし、三度目に失敗した場合は許されないというもの。
この場合、発達障害者は、三度目までも、少しずつ学んで進歩しているのですが、三度では覚えきれず、結果として同じ失敗を繰り返しているように見えてしまうということがあると思います。
しかし、定型にとっては、二度の失敗で大抵のことがクリアできるので、発達障害者が進歩しているとは思えないのです。

似たようなことで、同じ質問を二度、三度してはいけないというルールもありますね。
しかし、発達障害者にとっては、三度の質問でも理解できないことがあります。

また、三ヶ月は、仕事を覚えられなくても許される。しかし、一年経っても覚えられない場合は向いていないというような暗黙の了解があります。
私もこれで何度、不適応と言われたことでしょうか。
しかし、私の場合、仕事の複雑さにもよりますが、四年以上同じことを繰り返していると、身体が覚えてできるようになるということがありました。

軍隊教育というのは、無意味な制限をたくさん作って、無能なものを淘汰していくというものなのかもしれません。それは教育ではなく、優性の選択です。
能力の高いものでなければ、過酷な戦地で生き抜くことはできない。どうせ足を引っ張って死んでしまうなら、最初から淘汰してしまった方が、思いやりというものです。

しかし、戦地でもない現代社会にも、この優性の選択が生きている。その結果は、一部の富裕層を満足させているだけに過ぎないのですが、誰もそれに疑問を抱かず、歯車の一部のように動くしかないのです。疑問を抱いて歯車を止めた時点で、多くの人が路頭に迷ってしまうからです。
歯車を回している人にも、実は何のメリットもありません。社畜という言葉がありますが、身を挺して働き、あるいは過労死に至っても、救済されることはなく、富裕層が多少不利益を被る程度のものでしかありません。

社会を動かす人間が、金銭がいかに自分に集中するかということにしか興味がないからです。それには、軍隊教育で優性を引き抜くしかありません。優性の奪い合いになって、少しでも劣性(この場合、例えば四年もの間、研修期間を置いて、人件費の無駄を出すとか、覚えの悪い人間を教育するための研修費を出すとか、支出の大きい人間のことを指します)を排除するかが重要になってくるのです。
劣性までいかない微妙なラインの人間は、いかに自分を優性と見てもらえるかということに執着するでしょう。すると、少しでも劣性とみえる人間を叩き、その人よりも優位であることをアピールするわけです。

共同幻想というのはそういう流れを作りやすいということではないでしょうか。実際に、現在は、その共同幻想が非常に極端にな方向に流れ始めている時期です。
本物の戦争も危惧されるような、物騒な風潮にもなってきていますね。これまで軍隊教育と同じことをやってきたのですから、その流れを加速させるのは簡単なことです。

消えてしまったスレで、私がずっとこだわっていたこと、電気を消し忘れた人にどう接するかという問題ですが、共同幻想を考えなければ、電気を消し忘れようが、どうしようが、『関係ない』わけで、そこにこだわって指摘すること自体が、共同幻想の発想なのです。
電気を消し忘れたら、なんのデメリットがあるのでしょうか?
電気代がかさむ?それなら気付いた人が消せばいいのです。相手の習慣にならない?
それこそ、大きなお世話です。相手には相手のやり方があるからです。
つまり、そこを指摘して、素直に謝れないことが自分本位だとする考え方こそ、共同幻想に加担しているのであり、同じ発達障害者でも、こういう強迫観念に陥っている人が少なくないということなのです。

なんて、偉そうに書いてみました。
あくまで、私の見解です(^^;;

今年はにわとりさんがkagewariさんの記事を紹介してくださったおかげで、いろいろと謎が解けて、整理できてきたように思います。
ありがとうございます。
あすなろさん
  • にわとり
  • 2015/12/29 (Tue) 14:33:21
>発達障害者の場合環境が整えば 『できない』ものでは少ないのではないかと思えます

ここは人によるのではないかと思います。

>た 三ヶ月は仕事を覚えられなくても許されるが、一年経っても覚えられない場合は向いてないと見なされる暗黙の了解があります

発達障害のペースややり方を無視して責め立てるやり方は私も疑問があります。
しかし企業は福祉団体ではありませんから面倒を見るにも限界があります。
5年かかって覚える人より、1年で覚える人を雇い直した方がコストの面でいいのは事実です。
Katzさんも仰ってたように思いますが、コスト優先で考えるのは当然です。

問題なのは仕事できてるのに周りとの一体感を乱すからとの理由でクビにしたり、追い出す定型者があまりにも多いことです。
また発達障害の仕事のやり方を否定することです。
仕事できてるなら良いはずなのに融通が聞かない定型者の多いこと。


>四年かけて仕事を覚えた

これは人によると思います。私は七年以上やっていた清掃業ができていませんでしたから。
他にも六年やってる発達障害の同僚がいましたが、全く成長してませんでした。
仕事そのものがだめな人もいます。


>電気の消し忘れ

私も電気をよく消し忘れますが(^_^;)
個人的には徹底させるべきです。
家族ならなおさら電気代がかさんで困るし、いつでも家族が消せるわけではないです。

電気の消し忘れで済めば良いですが、たばこなどの消し忘れとかならどうでしょうか?
たばこを消し忘れて家事になりかけた人がいます(何度もたたみを燃やしてます)。
信号の見おとしで人をひきかけたとか。発達障害にはそういう人もいます。
しかも何度言っても同じ失敗をする、煙草や車の運転をやめない、危ないと言われたら逆ギレ。
忘れっぽい発達障害でも人の命に関わるようなことだけは忘れない人もいます。
要領が小さい頭の中でもこれだけは最優先でメモリを消費します(その分他のことを忘れてしまうのですが)。

何度も同じ失敗を繰り返してる人をむやみやたらに責める定型者は人としておかしいです。思いやりがない。
しかし場合によっては強制的に軍隊のような場所で管理される必要がある人も存在します。
自分を管理できない人のために無関係な人が巻き添えになってからではおそいですから。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/29 (Tue) 15:00:27
ある用事で二人がうちにきていたんですね。そのうちの一人が発達障害なんですが、その人が私の家の水道を止め忘れたことがあり、もう一人の人がその人に私の家の水代もかかるんだから確認しなさいと注意してくれたんですね。
そうしたらその人ものすごい怒るんてす。
忘れたからしかたないのにそんな怒ることないだろ!と注意した人を責め立てました。
注意した人は責め立てたわけではなく、穏やかに忠告したのですけどね。

私もえらそうには言えませんから注意しませんが、相手の事情とは関係無しに逆ギレされたのは腹が立ちます。
やはり本人の過失には変わらないですし、せめてごめんの一言があれば許せましたが、私は謝らないその人との関わりは避けました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/29 (Tue) 17:09:01
あすなろさんが仰ってる問題は失敗したことや同じ失敗の繰り返しに対して執拗に責める人達の話であり、忘れたことに対してはあやまらなくて良い理由にはならないと思います。

命に関わるものならなおさらごめんなさい、忘れたではすまされませんから。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/29 (Tue) 19:06:07
>にわとりさん

あくまで『共同幻想』を区別して考えた場合の話です。

それが悪いか悪くないかは別問題です。

例えば、にわとりさんの家で水を出しっぱなしにした人について

にわとりさんは被害を被ったわけですから、怒っていいのです。にわとりさんに対しては謝らなければいけません。
しかし、にわとりさん以外の人には怒る理由はありません。

共同幻想を度外視すれば、実際に被害を被った=謝る ということであり、予防的観測というのは、それぞれの個人で違うのですから、口出しするものではない。

例え危険な運転をする人であっても、です。

しかし、ここで、共同幻想をまったく無視できない事実がある。
それは共同で暮らす場合、交通ルールを守れない人や危険運転の兆候をある人と暮らすのは危険が伴うからです。

そこで、法律や社会ルールが必要になるわけです。

しかし、問題は、被害が出ていないのに『危険そうだぞ』と見たり、『これは矯正しなくてはならない』と他人の目線で判断することの曖昧さです。

発達障害者の行動が、本当に危険ではないのに、『危険そう』『失敗しそう』という定型側の予防的観測から指摘されたり、排除されたりすることがあるのだと思います。

本人は『大丈夫』というのに、定型からは『大丈夫じゃない』

つまり、にわとりさんが、他の発達障害者を危険と判断する認識が、実はにわとりさんが定型から同じように認識されている可能性が高いわけです。

そこには、絶対的な基準があるわけではありませんが、本人には絶対的な基準と信じています。
そこに大きな誤差が生まれるのではないでしょうか?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2015/12/30 (Wed) 16:23:35
あすなろさん

>発達障害者の行動が 本当に危険ではなのに 『危険そう』『失敗しそう』という定型側の予防的観測から指摘されたり排除されたりする

私もそれで余計な手出しをされたり、やめさせられたりしたことはあるので分かります(定型者よりも空気が読めずに仕事の出来が良いアスペやがお節介焼くことが多いですが)。
他の発達障害も(私から見たら危なかっしくは見えないのですが)危なっかしいと定型から見られてるなんてことはよくあります。

ただたばこの火はあからさまに過失です。

あからさまに危険な運転をする人もいます。
発達障害の友人が車の運転中に赤信号を見落として交差点に出た。青信号で出てきた側のクラクションで気付いて止まった。
他にはその友人が車でバックしていたら、後ろに私がいるのに気付かずに引かれそうになりました。
おかまいなしにバックを続けるので私が逃げた時、友人が気付いて慌てて止まりました。
私が危ないよと言ったら友人は逆ギレしました。
その後も同じようなことがあり、友人のお父さんが友人の免許証を取り上げ、更新させないようにしました。

もっと酷い人はバックしていて人の車にぶつかってもぶつかってないと言い張る発達障害者がいます。
シラを切ってるのではなく、人の車にぶつかったことすら気付いてないのです。

もちろん発達障害全員ではないですが、実際に発達障害者の中にはこういう危険なことを繰り返してしまう人がいます。
たばこの不始末や火の消し忘れも少なくない発達障害者もいます。

ちなみに私もなかなか車体感覚がつかめず、人を引く恐れがあることを自覚してるので、運転は周りが見渡せる原付のみです(どのみち生活保護なら原付以外は乗れませんが)。

自覚できない人には管理と強制も必要です。


Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2015/12/31 (Thu) 10:23:43
>にわとりさん

共同幻想の解釈の仕方、それによって起こる弊害というのは、にわとりさんと私では大差ないように思えます。

ただ、それに対して自分がどう対処するか、どういう心もちで、付き合っていくかというところに、大きな開きがあるように感じます。

おそらくですが、にわとりさんの考え方は、

共同幻想=ハード。根本的に発達障害者を受け付けない。でも、必要なものであるため、何とかして食らいついて行かないと、生きてはいけない

という感じで、

私の場合は

共同幻想=所詮、その程度のもので、定型でも、発達障害がやるような失敗をやっている。ミソクソ一緒。幻想に捉われている人が多いので、その『幻想』に気付いたものが、うまく立ち回っていける

というものです。

にわとりさんの周囲にいる方には、だいぶ極端な方が多いように思います。
それは、その人の個性であって、発達障害という冠名詞を付けるところかどうか疑問ですね。
もちろん、発達障害によってできないというのは事実ですが、そのできていないところを自覚せず、『自己コントロールができていない=幼稚』といのは、本人のもろもろの経験によってできた『個性』だと考えられます。

定型であっても、自己コントロールができない人はたくさんいます。
できる基準が高いので、なんとなくうまくいっているような印象を受けますが、実はかなり周囲を困らせ、迷惑をかけていることも少なくない。

また、発達障害によって『できない』とされる部分も、実は細分化すれば『できる』ことになることもたくさんあります。

私は仕事で車の運転をしていますが、定型より視野が狭いため、確かに定型のような『注意の仕方』で運転することはできません。
危険をいち早く察知しなくてはいけないし、意識して今どこに注意をしなくてはいけないかを見極めなくてはいけません。

よく、同乗者が、歩道の街路樹の向こうに知り合いがいて、「〇〇さん、いたね!」と言うのですが、私は気付かないんです。
とにかく、運転に関わる安全確認に意識を集中しているためです。
定型は、安全確認と、他の状況の認識ができるんですね。
なので、この同乗者から見ると「え?あすなろさん、見えてない?大丈夫?」となるわけです。
しかし、安全にかかわる意識集中は定型以上だと思います。確認しにくい場合は速度を落としますし。
なので、よく「あすなろさんの運転は安心できるね」と言われます。
逆に、定型の人の車に同乗して。「え?ここ、何でこんなスピードで行けるの?危ないじゃない!」とひやひやすることもあります。実際、私の予測通り、危なかったこともあります。
一時停止などの違反はしましたが(笑)数十年間無事故ですよ!

こういうことは、経験してみないと分かりません。
運転するようになって、自分の視野の狭さに気付き、自分が注意しなくてはいけないことにも気付けましたね。運転しろというのではありませんが、何事もやってみて自分の特性に気付くというのがあると思いますし、気付いたらちゃんと管理できるかどうかだと思います。

そして、その気付きは、他人が教えることではなく、自分でつかむもので、他人の余計な口出しで事態が悪くなったり、本人が頑なになったりすることもあるんだと思います。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/01 (Fri) 07:23:52
朗報?

新聞記事より

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201512/CK2015122702000115.html

まずはきっかけから。
おそらく、社会に浸透するのは時間がかかると思いますが、国会でちゃんと認識されたというのが、大きな進歩です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/01 (Fri) 11:39:17
皆様あけましておめでとうございます。

あすなろさん

あけましておめでとうございます。新年早速ですが。

共同幻想は発達障害を受け付けないですが、食らいつくべきだとは思いません。
むしろ食らいついていたら周りに迷惑がかかる人もいますからそういう人には福祉の分野でみる必要があるのですが、野田の時から生活保護を減らすとか、働けない人にも雇用を増やすとか発達障害者の支援を間違った見方をしている案のが問題なのですが。

話がそれたので戻りますが、あすなろさんのように工夫すればできるのに定型者的な見方で閉め出したり、仕事を取り上げたり、口出ししたりするのは問題だと思います。


しかし発達障害の中には細分化してもどんな工夫をしてもだめな人がいます。私や友人がそうでした。
発達障害の程度や特性によってこの辺は変わってくるのだと思います。

あすなろさんの仰るようにそれを自覚できる人と現実を受け入れない幼稚な人がいます。
幼稚な人は個性ではなく、メンタル問題なのでしょう。発達障害を代名詞に使うのは不適切でしたね。

> 逆に定型の人の車に同乗して危な
かったこともあります

その人にはメンタル問題があるのでしょう。
まずメンタル問題がない人はいないとkagewariさんも仰ってますから誰でも何らかの軽いメンタル問題はあると思います。

ただ定型者の場合はメンタル問題でしでかすミスで(これが大きければ問題ですが、意識次第で改善は可能)、発達障害の場合は脳機能からくるミスという違いはありますよね。
そして頻度や規模も違います。

発達障害の場合のメンタル問題は普通にこだわり続けるという意味だと思います。
友人は現実を受け入れられないために指摘されたら怒るのでしょう。

「普通にこだわらなくていいんだよ。できないこともある。あきらめることが全ての終わりじゃないんだから」と単独者的な価値観を教えていけば友人も意固地にならずにすんだかもしれませんが、周りが中途半端に普通の人扱いして責め立てたり、バカ呼ばわりするから周りにツケが回る形になるんだと思います。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/01 (Fri) 19:23:54
>にわとりさん

今年もよろしくお願いしますね!

早速ですが(^^;;

私のように、工夫すればできる……というのは、あくまで私がそう自覚しているだけで、定型からしたら、全然出来ていないし、余計な動きばかりする『使えない』人間だと思いますよ。
別スレの私の体験を見れば、分かりますよね。
それをまともに捉えていたら、にわとりさんのように、工夫してもできないものはできないと、思っていると思います。

前スレの、歩道を歩いている知人に気づかないのは、歩道に人が歩いているのに気付かないわけではありません。その人の顔まで認識できないだけです。
だから、歩道の人が不審な動きをしていれば、注意を払います。安全面では、その人の顔まで認識する必要ないですからね。しかし、定型にはそれができるので、知人がわからなかった=歩道に注意を払っていない=危険となります。
その人から、『あなたは安全確認ができていない。運転はしてはいけない』と言われれば、そうですかと言うしかありません。

定型でスピードを出す人は、別にメンタル面が問題な訳じゃありません。自分の運転を過信しているのです。そして、事故の多くが、この過信が原因なんです。免許更新などの講習でも繰り返し言われることですが、できる人ほど言うことを聞きません。
また、私くらいの中年の女性は、交通ルールすら頭に入っていない人がいます。まるで他の車のことを無視して運転していたりします。視野が狭いのは何も発達だけじゃなく、女性にも多いんですね。そして、まったく自分が危険なことに自覚がない場合も多くて、本当にそういう運転者に、運転するな!って言いたくなります。
むしろ、自分が危険を犯す傾向があるかもと自覚していたり、規則に従順なアスペのほうが向いている場合もあると思います。
運転が上手だった高齢者の過信なんて、一番危険で、そういう事故が実際どんどん増えていますからね。

定型だからできる、できるからこそ、過信する、自分が絶対なので人の話を受け付けない。こういう人が一番危険なんです。

>「普通にこだわらなくていいんだよ。できないこともある。あきらめることが全ての終わりじゃないんだから」と単独者的な価値観を教えていけば友人も意固地にならずにすんだ

私もまさにそうだと思います。いくら虐げられて、自分が悪いと自覚しなくてはと思っても、自尊心は残りますし、本来の願望もあるはずです。
それがことごとく否定されてきたら、何でもいいから、自分を押し通していないと、自分が壊れてしまいますからね。頑なになるのも分かるような気がします。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/03 (Sun) 18:30:01
あすなろさん

> 自分を過信し続けた結果、人の言うことを聞かない。事故を起こす。
>高齢になって運転能力が落ちても運転を続け、事故を起こす。

メンタル問題だと言える充分な理由です。


>ことごとく否定されてきたら 何でも良いから自分を押し通してないと自分が壊れてしまいますからね。頑なになるのも分かるような気がします

頑なになるのは分かりますが、本人が気付いて現実を受け入れないといけないのです。そういう発達障害に嫌な目にあってきたので。
これは過信してる定型者にも言えます。
共同幻想での評価に依存し、若い時は認められて来たは良いけど、高齢で能力が劣った自分を受け入れずに運転を続けて周りに迷惑かけてるのですから。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/03 (Sun) 19:15:29
あすなろさんが紹介されてたブログアスペ定型にも当てはまりそうですね。

よくブログでも話してますが、私は努力しても定型者のようなことができず、先生や親戚、近所などの周りの大人や同級生からバカにされたり、何でできないのとか努力が足りないからよと言われ続けてきました。

でも定型者自身も猫じゃらしにじゃれることよりも芸を覚えることを優先させてきたのでしょうか?
こういう母猫は特別ではなく、共同幻想適応してる親猫の大半は猫じゃらしより芸を覚えることを優先させてるところがあるように感じます。
親猫が強制的に強いてるのではなく、親猫が芸を覚えることを優先してほしい思いを子猫が読みとり、自ら芸を覚えることを優先するように誘導する。
子猫はそれを察し、芸を覚える。親猫が誉めるから子猫も誉めてほしくて一生懸命芸を覚えますよね。
しかし本当は子猫だって自由気ままに猫じゃらしで遊びたい。
共同幻想適応してる子猫の大半も無自覚にストレスを抱えてるのかもしれませんね。

それを考えると努力してもできない、空気が読めない発達に対し、
何でできないの、努力が足りないからよと責めたり、バカにしたりするのかもしれません。

kagewariさんも共同幻想適応者が無自覚にストレスを抱えている話をしてましたが、子猫の例え話を読んでいたらその意味が分かりました。
要領が悪くて鈍くさい私が先生をはじめとする周りの大人や同級生から責められたのもそういった背景があるのかなと感じました。

本当は自由気ままに猫じゃらしで遊びたかった共同幻想適応者が、空気を読まずに自由気ままに猫じゃらしで遊んでる(ように見える)発達に対し、子供時代の自分を投影して許せない気持ちになるのかなと思いました。

特に人格障害と呼ばれる人から発達障害者が目を付けられるのは、子猫時代に親猫からの何らかの強制が強く、猫じゃらしで遊ぶことを許されず、猫じゃらしで自由に遊んでる(あくまで遊んでるように見える)発達障害者が恨めしくなるのかなと思います。


【訂正】
定型者の大半は言い過ぎだったかもしれませんね。
ただ芸を覚えるように優先させるように誘導してる親は大半までは行かなくとも多いようには感じます。これは共同幻想信仰してる発達障害者も同じです(発達障害の方が定型者以上に厄介だと私の経験上感じます)。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/04 (Mon) 00:29:56
>にわとりさん

なるほど、過信もメンタル問題といえば、そうですね、確か
kagewariさんは、メンタル問題抱えていない人はいないとか、書いていらっしゃいましたよね? ちょっと忘れてしまいましたが。

すると、世の中で、何が正義なのかというのは、全く確信が持てなくなりますね。
ほとんどの人がメンタル問題を抱えているが、それに気付いている人といない人がいて、気付いた人の方が修正を試みようと必死になるので、相手の言うことに屈しやすい。気付いていない人は横暴になり、気付いた人に私が正義なのだから従えと言う。そうすれば、正義が、気付いていない人間の横暴にすり替えられてしまうことも多いのではないかと思います。

ブログは、なおなおさんが紹介してくださったものですね。
私も、ここで議論していることに深く関係しているのではと思いました。

このブログの例を借りるなら、共同幻想とは、犬(定型)であっても、ただの犬ではいけないのです。芸が出来て、人の手助けが出来る。徹底的に訓練された警察犬や盲導犬でなければ、生きる価値を認めてもらえません。しかし、犬の中にも、そういうのに向いていない犬もいる。しかし、親犬は、自分をさておいて、せめて子どもは警察犬になってほしいと願います。

にわとりさんは、大半とは言い過ぎと言われましたが、私は子どもたちの学校の保護者を見ていて、言い過ぎではないと感じています。目指すなら東大、スポーツならプロの中でも一流。妥協は許さないという親、どんどん増えてきていますし、まるで集団催眠に掛かっているようです。

こんな世の中で、「私は猫です。私には無理なんです」なんて、次元が違いすぎて、とても言えません。
しかし、私はあえて「うちの子は猫です。あなたたちとは違います」と言い続けてきました。すると、警察犬を育てる親たちは優しいんですね。ライバルがひとり減るからです。プレッシャーの少ない環境になることはいいのですが、みんなが警察犬を目指しているところに、猫ですと言い切る子どもがいて、本人は逆に辛くはないか、いくら猫と分かっていても、警察犬になりたいという夢くらいもたせていいのではないかとずっと思ってきましたが、ここでにわとりさんのような当事者の方のご苦労を聞くと、最初から猫として猫のペースでやって良かったと、やっと思えましたね。
家で認めていても、学校や組織はなかなか認めません。猫が存在することさえも分かっていません。なので、どこかしらで、必ず犬の扱いを受け、やるなら警察犬を目指せというプレッシャーをかけられます。
ドーベルマンやラブラドールならいいですが、プードルやチワワにさえ、それを強要します。警察犬でなければ社会に必要ないとさえ言われます。
これでは、とても『猫です』なんて言い出せないし、チワワくらいのことができればいいかな?なんて甘いことは言えません。

心屋さんのブログの中に、後者は存在しているだけでいいという記事がありましたが、他人から世話になるばかりの自分は申し訳ないと思うかもしれないけど、他人の世話をすることを職業にしている人たちは、世話をする人の存在が無くては成り立たないのだから、世話をしてもらう存在はそのままで価値があるのだと書いてありました。

考えてみれば、おかしな話ですよね。
みんなが警察犬になってしまったら、警察犬はいらないわけなんです。特別な存在だからこそ、多くの人を助けることができ、助ける対象が存在しなければ、成り立たないものなのです。
共同幻想というのは、どうもそういう単純な矛盾に気付かず暴走して止まらなくなってしまう傾向があるようですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/04 (Mon) 11:13:55
あすなろさん

なおなおさんが紹介されたんですね。しつれいしました。

何も東大や金持ちになれと言ったレベルだけのものではありません。
単純に「人並み、普通でいなさい」ということを親が強いてるという話です。世間の目もあるからです。
普通、人並みレベルのものですら、子猫がおもちゃで遊ぶよりも人並みになる訓練を優先させるように親が強いてる話です。
親の期待を察知し、子猫が自らおもちゃより普通になる訓練をするように優先するという誘導をさりげなくする。
こういうものは昔から一般家庭では普通にあると思います。

以前、アナとエルサの話がありましたが、幼少期の時点で自由気ままに過ごすことは良くない、世間体や常識を考えろと刷り込まれる話がありましたよね。
もちろん生きていく上では最低限の常識がないといけませんが、必要以上に常識や人並みというものを求めすぎてはいないかということです。
刷り込まれた側はそれが当たり前だと思ってるので自覚はしてませんが、kagewariさんのいう潜在レベルでのストレスというのはこれではないのかと感じました。

自分達だって自由気ままに遊びたいのに我慢し、普通になるための努力をしてきたのに、できないアスペを見ると、過去の自分を投影されて腹が立ってしまうのではないかと感じました。
同級生だけでなく、先生もアスペに寛容になれないのはそういう背景があるのかなと思います。
障害児の親御さんが定型者であれば、共同幻想をたたき込まれて育ってますからそれにそぐわない障害児の我が子にストレスがたまる人は少なくないと思います(これは障害児の物覚えの悪さに関してです。共同幻想とは別に障害児の我儘は本当に手に負えませんから)。

明治、大正といった勉強に縁がなかった時代から普通とか世間体とか人並みを求める教育は一般家庭でされてきましたから大半かは分かりませんが、ストレス抱えてる人は少なくないのではないかと感じました。

ちなみにkagewariさんは介護や収容施設には懐疑的な考えです。
個人で自宅で暮らせるように福祉機械の開発を求める(そうすれば介護職員の手も必要なくなる)ように書いてます。
http://kagewari-retour.seesaa.net/s/article/424997179.html
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/04 (Mon) 21:54:29
>にわとりさん

東大や金持ちになれといったレベルの話は、直接発達障害者には関係ないように思えますが、実は発達障害者に大きな弊害を及ぼしていると思います。

これは、私の実体験としてそう感じるものであって、kagewariさんのおっしゃることや、心屋さんの例えとは大きく外れてしまいますし、あくまで私が感じていることなのですが。

東大に入れるような学力を身に付けなさい。スポーツで一流になりなさい。
発達障害者のようにできないことが顕著でない定型の子が、親からこういう無理難題を強要されているケースが非常に増えてきています。
今の親の中には、どんな子どもであっても、『早期教育』や徹底した『管理教育』、あるいは競争心を煽れば、必ずこういう理想に近づくことができるのだと信じている人が増えてきています。
『天才を育てる教育法』などがもてはやされるのもこのためです。

そして、実際に学校にはこういう保護者から英才教育を強いられている子が多く、東大まで行かなくても、よりレベルの高い学校へ、今の実力以上のところへと、保護者、学校、塾から盛んに尻を叩かれるのです。お受験ブームなんて生易しいものではありません。失敗すれば、親子ともに『負け犬』だと思っているので戦々恐々としています。

息子の中学は、公立でしたが、まさにこういうレベルの争いが熾烈でした。
実際、その中に何人も、『天才』がいました。その『天才』が一般的だったので、少しでも遅れている(定型的には普通)の子は、『できない』と見られてしまいますし、親から『天才』を目指して頑張れと煽られます。

明らかにそういうレースのカヤの外にいる息子は、争いに加わらなくて済むので安泰かと思えば、実はこの『争い』で劣勢に立つ定型のストレス発散の材料にされてしまったのです。

ある時、息子が友達数人と帰ってくるとき、ひとりの友達と言い争いになり、その子の眼鏡を奪い取ってしまいました。息子はその後、眼鏡を返したそうなのですが、怒り狂っていた相手は、返してもらった眼鏡を投げ捨て踏みつけ、「これはお前がやったんだからな! 弁償してもらうぞ!」と脅したそうです。
帰って来て、息子から話を聞き、確かに息子が眼鏡を奪い取ったのは悪いことだが、それを壊して弁償させようとする相手の行動に閉口しました。息子が嘘を吐いているようには思えません。
しかし、相手側の親からすぐに、「お宅の息子がうちの子の眼鏡を壊してどこかへ投げ捨てた、どうしてくれる?」という電話がありました。
いっしょにいた友達のところにも、状況を聞きましたが、「たしかにあすなろくんが眼鏡を奪い取った」といわれるばかり。
結局、息子には、やったことは許されないことだけど、眼鏡を壊して息子に弁償しろと言った相手の行為は異常だし、何か理由があるのだろう。ここは、やったことについてきちんと謝るしかないといいました。
後日、眼鏡代に相当する商品券と菓子折りを持って、息子とともに謝りに行きました。
息子はちゃんと反省して、相手の親に頭を下げたのですが、相手の子は、家にいるにもかかわらず一度も顔を出しませんでした。
明らかに、自分がやってしまったことを後ろめたいと思っていたのです。

その相手の親は、自分の息子がいかに素晴らしいかをよく自慢する人でしたが、その子自身は、どう見ても『敏い』ようには見えませんでした。成績も中くらいですが、親子ともにカリカリした印象がありました。
周囲があまりにも『優秀』なために、『普通』であることが劣等感になって、『天才』になるために必死だったんです。
そして、そのはけ口が、自分以下である息子だったわけです。

常に周囲とは違うペースで動く息子は、周囲を困らせる存在。だから何をやっても許されると思われたのです。
実際、こんな『濡れ衣』を着せられたのに、周囲にいた友達は誰も息子の味方になりませんでした。
もともと、息子の行動に理解できないことが多かったからです。

定型同士の熾烈な争い。プードルなのに、警察犬になれと強要されて、訓練されて、抱え込む大きなストレス。しかし、それは強いものには向かわず、それ以下の者、つまり種類の違う『猫』に向かうわけです。そうして、自分は警察犬には劣るけれど、せめて『猫』以上であると自尊心を保つわけです。

本ブログのほうでみりさんが紹介されていたブログ。
発達障害者は『見た目』や雰囲気だけで排除されるというのも、ここに原因があるのではと感じます。

発達障害者を見た目だけで排除する職場には、警察犬になれなかったプードルたちがいるのです。そして『自分は本当は、こんな仕事をする存在ではない。もっと大きな仕事ができるはずだ』と思っています。実際にはその職場がベストなのでしょうが、『お前の努力が足りないから、こんな仕事しかできないんだ』という心の声と戦っているのです。
すると、常にストレスを抱えてはけ口を求めています。

すると、ターゲットは『こんな仕事』すらもできない、あるいは自分がうまくやろうと思っているのに輪を乱して邪魔をする『発達障害者』に向かいます。

発達障害者が、何故仕事ができないのかとか、どんなハンディを抱えているのか、などはおかまいなしです。むしろ、そういうハンディが『攻撃』の口実にできる。

にわとりさんがおっしゃる『メンタル問題』をとことんまでこじらせてしまっているのです。

しかし、その『腹いせ』は、『発達障害者』が特異な雰囲気を持っているために、他の定型に支持されることが多いのです。『あの雰囲気では、指摘されて当然だよね』と共感されやすい。

発達障害者が、どんな特徴を持っていようと、得意なことがあっても、誰もその『本性』を探ろうとはしません。

発達障害者が排除される裏には、こうした定型のストレスが大きく関係し、それに比例して、差別が大きくなるのだと、私は考えます。その差別は、もはや『理屈』ではないのです。

もちろん、こういうストレスを抱えていない定型もたくさんいますし、逆に発達障害者でも、同じストレスから、自分より劣る発達障害者に同じような差別をするケースもあるわけです。



kagewariさんの介護についての見方は、私は疑問に思いますね。
理想ではあると思います。こういうことを目指すつもりで進化していかなくてはいけないという大義名分も分かります。
けれど、実際、高齢者は自宅で余生を送りたい人がほとんどで、共同幻想から施設に入らなくてはなどと思っている人はほとんどいないと思います。
なぜ、施設に入るのか。それはひとえに家族の負担と責任が大きすぎるからです。
kagewariさんのおっしゃるような環境がすべて整わないうちに(これはあまりにも現実離れした理想です)、自宅で暮らす理想ばかりが先走ったら、心中、介護離職による貧困、餓死、さまざまな問題が噴出するでしょうね。
ここで言及する問題ではありませんが。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/05 (Tue) 11:33:49
あすなろさん

突っ込んだ話で申し訳ないのですが、詳しく教えて頂けませんか。
私も小学校の時には特に息子さんと同じような目によく遭いました。

>常に周囲とは違うペースで動く息子 

どんなところが周囲とは違うペースなんでしょうか?


>常に周囲とは違うペースで動く息子は周囲を困らせる存在

周囲の人は息子さんの何に困っていたのでしょうか?仕事なら理由は想像つきますが、学校生活では理由が想像つかないです。


>息子の行動に理解できなかったことが多かったからです。

息子さんのどんな行動が周囲の人は理解できなかったのでしょうか?


>東大に入れるような学力を身に付けなさい。スポーツなら一流になりなさい。

あすなろさんの地域は都会ですか?
うちは田舎だったせいかか、そういった競争はありませんでした。それでも発達に対する排斥はありました。なので普通であれと必要以上に教育され続け、共同幻想適応者が潜在的にプレッシャーを感じたのかなと思いました。
しかし私の見立ては外れてたかもしれませんね。


>やったことにしてきちんと謝るしかないと言いました

濡れ衣を着せられてるのにどうして謝る必要があったのでしょうか?
悪いと認めることによってますます相手が図に乗りますよね。


> しかし その『腹いせ』は 『発達障害者』が特異な雰囲気を持ってるために他の定型に支持されることが多 のです。
『あの雰囲気では指摘されて当然だよね』と共感されやすい。

発達障害の特異な雰囲気とは何なんでしょうか?


介護に関しては北欧型のような形を仰ってるのだと思います。
ある書籍の話ですが、北欧でら個人で自宅で暮らし、それを看る介護士家族や医療設備も整ってますから家族や施設が看る必要がないような努力をしてる話を気は聞きます。
日本では政治家がそういった対策を切り捨てることしかせず、家族が見るものと言ってるために実現されてないだけで。
しかし悪化すれば、自宅での生活は困難となり、施設での介護生活になるようです。施設に行かないようにリハビリにみなさん励んでるようですが、限界もあります。
だからkagewariさんは、自力で生活できるような介護用の機械を開発するべきだと書いたのかと思いました。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/06 (Wed) 21:54:40
>にわとりさん

息子の中学時代について、細かいことは忘れてしまいましたが、みんなと同じように指示が通らず、ひとりだけ違うことをやっていたり、突然癇癪を起こしたりということで、周りの『正義感の強い友達』が集まって、息子の行動を指摘したり、それがエスカレートしてちょっとしたことでも目を光らせ、「お前、なにやってんだ!」と罵倒するようなことがあったのだと思います。
息子の方も、些細なことで嫌味を言われるくらいなら我慢していたようですが、集団で嫌がらせを受けるようになって私にも言いました。
先生と話し合ったところ、息子の方も指示したことをやらなかったりすることがあると言うので、よく聞いたところ、指示の仕方が曖昧で、息子には理解できなかったんですね。
定型にはそれで通じるので、息子だけ怠けてズルいとなったようです。それが積もり積もって、言われたこともやらない、ずる賢い。突然わけの分からないことをやり出すと思われたようです。
眼鏡の事件は、最終的な大事ですが、似たようなことをやられていたのでしょうね。
息子の普段の行動に対する報復なのでしょう。

この支持の仕方が曖昧というのも、周囲が理解力の高い子どもたちだからこそ、先生側も一言えば十通じると思い込んでいたのです。

息子がどうしてこの状況を乗り切ったのか、分かりませんが、三年生のときに、今も仲の良い親友が出来たことと、息子がやられていることに対して、理解を示してくれた担任がいたことではないかと思います。
その担任は、優等生の同級生が陰で息子をいじめていることについて、現場を見ていないので何も言えないが、そういうことをやることは想像できる。先生たちの前ではとても優秀なのだが、何か違うものを感じていると、息子と私の前で、正直に話してくれました。
それから、息子の方も、相手のほうが『異常』なのだと割り切ったようです。

高校に入って、同じレベルの子ばかりになったら、息子は生き生きしています。

環境というのは本当に大事です。

中学に上がる前、息子と似たようなアスペの子を持つ親とともに、支援級のある学校に行くか、学区の普通級しかない学校にするか悩んでいました。
その友達は、息子と趣味や嗜好が似ていて、息子と気が合いましたが、息子は積極奇異型でプライドが高い。友達は、受動型で気が弱いという違いがありました。
友達は支援級、息子は普通級に進学したのですが、おそらくその友達だったら、耐えられなかったと思います。
しかし、支援級は、定型からのイジメは心配しなくていいものの、学習レベルが低すぎることや、進学先は、支援校か、高等専門学校しか選べないのです。
学力的には息子より上だった友達には、勿体無いなとも思いました。
一方。息子は、その『イジメもどき』を克服したことで、精神的にも強くなりましたし、レベルは低いですが、好きな専門分野を学べる高校に進学することができました。
しかし、克服できなければ、不登校や引きこもりになっていたかもしれません。

友達の方は結局、就職率の高い高専に行って、頑張っているようですし、何がどのように転ぶかは分かりません。

今は息子は、専門の勉強を楽しんでいて、国家資格も取りましたが、また、就職先を間違えて、そんな資格より、協調性が大事などと考える経営者のところなどに行ってしまった場合は、いっぺんでうまくいかなくなるでしょうね。

アスペの環境と人との出会いは、本当に重要で、その些細な違いで、安定したり、脱落したりと、運命が大きく分かれるのだと思います。

眼鏡の事件で、謝らなくていいというのは間違いです。
この事件は、息子が相手の眼鏡を取ったというのが原因です。そのこと自体は悪いことですし、例え相手が踏み潰さなくても、壊れていた可能性はあるのです。
眼鏡をかけていない息子は、眼鏡がどれほど大切なものなのか、分からなかったようで、説明したら納得しました。
相手の行き過ぎに対しては疑問だけれど、息子のやったことに対してはきちんと謝罪しなくてならないと説明し、本人も理解したので謝りに行ったのです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/07 (Thu) 18:22:52
あすなろさん

答えていただいてありがとうございます。

息子さんも大変な思いをされたんですね。
その中で理解あるお友達や先生がいらっしゃっるのは心の支えだったと思います。 
高校は息子さんの環境にあったところに行けて良かったです。就職先も息子さんにあったところが見つかると良いですね。

お話を伺って、自分も昔から曖昧な指示が理解できなくて自分ひとりだけ違った行動を取っていたのかもしれないと思いました。
先生や同級生から人の話をちゃんと聞いてないとかマイペースだと思われてたんでしょうね。

他にもあすなろさんが別スレで中学時代は皆の会話についていけなかったとおっしゃってましたよね。私もそうでした。
さらに私の場合は空気は読めないし、天然、突拍子もないと言われる。こっちはまじめに話してるのですが、周りからはバカっぽいと思われてたでしょう。
そんな私といてペースが乱れて疲れる、シラケてしまう、皆の輪の一体感を壊していたのでしょうね。 
さらには状況や皆の動きを見ながら判断し、自分は何の作業をしたらいいいのか分からずにおろおろしている。
そんな私を見て、先生や周りの大人達も空気が読めない、周りのことは考えない、自分のことしか考えないと思ったのでしょうね。
さらには鈍くさい、上達しない、間違って覚える。先生の指示に従わない、努力しないと取られたのかもしれません。

定型目線で見れば、これだけ揃ったら可愛く見えないのでしょうね。
普通でない子を平等に見られる人は少ない。
さらにうちの両親も障害があるから空気が読めない。バカ親にしてバカな子供ありと思ったと思います。
特に教育者は枠からはみ出た変わり者は嫌う人は少なくありません。
だから私がいじめられた時も先生はいじめた側の言い分ばかり信じ、こちらの話は聞いてくれなかったのかもしれません。
むしろ先生や周りの大人は私はいじめられてもしかたないと思われても仕方ないと見ていたのでしょう。

先生達だって共同幻想論をたたきこまれて育ってますから共同幻想に染まれない子に冷たくなるのは自然なこととなりますが。

私を人として見てくれたのは高校の担任くらいでした。
うちの高校は共同幻想の枠からはみ出た問題児やコミュ障の集まりでしたから先生もそれにあわせてくれていたのだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/08 (Fri) 10:29:39
>にわとりさん

残念ながら、学校現場は共同幻想が非常に顕著な場であって、しかも、社会よりも柔軟性に欠けるところです。

以前ひきこもりだったという方がネットに書いていたのですが、学校時代には『暗い』『キモイ』などといった漠然とした基準だけで徹底的に排除される。ようやく社会に出たとき、そういう基準が無くなったのが本当に楽だと思ったというようなことを書かれていました。

しかし、にわとりさんの前の職場のようなところは、学校時代の集団意識をそのまま引き摺っているようなところだったのでしょうね!

>むしろ先生や周りの大人は私はいじめられてもしかたないと思われても仕方ないと見ていたのでしょう。

これは、息子についても娘についても、言われ続けてきました。言われたというより、『お宅のお子さんにも原因があるでしょ』とあまり真剣に解決策を取ろうとはしない。
結局、親の方が周囲や先生におもねるような(役員を盛んにやるとか、常に学校に顔を出すとか、行事の手伝いを積極的にするとか)行動をしないと、『親子ともにダメだ』と思われて、相手にもしてくれなくなります。

私はそれに自分の時間を割いてきましたが、そうできない事情の人だってたくさんいるわけです。
そうすると、にわとりさんのように親子ともに『おかしい』と一蹴されてしまう傾向は大いにあると思います。

考えてみれば、なんておかしな集団なんでしょうね。
その集団に生き残った人たちが教師になったり、あるいは政治家、弁護士、医者などになっているわけですから、世の中共同幻想がどんどん異常な方向に流れていくのは必須なのかもしれません。

以前、教師を目指す学生の6割が体罰を容認しているという調査結果がニュースになったことがありました。
その学生のほとんどが体育会系の部活、あるいはスポーツ団体などに属していた経験があるそうです。
つまり、自分もしごかれて実力を得てきたので、子どもの実力を引き出すための体罰は必要であると考えているわけです。
しごかれて、選手になれたなら、いいでしょうが、なれなかった人たちには傷しか残りません。あるいはそのスポーツ自体苦痛になってしまって止めた人も多いかもしれません。
しかし、教師を目指すということは、きっと学校という共同幻想の中で『成功』して良い経験をした人たちなのでしょう。
もちろん、中にはそれだけでない先生もいるでしょうが、そういう人たちの割合も多い。弱者の目線になれる教師が少ないのも分かる気がします。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/08 (Fri) 17:06:07
あすなろさん

> 結局親の方が周囲や先生におもねるような(役員を盛んにやるとか常に学校に顔を出すとか行事の手伝いを積 極的にするとか)行動をしないと『親子ともにダメだ』 と思われて 相手にもしてくれなくなります

なるほど。私も両親も世間知らずでした。常識がわかっていないと思われていたんでしょうね。
といってもうちの両親は行事に顔を出して動いてはいたのですが。先日あすなろさんが話されていたあるイベントで嫌がらせを受けた経緯のようなことがあったのかもしれません。
定型が求める行動やコミュニケーションがとれないのであれば、先生からも嫌われますね。

一方で高校の担任からはうちの親は謙虚な優しい親だと言われました。
うちの高校が問題児にモンスター親ばかりだったのもあるのですが(^_^;)
環境によってアスペの見方も変わるんですね。


>教師を目指すということは きっと学校という共同幻想の中で『成功』して良い経験をした人たちなのでしょう

kagewariさんの記事では逆に共同幻想のストレスに耐えているとかいてありました。
前にも貼り付けました内容ですが、私が話していた内容と似た記事がありました。
http://kagewari.seesaa.net/article/419489834.html

>「なんとなくオンザレールな『共同幻想』一般市民 はそれが中途半端でもよくて楽でいいですね。
>メンタル問題の発現ってのは、問題表面化の差異に過ぎず(違う出方でオンザレールな人にもメンタル問題 はあるワケで)、メンタル問題として知られる状況なり症状なりが現れないだけで(自我選択の状況が同じ ように中途半端であれば)「物理的にストレスによるワケです(だから所謂市井の人は「深酒したりさ」「無茶な遊びをたりとか」本気でしんどい部分をなんとか”散らそうと”あがく様子があるわけ だ)。深酒したり騒いだり不倫したり子供暴力振るったりだ、そういう事で中途半端部分を”散らし”ながら 先送りするんだよね。勿論その中には一生先送りの人生もある。 >ひょっとすると「一生苦労とストレスの人生だった」 なんて人生にもなるワケです。 「楽でいいですね」とか全然違うワケ。
(中略)
> すると、こんな事を言う人が出てくるでしょう。「私の知人は皆幸せですと言ってます」とかね(笑
>何のために『懺悔室』なんてものがあると思っている んですかってね。 或いは精神科処方薬が米国なんかで広く一般に処方されていたりするのは何故なのかって。 オンザレールな人=『共同幻想』適応と引き換えに 『自意識』にリミッターかけている自我構成になるのだから (所謂一般的風評は「とりたてて自分の意見を 言わない人」など)、はたして何を言えばいいのか言葉も出てこないって人もいるだろうし、当然の事自分 人もいるだろうし、自分の辛い状況を”知人”程度の相手に話したりしませんから。←むしろ体裁つくろった話をする確率のが何倍も高い。=そういう(本音にリミッターかける)
>「私の知人は皆幸せですと言ってます」ひとつのレトリックになっていて、本質的に論理矛盾 してるんです(知人程度に本音を話すオンザレールな人などいないのだから)。
(中略)
>「だったら最初から 『共同幻想』真性選択している人だけ特権階級じゃないけど特別に得してませんか?(絶対私は損している筈だ「これを意地でも認めてもらいます」)」 これも無知約茶な話。 『共同幻想』の権威性を保証するのは多数や実行権力者による半ば社会的強制的な権威の裏付けです。 これがその道徳・倫理・権威性認知の正統性を担保(所詮幻想なのだから”現実らしさ”なんですが)する事で自我の安定を保ちます。
(続く)

また以前のエルサの例えになりますが、ありのままの力を抑圧して代わりに共同幻想論をたたき込まれている話をしてましたよね。
共同幻想適応者もそれがストレスとなっていて、それを発散するために深酒や皆と騒いだりするという話が書いてありました。
私は共同幻想適応者ではないので、どこまで当たってるのかは分かりませんが。記事に書いてあるということで載せました。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/09 (Sat) 09:40:24
>にわとりさん

ご両親ともに、学校行事に協力されていたとは、熱心な親御さんだったんですね。にわとりさんのところはそれが普通なのかもしれませんが、私のところは、一切学校に顔を出さない人も多いので、珍しいと思います。
確かに、その手伝いで、他の親と反りが合わなくなると、逆効果になるかもしれません。しかも、PTAは、まさに共同幻想だけで動いていますから、発達障害があると、仕事よりも排除される可能性が高く、親が悪い印象を持たれて、『親子ともにおかしい』と決めつけられてしまうこともありそうです。
ボランティア、自治体活動、PTA活動というのは、ルールが明確でなく善意で動いているので、共同幻想が強くなりやすいんだと思います。どちらにしても、発達障害者には厳しい世界だと思います。

ご紹介いただいた記事、以前にも拝見していますが、改めて学校や教師の問題に当てはめてみたら、思い当たることがたくさんありました。

共同幻想社会で『成功』しているように見える人が抱えるストレス。

息子の小学校の時の担任が、ある刑事事件で逮捕されたのです。非常に評判の良い先生で、息子のことについても熱心に耳を傾けてくれる人でしたが、その実、全然こちらの言いたいことが伝わっていなくて、本人は意図せずに息子にプレッシャーをかけてしまう人でした。
もう、理解の次元が違ったんですね。
その後、ニュースにもなるような事件を起こしてしまい、教職を追われました。私は、息子についてうるさく言いすぎたので先生を追い詰めてしまったのかと思ってしまいましたが。
もともと、共同幻想にとらわれて、『立派な教員』を演じていただけなのかもしれません。

また、子どもたちの中学時代の校長は、同じ学校で親世代も教えてきた人でした。卒業後も付き合いがあり、子どももお世話になっているという人が何人もいたので、その親に「ずっと付き合いがあるなんて、よほど尊敬しているんだね」と言ったところ、「とんでもない!暴力教師だったんだよ。仕方なく連絡取り合っているだけ!」と言われてびっくりしました。
今では教育委員会の重鎮なので、この辺りの学校の教員は、その校長の知り合いか、教え子ばかりです。けれど、その先生が大好きだった!なんて話は聞いたことがありません。その逆で、相当、しごかれ叩かれたという話はよく耳に入ってきます。
本人は生徒に慕われる立派な教員の鑑と信じているでしょう。

こんな風に、教員の世界も、共同幻想にしがみついて、その中でのステイタスにこだわるあまり、本来の自分を見失って、ストレスを抑え込んでいる人が少なくありませんし、それが上の地位についているわけです。

ブログの方でどんぐりさんがお話されていた『医者』もそうですよね。もうすでに、人間性まで失っているのに、地位だけは確保されている。

高学歴を目指せば目指すほど、それに特化した努力が必要となり、全人的なものを失っていくのではないかと思います。
本当に教員や医者になるような高い能力を持った人なら、特化しなくてもできるので、ストレスを溜め込んだり、人間性を失ったりすることはないのでしょうが、問題はそこまで能力が備わっていなかったにも関わらず、無理強いしてしまった場合です。そういう人は、地位や名誉しか見えなくなります。その一方で本来の自分を抑圧するので、ストレスを溜め込んでいきます。高い地位に上れば上るほど、その抑圧は強くなります。これを意識していない人が非常に多いということです。

なので、社会的地位や、仕事の処理能力、共同幻想の中での人脈と、自己実現とは、全く別のところにあるのではないかとおもいますね。
前者だけで地位を保っている人は、現代社会にはとても多い。私は大半そうではないかと感じます。

前にご紹介した今一生さんのブログには、首相もそのひとりだと書かれていましたね。
Re: Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/09 (Sat) 10:11:25
思い出したので追記:

一方で、 本当の意味での教員の頑張りは、評価されないということもあります。

息子を最初にみてくださった通級制情緒学級の先生は、私たちの大恩師です。
まだ息子について何も分からないときに、アスペについて説明してくださり、診断に導いてくださいました。単に発達障害と割り切るだけでなく、どこに困難が生じるのか、何を課題にしたらいいのかを丁寧に説明してくださったのです。
その先生がいなかったら、私たち親子の今はないと言っても過言ではありません。
まだ、幼かった息子は、その先生のことをほとんど覚えていませんが。

こういう先生の知識と能力を活かせばいいものを、情緒学級で長く勤めていたため、数年後に僻地の普通級しかない学校に異動させられてしまったのです。
先生ご本人も、不本意だ、支援の必要な子たちともっと関わりたいとおっしゃって、悔しがっておられました。

前スレの校長のような人が高い地位にあり、この先生のように本当の意味での『教師』と呼べる人が追いやられる。それが『共同幻想重視』の現代社会なのです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/09 (Sat) 19:42:57
あすなろさん

うちの地域も参加しない人はいるのですが、うちの親だけは参加しないと非難されること、うちの親は真面目なので行事は一生懸命やる性格、何より皆と仲良くなりたい一心だったのだと思います。
しかし他の人なら何も言われないことが両親に対してはちょっとしたことでいちゃもんつけられました。
その一方では自分達が楽したいからいちゃもんをつけて仕事を押しつけていたのです。
皆が定型基準を満たせない親には何されても仕方ないと思っていたのでしょうね。
ちなみに周りは母が知的障害があると分かった上でわざとそういう仕打ちをしてきました(母の過去を知ってる人がいて、母は勉強ができなかったために小中学校と障害者学級にいたことを周りに話していたようです)。


話は長くなりましたが、あすなろさんの仰る教師はメンタル問題がある人だと思います(あすなろさんもメンタル問題を持ってる人を前提と話されていたらすみません)。
共同幻想との見分けがややこしいのですが、真に共同幻想している教師は愛情を持っての体罰(ただし共同幻想適応者が対象。コミュニケーション障害が対象であれば冷たい対応だったと聞きました。皆に公平に接してくれた先生はいたようですが)はあったと思います。
メンタル問題がある人がむやみやたらに体罰、または過剰体罰をしてたのではないでしょうか?ましてや共同幻想適応者が刑事事件は起こさないと思います。
私が貼り付けた記事はメンタル問題がない共同幻想適応者が対象です(どこまで当たってるかは分かりませんが)。

母親の事例で言えば、共同幻想論に従えない母親が気に入らずにいじめた人達は共同幻想として正しいことをしただけで、メンタル問題がないようです。
個人的に母親に目を付けて皆がいない場所でいじめる、または個人的に母親が気に入らず、周りを巻き込んでいじめる人のことを指すあるようです。
あすなろさんの事例で言わせていただけば、先日のイベントでの嫌がらせをした人はメンタル問題ではなく、共同幻想論に沿った行動(あすなろさんが悪いとは言ってません。共同幻想も病理的なところはあるとkagewariさんも仰ってますから)。
あすなろさんをいじめた上司はメンタル問題があり、一緒にいじめていたスネ夫的な同僚は共同幻想論に従っただけだと解釈しています。

>前スレの校長のような人が高い地位にあり、この先生のように本当の意味での 『教師』と呼べる人が追いやられる。それが『共同幻想重視』の現代社会なのです。

教師に限らず、一般社会でも同じですね。共同幻想に染まれない者は本来は○ねということのようですから(建前では言いませんが、本来の共同幻想論はそのようです)。
何だかやり切れないというか、不本意だと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/01/10 (Sun) 10:42:04
>にわとりさん

>あすなろさんの事例で言わせていただけば、先日のイベントでの嫌がらせをした人はメンタル問題ではなく、共同幻想論に沿った行動(あすなろさんが悪いとは言ってません。共同幻想も病理的なところはあるとkagewariさんも仰ってますから)。
あすなろさんをいじめた上司はメンタル問題があり、一緒にいじめていたスネ夫的な同僚は共同幻想論に従っただけだと解釈しています。



ここ、すごく重要で、ここを突き詰めていくと様々なことが明らかになってくるような気がします。

にわとりさんは今までも、すでに読み解いていたうえでお話されていたのでしたら、私は今さら気付いたので、とんちんかんなやりとりになっていたかもしれません。
そうであったら、申し訳ありません^^;


まず、私の出した事例は、kagewariさんのおっしゃっている『メンタル問題に気付けない、先送りしている人の事例』のつもりです。

犯罪を犯した担任は、それまで『評判の先生』だったわけで、周りも本人もメンタル問題があるなど気付いていなかった。それを先送りして、あるいは無理にふたをしていたために、あるとき爆発してしまったという例です。

暴力教師だった校長は、本人はメンタル問題に気付いていないが、周囲は気付いていて被害を被っている例です。kagewariさんの言葉でいえば、『散らしながら先送りしている』例です。

共同幻想が問題なのは、こういう深刻なメンタル問題を抱えている人であっても、共同幻想にマッチしている限りは誰からも責められないし、かなりの地位を保っていられるということなんだと思います。

共同幻想にマッチする=共同幻想適応者が、正しい人とは限らないし、メンタル問題のない人とは限らないということがよく分かる事例だと思います。

kagewariさんの説をきちんと読み解いていないので、あくまでkagewariさんの説の一部から私が認識したこととしてお話させていただきますが、

共同幻想とは民主主義であって、10人いるうちの、ひとりがAと主張しても、9人がBと主張したら、B案が採用されます。将来的に、A案が10人にとって明らかな利益になるとしても、B案で損することが『正当』とされます。

これが、にわとりさんのおっしゃる『共同幻想として正しいことをする』ということだと思います。

なので、私たち親子を救ってくださった情緒学級の先生は、共同幻想的には『正しくなかった』わけです。

この先生から初めてアスペという言葉を聞きましたし、知覚過敏の問題や、自閉の物の捉え方、学校ではどうして問題になるのかなど、今ここで議論されているようなことも教えていただきました。
ある意味当時の医者よりも確かな知識を持っていたので、相当勉強、研究されていたのだと思います。

しかし、その研究テーマは『少数派の発達障害者について』なので、共同幻想には必要ないとされてしまったわけですね。
だからそれらの研究は活かされることなく、普通の教員としての使命を全うせよという裁断が下されたわけです。


最初に出した私の例ですが、確かに、私を責めた人間の構成を一つ一つ考えていくと、面白いことが分かるなと思います。
私をいじめた上司についても、その人の中に、共同幻想として正しいことと、メンタル問題からの危機感というのが混在していたように思います。

Aはやってはいけない。=Aは確かに私の落ち度であり、共同の秩序をかき乱すものである。それは私の側にどんな理由があろうとも、指摘されて当然のことである。

Bはやってはいけない。=Bは明らかに私の落ち度ではなく、逆にBは必要なものである。本来なら、やらなくてはいけない。

上司は、このAも、Bも、一緒くたにして私を責めました。

『Aをやってはいけない』というのは共同幻想でいけば正しいことであり、
『Bをやってはいけない』というのは、いつも共同幻想から外れて困ったことばかりをする『私』がやることが面白くない。あるいは、私にそれをやられることで自分の立場が追われると恐れていた。これは明らかにメンタル問題です。

そして、周囲のスネ夫的な同僚にも、様々なタイプがありました。
上司が責める私という人間がいることで、共同の秩序を乱されると思った同僚が、上司と同じ行動を取って私を責める=これは、共同幻想論では正しいことです。上司=秩序に従わなければ共同が崩壊するからです。
一方、私の行動に対して、それを本人に直接指摘するわけではなく『ちょっと、これやったの誰?』と、わざと公にして責める人もいました。私がやったことと明らかに分かったうえで、です。
この人は、『私』という人間を大勢の前で非難することで、自分の正当性を認めさせたいと思っているメンタル問題を抱えた人間ということになります。
共同幻想から外れる人間をみせしめにして、自分がいかに有能であるかを知らしめたいわけです。


息子の例でも、同じことがいえます。
普段から共同の秩序を乱す行動ばかりする息子に対して、周囲が『何もやらない』『ずる賢い』というのは、共同幻想として正しいことです。
その息子が、また『友達の眼鏡を奪う』という暴挙に出た。周囲は息子を加害者、眼鏡を奪われた相手を被害者と思うでしょう。
しかし、本来は被害者である相手に息子が謝って終わるものを、被害者自体がその被害を大きくしてしまった。これは共同幻想を逆手にとって自分のメンタル問題を解消させようと利用したわけです。

定型、アスペ、あるいは他の発達障害といった枠組みとは関係なく、メンタル問題を持っている人と持っていない人は存在すると思います。

メンタル問題を抱えた定型の問題行動は、定型重視の社会からは、ある一定のラインを越えない限り擁護される可能性が高い。

しかし、発達障害者の場合、メンタル問題がある無しに関わらず、そもそもの社会のボーダーから外れることが多いため、メンタル問題を抱えた定型よりも問題と見られてしまうことが起きるのだと思います。

そして悪いことに、こういった理不尽な待遇の繰り返しによって、発達障害者がメンタル問題を抱える割合はとても多くなってしまうのだと思います。

しかし、この問題を仕方ないと割り切るのではなく、少数派が力を付けていかないと、定型が守っているはずの『共同幻想』自体がどんどん自滅していく方向に進んでしまうのだと思います。

少数派を切り捨てて、多数派だけが残ったとしても、その残った多数派の中でまた、少数派を区別して排除するからです。
そして、どんどん許容範囲が狭くなり、ついには誰も受け入れられない社会になるということです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/10 (Sun) 20:48:13
あすなろさん

>私の出した事例は『メンタル問題に気付けない、先送りしてる人の事例』のつもりです

あすなろさんは『メンタル問題を持った人』の話だったんですね。
私は『メンタル問題を持った人』と『メンタル問題を持っていない共同幻想適応者も含めて』話したかったのですが、私自身の説明が上手くできなかったんです。すみません。

まずあすなろさんが仰っていた事例。
> 情緒学級の先生の研究テーマは『少数派の発達障害者について』なので 共同幻想には必要ないとされてしまったわけです。
>だからそれらの研究は活かされる となく 普通の教員としての使命を全うせよという裁断が下されたわけです

自分達が受け入れたくない発達障害のために時間を割くより、定型者のために時間を割けということなのでしょうね。
発達障害者は意地でも定型者に合わせろ、ついていけない人はストレートに言えば消えろということなのでしょう(実際に締め出されますよね)。

> 上司はAもBも一緒くたにして私を責めました。

メンタル問題がないスネ夫的な共同幻想適応者にもこういうことはありました。
ただメンタル問題がない共同幻想適応者の場合、あすなろさんが仰るように動機は共同幻想論に反している(というか自分達に不利益が生じる)からちょっとしたことで責め立てるようになるのですが、メンタル問題を抱えてる人の場合は個人的に気に入らなくていじめるのだと思います。

共同幻想適応者でもメンタル問題を抱えてる人からいじめを受ける場合もありますよね。
共同幻想適応者の場合は他の仲間から庇ってもらえますが(相手が周りを味方につけるのが上手い人格障害者だったり、敵に回したら厄介なタイプに目を付けられたら、共同幻想適応者相手でも誰も庇ってくれなくなりますが)、発達障害の場合はいじめられても仕方ないと取られたり、誰も味方になろうとしてくれないから難しいですよね。
それを見越していじめの標的にする人も少なくないですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/10 (Sun) 20:58:19
そして私がもう一つ話したかったことですが。
kagewariさんの記事

>「私の知人は皆幸せですと言ってます」とかね(中略)
>オンザレールな人= 『共同幻想』適応と引き換えに『自意識』 にリミッターかけている自我構成になるのだから (所謂一般的風評は「とりたてて自分の意見を言わない人」など)、果たして何を言えばいいのか言葉も出てこないって人もいるだろうし、当然の事自分の辛い状況を”知人”程度の相手に話したりし ませんから。←むしろ体裁つくろった話をする確率のが何倍も高い。=そういう(本音にリミッターかける)『共同幻想』に適応選択しているんだから。
>「私の知人は皆幸せですと言ってます」←この言葉はひとつのレトリックになっていて、本質的に論理矛盾してるんです(知人程度に本音を話すオンザレールな人などいないのだから)

メンタル問題関係なく、普通は幼少期からありのままの自分を親から否定され、常識や世間体を刷り込まれますよね。
子供は親に怒られないように自然と察して大人受けする振る舞いを身につけますよね。
これが記事にある「『共同幻想』適応と引き換えに『自意識』 にリミッターかけている自我構成になる」 ということなのかと思いました。
中途半端に共同幻想選択をしたら、あすなろさんが仰るような事例になるのだと思います。

さらに記事には

>『共同幻想』真性選択している人だけ特権階級じゃないけど特別に得してませんか?
>『共同幻想』の権威性を保証するのは多数や実行権力者による半ば社会的強制的な権威の裏付けです。 これがその道徳・倫理・権威性認知の正統性を担保(所詮幻想なのだから”現実らしさ”なんですが)する事で自我の安定を保ちます。

とあります。
意味を完全に理解したわけではないですが、 「『ありのままの自分』 にリミッターかけた自我構成になる」共同幻想適応者は、道徳や常識、世間体などの正当性を担保されることで自我の安定を保っていると私は解釈しました。


> 「メンタル問題や、新卒3年で退職、投票ともなれば浮動票が過半数」←『共同幻想』真性選択している人にとってこれは 「国体を揺るがす重大事変」なぐらいの不安を引き起こします。逃れようの無い存在の希薄さによる強烈な不安ストレスで す。
> 『共同幻想』真性選択している人には自分の自我がよって立つ正統性にネタバレチャレンジする隙間が”あり ません”。せいぜいが時代を呪ったり恨んだり悪態ついたりの対処法しかその不安を解決できない(憲法に対する知識や知見も無いまま無理筋で憲法改正要求する人みたいな)。 ある意味、偶然本当に高い社会的地位などに所属しない限りこ の不安を拭えない(しかも半端な所得ではその不安を止められない)。
>所謂迷いや鬱や自律神経失調などは起きないが、ベタな実生活上のストレスたるや半端なものでは無い事がわかります。 時にこのタイプの人は「人生苦労の連続」などと発言しますが、それは嘘では無く本音です。

私の理解も危ういかもですが、現代社会では共同幻想社会が崩れてきていて自我を安定させている物がなくなってきていると解釈しました。
昔の人が封建社会で耐えられたのは自我を安定させている共同幻想が強固だったため。
現代社会で病気でなくともストレスが多いというのはそのためでしょうか?


>メンタル問題を抱えている共同幻想適応者も普段から共同の秩序を乱す行動ばかりする息子に対して 周囲が『何もやらない』『ずる賢い』と非難した

あくまで私の解釈ですが、「俺たちも共同幻想のストレスに耐えて共同幻想適応のための努力してるのに何であすなろ君だけ楽してるんだ(息子さんは楽してないのですが)」と彼らは思ったのかなと。
受験競争が激しくなかった地域に住んでいた私や他の発達障害者も周りから「脳天気」「楽してる」と共同幻想適応者から取られたのも同じ理由だったのかなと感じたのです。


> しかし問題を仕方ないと割り切るのではなく、少数派が力を付けていかないと定型が守ってるはずの『共同幻想』自体がどんどん自滅していく方向に進んでしまう のだと思います

kagewariさんの記事では「今は共同幻想社会から単独者社会に移行する過渡期」「今後は単独者化する人が増える(共同幻想適応選択はレアケースになる)」と書いてるので、世の中が良い方向に変わることを期待したいですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/01/13 (Wed) 16:23:27
にわとりさん

パンダさんのやり取りを拒否しておいて、他では調子にのって書き込みするんですね。
かぼちゃさんの時に皆さんからご指摘受けていた事実をご存知のはずです。にわとりさんも同じなんですよ。
ここでもですが、ブログや掲示板への書き込みは控えるべきです。
あなたは空気を読めない障害をお持ちのようですから見かねて忠告させていただきました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 管理人
  • 2016/01/13 (Wed) 19:14:57
果物さん

にわとりさんの投稿は特にガイドラインに反していませんので、投稿は特に問題ありません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/14 (Thu) 01:42:00
ぱんださん

違反していないと聞いて安心しました。ありがとうございます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ひばり
  • 2016/01/22 (Fri) 07:39:01
にわとりさん

>メンタル問題関係なく、普通は幼少期からありのままの自分を親から否定され、常識や世間体を刷り込まれますよね。

通常の親子関係はそんなシビアなものではありませんよ。
にわとりさんの置かれていた家庭環境は厳しかったのかもしれませんが、それを他の家庭と同じように考えるのは違うのではないかと思います。

>>オンザレールな人= 『共同幻想』適応と引き換えに『自意識』 にリミッターかけている自我構成になるのだから

これも違います。道徳や常識は生きていくうえでは当たり前のことを教えられるだけです。適応するために自分の本音や自分自身を押さえつけてることは通常はありません。
もちろん全ての本音を言うわけではありませんが、自分の意見を言う所は言ってますし、同時に相手を尊重しますし、そのバランスをうまく保ってるわけです。
kagewariさんという方の言い方は社会に適応するためには全て自分を抑圧しなければならないといっているようで違和感を感じます。
他にも友人と遊んだりするのも社会で生きる事がつらくてストレス紛らわせるためにやってるような言い方をkagewariさんという方はしていらっしゃるようですが、これも憂さ晴らしではなく、純粋に友人といるのが楽しかったりするからです。

個人的にはkagewariさんという方は相当生き辛さを抱えてる方のようですね。ひねくれた見方しかできないというか。
私にもにわとりさんと同じ境遇の兄弟がいますからお気持ちはお察ししますが、kagewariさんという方のおっしゃることを真に受けるのはいかがなものかと思います。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/23 (Sat) 14:00:49
修正しました。

ひばりさん

親になったことがないから分かりませんが、大半の親は「普通でない子」をなかなか受け入れられないと聞きます。
なかなか言うことを聞かない、手がかかるわりには得られるものがないという理由はあるのだと思いますが、それとは別に「普通」をたたき込まれて親も育ってきてるために普通になれない我が子にいらいらするというのも大きな理由にあると思います。
定型者の我が子を愛せるのは障害者ほど手が掛からないのはあると聞きますが、定型者が「普通になれる」ことも前提だからだと色んなとこから話を聞いていて感じます。

前に「女の子はややこしい!」という本を読んだことがあります。
女の子はしおらしく、品よく、皆と仲良く、兄弟や下の学年の子の面倒を優しく見るようになど、親や周りがそういった姿を求めると書いてました。
女の子はかなりストレスを感じるとありました。しかし表立って態度に現したら先生や親に嫌われるために陰でいじめるのです。
それも女の子だと一対一で喧嘩したらはしたないとの評価がくるため、周りを巻き込んで一人の子を悪者にしていじめるのです。
アメリカの話ですが(白人と黒人でもまた事情がかわってくるようですが)、日本も例外はないと思います。
この本は女の子の話でしたが、男の子も別に求められてるものがあり、親や周りからの無言を受けているようにも感じます。

もちろん親は我が子を追いつめるつもりはなく、我が子のことを思っての行動だと思いますが、知らず知らずのうちに我が子を普通病に仕立てあげて追いつめてる部分もあるように感じます。

発達だけでなく、定型者も苦しんでいるということが書いてある本だと思います。

うちは両親が世間知らずな障害者でしたが、皮肉にもそれが「ある意味では楽でした」。親が障害者だということで普通を求められず、発達障害らしく自由気ままに振る舞ってました。
それが我儘、マイペースすぎた部分もあるために小さな時から定型社会に受け入れられなかったわけですが、定型者の親から定型者の振る舞いを求められていたら私はもっと発狂して今以上に病んでいたと思います。
他人は心底憎んでも親は心底憎まなかったのは血のつながりがあるからではなく、他人からはできないこと(定型者の振る舞い)を求められ、親からはそこまで厳しくされなかった(一般的には甘やかされすぎたと見られる)からです。

学生時代に定型の同級生から「にわとりちゃんのお母さんは優しくて良いね。うらやましい」と言われたことがあります。母親を嫌っていなかった一部の子達だけですけどね。
今までその言葉が謎で「この人何言ってるんだ?」と思いましたが、女の子はややこしいという本を読んだら少し意味が分かりました。
まあ思春期時に言われた話ですから30過ぎた現在では同級生の気持ちは変わってるでしょうけどね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/01/23 (Sat) 22:05:47
中学時代に保健室に行ったら、定型の女の子が二人保健室登校をしてました。
二人とも学力もコミュニケーション力も人並みだったようですが、友達関係で色々あったようです。中学生は一番難しいですからそれは皆が経験することだと思います。

しかし二人とも親からは保健室登校をしたことを受け入れてもらえなかったようです。
保健室登校=普通じゃない認識があったのでしょう。子供から話を聞く姿勢がないような話を聞きました。

親が皆そうではないと思いますが、厳しい親も少なくないんだと思いますよ。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ひばり
  • 2016/02/04 (Thu) 09:40:05
にわとりさん

その本は読んだことがありませんが、今時は上流家庭くらいだと思いますよ。
今時の躾は生きていく上では必要な躾だと書きました。そのくらいのことで大きなストレスにはなりません。
確かに発達障害の子は親子関係が複雑になることもあります。しかし少なくとも定型の親子関係はそこまで厳しい環境ではないですよ?中にはそういった環境もあるかもしれませんが、ほとんどの家庭は恵まれた環境でのびのびと親の愛情を受けて育っています。
にわとりさんはご自分の家庭が劣悪だったことで大変だったと思いますが、だからと言って他の家庭までも厳しい環境だとおっしゃることには疑問があります。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/04 (Thu) 13:28:15
ひばりさん

自分の家庭が劣悪だったから他の家庭のことを厳しい環境と言ってるわけではありませんよ。
私が勝手にそう思い込んでいるのでいるとのことでしたらそう思ってくださって結構です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/04 (Thu) 13:42:06
ちなみに女の子はややこしいという本は精神科医に薦められました。

主治医は共同幻想の言葉はしらないと思いますが、共同幻想がどれだけ人々にストレスをあたえているかということが本に書かれていることを教えてくれていたのだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/11 (Thu) 18:22:43
にわとりさん

あなたの書き込みを見ていると、「なぜ自分だけこんな目にと思っているように感じます。だから他の家庭も厳しい環境にあると思いたいのではないですか?

ひばりさんのおっしゃるように親子同士の関係はにわとりさんが言うような悪いものではないです。家庭や家庭はどんなことも受け入れ、支えあい、許しあい、安らげるものなんです。
必死になって抵抗するのはやめるべきです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/11 (Thu) 18:49:35
共同幻想の厳しさとか悪い部分ばかりおっしゃってますが、それはアスペにとって生きづらいというだけです。もちろんそれがいいことではないですが、共同幻想そのものが悪いものではないです。

人とのつながり、助け合い、友情、愛情、絆、そういったものがなければ人は生きていけません。
私達は共同幻想の中でそれらをはぐくみ、衝突もあれば楽しいこともたくさんあります。
学生時代は友達や先生、家族に教えられたことはたくさんありますし、助けられて支えられて生活してきました。それが社会人になって人間関係の基礎になっています。

kagewariさんのブログに書いていることを見てましたが、この方もいじめを受けていたんですね。亜スペルガーをお持ちの印象を受けます。
人とのつながりや支え合いとか私達定型世界のことを全否定しているような記事で大変違和感を感じます。よほどこの方は人間関係に恵まれずにねじれた考えになってしまったのでしょうね。

にわとりさんも人間不信になってるからkagewariさんの捻じ曲がったブログを鵜呑みにして五字分をはげましているのであればご自分の精神を悪化させるだけですよ。現実を受け入れましょう。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/12 (Fri) 11:11:48
>果物さん

>共同幻想の厳しさとか悪い部分ばかりおっしゃってますが、それはアスペにとって生きづらいというだけです。

これは、反対にも捉えられますね。つまり

共同幻想にも良い面があると言いますが、それは定型にとって生きやすいというだけです。

どんなに努力して、誠実に生きていても、受け入れてもらえない人がいるということ。
その原因は、共同幻想から外れた人間を、本人の考え方がねじ曲がっているからだと一蹴する意識が強いからだということを認識されたほうがよろしいかと思います。

ご自分とは異なった人生を送って来られた方を批判する前に、ご自分の視野の狭さをもう少し自覚された方がいいのではないかと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/12 (Fri) 16:49:31
あすなろさん

定型社会の中ではアスペルガーが生きづらい環境であることは確かです。そこはなおしていかなければいけないと私も思います。
ただしkagewariさんは人間の絆やつながりそのものを否定し、定型者を非難しているのです。いくら生きづらい環境を生き抜いたとしても彼の考えはひねくれています。

にわとりさんもご自分がつらい環境にあるからといってkagewariさんのひねくれた考えを受け入れるのは危険だと忠告したまでです。
他にも定型者もストレスを抱えているとか親子関係が厳しいものだと間違った思い込みも直しましょうと忠告したのです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/12 (Fri) 20:45:19
あすなろさんが言ってることも他の人が言ってることも全て私が言いたいこととは違います。

この世の中は定型者の都合の良いように作られてるのではないんです。
定型者だって全てが自分の意志の有無を否定され、世間様や世間が求めてる振る舞いをするように小さいときから洗脳されてるということです。本当の自分を否定されてるのは定型者も同じです。
ただ定型者は上手く刷り込めるから否定されることがないだけです。洗脳されてるんだからアスペルガーほどの見えるストレスは感じないでしょう。
アスペルガーライフで定型者がロボットみたいな動きみたいだと言っていたのもそこから来ているのでしょう。
ただ定型者だけではなく、アスペルガーだって洗脳されたロボットと同じです。ただイレギュラーな立場で迫害されてるから共同幻想の正体には気づきやすいですが、適応したい気持ちがある以上は共同幻想信仰してる定型者と同じです。

私が紹介されてる本は日本でもあります。何も悩みがなければいじめなんておきないでしょう。アスペのような目に見えるストレスではなく、潜在的に皆が狭い環境の中でストレスをためてるのでしょう。

そして親子のつながりまでは否定してませんよ。私も家族への情はありますし。
家族間の情やつながりとは別に、親が我が子に共同幻想を洗脳してる事実もあるということです。もちろん親は我が子の為を思っての躾で、生きていく上での躾は必要ですが、普通の枠組みに仕立て上げてるのは危険でもあります。
kagewariさんだって最愛のお姉さんが自殺し、自分は自殺をくい止めることができなかったと心を痛めていた話が相談掲示板にも書いてます。そしてkagewariさん自身がいじめを経験されてるから見えてる物もあるのでしょう。

共同幻想の話をするほど皆からおかしな話をしてると言われるだけですから言ってもキリがないのでやめますね。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/13 (Sat) 09:19:17
>果物さん

kagewariさんのブログは、独特の言い回しから解読が難しく、はっきり言ってわたしは、にわとりさんに教えていただいた部分しか読めていません。しかし、その部分については十分に何度も読み込んで、自分なりに解読したつもりです。
果物さんが、プロフィールも含め、全体を読み込んだ上でかかれているのでしたら、私の読解不足かもしれませんが。

私が読解できた部分については、自分なりに意見を持ち、その視点で日常を見たり、あるいはネットに載せられている教育者、心理学者、社会問題に取り組んでいるライターの方などの意見と擦り合わせて考えてきました。
すると、だいたい、kagewariさんの主張と同じようなことを言っていますし、逆にkagewariさんの方が論点を的確にまとめられているなと感じることが多いです。
現在起きている問題=いじめ、虐待、モラハラ、少年犯罪、ストーカー問題、障害者蔑視なども、kagewariさんの説から見てみると、驚くほど明確になりますし、多くの専門家、評論家が似たような主張をしているなと感じています。
果物さんが、全て読み解いたうえで、これはひねくれた考え方だと思われるのでしたら、単なる意見の違いということでいいでしょう。私の読み方が果物さんとは違うということですし、にわとりさんとも違うということでいいのではないのでしょうか?

それをにわとりさんの人生がどうだ。それに傾倒するのは問題だと非難するというのは、問題をすりかえてにわとりさんを排除しようとしているようにしか思えませんし、真面目に社会問題の解決を探ろうとしている人の足元を救おうとする行為ではないかとおもいます。

>にわとりさん

私も共同幻想の影響を受けているのは定型も同じだとは思いますが、そこに気付くのはやはり、社会的制裁を受けたことのある人なのだろうなと思ったのです。
共同幻想で楽に生きてこられた人は、その問題には気付きませんし、気付いたとして、その恩恵を受けてきたのですから、問題とされてしまっては困るわけです。
だから、認めようとはしません。
そういう人でも、病気や怪我や年老いたときに、必ず問題に直面します。そのときに焦っても仕方ないのですが、多くの人は今が幸せなら考えたくはないというのが普通の心理なんでしょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/13 (Sat) 16:48:44
先日、80歳の方に意見を伺ってみました。
その方は、今の世の中、自分がその器ではないのに、高齢者だから敬えという横暴な年寄りが多いとおっしゃっていたので、それが生まれた背景をどう思われるか聞いたのです。
すると、ここでにわとりさんがお話していたように、明治時代の家父長制を盲信して疑問も抱かずに次の世代へと受け継いできた人が多いからだとおっしゃっていました。
その方は、ご自分のお母さんから、自分の信じるように生きなさいと教えられたそうで、大学まで出ていらっしゃいます。
その時代には、女が大学に行くなど許してもらえない家庭が多かったので、ご自分は恵まれていたとおっしゃいます。

時代によって、共同幻想は大きく変わります。今は女性が大学に進学しても不自然ではありませんが、代わりに家庭の経済力によって男女問わず、進学に影響しますし、学校自体が、単に学問を習得する場という意味を無くしてしまっています。

その方は、当時の共同幻想に抗って自分の生き方を確立されたので、今の世の中があまりにも滑稽に映るようです。

また、尼寺の歴史について知る機会があって、今の家族制度に縛られた社会がどうして生まれたのか、興味深いことが分かりました。
もともと日本にはそれほどはっきりした婚姻制度がなく、通い婚で気に入れば男が女の家に通う、飽きれば通わなくなるというアバウトなものでした。
家族制度を重視し始めたのは、武家が生まれた頃で、それでも江戸時代初期までは、家父長制は武家だけに通用するものだったそうです。家父長制を強化させたのは、徳川家康が儒教を取り入れて大名の家を代々耐えさせないようにすることで、その頂点の幕府の威厳を保つためだったと言われているそうです。

それを利用して民間にも浸透させ、国家団結、富国強兵を目指したのが明治政府です。

共同幻想には、こうして作為的に作られたものもたくさんあり、そこに少しずつ綻びが出来たり、あるいは一部の勢力に都合の良いように強化されたりしてきた歴史があるということです。
今の制度を盲目的に信じて生きるのは、必ずどこかで不利益を被る人が出たり、無理が生じるのは当然なのではないかなと思った出来事でした。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/14 (Sun) 14:12:16
あすなろさんはご自分で記事を読まれたわけではないんですね。にわとりさんの解釈が正しいとは限りませんよ。

掲示板にしたってブログにしたってほとんどの方が発達障害の方のように思いますが、kagewariさんは相談者に原因があっていじめを受けたり会社で阻害されている話ですよ。
つまり発達障害側が悪いとおっしゃってるんです。そんな人のいってることを真に受けているあすなろさんもにわとりさんに疑問です。

そしてkagewariさんは働かないことを推奨されている記事があります。こんなのは世の中めちゃくちゃです。

家族制度にしたってだから何なのでしょう?
仮にあすなろさんの言うとおりだったとしてもほとんどの親子関係は上手くいっているんですよ。家族制度ではなくてその人の心に問題があるのであって、それを社会背景のせいにするのはいかがなものかと思います。
それに家族の絆は昔から存在しています。奈良時代の農民の短歌にも親や子を思う気持ちが書かれているものがあります。直径家族はもともと存在しているものであり、家族の絆ももともと存在しているものです。
そこに恋愛は投影から来る幻想だとか家族や友情も共同幻想同士の絆であって本当の自分は抑圧した上での関係だとか彼はひねくれている以外の何物でもないでしょう。

あすなろさんもにわとりさんも家庭環境が恵まれず、人間関係も上手くいかないから社会背景や提携者のせいにしたいだけです。
私は発達障害者がいじめられても仕方ないとは思いません。だけどそれはその人の性格や家庭環境が恵まれないことが原因であってそれを社会のせいにして非難するのはおかしいです。
にわとりさんを排除しようとは思っているのではなく、何度も言うように偏った考えは危険だからと忠告したまでです。
投稿ガイドライン
  • 管理人
  • 2016/02/14 (Sun) 17:31:15
投稿に際しては,投稿ガイドラインにご留意の上,生産的な議論を心がけていただくようお願いいたします。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/cat61444052/index.html

全体にかかわりますが,ここでは特に関係しそうな部分を掲示しておきます。


**********************************
4.助言や批判を行う際は相手に理解を求める姿勢を崩さない

  相手を一方的に非難したり,傷つけたりして自己満足に浸るような発言は問題外ですが,定型アスぺ問題を考える上で必要で大事な批判を行う場合も,あくまで相手に理解してほしいから批判する,という姿勢を最後まで維持してください。それはやはり「誠実な応答」を行うことによって可能になると考えます。

 助言を試みる場合も,お互いに一当事者として、対等な立場で情報を交換したり、助言しあったり、疑問を提起しあったり、励まし合ったりするという姿勢を崩さないで下さい。また助言はあくまでもひとつの提案であり、それに納得できるかどうか、取り入れるかどうかは相手本人の選択の問題で、相手に強要することではなく、それを相手が理解しなかったり取り入れなかったりしても、そのことを自体を批判することはできないだろうと思います。

 いずれの場合も,要するに「私は真実を知っている」という思い込みに基づき,「私にとっての真実」に「あなたが従わなければならない」という強要にならないように,その点の区別を常に自覚することがポイントだろうと思います。ただしガイドラインに反すると考えられる内容について疑問を提起する場合は「みんなが等しく従わなければならない」ことですので,この限りではありません。

  もちろん,展開によっては一時的に感情的に冷静な対処がむつかしくなる場合もあるでしょう。その場合は一旦そう断ってやりとりを中断し,時間を置いて考えるなどの対応も必要になると思います。
Re: 投稿ガイドライン
  • あすなろ
  • 2016/02/14 (Sun) 19:28:02
管理人さん、失礼しました。
建設的な議論にはなりませんので、削除させていただきました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/14 (Sun) 23:03:37
にわとりさん

 イレギュラーですが,一点だけ指摘させていただきます。

 にわとりさんはにわとりさんの経験に基づいて,にわとりさんなりの人生観を育てられてきています。そのことは厳然たる事実で,いいも悪いもありません。ただ,にわとりさんの抱えた現実からいえば,そう考えることもまた自然なことかもしれない,と思います。

 けれども,人の性格も,環境も,考え方も多様です。にわとりさんの経験で想像されるのは結構ですが,たとえば「もし定型アスペでくっつくのであれば、別居婚など、籍を入れた同居婚以外で模索しないといけないのかなと感じます。」と言われることになんの根拠があるのでしょうか?それを否定する根拠はいくらでもあげられます。私が現にお聞きした例を一つだけ挙げれば,「アスペルガーと定型を共に生きる」で自分たちが通ってこられた厳しい葛藤の日々と,それを乗り越えて新たな関係を築かれてきた東山夫妻があります。

ここでのやり取りの中でも,「もし定型アスペでくっつくのであれば、別居婚など、籍を入れた同居婚以外で模索しないといけない」のではない形で暮らしている方の例が繰り返されていて,にわとりさんがそれを目にしていないということは想像できません。

つまり,まったく根拠のないことを,しかもそうやって頑張って努力されているカップルを否定するようなことをこんな形で主張されているわけです。

繰り返します。にわとりさんがにわとりさんの経験に基づいて,にわとりさんの人生観を持たれること,そしてそれをここでご自分のこととして書かれることはまったく問題なく,むしろ歓迎です。いろんな人生があり,いろんな人生観があり,それをお互いに理解しなければならないからです。でもそれを勝手にそうでない人生を生きている人に当てはめるような書き方はやめてください。自分のそういう行為を不遜だと思いませんか?努力している人を傷つけていると思いませんか?

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/15 (Mon) 09:41:40
>パンダさん

にわとりさんの削除された書き込みを拝見していました。
確かに最後の方はあまりにも辛辣な意見でしたので、影響は大きいと思い、削除やむなしと思います。

しかし、前半部分では非常に重要なポイントを指摘されていました。

ここで、私は敢えてパンダさんに物申したいと思います。
おそらく、『それを言ったらおしまいよ』と思われる耳に痛い話かもしれません。
しかし『それを言わなきゃ始まらないよ』という話です。

御著を拝見したときから、パンダさんのアスペ定型に向き合おうとする真摯な姿勢は素晴らしいと感じておりましたが、そういう非常に思いやり深い面と裏腹に、一面的な見方を崩されない頑なな姿勢に違和感を感じておりました。

私ははじめ、自分がカサンドラであると思っていろいろな情報を集め、ここにたどり着きましたが、このサイトで様々なアスペ、定型の方のご意見を拝見しているうちに、うちの場合は夫がカサンドラ状態なのかもしれないと思い始めました。
今まで散々夫のアスペ的行動をお話しておきながら、コロコロ意見が変わるなと思われるかもしれませんが、実はずっと根底にあったことで、その根拠をうまくお話できなかっただけです。

私はアスペの子どもを育てているうちに、アスペ特有の認識の仕方を理解しよう、自分の認識を変えようと長年努力してきた結果、アスペの方の独特の感じ方も理解できるようになってきたという経緯があるので、ここで当事者の方がお話されることがわりとすんなり受け入れられるのです。
そして、どうしても社会がそれを受け入れる姿勢がないということを突き付けられてきました。だから、当事者の方が非常に虐げられた環境にあることも理解できます。

それと同時に、自分が背負ってきたものも、クリアになってきたわけです。

アスペの人の受ける社会的制裁とは、少し内容が違いますが、やはり社会に私のような者を受け入れる姿勢がないということは実感します。
すると今まで『自分ばかりが悪い』と自分で自分を追い込むしかなかったものが、『どうやら社会の目が随分と狭い視点に凝り固まっているようだぞ』という俯瞰的な見方ができるようになり、それと同時に『自分ばかりを責めなくていいんだな』と気楽に構えられるようになってきたというところです。

私の考えるカサンドラ状態というのは、一般的とされる『社会認識』から外れた相手を、その『社会認識』で様々なことを学び、築いてきた人が、その視点を覆せないゆえに『異色』と捉えてしまい、これまで自分が培ってきた価値観、人間性、ステータスが根底から覆されそうになる恐怖を感じるところから生まれることをいうのではないかと感じます。

我が家の場合、この恐怖を感じているのが夫です。
ADHDの私が取る行動は、定型流社会常識を徹底的に叩き込まれた夫にとって、自分が信じてきた価値観を根底から覆される脅威になるのです。彼はアスペであるがために、叩き込まれた価値観以外のものを構築するのが非常に困難なので、余計に恐怖が大きいのです。

パンダさんが、奥様の言動、態度、ひとつひとつに違和感を感じる要因は、そこにあるのではないかと、私からは見えます。実際、拝見する限りは、奥様が直接パンダさんに攻撃を加えたことは無いように思われますから。

私がパンダさんに感じる違和感というのは、奥様への違和感を、『社会的に排除を受けた経験が多かったために、そういう見方になってしまうのは仕方無いことなのだ』として受け入れようとなさっていることです。これは私の目からは『発達障害者は厳しい現実を生き抜いているために、世間の常識に対してどうしても攻撃的になってしまうのだが、それは彼らの辛い状況を思いやれば、許してやらなければいけないものなのだ』という偽善に思えてしまいます。

人が人に対峙するとき、一方的な思いやり精神というのは片方にとって侮辱にも等しくなります。
にわとりさんが支援者から感じ取る屈辱感というのは、こういうものを指しているのだと思います。

では、歩み寄るためにはどうしたらよいのか。
違和感を感じた自分自身の価値観を見直してみることが必要になってきます。

発達障害者は、嫌でも自分の価値観を見つめなくてはいけない状況に追い込まれてきました。
しかし、どんなに自分自身に問題点を見出そうとも、多数派の社会常識の方が堅固で、それに意義を唱えることは非常に難しい。すると、その問題点をすべて自分の中で消化するか、訓練に訓練を重ねてボロボロになりながら社会常識に沿える人間を作っていくしかないのです。
我が子たちは、実際、療育では追いつかない部分を薬でカバーしています。努力してもどうにもならない部分を薬でカバーせざるを得ない発達障害者は大勢います。それほど無理のある状況なのです。

正直に言うと、『社会常識』を根底から見直さない限り、発達障害の問題もカサンドラの問題も無くならないと思います。
それがkagewariさんの指摘されている『共同幻想』の問題なのです。

例えていえば

発達障害者Aさんは、遅刻の常習者です。
会社の人はAさんの遅刻癖に困らされています。仕事にも支障が出ています。
もちろん、上司はAさんに何度も注意します。Aさんも、『すみません。以後気を付けます』と素直に謝ります。
しかし、遅刻は無くなりません。

Aさんは、発達障害のため、時間配分を的確に考えることができません。
Aさんなりに『今度こそ気をつけよう!』と自分に強く言い聞かせるのですが、そもそもの時間配分の仕方が分かっていないためにどうしても同じ結果になってしまうのです。
自分だけの時間配分がうまくいったとしても、それに余裕を持たせるということまで気が回らないために、イレギュラーなことまで考えつきません。すると、電車が遅れた、渋滞に巻き込まれた、などの『非常事態』が起きてしまったときの対応ができず、自分の努力虚しく、結果は同じになってしまうのです。
Aさんは、最大限に『努力』しているのです。

おそらくAさんは、この会社ではやっていけないでしょう。
Aさんが居ることで会社の業務にも差し障りが出てきているため、仕方ないことです。


この問題を解決するためには、どうすればいいか。
Aさんは、自分に時間配分が上手くできないという特性を認識しなくてはいけません。
そのためにどうしたらいいかという工夫は、本人が試行錯誤しながら考えだしていかなくてはいけません。そのためにこれまでの失敗経験を冷静な目で分析する必要が出てきますが、Aさんはどうしても『自分はダメだ』という思考から抜け出せなくなっています。
上司に『自分はこういう『特性』があって、遅刻を改善することは出来ません』などということは言語道断です。

一方、会社側の対応ですが。
Aさんは、遅刻をのぞけば、他の業務に関しては真面目で意欲的です。まったく『使えない人間』というわけではありません。しかし、Aさんが遅刻することで、ほかの社員への影響や負担が大きく、見過ごすことはできません。たかが『遅刻』ですが、されど『遅刻』なのです。
その影響を考慮すればAさんには辞めてもらうしかありません。

しかし、果たして『遅刻』はそれほど重視しなくてはいけないことなのだろうか?という疑問を持つ上司がやってきました。
全員が出社して、すぐに業務に就く者もいれば、お茶を飲んでゆっくりしてから仕事を始める者もいる。業務のペースは人それぞれで、とにかく決められた時間にそこに居ることを重視する必要があるのかと考えました。あるいは、業務前にラジオ体操が義務化されているとか(笑)
では、本当に必要な業務時間、業務内容を考え直して、Aさんにはフレックスタイムであっても、ノルマをこなせばよい、あるいは自宅に持ち帰っても良い、直行直帰できるものはできるだけ許す、ということにしました。業務にとって本当に必要なことだけをすればよいということにしたのです。

すると、遅刻癖のあるAさんでも、業務に集中することができ、業績を上げることができました。

この『遅刻してはいけないルール』というのは、共同幻想です。
しかし『遅刻はいけない』というルールに則って生きてきた人にとっては無くてはならないものです。まずはそこから始めないと、自分の意識が堕落した方向に流れていってしまうような恐怖を抱くからです。けれど、幻想に寄らないルールの見直しはいくらでもできるのです。

共同幻想の中で生活してきてしまった人にとって、改革した上司のような発想の転換が出来る人はなかなかいませんし、それをするには多くの知識と覚悟が必要になってくるのです。

果物さんがおっしゃっていることは、多くの定型が感じることだと思いますし、おそらくパンダさんもどちらかといえば果物さんの考え方に同意されるのではないでしょうか。

しかしアスペ定型を本気で改善したいと考えたら、そこに留まっていては解決が難しいのだと私は感じます。
おそらくにわとりさんの辛辣な発言は、そこのことを言いたかったのではないかと思っています。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/15 (Mon) 09:53:00
あすなろさん

 単純な誤解があります。
 にわとりさんのコメントを削除をしていません。
 当然削除に該当する内容とも判断していません。
 おそらくご自身の判断で削除されたものと思います。
 削除する場合はこれまで通り管理人としてその旨の通知を行います。

 その他についてはまた改めて。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/15 (Mon) 11:37:57
あすなろさん

削除したのは私です。書き直そうと思ったからです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/15 (Mon) 12:19:29
パンダさん

アスペ定型夫婦のブログをいくつか見たことがあります。
定型側だと、アスペの頭がおかしいとか苛々するなどね軽蔑した発言、宇宙人扱いしてアスペをバカにした内容、いかに定型者が人格的に正しく、アスペが全て悪いとかかれてる内容、アスペの悪口ばかり書いている内容が少なくありませんでした。
アスペを知ったかぶってるだけで、本当の意味でアスペを理解し、受け入れない。
定型者側にメンタル問題があって共依存になってるだけです。

逆にアスペ側に問題があり、自覚すらなく、定型者が途方に暮れてる場合もありますが、この場合はアスペ側が結婚適正がなかっただけです。

もちろん定型やアスペ全員ではないですが。
kagewariさんの記事では「メンタル問題と共同幻想は交わらないのが自然。むしろ交わる方が不自然なんだ」と書いてありました。
アスペ定型がむしろ歩み寄れない方が自然だということです。
おそらくkagewariさんなら定型アスペカップルの相談があれば、定型者側にはアスペ側の悪口を言うことをたしなめ、メンタル問題が解決してから他の人と結婚することを勧めるでしょう。
アスペ側には結婚をするなと言うでしょう。アスペによっては共同幻想と関わることをやめるように言われるでしょう。

まずアスペが社会で生きるにはアスペの感覚のまま変人として生きる。この場合は単独行動を主にする。
共同幻想の感覚は尊重しつつも人とは群れないから友人も恋人も作らない。

アスペ側が定型と同居結婚したいのであれば(定型側が具体的に指示したり、アスペの鈍臭い部分は理解する必要はあるでしょうけど) 、アスペが定型側の感覚を身につけて自分(アスペ)の感覚は一切捨てる選択になります。
アスペの感覚を持ったままで定型者との同居結婚はタブー。

そもそも結婚制度自体が明治以降に政府の思惑で作った制度です。それも定型社会に合わせて。
それにアスペに適応させようということに限界を感じます。
明治政府の都合で作った結婚制度に私達がとらわれてるだけです。

その上でアスペ定型の組み合わせを考えるなら結婚制度からはずれた形で見直す必要があると考えます。
それ以外にも定型側は定型社会での常識を一旦自分の中から排斥し、自分の中で新たに価値観を作り直す。アスペは自分の考えを一旦排斥して新たに価値観を作り直す。
時間や心身共に労力を使い果たしますが、アスペは定型から自殺を勧められる状況の中でもがいてますし(自殺を勧められたのは私だけかもですが)、そのくらいしないと、アスペ定型の本質は見えてきません。

kagewariさんの記事からはそう解釈しましたが、間違いはないと思います。
私の言葉に不愉快な人は沢山いるでしょうけど、私は発言を撤回する気はありません。

削除に値するものでしたら削除して下さい。


追伸
パンダさんは私が家庭環境が悪くて攻撃的になったり、知らず知らず定型者を怒らせるからいじめられると話してましたよね。
家庭での躾が悪かったり、生まれつき空気が読めないことで知らず知らず定型者を怒らせたことは沢山あると思います。

しかしそれだけではなく、能力や独特な雰囲気を毛嫌いされたり、軽蔑されたりして、一方的にいじめられたのは事実です。しかしパンダさんはそれを否定なさった。
定型者が一方的に攻撃をすることはない、私が定型者非難をしてるだけだとパンダさんは感じて、アスペ側が無自覚に定型者を怒らせたと思いたいのではないですか?

パンダががーディナーさんのコメントに「お母さんとの関係が良かったから定型的なふるまいが身についた」とおっしゃってましたよね。Katzさんにも。
定型的な感覚が思いやりにあふれ、アスペは不信感の塊で攻撃的だといわれてるようでした。
パンダさんとの話し合いではどうしても定型の価値観を押しつけられてる感じが拭いきれず、また一部のユーザーから非難され、冷静に話ができる状態にはなくなったために、パンダとの話を中断させていただきました。
パンダさんを理解しようと記事を拝見してましたが、不信感が拭い切れません。

パンダさんはアスペを心から受け入れられてますか?



Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • みるき
  • 2016/02/15 (Mon) 17:00:11
にわとりさん、あすなろさん、はじめまして。アスペのみるきと申します。

にわとりさんとあすなろさんのやり取りを拝見させていただいていました。人生観も経験も違うので全く同じ捉え方ではないと思いますが、お二人がずっと話されていた内容にはかなり共感できる部分が多かったのでコメントさせていただきました。
お二人の話で言えば、私はアスペの中では割と肯定されて共同幻想の恩恵を受けてのんきでいられた反面、共同幻想によって排除されてきた、共同幻想の表も裏も知っている立場だと思います。
お二人のお話は私が普段から感じていたり実際に主張していた内容に近いので初めてこの板をのぞいたときは驚きました。(まあ、私はもっと馬鹿っぽい表現で話していたので随分難しい言葉でやり取りしてるなとは思いましたが(笑)でも難しいけど適確で納得できる点も多かったです。)
私個人は、共同幻想という部分はみんな洗脳でもされているんだろうか、大変だねなんて昔からのんきに思ってました。たぶん内容は同じようで表現が違うと思いますが、私の場合は子供の頃から、この世界は大人も子供もみんな洗脳されている。そして、どうでもいいことを教えられてどうでもいいことにエネルギーを使って生きるように導かれている。社会問題もほぼ私にとっては同じところに結びつく。昔からおかしいよと言ってるのに誰に言ってもぴんとこない。私が変といわれるが私は自分がおかしいとは思わない。でもみんながおかしいとはいわない。だって、洗脳されてるだけだから。知らないうちに洗脳されてあまりに小さい頃からそうだからそれに気づかないだけ。みんなは気の毒な人であって問題はそこではない。でもひっくり返すためにはその洗脳を解かないとならない。数勝負でどうしても洗脳が解けた仲間を増やしたい。だけど、洗脳された人はその洗脳を否定する人を敵認定してきてたたかうつもりはないのになぜかおかしなことになる。・・そんなことを思ってました。今の世界は虚構だし、嘘と詐欺だらけ何が現実なものか私はこんな作り物の世界は嫌いだ。私は共同幻想も洗脳もいらない。好きに生きる。なんて。
理解されるのはまれでしたが、ずっと言い続けて効果もあったようです。昔は白い目で見られ何を言っても頭おかしいやつでしたが、最近ちらほらと会話が成り立つ人が出てきています。表現の方法や言葉選びが違うので一瞬?となっても結局言ってることは同じことだねということが増えてきています。たぶんですが、そういうことが話せるくらい、問題が大きくなって表面化して爆発寸前なのかもしれません。
アスペと定型の本質と上の文章でにわとりさんがおっしゃっていますが、本当にこの本質が通じ合えたなら社会も国のあり方も世界も随分変わるはずです。
私はその先の世界に早く行きたいのですが、やはりやり取りを見ていると定型の方にはまだ時期尚早みたいですね。状況は待ったなしだし、いつまで臭いものに蓋してるんだろうと個人的にはじれったいですが、あまり熱弁すると相手は恐怖を感じてすくんでしまいますし、話ができなくなってしまっては元も子もないので私は待ちの姿勢だったのですが、あすなろさんがそこに突っ込みにわとりさんもガンガン突っ込んでいたので行きますね~尊敬しますということが伝えたかったです。
特に、あすなろさんが書かれた内容はかなり勇気を出されたなと敬意でいっぱいです。

ただ、価値観がひっくり返されるということは本能的に感じる恐怖でしょうし、ずっと少数派だった発達障がい者はともかく多数派でこられた定型の方には刺激が強すぎるかもしれないのでメンタルは大丈夫かなと個人的にはちょっと心配になりました。個人の問題だとは重々思いますがあまりにも・・直球すぎて、生命存続の危機になんて陥ってたらやだな・・なんて。


にわとりさんへ。この度ははじめまして。新参者です。よろしくお願いします。
にわとりさんのおっしゃっていること分かる部分も多いです。意見や内容はアスペ側から見ると正論も多いです。その上で・・なのですが、アスペの自分は全く気になりませんが、多分ですが定型の方は、にわとりさんの文章から少しきつい印象を受けるかもしれません。完全に私もにわとりさんのことを言えた義理ではないですがどうもアスペの断言口調や論文のような言い回しは定型には違和感を与えるようです。ですので、定型の方へ向けて何かをコメントされる際はもう少しやわらかい文章のほうがにわとりさんの真意が伝わりやすいのではないかと思います。余計なお世話だったらすみません。

最後に、私は誰かの味方をするつもりで書き込みをしたのではありません。
単純に自分も感じてることに近いことがかかれたので共感できたこと、自分が保留にしておいた問題にお二人がきりこまれていたので気になったこと、それを見た定型さんもきっと衝撃的過ぎてショックだろうな大丈夫かな傷ついてないかなんて少し心配になったことが言いたかっただけです。

しゃしゃり出てきて、何の役にも立たずに消えます。失礼しました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2016/02/15 (Mon) 17:46:12
あすなろさん

いろいろありがとうございます。どこまで理解できたかは分かりませんが、こんな感じでしょうか?

今の世の中は嘘の共同幻想でできている。その共同幻想の嘘に気づき、またその共同幻想に従っていきることができず、排除され続ける人間がいる。共同幻想に守られ、あるいは共同幻想を守ろうとしている人間は、その枠を崩すことができず、排除される人間を排除し続ける。

中にはそこで排除される側の人に「手をさしのべよう」とする「善意」の人間もいるが、結局自分の持つ共同幻想は捨てられないので、それを絶対的な前提とし、自分をその価値観で上に置いたままで、「お情け」の偽善を行い、自己満足に浸っているにすぎない。にわとりさんはその虚構を正確についているのだ。

定型アスペ問題の解決は、そういう共同幻想を破壊することからしか成り立たない。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/15 (Mon) 18:04:03
私が思っていたとおりでしたね。

あすなろさんもにわとりさんも自分がおかしいことを言ってることに気づかないんですか?

私にもアスペの身内がいます。アスペが排除されるのはアスペ側だけが原因とは言ってませんよ。定型側に理解が足りないのもわかります。
その上であすなろさんや特ににわとりさんは結婚や社会制度をすべて間違ってると決め付けてる滑稽さに気づくべきだと何回も言っているんです。

パンダさんはめちゃくちゃなことを言っていても削除せずににわとりさんやあすなろさんにも発言をする機会を与えてくださっているのにパンダさんへの恩がないんですね。
発言に対して耳を傾けようとしてくださっているパンダさんや定型者全体を非難なさるのはおかしいです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2016/02/15 (Mon) 18:24:01
にわとりさん

にわとりさんは自分を苦しめる定型を心から受け入れられていますか?
定型アスペ問題ってお互いにそういう問題だと思っています。

その他のことについてはあまりにも事実の理解にずれが大きいので、また機会を改めますね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2016/02/15 (Mon) 19:01:36
果物さん 皆さん

私の方は皆さんの体験や私にない見方を教えていただいて感謝ですし、ここにこられる皆さんにもそれぞれの経験が大切な情報交換になっているようなので、オンとかオフとか関係なく(?笑)フラットに考えていければと思います。

相手を傷つけることが目的ではない真剣な問題提起は大事だと思いますし、良薬は口に苦しとも言いますし、そこはごまかさずに議論できればと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/15 (Mon) 19:58:02
みるきさん

はじめまして。ご忠告ありがとうございます。

夫婦の問題、ましてや結婚したこともない私が切り込むのは危険なのかもしれません。アスペも定型側もリスクはあるでしょう。私自身もそうですから。
ただ切り込まないと前には進めないのも事実です。アスペだけの歩み寄りは物理的にも精神的にも限界があります。

表現の仕方はいつも無自覚にきつい言い方になってるかもしれません。しかし今回はきつい表現になってることは全く構っていません。
言い方を変えても八方美人とか小手先だけで表現を変えてるだけとしかいわれないので、ストレートに書いています。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/15 (Mon) 20:16:41
>パンダさん

書き方が悪かったようですみません。
もう少し、軽いタッチで書ければ良かったのですが、言いたいことを整理するには、どうも堅苦しい書き方になってしまって。
かなり誤解されているようです。
これはkagewariさんの説とは全く違う、私の意見として聞いていただきたいのですが。はっきり言って、kagewariさんの説はちゃんと読み解けていないうえで、私独自の『共同幻想』のイメージと思っていただければと。

共同幻想は壊すものでも抗うものでもありません。
社会そのものが共同幻想です。それなくして社会は成り立ちません。
しかし今この時点での共同幻想はかなりの偶然の上に成り立っているものだということなのです。そして、大きな出来事があったときには、一変に崩れます。
最も分かりやすいのが、原発事故ですよね。
私たちは安全と信じていた、信じ込まされてきたものが、生命を脅かす猛毒だったのです。
それでも未だに、それなくしては生きられないのだという共同幻想の上で生きています。以前よりも何かがおかしいと思っていても、完全に捨て去ることはできないのです。

つまり、社会の仕組み全てに、そういう裏と表があるということです。それが『正しい』と盲信してしまうのは危険なのです。
本当なら、個人がひとつひとつの事柄に、どこが正しくて、どこが間違っているかを見極める力を持っていなくてはいけません。
しかし、現在は特に、妄想が強いということなのです。
偉い人が言ったから、何某かの権威が言ったから、みんながそう思っているから、昔からそうだから。
自分で見極める力を持たずに流されている人が多過ぎるのです。
個人によって、何の共同幻想をチョイスするかは違っていいのです。しかし、その根拠を自分で語れるほどでなくてはいけません。
意見が食い違った時、自分はこういう根拠でこう思ったのだとしっかり主張できずに、本当の意味での話し合いはできない。
みんなが言っているから、では済まされないのです。

ただ、多数派の人は、その辺りを勘違いして、自分の意見として主張する人が実に多いです。
『当然』という言葉があまりにも氾濫しています。

私も、実生活では敢えてそんなことは言いません。時間の無駄ですから。
しかし『あなた、それはどういう根拠でそう言っているの?それは本当に必要なことですか?』と言いたくなることはたくさんあります。寧ろ、ほとんどがそうかもしれません。

それをいちいち言わないことが社交性だと思っています。
しかし、ここでの問題を考えるときは、『それを言ったらおしまいよ』ではいつまで経っても本質に近づけないのだと思うのです。

前回、子どものしつけに笑顔を引き出すことが重要なのかというお話をしましたよね。
もちろんそれも大切だけれど、それだけではない。それが一番重要ではないと私は思うとお話しました。
個人的に何をもっとも必要とするか。それが職場全体、社会全体として見たとき、どう影響するのか、曇りのない目で見つめることが必要だということです。

また、堅苦しくなってしまいました。
そんな難しいことを言っているつもりはありませんので、悪しからず(^^;;
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/15 (Mon) 22:00:56
言葉足らずだとまた誤解されるので、前回出した事例に照らし合わせると……

遅刻癖の直らないAさんの場合

Aさんが遅刻することで、社内全体が被害を被っているので、Aさんに辞職を迫るのが、今の共同幻想社会で最も多いことです。

しかし、Aさんの遅刻癖を無理にどうにかしようとせず、業務システムを見直すという形で、Aさんの本来の実力を発揮してもらい、結果的に会社にも利益になったというのが、共同幻想自体を見直すということです。

Aさんが遅刻することで、周囲の負担が増えたり、社内の空気が悪くなっているにも関わらず、Aさんも一所懸命やっているとか、Aさんは辛い経験をしてきたから仕方ないのだと言って、みんなが我慢している状態というのが、偽善というものです。

つまり、社会全体の問題として捉え、馴れ合いや成り行き任せになっていることを廃して、本当に必要なことは何なのかを取捨選択することで、共存ができるということです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • パンダ
  • 2016/02/15 (Mon) 22:47:07
あすなろさん

説明してくださってありがとうございます。

共同幻想についての説明は私には分かりやすいものでした。共同幻想以外に「本当の世界」があるのだという意味でないのでしたら、話は通じると思います。

追加で説明してくださったことについては、改めてあすなろさんが引っ掛かられている問題が私なりにわかってきたように思います。

その点についていうと、たしかにそういう対応は「臭いものに蓋」とか「問題に直面せずに誤魔化している」「馴れ合い」といったものになる場合もあって、そうやって馴れ合って成立する人間関係が弱者の犠牲の上に成り立つ場合もあることは分かります。

ただ、自分自身を振り返って考えてみると、一切のごまかしのない自分というものを考えることは私には無理で、どこかで誤魔化しを 持ちながら、何とかつじつまを合わせて生きている自分に気づかざるを得ません。その辺り、ガーディナーさんが素直にそういう自分を見つめていらっしゃることに私は感激もしました。

またすべての人間関係は実態としてはどうしてもつじつまのあわなさを生み出しながら成り立っていて、それがない世界を私は想像できないのですが、そういうつじつまのあわなさをお互いに抱えて生きているときに、曖昧さがむしろ優しさになることがある、ということも最近強く感じるようになりました。

言うまでもなくそれはものすごく微妙なことで、見る視点をちょっと変えただけで度しがたいごまかしの馴れ合いに見え、実際その弊害が大きくなる場合もあるし、逆にお互いにどうしようもない自分を抱えた人間同士の思いやりになることもある、そんな風に思います。

そのことを前提に、敢えて摩擦を生んで問題を直視し、関係を変える必要がある場合がある、ということでしたら、私も異論はありません。大事なことだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • タユミ
  • 2016/02/16 (Tue) 02:53:04
 とても難しいテーマで議論が白熱していますね。
 初めましての方や、そうでない方、あすなろさんや、ぱんださんにはお世話になっています。
 どうもタユミです。
 つい先日、父と喧嘩のようになり、ふとこの記事に思うような部分もあり、僭越ながら参加させてください。
 私の父はいわゆる団塊の世代で、発達しょうがや鬱というものに対しての偏見をそのまま体現したような人です。ありていに言えば星一徹のような存在だと思ってもらって差し支えありません。
 その父が半年程まえに私に相談てしきました。
「どうも最近様子が変だ」
 と、私と父はかなりの溝があり、面と向かって二人きりで話すのも珍しく、驚いていると。
 夜も眠れずに食欲もわかず、母の見舞いや自炊をする気がおきないと。
 幾度かそういった相談をされ、
 私は、そのたびに鬱かもしれないから病院にいきなよといってきました。
 ところが父は、そんな病気は存在しないと言い続け、幾日か経ちました。
 そこで私は角度を変え、眠れなくて食欲がないなら、病気かどうかよりもそこを改善するべきだから、医者にいってほしいとそちらを強調して訴えました。
 そして必ず、鬱は進行するばかりで病院に行かないと直らないとも訴え続けました。
 角度を変えてそう言うと父は次の日に病院に行き、みるみる回復していきました。
 その医者で『鬱』と診断され、幾日か経ち、私の中ではとても不謹慎ですが、これで父と私の溝が埋まると期待をしていました。
 しかし現実はそう甘くなく、学習障害のことや努力してもできないなどを訴えましたが、鬱というものも存在せず、ましてや発達障害そんなものはないと言い切りました。
 そこで話が母にシフトし、私のいうことはなんでも聴くから、これからは何も言わないから、私が母と生活習慣を全て改善させないさいと言われました。
 それというのも、母はある病気です。少し話しが重くなるので病名は伏せます。

 私の心はとても傷つき、過去何度もこのやりとはあって、傷つくのには慣れているのはずなのに……とても辛く、私と同じ傾向の発達しょうがいである、親友に相談しました。
 彼は精神科の看護師をもうずっと続けているのです。

 そこで彼に言われた言葉はとても素朴でしたが。胸にしみました。
 世代によって得に男性は、そういったことに関して、心の弱い人→甘えというイメージが根強くあるから、認めたくないのもあるんじゃないかと。
 そして親といえど、完全にお互いを理解するのは難しいのかもしれないと。
 とても月並みなのかもしれませんが、私の痛みは少し和らぎました。
 
 まさに共同幻想ではないかと思いました。
 そして外見も含め、第一印象からの脱却という難しいテーマを今年は掲げている私です。
 このスレにも動かされるものがあり、痛みという場所さえもわからなくなる中、その場所がどこなのか、そういったことを皆さんに教えてもらって、毎日感動しています。
 ぱんださん、このスレとは関係ないですが彼女と距離をおいたことにより、彼女がようやっとちょっとしたズレを認識し、お互いの笑顔が増えました。
 最近ではあの人が「癒し系やろ?」という冗談が、本気に感じてくるときもあるくらいです。
 あすなろさん、動画みました。
 前半は涙し、後半は胃がきりきりと痛みました、私の場合は南雲さんと違い、文字が見えにくいのではなく、教卓に立つ、小学校一年の先生以外が、視界から切り離されように視覚的にも見えていました。
 それは今でもあるのだなぁと確認することができ、周囲が迫ってくる感覚に変わったのかと気づきました。
 私たちは共同幻想の中で生きているかもしれません。
 ですが、定型とアスペこう考える前に、認知はどうあれ、私は感謝したいです。
 とてもきれい事のようですが、心が痛くなるよりはいいし、その恵みを傷ついた分見落とすのはいやなので。
 長文失礼しました。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • カラス
  • 2016/02/16 (Tue) 05:11:52
パンダさん

我慢強く対応されていて、すごいなと思います。
愛情深い方なんだろうなって想像しています。
ここ以外にも、奥様との日常でも色々あるでしょうに、
少し気持ちを休める時間を取って頂きたいと
勝手ながら思っています。

あすなろさん、にわとりさん

議論は大切ですが、オブラートなしに話続けられると
傍から見ていてもとてもシンドいです。
説明の仕方がキツイのきつくないのではなく、
パンダさんの負担を思いやる気持ちが書かれていない事が
まさにアスペの方の性質なのかなと感じました。
そういう気持ちはおありなんだろうけど、やっぱり、
フォーカスはご自分達に向いてしまうんでしょう。
問題の難しさを再確認しました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/16 (Tue) 06:14:41
やはり定型のほとんどの方からは(全員ではないですが)アスペが自己主張しかしないとか自分のことしか考えないから厄介、定型は思いやりに溢れてるとしか取られないようですね。ステレオタイプな固定観念で差別する人が減らないんですね。
残念です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • まる
  • 2016/02/16 (Tue) 07:52:54
みなさん、お久しぶりです&はじめまして。
多分定型のまると申します。

今回、にわとりさんが懸命に主張されていることが、少しわかった気がして、コメントしてみます。全然違っていたらごめんなさい。

はじめは私もにわとりさんの主張を拝見しても、本当にそんなに過酷で非情な世界があるんだろうか?と感じていました。私の周りにもちょっと変わった人は結構いるけど、明らかな差別やイジメを受けているようには思えなかったからです。でも、少し見方を変えると、にわとりさんが言われているようなことは現実に起きているとも思えるんです。

たとえば、一目見て、あるいは少し話してみて、「この人、何か違うな」と思ってしまうこと、私自身はあります。これって、にわとりさんが言われる、何もしてないけど発達障害だと察知される、という状況と重なります。なぜ、そのような違和感が生じるのかは、はっきりとはわかりませんが、強いて言うなら、独特の挙動とか、目を合わせないとか、こちらの返事を確認せずに話が進んでいくとか、そういうところに違和感がある気がします。
それから、私たちは今の世の中の倫理観として、差別はいけないとか、人を見た目で判断してはいけないということを教えられています。だから本能的に感じた違和感を、倫理観という理性でねじ伏せている。その一連の流れを定型は、私は誰にでも平等に接しているし、差別もしないよう努力していると考えがちなんじゃないかな、と思うんです。でも、そういうちょっと無理してる感じが、少数派の方には伝わっているのかもしれません。それが、定型の上から目線、傲慢さ、と捉えられる部分なのかもしれません。

ここに集まる定型の方たちは、近しい方が発達障害で、なんとか理解したいと思われている方が多いと思います。だから、どうしても感じてしまう違和感に、ある意味蓋をして、その上で対等に話がしたい、と望んでいる。自分に差別の意識なんてこれっぽっちもない。でも、にわとりさんは「その定型が違和感を感じるという事実はあるでしょ?なんでそこを認めずに話を逸らすの?」ということを言い続けていたのかな、と今になって感じています。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/16 (Tue) 08:40:23
私は特に、パンダさんのこれまでの努力を否定したつもりもありませんし、kagewariさんの『共同幻想論』に陶酔しているわけではありませんし(それ以前にkagewariさんの本当に言いたいことは全然理解できていません)、さらには定型でもアスペでもありませんし、にわとりさんともこれまで意見が全く違ってお互いに『こうではないですか?』と議論してきたつもりですので

なぜ、にわとりさんと私が一緒になってアスペの立場から、パンダさんを攻撃しているというような流れになっているのか、さっぱり分かりませんが(笑)

>パンダさん

まだ言い方がきつかったでしょうか?
そうであったら『あなたの言い方は、こういうところで攻撃しているように感じます』と正直におっしゃってください。

私としては、これまでのパンダさんのご苦労や、大変な事態にも決して目を逸らさずに努力を続けてこられたこと、私なら頭を抱えてしばらく身動きもできないようなトラブルにも冷静に対応なさっていたことは、尊敬以外の何物でもないですし、私どころか他の人にも真似できない素晴らしいことだと思っています。

ただ、これだけ努力され情報を集め分析されてきたにもかかわらず、ブログでお話される奥様との関係で『あれ? どうしてまだそこでぶつかるのかな?』と思うことがあるので、もしかしたらパンダさんの努力されている方向を少し変える必要があるのではないかなと感じたのです。
もちろん、これも私が勝手にパンダさんの文章から解釈したところですので、正しいとはいえません。

何となく、パンダさんに投げかけたことで、パンダさんが私が思っている以上の衝撃を受けていらっしゃるというところが、以前私がかぼちゃさんからご助言いただいたときのことと重なりました。
かぼちゃさんは素直に思われたことを助言してくださったのですが、私はそれを自分の今までの生き方やり方を否定されたように捉えてしまった。それで過剰反応してしまったのですが、かぼちゃさんの言葉は常に頭にあります。そして、事あるごとに意識するようにしてきました。

それで、私たち夫婦の関係は大きく変わってきました。
それは良いこととも悪いことともいえません。今後どうなるかも分かりません。
けれど、確実に私は『自分の人生』を取り戻しつつあります。何か分からずに、一生悶々として人生を終えるよりは、はるかに良かったと感じています。その分背負った苦労も大きいですが。

だから、今パンダさんがご自身の見方を変えるということは『良いこと』だけではない、余計な苦労を背負うことになるかもしれません。
けれど、分からなかった部分は確実にクリアになっていくと思います。
それを見つけるためにこの場を開かれているのですから、敢えて言わないで済む部分に切り込んでみたわけです。

けれど、私は単に見方を変えただけで、特別な努力や大きな覚悟は一切していません。
ひとつの出来事を、そのまま受け取らずに、いろんな側面から見るようにしただけです。
すると自分が高いところから『へえ、そんなもんなのね』とただ眺めているような気分になれて、とても楽なのです。
それでも直接トラブルの渦中にいるときは流されそうになってしまいます。
そのとき、かぼちゃさんにかけていただいた言葉や、ほかの方のお話を思い出して、わざと俯瞰するように意識を持っていこうとしています。

社会常識を見つめ直すというのは、渦中で振り回されている場所から高台に避難して、全体をよく観察して問題点を見つけ出すということです。

そこには、定型側とか発達側とか、その他のカテゴリーは存在しません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzume
  • 2016/02/16 (Tue) 08:49:19
カラスさん


私もあすなろさんとにわとりさんと同じ意見です。


パンダさんがいくら誠実そうに対応していてもどこかでアスペに対して人間味にかけていると言っているパンダさんが根気強く対応していると感じるのはカラスさんのアスペに対する偏見やニワトリさんやあすなろさんへの悪い感情からそう見えるだけでしょう。

あすなろさんとにわとりさんはただ思ったことを話しただけです。彼女達がパンダさんをねぎらってないわけではないんだから。


カラスさんはご自分をパンダさんに投影し、対象となっているアスペをにわとりさんやあすなろさんに投影してにわとりさんとあすなろさんを非難したいだけではないですか。そういった偏見がアスペに伝わってご自分の首を絞めてるだけでしょう。

仮に違っていたとしてもカラスさんはアスペには良くない感情しかないですからパンダさんがどんなに偏見を持っていてもパンダさんの肩を持つのでしょうね。

あすなろさんとにわとりさんがアスペだから自分勝手だとか相手に対する思いやりがないと決めつけられないカラスさんの方が人としてよほど思いやりにかけていますね。
相手の気持ちをまったくねぎらっていないじゃないですか。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzume
  • 2016/02/16 (Tue) 08:53:49
訂正

パンダさんがいくら誠実そうに対応していてもどこかでアスペに対して人間味にかけていると言っているパンダさんが根気強く対応していると感じるのはカラスさんのアスペに対する偏見やニワトリさんやあすなろさんへの悪い感情からそう見えるだけでしょう

パンダさんがいくら誠実そうに対応していてもどこかでアスペに対して人間味にかけていると言っているように感じる、アスペに原因があると思っているように見えるように私も感じます。
パンダさんが根気強く対応していると感じるのはカラスさんのアスペに対する偏見やニワトリさんやあすなろさんへの悪い感情からそう見えるだけでしょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzume
  • 2016/02/16 (Tue) 09:41:13
まるさん

横レスですが、なったことがない方にはわからないと思います。

あからさまに態度に出してきたり、皆の輪の中にいる時に初対面の人から自分の話を無視したり、わざとさえぎって他の人に話をしたりする人がいるんです。
挨拶してもはじめから無視してくる人も少なくないですよ。
でも他の人には優しいし、アスペ側に味方になる人がいないことをわかっているから当事者は誰にも相談できずに黙っているんですよ。周りは気づかないです。むしろ一緒になって悪口を言う人も多いです。

アスペルガーも人をどこかで差別している部分はあるのでお互い様です。なので定型者が偏見を抑えて普通に接して、嫌なら深入りしないとの選択をしてくれているのであれば、定型者に憎しみを感じることもないです。
見た目や普通と違うというだけで人を判断してはいけないとの倫理観で偏見を抑えている定型者もいると思います。しかし倫理観で偏見を抑えようとしない定型者も沢山います。
にわとりさんのおっしゃりたいのはそこなのだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/16 (Tue) 11:18:24
まるさんのご意見、半分はそういうことなのですが、このままだと、では定型側はそういう偏見すら抱いてはいけないのかという大事になってしまいますので、訂正させてください。

私は重度の障害がある方と日々関わっているので、その点でこの見た目の偏見と常に葛藤しています。
軽度発達障害者に微妙な違和感を抱くどころではありません。
150キロほどもある巨体で、自傷で頭の形が歪んでいるなんて方もいますし、水頭症という頭だけが肥大する病気、あるいは今話題の小頭症など、容姿はとても普通とはいえない人がたくさんいます。
容姿だけならいいですが、奇声を発したり物を壊したりする人もいますし、時にはこちらもケガをすることなど日常茶飯事です。
これで偏見を抱いたり、警戒するなというのは無理な話です。
偏見は持ちます。怖いと思います。
けれど、その偏見を抱く自分を丸ごと肯定して、では何が本当に嫌なのか怖いのかを見つめる。
顔を見て不快に感じるなら、容姿が分からないほど近づいてみる。あるいは隣にすわる。
攻撃的に感じたら、近づかずに様子を観察する。
それでもお互い拒否感が強ければ、相性の良い人にお願いする。
そういうことです。

偏見は人間にあって当然のこと。おそらく太古に身を守るために身につけた習性なんだと思います。
でもその実は、何の根拠もない感覚だったりします。
それを最初から否定せずに、地道に見直していくということです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/16 (Tue) 11:29:19
まるさん

はじめまして。

何に対して怒りを感じるのか整理してみました。

見た目で判断して関わりをさけている人に対しても怒りはありました。最初は抑えられる範囲でした。

しかしあからさまに態度に出す人があまりにも多くて、あからさまに態度に出す人はもちろん、当たり障りがない態度を取る人に対して抑えられていた怒りもだんだん抑えられなくなったという感じです。
倫理観で抑えている人に対しても「当たり障りない態度を取ってるだけで内心はあからさまに態度に出す人と同じように思ってるよね」と思うようになりました。

さらに見た目や能力だけで見下す人も少なくないのにそういう人達がそれを棚に上げて、アスペを人格非難したり、気持ち悪いと言ったり、いじめられるのは仕方ないと言ってくることで、怒りが恨みに変わったという感じですね。

パンダさんはアスペをバカだとか見た目で判断する人ではないことは分かっているので(そうでなければ奥様と結婚しないでしょうから)、恨みになると怒りはないです。
アスペが受けるいじめがアスペに原因があるとパンダさんから言われてるように感じて不信感が募っているという感情です。


すずめさん

はじめまして。

おっしゃることはほとんどは当たってますが、一つだけ違うのはアスペに対する違和感や偏見を倫理観で抑えている人にも怒りはありました。
最初は抑えられる範囲でしたが、あからさまに態度に出す人を見るうち、倫理観で偏見を抑えてる人に対してもあからさまに態度に出す人と同じだと思うようになりました。
偏見は誰でも持つのかもしれませんが、それを切り分けて考えられるほどの心の余裕はなくなりました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzume
  • 2016/02/16 (Tue) 11:40:44
にわとりさん

あなたが仰ることはほぼ同意ですが、結婚観についていろいろ仰っていますが、他の方がおっしゃるように私もにわとりさんの仰ることはわかりかねます。
にわとりさんはご結婚されたことがないのであれば、夫婦のことなんてわかりませんよね。結婚観に関しては上から目線に感じます。

アスペ定型で苦しんでいる人は離婚するか、アスペ側に定型的な感覚をおしつけるのでしょうか?
パンダさん個人にも離婚を勧めているような物ですよ?それともアスペの奥様に二次障害に陥りながら夫婦関係を維持させろというのでしょうか?愛情やこれまで築いた絆もあります。それを否定されることは私もどうかと思います。
仮にあなたの意見に同意する人がいたとしても離婚にはかなりのリスクがあります。簡単に言うべきことではありません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzume
  • 2016/02/16 (Tue) 12:41:29
にわとりさん

みんな悩んで苦しんで長年かけて夫婦としての信頼関係を築いていくんです。メンタル問題がない夫婦でもはじめから上手くいきません。
お互いの価値観が違うのだから上手くいかなくて当たり前なんです。
あなたが仰っていることは通常の夫婦関係でも皆がやっていることです。アスペ定型の夫婦も自分の常識をいったん外して落としどころを見つけようとしているのです。

共同幻想の枠とか関係なく、経験されてないことを語るのは間違いも多いです。今回の場合はにわとりさんの知ったかぶりだとしか言えません。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • みるき
  • 2016/02/16 (Tue) 16:57:53
流れをぶったぎってすみません。みるきです。

先日1度コメントを書き込んだのですが、その後のみなさんのやりとりを見ていて、一部訂正というか違う言い方に変えたいことが出てきたので書かせてください。

共同幻想という所で、わたしはそんなものいらないとコメントしたのですが、その後あすなろさんとぱんださんのやりとりを見て私のそれは違うなと思い直しました。
訂正します。
あすなろさんやぱんださんのおっしゃるように確かに人がいる限り、社会というものには必ず共同幻想があると思います。なので、共同幻想がいらないは間違いでした。ではなくて、私が言いたかったことは「今現状の共同幻想は私にとってとても窮屈で恐怖を感じるものです。なぜなら、私には今の共同幻想はあまりにも門戸が狭く思えて正解はこれだけと言われてるように感じられるし、幸せとはこの形ですとか成功とはこういうことです、みたいな決まった形とパターンしか認められなくてみんながそれだけを盲目的に目指して追いかけているように思えて苦しいからです。そして私はその波には乗れません。頑張っても乗れなかったし、本音を言えば乗りたくないです。
だから私は、今の窮屈で狭い(私にとってはそうである)共同幻想が好きではないのです。
できることなら、今の共同幻想を終わりにして、もっと新しいゆるーい感じの共同幻想の社会に移行したいのです。私の希望する共同幻想はこんな感じです。幸せの形は人それぞれで誰が何をしていてもいいし何もしたくなければしなくてもいい。みんなが自由で好きなことだけをやっていられる。皆価値観は違うしバラバラだけど誰もが自分の生き方を肯定できて相手の生き方も否定しないで肯定できる。
結婚の話が出ていましたが、結婚してもしなくても建前とかでなく心からどちらでもいいよねと朗らかに認め合えて社会的にどちらも不利益なことは生じない。形だって色々あっていい。仕事だって、やりたい人がやればいいと個人的には思っているので、得意なことや好きなことでみんなが自己実現や人のために自分のできることを提供する、特になにもしたいことがないなら1日中ぼーっとしていても認められる。みんなが提供する人では成り立たないのだから何もせずにもらうだけの人だっていてもいい。きっとその人だって、やる気になったら何かするだろうし、みんなが好きにやっていい社会。とにかくもっとゆるくて、それもいいね。あれもいいね。そんなのもいいね。みたいな、全部いいね。な世界」
私はそんな共同幻想の世界に本気で生きたいです。夢物語とは思っていません。確実にそちらに近づいていっていると思っていますし現実として友人たちとはそんな話をしています。(友人は定型もアスペもどちらもです)

前回の記事だと、私が世界を嫌いで憎んでいてみんな消えろとか思ってる危ない人と思われそうなので、再度訂正しました。もちろん、そんな思想ではありません。


ぱんださんへ。


お久しぶりです。ぱんださんと少しお話をさせていただきたいのですが、それはここでも大丈夫ですか?別の掲示板のほうがよければ移動しますので判断お願いします。

本スレ?というのかな?ブログのコメントを最後に書いてから、あ~またやっちゃったとかなり私はへこんでいて、それに対してのぱんださんの返事のコメントをみて、あ~私はまたやらかしたんだな。。ぱんださん怒ってるよ・と思って1人ビビッてしまっていました。
前回こちらの掲示板にコメントしてその後のぱんださんのコメントを見たときも感じたのですが、私の表現はぱんださんを否定しているように感じられますか?傷つけてしまっていますか?
ブログのほうは今おいておくとして、こちらで1度目にしたコメントに関してですが、私がぱんださんに対して純粋に伝えたかったのは、「いつも頑張っていらっしゃるのを尊敬しながら見ています。あすぺさんの直球表現を受けて大変だと思いますし、心労お察しします。私はアスペなので感覚的にはにわとりさんやあすなろさんに共感しますが、ぱんださんや定型さんの敵に回るつもりもないし誰かに加勢する気もないです。」ということなのです。
しかし、その後ぱんださんは、私の文章から臭いものに蓋という部分を拾われていて、あ~きっとまた違う方向にとられたんだなと思いかなりがっくしきました。←ぱんださんを責めてるわけじゃないですよ。ただ、なんでこうなっちゃうんだろうと頭をかきむしりたくなったというか座り込みたくなったというか悲しくなったという感じが近いです。自分をふがいなく情けなくも感じました。

この掲示板のテーマや内容からは逸れてしまうので、余裕のあるときで構いませんので、ぱんださんは私の文章をどう感じたのかと私の真意の部分はちゃんと伝わっているのか、本当にいつでもいいですし、あとまわしでいいので気が向いたら教えていただけるとありがたいです。
ぱんださんに意見や文句があるわけでなく、私のほうの問題です。せっかく、文章なら伝わるかもと思って、ぱんださんとやりとりで分かり合えた感があったときには嬉しかったのに、結局こうなってしまうのなら、文章だろうが面と向かってだろうが同じことだ・・・と落ち込み始めているので。
お願いします。


にわとりさんへ。
コメントに返信ありがとうございます。
にわとりさんの覚悟と真剣さ、とてもよく分かりました。
もう余計なことは何も言いません。
その後のやりとりを拝見していて、にわとりさんのおしゃっていること、伝えようとしていること、涙が出るほどわかります。確証はないですが。←(笑)
そして、これほどの熱意と真摯さで向き合おうとしているにも関わらずうまく伝わっていないことに複雑な気持ちです。最後の結婚の話も・・たぶんそういうことがいいたいんじゃなくてこういうことではないかなというものが自分のなかにあります。もしも私の中にあるものとにわとりさんの伝えたいものが同種のものであるとするなら、いいたいこととてもよく分かります。
私自身、誤解を生みやすくて何言ってるかわからない文章になってしまう人なので、にわとりさんのフォローはしません。にわとりさんもそんなことを求めているわけではないと思うので。
ただ、にわとりさんの感覚といいたいこと、なんとなく分かりますということだけ伝えさせてください。それと、この状況でそれでも貫くにわとりさんを尊敬しますし感謝します。(←にわとりさんという存在に対する感謝です。別に私のために何かしているわけじゃないということは重々承知です。最後の部分はにわとりさんになら真意が伝わるのでは?と私が勝手に期待してあえて書かせていただきました。意味不明だったら流してください。)
それでは失礼しました。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/16 (Tue) 18:35:57
みるきさん

 いつもお気遣いありがとうございます。
 (と書くと,「じゃあ私は気づかいしていないと批判されているのか」と受け取る方があるのですごくむつかしいですが (T_T) ,単純にみるきさんに対するお礼です)

 お書きになられた共同幻想の話は,お互い理解が共有されていましたね。最初はちょっとわかりませんでしたが。みんながそんな風に柔軟に見ることができるようになればいいなと思ってこのブログをやっているようなものです。

 臭いものにふたの話は,直接にはあすなろさんへの応答でたまたま私の理解で使わせていただいた感じだったと思うのですが,なんかずれてました?(ずれてたらすみません ('◇')ゞ & m(__)m)

 私自身は世の中が実際にそうやって「臭いものにふた」をして弱者を苦しめるような場面をいろいろ見てきましたので,別に批判的な意味で引用したわけではなくて,ほんとにそうだということで書きました。ただ,それだけで見ることはできないということを合わせていいたかったのですけどね。

 みるきさんの書かれたものを読んで感じたことは,にわとりさんの言いたいことがちゃんと伝わるんだなあ,そこはなんだろうなあということと,もうひとつは定型がアスペの方が痛みをなかなか実感できないように,アスペの方は定型の痛みを実感するのはほんとにむつかしいんだなということでした。たとえばにわとりさんのあの書き方で私もずいぶん傷ついているのですが,そこはつたわりますでしょうか?とか。そんなところです。

 まあ,そういうところはほんとにお互い様だと思っています。私もお世辞にもアスペの方の痛みをわかっているとは言えませんから。今の願いは,「お互いに傷ついている」ということをせめて受け止め合うことですね。どうしても「私が傷つけられている」という一方的な議論になりやすいので。

 でも,ほんとにみるきさんのやさしさが伝わってきます(というと,また「じゃあ私はやさしくないと批判されているのか」と受け取る方があるのでむつかしいですが(T_T)。もう人にお礼ができなくなります)。そしてそれと裏表の傷つきやすさも。そんなふうに傷つきやすい気持ちを抱えて生きているアスペの方は多いんだろうなと,改めて思います。(と書くとまた違う受け止め方をされるかたもありそうですけど……)
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/16 (Tue) 20:15:07
差別と偏見について
こんな事例を思い出しました。

奇声を発したり、暴れたりする自閉の女の子がいて、周りの子は彼女の行動に困っていても、怖いし近づきたくなくて、黙って遠巻きに見ていました。
けれど、アスペの男の子がその女の子に「うるさい!騒ぐな!何で騒ぐんだよ」と食ってかかります。職員に「なんで○○ちゃんを黙らせないの?○○ちゃんは何で騒ぐの?」と問い詰めます。
こちらも、今は少し嫌な気分になっているだけだからそっとしてあげてと言うしかない。
けれど、大人でラチが開かないと思った男の子は本人に黙れ黙れとくってかかる。さすがに困りました。
けれどしばらくすると、女の子は諦めて大人しくなったのです。
毎回その騒ぎなので、犬猿の仲なのかと思いきや、男の子は女の子と仲良くしたくていつも意識しているんです。
だから、おかしなことをしたらおかしいと言う。嫌な気持ちを抑えて知らん振りをしている周りの大人や子どもたちも許せなかったんです。
男の子の態度に少し鬱陶しさを感じながらも、女の子は男の子に言われると素直に黙るようになりました。

私はこの男の子の態度が、差別や偏見のない純粋な関わり方なのかなと思いました。
女の子の方も鬱陶しいと思えば距離を置きますし、そうでないときには、自然と近くにいたりします。
それが自然な人と人との関係なのでしょう。

以前、にわとりさんが、知的障害のある方の問題行動を直接叱ったら、支援者に「そんな言い方をしてはいけない」と逆にしかられてしまったというお話をされていましたが、にわとりさんは、この障害者の方がやったことは軽犯罪にも等しく見過ごすわけにはいかないので当然のことをしたのに、支援者は障害者というだけでそれを見過ごそうとしたのは、支援者の方に偏見が強かったのだと思います。
優しさとはそういうものではない。それこそ事なかれ主義で自分の手は汚したくないという自分本位な考えなのでしょう。
それを気遣いだとか思いやりとか勘違いしている人は多いのではないかなと感じます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/16 (Tue) 20:26:18
にわとりさん

私も誤解していた部分がありました。
定型社会での常識を一旦取り除いて新たに自分の考えを取り入れる必要があるという意味がやっとわかりました。
特にアスペ定型というのはあなたの言う共同幻想の縛りだけで歩み寄るのは難しいかもしれませんね。あなたの言う単独者としての感覚を夫婦がお互いに取り入れた上での関係を作っていく必要があるのかもしれません。
私自身もアスペの元夫と離婚経験がありますが、あなたの言ってることを認めたくなかった部分もあったんでしょうね。
しかし頭でわかったところで心から受け入れるのは難しいです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/16 (Tue) 20:55:06
にわとりさんやみるきさんのおっしゃることは、決して本人の思い過ごしでもひがみでもありません。
これが現状です。

https://h-navi.jp/column/article/48

私が子育てに奔走していた頃は、発達障害を持つ子どもを誰からも受け入れられず、心中したケースがいくつか問題になっており、それを本にした人もいるくらいです。
きれいごとや思い過ごしではないのです。
定型がそのくらいの差別は定型にもあるよ、と思うのは、現状を知らないだけなのです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 果物
  • 2016/02/16 (Tue) 21:01:10
パンダさん

今回のにわとりさんについてのご指摘で、にわとりさんが説明されていることは理解できますか?

すずめさん

アスペ的な感覚を残したままでの同居による結婚は例外問わず問題だというのは言い過ぎだったかもしれません。

ただ私はパンダさんや定型アスペ夫婦に離婚は勧めてません。無理にアスペが定型的な感覚を身につけ、二次障害になりながら夫婦関係を維持しろとも言ってません。
仮にアスペの側が定型的な感覚を身につけると決意した場合はメンタル問題を解決してるから二次障害にならないことになります。
離婚は一つの選択肢です。

歩留まり選択でアスペ的な感覚と定型的な感覚でお互いに違和感を感じる部分はあってもそのまま夫婦を選択する方法もあります。

定型側が定型的な感覚や結婚制度といった常識を見直す必要があると言いましたが、定型がアスペの感覚になれとかではないですし、その後定型的な感覚をところどころ「自分の感覚として」取り入れるのはありだと思いますよ。
最初は一旦籍を外してから事実婚とかお互いの家に通う関係であるべきだと思ってました。しかし考え直したらそれはお互いのじょうしきを一旦外してから自分の考えを取り入れ、そこから再構築した考えなら可能かなとも思いました。
カレンさんのとこはそうやってお互いが自分の中の常識を外してから自分の価値観として再構築してからお互いの関係が変わったのかなと書籍の内容を思い出しながら考え直しましたが、カレンさん夫妻ではないので何とも言えません。
お互いに新たに自分の意志として取り入れたことで、夫婦として再構築する関係になるのか、離婚になってしまうのかは夫婦によるとしか言えません。
これは供依存に陥っている定型同士の夫婦でも同じです。

勝手に引用させていただきましたが、この意味がわからなければパンダさんはにわとりさんの感覚どころかアスペの方の感覚も理解していないということだと思います。
他のアスペの方の人間性は肯定されていますが、ご自分を正当化しているだけに聞こえますよ。

逆ににわとりさんもパンダさんの意見を理解できていないのであれば、定型者とわかりあうのは無理です。

厳しい意見を書かせていただきました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/16 (Tue) 21:36:18
果物さん

わかるかどうか,というお尋ねですが,文字通りの意味でしたらまあわかります。で,そのレベルのことでしたら,それが私の問いかけへの答えになっていないと思えます。
でも果物さんがあえてそういう聞き方をされているということは,きっとそんな単純なことではないんでしょうね。ものすごく深いことをお尋ねなのでしょうか。そこは残念ながらわかりません。

にわとりさんの気持ちの動き方がわかりにくい,ということについてはずっとそう言い続けてきていますので,今も謎だらけです。

果物さんは私の気持ちもにわとりさんの気持ちもどちらもちゃんとお分かりということなのでしょうか。それが本当ならすごいと思います。ただ,私が「相手を理解した」と思える基準というのがあります。それは「あなたが言いたいこと,感じていることはこういうことなのではないでしょうか」と尋ねてみて,相手の人がほんとに「そうだ」と言ってくれた時,私は相手を理解した気持ちになります。

その基準からいうと,果物さんが私を理解してくださっている感じがありません。でも果物さんは私を理解されているということなのですよね。このギャップ,ある意味で興味深く思います。人間関係をかんがえるときに,大事なポイントの一つかなと思います。 
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/16 (Tue) 22:13:29
あすなろさん

 あすなろさんが繰り返し語られていることは,差別に苦しまれている方の実情をリアルに感じ取れずに,そこで苦しむ方の言うことを信じようとしない(と感じられる)ことに対する怒りでしょうか。

 不登校になった子どもに心無い言葉を投げかける学校の先生のお話し。当然あるだろうなと思いました。特に驚きませんでした。人間ってすごく残酷な動物です。

 あすなろさんご自身が,身の回りのそういう体験に苦しみ,ショックを受け,傷ついていらっしゃるのですよね?普段の書き込みからそんな想像をしています。その痛みにどうやって耐えたらいいのか,表面を取り繕ってなんの助けも与えてくれないどころか,むしろ傷口に塩を塗り込むようなことをしてくる人々に対する言いようのない怒り。偽善への憎しみ。それを認めようとしない社会への憤り。

 的外れなら申し訳ありません。単に私自身の体験からなんとなく感じて類推しただけです。

 子どものころ,自分の小さな弟を,目の前で突き殺された女性がいました。一家を全員殺されて,自分だけが生き残り,親戚に育てられて苦労して大人になりました。その苦しみを抱え続けた彼女が,その話をしてくれました。なんで自分はこんな思いをしなければならなかったのか。彼女に答えはありませんでした。でもその話をしてくれた後,彼女はようやくわかったといわれました。これは神が私に与えた使命だったのだと。二度とそういう悲惨な出来事がないように,ひとびとに訴える使者として,神が自分を選んだのだと,そう感じられたそうです。

犯人はいまだに捕まっていません。わからないのです。もう死んだかもしれません。

彼女は,少なくともその時には神に救われた思いになられていました。その思いがどこまで持続されたのか,その後は私もわかりません。彼女への深い救いがどうやって訪れるのか,もう訪れたのか,ほんとにわからないです。

あすなろさんの思いがどうしたら救われるのか,やっぱりわかりません。救われる可能性もなく,救われる必要などない,と思っていらっしゃるのかもしれません。それもまたリアルな現実なのでしょう。いいとか悪いとか,そういう言葉は思いつきません。

私が何を言いたいのか,私にもわかりません。わかるわけはないし,わかったつもりになってはいけないのかもしれません。

人が抱える傷にどう向き合ったらいいのか。自分も傷を抱えつつ。むつかしいです。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/16 (Tue) 22:57:08
>パンダさん

お気遣いいただいて、申し訳ないのですが、私は別に傷ついていません。
自分の経験としては、大変だったけどよくやった。それに子どもたちがアスペで良かった。そうでなければ私は、共同幻想にガチガチに縛られて、虐待もしていたかもしれないなと思うのです。

しかし、未だに発達障害者に対してこんな厳しい現状があるのが許せないのです。

この体験談を、不幸な巡り合わせと読まれてしまったのは、正直残念です。

私は同じ立場の親子を何人も知っていますが、まともに学校生活を送れている人はほとんどいません。
ほとんどが通常の義務教育を外れ親子で受け入れ先を探し歩いています。
情報をくれる公的機関もありません。
自分で探して自分で吟味してそこでダメならまた探し直して。
毎日子どもと一時間以上かけて学校に通い、付き添い、一緒に帰ってくるという生活をしている親もいます。

今の日本社会はほぼ例外なく発達障害者を受け入れてくれないのです。
けれどその中で比較的順応性があったり、たまたま良いところに巡り合えた人だけが生き残っていけるのです。
そのたまたまの中に、私たち親子もいました。
本当に幸運なことばかりでした。
有難いと、心から思います。幸せだとつくづく思います。

けれど、それを、他の人も気の持ちようでそうなるとは決していえません。

実は障害児を抱えた親の自殺、我が子を手にかけたケースは、表に出ていないだけで非常に身近にたくさんあるのです。

障害者自身も鬱になって自殺した人は、調べればたくさんあると思います。

個人的な悲劇などと決して言ってはいけない。
にわとりさんを始め、当事者の方は、それを自分で主張しても、被害妄想だと言われてしまうので、オブラートに包んでいるだけです。
にわとりさんの言葉が辛辣だといわれますが、社会で起きている問題を見てみればいかににわとりさんが気を遣っているのか分かりますよ。

私は、パンダさんがこの件を、個人的な不幸と捉えられたのが非常にショックです。

発達障害者、当事者と家族が必ずどこかで社会的制裁を受けているということは、今の共同幻想が発達障害者に非常に苛酷なものであり、早急に見直しが必要であるということなのです。

アメリカではすでに、その見直しは進んで社会に浸透しています。

ということは、今の日本が共同幻想を変えることに抵抗が強い、それは多くの定型の無知無関心から生まれるものなのです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/16 (Tue) 23:21:40
あすなろさん

 私が個人的な問題としてとらえていると捉えられたことが,ああ,そうなんだな,と思いました。
 私は全然そういう理解のしかたはしていないつもりですし,基本的には個人的な生活感覚の中で考えることを優先したいので,あまりしないのですが,それでも時折記事でもわりと大きめの問題の中でとらえようとしてみています。でも先の話についてはそういうことと切り離してみればそうも読めますよね,確かに。
 
 あすなろさんが傷つかれていない,というお話も,なるほどなあと思いました。いろんなことが一貫しているような印象を持ちました。私が感じ取れた範囲でのことですけれど。

 漠然とした話で申し訳ありませんが,私の感覚を言えば,あすなろさんのそのお話も,私の書き方も,裏表なんだと思っています。別にそういう社会の問題とか共同幻想の問題とか,そういう話と矛盾したことを書いているつもりは全くありません。と,禅問答みたいで申し訳ありません (笑) いつか具体的にわかりやすい言葉でそのことの意味をお伝えできる日がくるといいなとは思いますが……

 今の段階では,あすなろさんのお話を聞くと,ああなるほどなあと思い,同時に私の話は別に矛盾してないよなあと思う,というのが感想でした。いや,つきつめると矛盾するかもしれないし,なんとなくの感想です。


 
 
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • まる
  • 2016/02/16 (Tue) 23:41:34
suzumeさん、あすなろさん、にわとりさん、ご意見、ご指摘、ありがとうございます。
流れが速くて、なかなか追いつけず、すみませんヽ(´o`;

suzumeさん、「なったことがない方にはわからない」、まさにその通りだと思います。自分の経験以上のものを想像するってとても難しいです。あと、そういう辛い状況、自分が中学生ぐらいの時のことを思い返すと結構周りにありました。理由もないのに殴られる子、キモイと言われる子、確かにいました。私自身はその後、わりと穏やかな人たちに囲まれて生きてきたので、そういう辛い世界のこと、忘れていたというか、見て見ぬ振りをしていたというか。でもやっぱり、にわとりさん、suzumeさんが言われる状況は現実にあるなぁと、今は認めたい気分です。

あすなろさん、私の偏見に対する考え方は、概ねあすなろさんと一緒のような気がします。人間も動物ですから、異質なものに警戒心を抱くのは生きる上で必要な感覚だと思いますし、そう感じること自体には、善悪の価値観を当てはめる必要もないと思ってます。私自身こう思えるようになったのはごく最近ですが。いやーでも、あすなろさんの実体験を聞いてしまうと、私の感覚なんて机上の空論レベルみたいで、ちょっと恥ずかしいです(;^_^A

にわとりさん、怒りを感じる状況について考えて頂きありがとうございます。あくまで私の個人的な見解というか、妄想に近いものがありますが、もしかしたら、差別を嫌う人ほど、異質な人は何もしなくてもいじめられることがあるという現実を認められないのかもしれないです。なぜなら「自分は差別をしないぞ!」という思いがあれば、その人自身がにわとりさんの主張に対する反例になっちゃうからです。にわとりさんはこんなことを言っているけど、少なくとも私はそんな明らさまな差別はしない。すなわち、にわとりさんの主張は事実ではない。裏返せば、にわとりさんの主張を認めることは、自分にも差別の心があるということを認めることになりかねない。普段こんなに複雑なことを考えて意見したりはしませんが、自分の心と向き合ってみると、にわとりさんの主張をすんなり受け入れられなかった背景にはこんな心の動きがあるような気がします。にわとりさんの知りたかったこととは違うかも知れませんが、定型の一人として感じたことを書いてみました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/17 (Wed) 00:15:18
>パンダさん

実感として感じてきた人と、そうでない人の感覚の違いということですね。
ただ、実感として分からなくても、実際に起きている社会問題に、もう少し自分だったらどう感じるかということを想像してほしかったのです。
例えば、にわとりさんのような現状を生きていたら、パンダさんはどうされるか。
我が子が先ほどの体験談のような状況に置かれていたら、どう思うか、自分がそうなったらどう思うかな?
そこを想像してみてほしいのです。
実体験にないものは、想像が難しいとは思いますが、私は例えば、未だ被災地で仮説住宅の生活している人、あるいは紛争地で明日死ぬかもしれない状況にある人の苦しさなどを想像してみることがあります。
解決策を見つけるというより、どんなに過酷な救いようのない状況なんだろうと心が痛くなる。それが実感です。

私が思う、共同幻想の見直しに支障となっている現実を、わかりやすく書かれている記事を見つけたので、貼り付けておきます。

http://con-isshow.blogspot.jp/2015/10/blog-post_16.html?m=1
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/17 (Wed) 02:32:23
あすなろさん

 もう少し教えていただきたいのですが,状況を想像して身を置いてみる,という方法は私自身はこれまで何度も記事の方で試みてみました。その結果,最近では何人かのアスペの方から共感のコメントをいただくようにもなりました。そのことと,ここで言われていることとの関係がまだよくわからないということが一つ。

 もうひとつは被災地の方や紛争地の方の話については,私は効果不幸かこれまで他の方より多分かなり具体的に見聞きしする経験があり,それこそ凄惨なお話も体験者からたくさん聞きましたので,単なる想像よりはリアルに知っている部分もあります。そこでそれこそ激しい憤りを感じたことや,涙が止まらなかったことも何度も経験があります。ですから,その点についてはあすなろさんの言われていることがうまく当てはまるのかどうか,よくわかりません。

 ご紹介いただいた記事についても,読みが浅いかもしれませんが,特に新しい発見があった感じはしませんでした。

 多分,あすなろさんのおっしゃりたいことはそういうこととはもう少し違うポイントなのかなと想像するのですが,どうなんでしょうか?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/17 (Wed) 08:54:05
>パンダさん

問いかけていただいて、ありがとうございます。

パンダさんが今までの経験を通して感じられたことも確かに重要である。それ以上の『実感』とは何なのか、と思われるのは当然だと思います。
明らかに違うのだけど、説明しようとすると、『どこが?』と思ってしまう。
それを整理するのに、良い機会を与えていただけたと思います。

まず、私が反応したのは、提示した体験談に対して、息子さんを刺された方の体験を持ってこられたことと、学校にはよくあること、今更目新しいことではないとされたことです。

息子さんを刺された体験の方は、それはそれで大変なことです。
いくら賠償問題が解決しても、大切な家族を亡くした痛みというのは一生消えないし、この方はおそらく人生を楽しむということはできないでしょう。滅多に経験することのないことなので、この方の痛みに心から共感してくれる人はいないと思います。その孤独もまたこの方の苦しみになるでしょう。

不登校の話からこの方が思い浮かんだ時点で、パンダさんは『不幸な体験をした人の心の傷』という共通点でしか私の提示した話を解釈されていないということです。

さらに『不登校』『学校の対応への不満』というのは、昔からよくあることで、それによって被害を被ってきた人などたくさんいる。そういう人たちも頑張って乗り越えてきたのだという、非常に安易なくくりになさっています。

この体験談をよく読んでいただきたいのですが、この子は全く普通のことをしてきただけです。誰かをイジメたわけでも、奇妙なことをわざとしたわけでもありません。
しかし、『なんとなく雰囲気が合わない』というだけでいじめられています。
さらに、おそらく学習障害があるのでしょうが、計算を指でやっていたことで友達から注意を受けています。この子は自分なりに必死についていこうとしていたのに、それすらも否定されているのです。

日常の生活のやり方、努力の仕方をことごとく『定型』から否定され、もっともっとがんばりなさいと叱咤激励され、居場所がなくなり家に避難するしかなくなった。それなのに、世間は彼女を何としてでも引きずり出して『そんな軟弱なことでどうする。頑張れ』と鞭を与えます。

自分の犯した罪でここまでの制裁を加えられたなら仕方ありません。
学校でいたずらや意地悪をしてどうしようもない、親も無関心というのなら分かる気もします。
しかしこの子はただ、真面目なだけ。それも定型以上に出来ないことが多いことを自覚しているので、もっともっと真面目にやろうと努力している。それを頭ごなしに『不真面目だ』『努力が足りない』と叱っているのです。

この子に生きる場所はありますか?
今後、この親子はどうやって生きていくと思いますか?

世間の全てから排除される感覚を、もし自分だったらどうだろうと想像してみてほしいのです。
誰も話を聞いてくれない。自分のやることを『お前が悪い』と頭ごなしに否定する。

パンダさんは、むしろ他者の共感を非常に重要視されている方なので、一切共感のない世界に身を置いたとき、耐えられると思いますか?

この母親は、娘が生きていてくれればいいと思うようになったと言っていますが、親が年老いて死んだとき、学校で知識や教養を身に付けられなかったこの子に生きる場があると思いますか?

この親子はあと、何を努力すればいいのでしょうか。

私なら途方に暮れてしまいます。
あなたのような経験をした人はたくさんいるよ。世の中そんな捨てたものじゃない。
なんて口が裂けても言えませんし、同情して泣いたとしても、それが何の役に立つだろうと馬鹿らしく思えるだけです。


被災地の話がありましたが、私は被災地を見ていません。
見たとしても「大変だな。テレビで観たとおりだった」という感覚かもしれません。

しかし、家に居て寒くて暖房を付けるとき、仮設住宅のプレハブの寒さはこんなものでは無いのだろうなと思います。しかも東北ですから、とんでもない寒さなんだろうなと思います。
いつ終わるとも知れない仮設住宅に暮らす人は年々寒さに耐えながら絶望を抱いていくだろうと感じます。お年寄りはそれに耐えかねて次々に亡くなっています。ジサツした方もいれば、体力を失った方もいる。
シぬにシねない、苦痛に耐え続ける感覚というのはいかほどだろうと思います。

先日、被災地の幽霊体験を学生が論文にしたという話題を目にしました。
幽霊なんて非現実的なことを論文にするなんて、という批判も多かったようです。

しかし実際に被災地での心霊体験が今大きな話題になっているそうです。
亡くなった家族が彷徨っていたという話がたくさんあるそうです。

タクシーの運転手さんが、真夏の暑い盛りに、分厚いコート姿の女の子を乗せて、まだ復興していない更地に案内しました。ここでいいのかと聞くと、女の子は『ここでいいの、ありがとう』と言って消えたというエピソードが書かれていました。
運転手さんは、『ああそうか、震災は三月の雪が降るときだったから、まだ寒いんだろうな』と思ったそうです。
かわいそうとか、悲惨だという感情はほとんど湧きません。
ただ、そうか寒いよねという共感だけです。

被災地を見て『大変だ。かわいそう』と他人目線で涙するのが『同情』
被災地の人が日々こんなことに苦労しているんだろうな、耐えているんだろうなと、自分の体感に置き換えてみるのが『共感』

この差は曖昧なのでしょうが、実感としては大きな違いがあると思います。

そして、共感したものが『世の中を変えなくては』と願うことと、
同情したものが『世の中を変えなくては』と思うことでは、非常に大きな開きがあると思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/17 (Wed) 11:33:11
あすなろさん

一生懸命解説されてるところに申し訳ないですが、いくら訴えかけてもアスペの被害妄想とかアスペが悪いだけだと一蹴りされるだけではないですか。
パンダさんは定型攻撃としか取らないし、カラスさんのように非難する人も少なくないでしょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/17 (Wed) 11:34:34
みるきさん

不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。


まるさん

説明ありがとうございます。勉強になりました。


Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ももこ
  • 2016/02/17 (Wed) 14:20:42
にわとりさん

落ち着きましょう。あすなろさんが丁寧に説明してくださっていますからお任せしましょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ももこ
  • 2016/02/17 (Wed) 14:38:37
にわとりさん

落ち着いてください。感情的になりすぎです。あすなろさんが説明してくださっていますからお任せしましょう。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ももこ
  • 2016/02/17 (Wed) 16:51:33
あすなろさん

偏見を持つのはある意味仕方ないとお話されてましたが、私も結婚前は特養や障害者施設で働いていたので言わせていただきますね。

もともと精神や人格に問題がなかった知的障害者が施設に入れられてから精神異常になって不適応行動をするようになった方がいます。
高齢者の方も最初は意識がしっかりしていたのに家族に無理やり施設にいれられて認知症になった方もいます。
あすなろさんも仕事に就かれているから分かると思いますが、障害者の人格をゆがませているのは共同幻想に他なりません。
健常者が作った社会に障害者を強制的に置いて精神異常に追い込んでるのにそれに偏見を持つ側に問題があります。
人間が生きていくために集団に身を置かざるを得なかった時代なら仕方ありませんが、現在でも上の利権だけで介護や支援の職員を雇ったり、施設を作っているという部分もあります。
そんな奴らのために障害者や高齢者の自由を奪うから当事者はストレスがたまって暴力に陥ったり、欲のまま動くようになるのだと思います。
健常者やアスペが知的障害者を怖いとか思っている時点で共同幻想に洗脳されてるのと同じですよ。

また話が変わりますが、kagewariさんのブログには施設はいらないと書いてましたが、私もそのとおりだと思います。
先日、月曜から夜更かしで「介護を必要とする高齢者でも家族と暮らしているより独身の方がストレス度は低く、幸福だと感じる人が多い」といっていました。
高齢者に必要なのは介護ではなく、意思の尊重です。
たとえ歩けない人でもはってでもトイレに行ってもらうことが本人の意思を尊重することだってあります。人に頼りたいなら介助してもらう選択も自由ですが。

話がそれましたけど、共同幻想が余計な物や偏見を勝手に作っているというだけです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ももこ
  • 2016/02/17 (Wed) 16:53:25
パンダさんやご覧になっている皆様へ

障害者や高齢者を「弱い立場」という方がいますが、それも失礼というか彼らを侮辱していることになります。
人の助けがないと生きていけないとか弱いという決めつけが彼らを下に見ています。私だって弱い立場といわれるのは屈辱です。
障害者や女性、高齢者に対して弱者という言葉は使わないであげてください。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • アスペ男
  • 2016/02/17 (Wed) 19:40:17

 このコメントはガイドラインによって非公開となりました。

         2016年6月17日

 
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/17 (Wed) 20:42:57
>ももこさん

はじめまして。
ももこさんのご意見、分かるところもあれば、少し極端ではないかなと感じるところもあります。
障害の重い方が共同幻想を押し付けられて行動障害を起こすというのは私も同感です。
それは施設に入ったからではなく、日常の全てにおいて、障害者に合わせた社会になっていないために、積年のストレスが噴き出している形だと思います。親や周囲、街を歩いただけでこの『社会的制裁』を受けます。軽度発達障害者の比ではないストレスです。
奇声を発してしまう人(この奇声は嬉しい時に声の大きさが調節できないだけであって、本来は問題行動ではありませんが、社会は行動障害とみなします)が母親とデパートに行き、見ず知らずの人に怒鳴られたそうです。『こんな大声を出すヤツを、デパートに連れてくるな!』本人は気持ちが良くて声を発しているので、止めさせようとしても止められません。しばらく母親は怖くてその人を外に出せなかったそうです。
施設に入ろうが入るまいが、重度障害者が共同幻想社会から受ける制裁はどこにでもあります。生まれたときから死ぬときまで、一生この制裁を受け続けなくてはなりません。
施設というのは、家族と本人をその社会制裁から守る場として機能するものだと思います。
現状では家族の休息の場としての機能が重視されていると思います。本人を差し置いて家族が楽をするのかと言われそうですが、実はこれが本人の命を守るためにも重大な援助です。
というのも、障害者を抱えた家族の離婚率は非常に高く、一人で背負った母親が鬱に陥るケースも多い。そして家族心中や殺人といったことが頻繁にあるからです。
長年支援学校で教員を務めていらした方が、『世間に知られていないだけで、支援学校の教員の間では『またか』と思うくらい頻繁に聞く話なのよ』と言っていました。
私も『このお母さん、危ないな』と思うケースはいくつも思いつきます。

高齢者介護にしても同じことがいえますね。
さらに高齢者の場合は、当人の方が共同幻想に縛られていて、わがままを言っても許されると思って職員や家族を困らせるケースも多いと思います。
私も実際、そういう家族を介護してきたので、本当に難しかったです。最終的に受け入れ施設が見つからなかったら自分がどうにかなっていたと思います。

第一印象の件は、異質な物に嫌悪感を感じるというのが人間の本能としてあるとして、何を異質とするかが共同幻想なのだと思います。
例えば、家に友達が遊びに来ると言って待っていたら、友達が2メートル近くもあるアフリカ系の人を連れてきた。
最初に聞いていなければ、びっくりしない方がおかしいです。正直恐怖を感じるかもしれません。
しかし、ここがアフリカだったら、別に驚きもしないと思います。
これが異質な物に偏見をもつ性質が共同幻想によって強化される原理だと思います。
その共同幻想が、『障害者は、何か困ったことをしそう』という方向に流れていることが問題になるのだと思います。排除して、見なければ見ないほど、慣れないものに対する違和感は強まっていく。悪循環ですね。


>アスペ男さん

はじめまして。
アスペルガーの方で、そういう見方をされるのですね。
以前から気になっていたのですが、にわとりさんの生きづらさはADHD傾向の強さなのではないかと思っていました。
アスペ男さんの指摘されていることは、ADHDの人間にはすべて困難なことです。
さらにご本人もおっしゃっていますが、協調性運動障害というものがあると、さらに困難になります。
これは、知的能力とは全く関係ありません。
シンプルにアスペの方と、ADHDを持っていらっしゃる方との違いがよく分かったような気がします。

村上由美さんという方がアスペ同士の夫婦の困難さについて『アスペルガーの館』という本を出されていますが、由美さんご自身はアスペ男さんのように非常にきちんとされた方で、異常なくらいに物事を整理分類しないと気が済まない性格なので、ADHDの傾向の強いご主人の行動が理解できないと書かれていました。
アスペといっても、この辺りの違い、非常に大きいのではないでしょうか。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/17 (Wed) 21:34:08
>にわとりさん

私が貼りつけた記事に、にわとりさんにとって衝撃の強い内容が含まれているかと思いますが、あくまで一般的な統計の問題です。
そんな厳しい中でも頑張っているという認識を持っていただけたらと思います。

もしあまりにも刺激が強いなら削除しますので、おっしゃってください。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/18 (Thu) 01:08:35
あすなろさん

>まず、私が反応したのは、提示した体験談に対して、息子さんを刺された方の体験を持ってこられたことと、学校にはよくあること、今更目新しいことではないとされたことです。

 息子さんではなくて,弟さんです。まだ小学校に行く前くらいの年齢で,ご自分も瀕死の重傷で,かろうじて一命をとりとめられましたが,家族はすべて殺されました。

>この方の痛みに心から共感してくれる人はいないと思います。

 絶対に無理だと思います。私はただ一緒に泣くことしかできなかったですね。

>その孤独もまたこの方の苦しみになるでしょう。

 前にも記事で少し書いたことがありますが,天災で突然家族を失った方たちが,「自分の苦しさは決して誰にもわかってもらえない」と感じられている,その思いをお互いに共有するときに,救われたというお話を聞いたことがあります。孤独が人をつなぐこともあると思います。

>不登校の話からこの方が思い浮かんだ時点で、パンダさんは『不幸な体験をした人の心の傷』という共通点でしか私の提示した話を解釈されていないということです。

 ああ,それはもしかするとそうかもしれません。私の悪い癖で,一般的にいろんな例をつなげて考えてしまうことがよくあるんです。パートナーにもときどき怒られます。

>さらに『不登校』『学校の対応への不満』というのは、昔からよくあることで、それによって被害を被ってきた人などたくさんいる。そういう人たちも頑張って乗り越えてきたのだという、非常に安易なくくりになさっています。

 ここはちょっと驚きました。「そういう人たちも頑張って乗り越えてきたのだ」という話を,私がどこかでしましたでしょうか?なにか誤解されるような書き方があったのかな?

>この体験談をよく読んでいただきたいのですが、この子は全く普通のことをしてきただけです。誰かをイジメたわけでも、奇妙なことをわざとしたわけでもありません。しかし、『なんとなく雰囲気が合わない』というだけでいじめられています。さらに、おそらく学習障害があるのでしょうが、計算を指でやっていたことで友達から注意を受けています。この子は自分なりに必死についていこうとしていたのに、それすらも否定されているのです。

 はい。そのあたりの問題は,この記事に限らず,あすなろさんが繰り返し訴えられてきたことだと理解しています。

>日常の生活のやり方、努力の仕方をことごとく『定型』から否定され、もっともっとがんばりなさいと叱咤激励され、居場所がなくなり家に避難するしかなくなった。それなのに、世間は彼女を何としてでも引きずり出して『そんな軟弱なことでどうする。頑張れ』と鞭を与えます。

 ここもそうですね。あすなろさんご自身の経験を書いていらしたこともあったと思いますが,それを読んで,「ああそうなのか」と認識を新たにした記憶があります。

>自分の犯した罪でここまでの制裁を加えられたなら仕方ありません。学校でいたずらや意地悪をしてどうしようもない、親も無関心というのなら分かる気もします。しかしこの子はただ、真面目なだけ。それも定型以上に出来ないことが多いことを自覚しているので、もっともっと真面目にやろうと努力している。それを頭ごなしに『不真面目だ』『努力が足りない』と叱っているのです。

 発達障害の問題に限らず,成績の悪いことか,そういう目にあうことがよくありますよね。本人はほんとに頑張ってるんだけど,どうしてもできない。そして先生からは「なんでまじめにやらないんだ」
と怒られて,ますます委縮してできなくなる。その悪循環。

 ちょっと思い出しましたが,私も以前そういう子の勉強の手伝いをしたことがあるんですが,もうどうしようもなく自信を無くしてしまっているんです。それで,ほんとに些細な事,字がきれいだね,とか,ゆっくりと丁寧に解こうとしているね,とか,そんなことでもほめてあげていると,なんだかうれしそうになってきて,失敗を繰り返した後に,それでもちょっとだけできたときに一緒に喜ぶとはにかむような,うれしそうな顔をしたりしていました。
 とにかくできないのにそれでも頑張ってる姿を見て,ちょっと感動して,「尊敬しちゃうなあ」とその子に言ったら目を丸くしてました。ほんとに私は尊敬したので,本気でそう言いました。
 逆に言えば,普段そこまで痛めつけられているんだなあとその時思いました。

>この子に生きる場所はありますか?今後、この親子はどうやって生きていくと思いますか?

 まあ,どういう状態になっても死なない限りは生きざるを得ないので,生きていくんでしょうけれど,大変ですよね。テレビで孤独死の問題とかの話を見たこともありますが,廊下で倒れたまま息絶えているのがしばらくして発見されたりとか,そんな状況もありますよね。

>世間の全てから排除される感覚を、もし自分だったらどうだろうと想像してみてほしいのです。誰も話を聞いてくれない。自分のやることを『お前が悪い』と頭ごなしに否定する。

 想像はします。でも本当にそれができるとは思いません。真似事以上には。それができると思ってしまったら不遜ですよね。ああ,かろうじてある程度関連して具体的に想像するのは,えん罪で死刑判決を受けて収監されている人とかでしょうか。こないだ袴田さんのことをやっているテレビを見ました。すっかり精神を病まれていて,自分を神のように語られるんです。やっていない事件で彼の場合はもう半世紀近くかな,死刑囚として収監されたあと再審決定で出てきた。日々忍び寄る死の恐怖との戦いで,自分を国家権力より上に置くことでそれに「勝利」したといことかも,というような解説でした。それはそれで納得しました。そこまでの過酷さですよね。もちろんあすなろさんが想定されている話とはまた違いがあると思いますけれど。

>パンダさんは、むしろ他者の共感を非常に重要視されている方なので、一切共感のない世界に身を置いたとき、耐えられると思いますか?

 パートナーに共感してもらえないことで苦しんできたくらいですから,一切ということだとほとんど息絶え絶えだと思います。

>この母親は、娘が生きていてくれればいいと思うようになったと言っていますが、親が年老いて死んだとき、学校で知識や教養を身に付けられなかったこの子に生きる場があると思いますか?

 義理の妹が重度の障害を持って施設で暮らしているのですが,やはり年老いた義母が生きがいにしています。うちの場合は親がなくなったあとは姉妹を中心に引き継ぐことになるでしょうけれど,身寄りがない人たちもいますよね。

>この親子はあと、何を努力すればいいのでしょうか。

 ほんとにその方の具体的な状況の中で現実的に考えるしかないので,私にはなんともわかりません。

>私なら途方に暮れてしまいます。あなたのような経験をした人はたくさんいるよ。世の中そんな捨てたものじゃない。なんて口が裂けても言えませんし、同情して泣いたとしても、それが何の役に立つだろうと馬鹿らしく思えるだけです。

 そういうことを言う人もいるんですよね。

>被災地の話がありましたが、私は被災地を見ていません。見たとしても「大変だな。テレビで観たとおりだった」という感覚かもしれません。しかし、家に居て寒くて暖房を付けるとき、仮設住宅のプレハブの寒さはこんなものでは無いのだろうなと思います。しかも東北ですから、とんでもない寒さなんだろうなと思います。いつ終わるとも知れない仮設住宅に暮らす人は年々寒さに耐えながら絶望を抱いていくだろうと感じます。お年寄りはそれに耐えかねて次々に亡くなっています。ジサツした方もいれば、体力を失った方もいる。

 そうですね。自殺が実際に増えていて,訴訟にもなっています。しばしばあるのは,ようやく一時帰宅ができるようになって,一人で家に戻って,そのまま自殺されてしまうケースです。想像しかできませんが,荒れた家を見て,最後の糸が切れてしまうのかもしれません。そういう状況に,必死で対応されている自治体や医療関係の方たちもたくさんあって,でも今度はそういう方たちが限界を超えてしまわれるようなことも起こる。サポーターのサポーターが大事になったりとか。

>シぬにシねない、苦痛に耐え続ける感覚というのはいかほどだろうと思います。

 ちょっとここはあすなろさんが,具体的にどういうケースを想定して書かれているのか,漠然としてつかみづらくなりました。一般論としては想定可能でしょうけれど,ちょっとリアリティが私の中に立ち上がってきにくくて。別にそういうケースがないという話ではなくて,具体的に自分の知識とつながって「あああのひとのことね」と思い浮かんでこないというだけですが。

>先日、被災地の幽霊体験を学生が論文にしたという話題を目にしました。幽霊なんて非現実的なことを論文にするなんて、という批判も多かったようです。

 ありましたね。ネットのニュースで見ました。

>しかし実際に被災地での心霊体験が今大きな話題になっているそうです。亡くなった家族が彷徨っていたという話がたくさんあるそうです。タクシーの運転手さんが、真夏の暑い盛りに、分厚いコート姿の女の子を乗せて、まだ復興していない更地に案内しました。ここでいいのかと聞くと、女の子は『ここでいいの、ありがとう』と言って消えたというエピソードが書かれていました。運転手さんは、『ああそうか、震災は三月の雪が降るときだったから、まだ寒いんだろうな』と思ったそうです。かわいそうとか、悲惨だという感情はほとんど湧きません。ただ、そうか寒いよねという共感だけです。

 かわいそうとか悲惨だという感情がわかないのは,運転手さんのことですか?あすなろさんのこと?
 私の勝手なイメージでは,運転手さんも似た経験を経ているでしょうから,「仲間意識」があると思います。だから共感になる。でも自分は生きていて,その子は死んでいるから,「かわいそう」という気持ちがまったくないとも思えません。そこはよくわかりませんが。

 ただ,そういう極限に近い経験をされた方の例から想像すると,自分が生き残ったのはたんなる偶然で,この死者は自分だ,という感覚も持たれるように思いました。自分が生き残ったことに罪悪感を持たれる方も多いんですよね。それを生涯引きずる方もある。

>被災地を見て『大変だ。かわいそう』と他人目線で涙するのが『同情』被災地の人が日々こんなことに苦労しているんだろうな、耐えているんだろうなと、自分の体感に置き換えてみるのが『共感』この差は曖昧なのでしょうが、実感としては大きな違いがあると思います。そして、共感したものが『世の中を変えなくては』と願うことと、同情したものが『世の中を変えなくては』と思うことでは、非常に大きな開きがあると思います。

 ここはちょっとまだよくわかりませんでした。同情は上から目線で,自分を圏外において「かわいそう」と思っている「美しい私」に自己陶酔で,共感はまさに自分の問題として切実に感じ,行動せずにはおれなくなる,とかそんな意味のことでしょうか?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/18 (Thu) 01:13:16
ももこさん

 そういう視点からの議論,私が学生の頃に障碍者問題を論ずるときにかなりシビアに戦わされていたと思いますし,おっしゃる意味は分からないではありません。こういう問題を考えていくと,どうしても避けて通れない話の一つですよね。簡単に結論の出る話ではないので,ゆっくりかんがえていければとおもいます。

 弱者という言い方についても趣旨は分かりますが,ちょっと質問です。ではそういう方は「強者」でしょうか?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/02/18 (Thu) 01:32:09
アスペ男さん

 はじめまして。どうぞよろしくおねがいいたします。ずっと見てくださっていたんですね。

 にわとりさんがにわとりさんなりにどんなに努力しても認められない現実がある,ということに関しては,私はそういうことも十分ありうるだろうと思うので,そこはちょっと意見が違うかもしれませんが,ただ,にわとりさんがまともに(というのは私の感覚からのことですが)議論に対応されないことが大変に大きな問題だ,ということについて,正面から論じてくださったことはとてもありがたく思いました。

 発達障害によって多くの方がひどい差別を受け,努力を認められず,追い詰められていく現実があり,その事実を認めようとしない社会の在り方や,それを見て見ぬふりをしたり,あるいは逆に意図的に行ったりするような定型の人たちもいて,しかもすべては発達障碍者の自業自得だ,というような見方をする人たちが少なくない,ということの問題,そして実際にはそういうことをしながら,まったく気づかない「差別者」が少なくない,という問題提起はとても重要だと思いますし,私自身が私自身を振り返る必要も含め,ちゃんと考えていくべき問題だと思っています。

 ただ,そのことと,今もそうですが,明らかに事実と異なることで相手を否定し,いくら事実を提示されても一切無視して同じ主張を繰り返し続け,相手を誹謗中傷することを認めることとは全くべつのことですよね。

 もちろん誰でも勘違いはあるし,相手の言うことを理解しきれないことはいくらもあるし,相手に言われて初めて気づくこともたくさんあります。でも目の前にはっきりと具体的に示されていることをまったく無視するという話になれば,これはとうてい議論への誠実さをそこに認めることができなくなります。

 私はここでのやりとりは,そういうことについての誠実さが大事だと思い続けてきたのですが,アスペサイドの方で議論される方に,「定型はアスペを理解せず,無意識に差別を続けている」という論点について熱心に語られる方はあっても,「誠実な議論を続けることの意義」について語られる方がなかった点が私は不思議でした。そういうことは定型アスペの違いの問題ではないはずなのに,と感じていたものですから。

 それでアスペ男さんがその問題をちゃんと論じてくださったことで,ああやっぱりそうだよな,この問題は定型アスペの問題じゃないよな,ということを改めて確認できたということになります。どうもありがとうございました。
 
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • アスペ男
  • 2016/02/18 (Thu) 08:41:07
要請により非公開にしています 管理人
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • まる
  • 2016/02/18 (Thu) 10:53:16
パンダさん

こんにちは。まるです。

色々な方から、色々なことを尋ねられてお疲れかも知れませんが、私からもパンダさんにお聞きしてみたいことというか、お話ししたいことがあります。お気持ちに余裕のある時で構いませんので、少し考えてみていただけるとうれしいです。

パンダさんは、「定型はみんな○○だ。」「定型アスペカップルはみんな結婚すべきではない」と言われた時に、「みんな」の部分が引っ掛かりますか?そこに傷つかれているのでしょうか?そこが事実と反すると思われるのでしょうか?私自身はそこが反応してしまう部分かな、と思っています。逆に「みんな」じゃなくて「一部にはそういう人もいる」という言い回しだったら、そこまで気にならないかな、と思います。

以前、アスペルガーの方が、会話の中に曖昧な部分が出てくると、そこが理解できないためにその先の会話の意味がわからなくなって置いてきぼりになってしまう、ということをおっしゃっていたと思います。これは余談ですが「難しいをむつかしいと書かれると、その先の文章が頭に入ってこなくなる」と言われてた方もいらっしゃいましたよね。ここからは私の想像ですが、Aが55%、Bが45%という状況の時に、普段私は「AもBもある状態」という理解をします。でも、もし私が曖昧な状態をそのままにしておけないという困難さを抱えていたら、この状況はとりあえずAであると理解せざるを得ないと思うんです。そこをベースに考えると
・「〇〇かもしれませんね(可能性の示唆、不確かな情報)」=「〇〇だ(断言)」と受け取られる可能性(以前、ブログをもとに本を出すような話で炎上したのは、このタイプのすれ違いかもしれません)
・「Aかもしれないし、Bかもしれませんね」という言い回しは、伝わらなかったり、相手を混乱させてしまうかもしれない可能性
は頭に置いておいた方がいいんじゃないかと思うんです。

そして
・そんな困難さを抱えた方が何かを表現したいと思った時に、どうしても断定調になってしまったり、決め付けのような表現になってしまう可能性
も考えた方がいいのではないかな、と思うんです。

にわとりさんはパンダさんに対し誹謗中傷はしていないような気がします。これは私が勝手にそう感じているだけですし、本人にお聞きしたらまた違う答えが返ってくるかもしれませんが。もちろん、パンダさんが自分のことを言われたように感じ、傷つかれたことも十分にわかります。でも、にわとりさんの言いたいことの柱は「意識するかどうかは別として、みんな世の中の常識や固定観念に矛盾を感じたり苦しんだりしている。定型とアスペルガーが上手くやっていくにはそういう苦しみを生む固定観念を認識し、時には壊して、新しい関係を築いていく必要がある。」ということのような気がします。でもそれを表現しようとすると、決め付けと取られてしまうような言葉の使い方になってしまうだけのことのような…。「日本人は生真面目だ」というのは、ある意味事実で、ある意味間違ってますよね。「価値観の違うふたりが一緒にいるのは難しい」これはどうでしょうか?自分とパートナーで想像したら否定したくなりますし、犬猿の仲の上司みたいな人を想定すると肯定したくなりませんか?受け取り方1つで変わる事実ってなんなんでしょうか?

というわけで、お2人とも良いことを言っているような気がするのに、なんだか噛み合わなくて悲しいなぁと思ってコメントしてみました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • みるき
  • 2016/02/18 (Thu) 11:05:37
ぱんださんへ。

こんにちは。みるきです。お返事ありがとうございます。そして、私の返事が遅くなってすみません。


正直、いろいろな方のやり取りが頭の中でこんがらがっていて、ぱんださんに伝えたかったことが何だったのか忘れつつあるので、ゆっくり思い出しながら書かせてもらってもいいですか(笑)

ぱんださんから頂いたコメントを見て、私の勘違いというか思い込みでの暴走の部分も一部あったみたいでそれについてはなんか申し訳なかったなと思ってます。
う~んと私が一番初めにコメントをしたときの気持ちなのですが、
①あすなろさんの言ってること、にわとりさんの伝えたいことがよく分かった。だから2人には内容に共感できるよ。そしてそれをリスクを踏まえて伝えた勇気をすごいと思うよ。と伝えたかった。
②だけど、それと同じくらいぱんださんの気持ちも伝わってきて苦しかった。内容どころじゃなくて、言葉というか表現方法というかとにかく文面がぱんださんをとても傷つけていて、ぐさぐさ刃物でも刺されてるみたいだろうな、痛いだろうな苦しいだろうな辛いだろうなと思って見ていられなかった。だから、自分としては1度話し合いをスローペースにしたかった。誰にも頼まれてないけど自分としては誰の気持ちも分かるし、その場の誰も間違っていなくてみんなが正しかったからあのまま傷つけあってほしくなかった。(←誰かのためではなくそう私が感じて私がそうしたかったから)
③自分としてはあれが最大限の配慮の文だった。←バカだから。今思えばもっと他にやりようもあったのかも。
④私の中では、にわとりさんとあすなろさんからは、内容分かってもらえてよかったです。確かに言葉はきついかもしれないですね。みたいなニュアンスの反応がくるかなと予想していて、ぱんださんからは、内容が全くはいってきません。とにかくしんどかったので1度休みたいです。みたいなコメントがくるかなと勝手に予測してたんです。
⑤にわとりさんから、言い方がきついことは十分承知しています。でもそれでも大切なことだからここでひくわけにはいかないんです。今まで、何度も言い方や伝え方に配慮して試行錯誤を繰り返したのですがどうにもうまくいかなくて。どんな言い方をすれば伝わるのかもう自分には分からないから、ありのままをストレートに伝えようと思います。自分にできることは全てをさらけ出して正直であることだけなんです。それしか私には方法がない。だから、忠告には感謝しますが私はこのままの方法を貫きます。というお返事を頂けて、あ~そうか、それだけの覚悟で全て分かった上で向き合おうとしているならもう自分は何も言うまい。余計なことを言うのはにわとりさんに勿論他のかたがたにも失礼だ。
となりました。
それと同時に、ぱんださんがあすなろさんに臭いものに蓋といっていたのを見て、たぶんここから私の妄想が大暴走:もしかして、また何か悪いほうにとられてしまったのだろうか(焦った)→てっきり、少しやわらかいやりとりになって場が一時和やかになるのかと思ったのに(焦り&場の空気がわるいことが単純に怖い。怖いは言い過ぎでもざわざわするというか落ち着かない。手に汗握る感じがある。)→もしやぱんださんは、私がアスペだからアスペに味方してぱんださんを攻撃しようとしていると思ったのではないか(そんなバカな。)→いや・・落ち着け自分。だって、私、誰かの味方はしないよってちゃんと書いたよね。→でもなんかぱんださんの印象がいつもと違うよ・・とげとげしてるというか・・なんか嫌だよ・・→私なんかした?そうか!くさい物に蓋がいけなかったのか!→パン打算ごめんなさい、私はまたなにかやってしまったんですね・・。となった
という流れでコメントしてます。
なので、通じてるのかが確認したくなりました。
その後のコメントで、なんとなく伝わっていて、なんとなく部分的にすれちがってるのかなと思いました。(笑)
にわとりさんのことなのですが、私はこの掲示板でのやりとりしか見ていません。なので、にわとりさんの今までの発言や人間性、いままでの人生何もわかりません。だったらしゃしゃりでるなとか見てからこいと思われるかたもなかにはいらっしゃるかな?とは思いますが、それでも言わせてください。
たぶんですよ。。完全に私の独善的見方なんですが、たぶんにわとりさんは、ぱんださんのことも他の定型の方のことも定型社会のことも誰か特定の個人のことも否定したり非難したりはなさっていないと思うんです・・。だったらなんだと言われると説明が難しいんですが。うーん・・なんというか私がにわとりさんに共感して肩をもってるといわれればそれまでなんですが、ぱんださんや定型の方が今、こういうこと言ってるんでしょ!?って思ってることが違うんじゃないかな・・という気がしてならないんです。なんでかというと、私に伝わってくるにわとりさんのメッセージをうまくいえないけどもしもちゃんとぱんださんに伝えられたら・・他の定型さんにも分かりやすく伝わったなら、きっと違う反応になるんじゃないかなって思うからです。たぶん、深くうなずいてなるほど、そういうことか。となる気がするというか。なんだか、的確に伝わりさえすればな~んだいろんな誤解があったよ。そういいたかったなら、もっとこう言ってくれればよかったのに。それならこんな回り道しないで言ってることに共感も納得もできたよ。となる気がしてならないです。
あくまで私の妄想ですが。ただその場合、どうやって伝えたら伝わりやすいのかが分かりません(笑)






あすなろさんとぱんださんへ

お二人の会話にお邪魔します(笑)。


>被災地を見て『大変だ。かわいそう』と他人目線で涙するのが『同情』被災地の人が日々こんなことに苦労しているんだろうな、耐えているんだろうなと、自分の体感に置き換えてみるのが『共感』この差は曖昧なのでしょうが、実感としては大きな違いがあると思います。そして、共感したものが『世の中を変えなくては』と願うことと、同情したものが『世の中を変えなくては』と思うことでは、非常に大きな開きがあると思います。

 ここはちょっとまだよくわかりませんでした。同情は上から目線で,自分を圏外において「かわいそう」と思っている「美しい私」に自己陶酔で,共感はまさに自分の問題として切実に感じ,行動せずにはおれなくなる,とかそんな意味のことでしょうか?


の部分に参加したいです。

あすなろさんへ
ここの部分、あすなろさんのおしゃっていること、よくわかります。本当に。(共感しましたということをお伝えしたいです。)

ぱんださんへ
私は超能力者ではないのであすなろさんの真意とは違うのかもしれませんが、たぶん限りなく近いことかなと思うことがあるので私なりの表現をさせてもらっていいですか。

私が、前回コメントした共同幻想のことです。
あの時書いた私がこうなってほしいという共同幻想への想いは、私にとっては夢物語ではないと書きました。わたしにとって、あれは自分の生死を決める切実な問題です。例えるならば、今私は海のど真ん中で死に物狂いで見つけた棒切れにしがみついてかろうじて浮いていられている、そんな人です。必死に耐えながら救助を待っています。どうか早く来てと願いながら。
中には、そんな状況でも泳ぎがとても得意な人がいてその人はかろうじて岩場とかちょっとした陸地まで自力で泳いでいくことができもう少し持ちこたえられそうに思えます。
でも私は泳げません。かなずちなんです(笑)。
その棒切れが沈むとき、高波が来たとき、私の気力と体力が限界を迎えたとき、私は死にます。
助けがきたらいいな、ではなく、助けがこなければ確実にそう遠くない未来死ぬのです。遠くないというより間違いなく近く沈むでしょう。
私にとって、その助けは、希望とか期待とかいつかそうなればいいな~という理想ではなく、一分一秒をあらそう死活問題なんです。
その助けが、明日ならなんとか頑張れるかもしれない。明後日なら死にそうになってもまだ耐えられるかもしれない。でも・・・いつかくる、とかきっとくるとか、一体あとどのくらい自分は頑張ればいいのか・・一体いつまで頑張ればいいのか・・ずっと頑張ってきた。今だって必死にもがきながらしがみついている。もう気休めの言葉よりも具体的な日数を教えてほしい(←ぱんださんの言葉が気休めだ!といいたいわけじゃないです。すごくありがたいし、優しさだとわかってる。嬉しいし励まされたし感謝している。だけどもうそれを待てるだけの力が私にはもう残されてはいない・・ということです)
私はもう限界寸前です。もう、時がない・・もう待つだけの余裕がないんです・・。(←この物語上の人物の話です。私(みるき)はまだもう少し、余力がありますのでご心配には及びません(笑))

と。そういう話ではないかと思います。たぶん、ぱんださんはまだまだ持ちこたえられる強い人です。
体力もあるし知力もある。弱いところがあっても十分それをカバーできる。
だけど、そうなれない人もいて、その人たちはもう何秒とか何分とか何日とかそういう単位で変化というか助けを必要としている。自分がどれだけ耐えられるか・・今のところ自分しだいかな。
まあそれは皆同じことだし、そんなのはよくあることなんでしょう。←ぱんださんに言ってない。嫌味でも当て付けでもない。私自身もまあそういうものだと思う部分もあるという話です。
だけど、弱い順に切り捨てていって、順番にいなくなっていって、そしたらいつか、今自分には関係ないと思ってる誰かの番だって必ず来る。誰だって切り捨てられたくなんてない。
だから、今、変えませんか?今、みんなで真剣に向き合いませんか?という話です。
私が以前、目を背けているといったこと(結果としてパンダさんに失礼でした。すみません。ごめんなさい。)は、この部分についてあまりにも温度差があるように思えるというところに対して思ったこと言いたかったことだと今思いました。ぱんださんは確かに目をそらしてなどいなかった。それを何であなたは見ようとしないんだと責めてるように書いたこと(そんな風に書いたつもりはなかったのだけど、結果としてそのようにぱんださんに届いたのだろうと思います)、ぱんださんの今までの人生とか努力に泥を塗るような言い方?表現になってしまったこと、謝ります。失礼でした。すみません。
ただ、もう本当に私たちには時間がないんです。
たぶん、にわとりさんが繰り返し伝えようとしておられることも全く同じとはいかなくてもそういうことに近いんだと私は勝手に感じていますよ。





にわとりさんへ。
余計なことはしないといったのに、余計なことをしてしまってすみません。
コメントいただきましたが、私は不快に思ってはいません。安心してください。
私はただ、にわとりさんが心配だっただけです。
にわとりさんが伝えたいであろうことがあまりにも分かりすぎて、共感しすぎてシンクロしたというか、胸がいっぱいになってしまって・・にわとりさんは今までどれほど頑張ってきたんだろう・・そしてどれだけ否定されてきたんだろう・・そう思ったら勝手に自分を重ねてしまったという話です。
私自身がにわとりさんの文章から直接嫌な感情を受け取ったり、不快に感じたりマイナスな印象を持ったりはしていないです。分かりすぎることが、そしてそれが伝わらないことが苦しいだけです。心配しないでください。

Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2016/02/18 (Thu) 12:53:11
>パンダさん、みるきさん

別スレにパンダさんへのお返事書いておきました。
みるきさんのコメントに対しても、私の回答になっているとおもいますので、ご覧ください。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/18 (Thu) 18:13:03
アスペ男さん

実際の姿は大手企業に勤める男、親元で暮らすニート、想像とかけ離れた人物による嫌がらせである可能性も高い

すべて違います。知的障害を装っていませんし、嫌がらせ目的でも来ていません。

仕事のやる気はありました。本当にできなかったこと、実際にそういう人がいること、あなたの想像のわからな範囲ではわからないだけです。

発達障害の診断は受けましたよ。本当にリア充だったらここには来ないから。

勝手に人のことをあることないこと言わないで下さい。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/18 (Thu) 18:22:07
ちなみに筋トレはやっていますよ。トレーナーに見てもらいながら数年やってますが、全く筋肉はつきません。

服や化粧はパーソナルスタイリストに頼んで教えていただきました。

その上で言われる事実があること、努力不足ややる気のなさで片づけないで下さ
い。

やらない、やりたくないのではなく、できないというのは嘘ではありません。

再び言いますが、私だけでなく、発達障害全体の名誉を傷つけてます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzeme
  • 2016/02/18 (Thu) 19:23:05
アスペ男さん

あなたは元夫そっくりですね。
私も家事効率が悪くて人の倍時間がかかる、料理は火加減とか味付けがうまくできなくて、掃除はにわとりさんとまったく同じでした。
育児と家事の両立ができませんでした。
料理教室行ったりとか毎日毎日どうしたら家事効率がよくなるかなんて考えてもよくならなくて元夫から散々文句を言われました。
何より子供がいるとそっちの方にリソースを食われて家事どころじゃなくなります。
それをわかってもらえずにアスペ男さんと同じことを元夫から散々言われてうつ病になりました。

アスペなら気持ちがわかるからそんな言い方はしません。あなたはアスペを装った定型でしょう。
にわとりさんの立場を悪くして追い出すために、怠けているとか外見をよく見せようと努力しないと屁理屈つけながら事実をでっち上げて他の見ている人にそれを信じ込ませようとする。アスペの立場だと偽って言ったほうがにわとりさんが怠けていると印象付けることができますよね。
さらには自分が昔荒らし行為をしているとの話を元に、にわとりさんが障がい者を装って荒らし行為をしているとでっちあげて皆を信じ込ませようとしているのではないですか。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • suzeme
  • 2016/02/18 (Thu) 21:20:21
結婚についてですが、私はにわとりさんを否定するつもりはありません。

私自身も結婚適正がないのに結婚したアスペの立場でした。元夫にはかなりの負担をかけました。同時に障害を理解してくれなかった元夫への恨みもありました。

私の見解はその人のメンタル状況によって集まる人も変わってくるんだとおもいます。類は友を呼ぶということですね。
前夫も私もメンタル問題があったのでしょうね。
今の夫とは上手くいっていますが、この先もこの関係が続くのかは分かりません。ただ今の時点ではメンタル問題が絡んだ結婚ではないと思っています。

Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • すずめ
  • 2016/02/18 (Thu) 23:40:02
最後に先日のコメントと今日のコメントと矛盾しているように見えてしまうので訂正させてください。

にわとりさんの意見は一部否定するつもりはありません。
アスペが結婚適正がないというのもそういう人もいると思います。少なくとも私はその中に入ります。
メンタル問題が絡んでいる結婚が供依存に陥っているのはあたっていると思います。少なくとも前の結婚はそうだったと思います。

しかしアスペ定型同士の結婚については必ずしもメンタル問題のせいだとは言い切れないと思っています。
にわとりさんはご結婚経験がないのでわからないのは仕方ないと思いますが、そこはにわとりさんの知ったかぶりだということです。そこはにわとりさんに問題があります。

kagewariさんという方は心理学の専門家かもしれませんが、結婚経験があっておっしゃっているのでしょうか?
kagewariさんがもし結婚したことがない方だったとしてもにわとりさんとは見解が違うかもしれませんよ?そこは考えたことはありますか?
kagewariさんだったら納得いくような答えをおっしゃるかもしれませんが、心理学の素人であるにわとりさんが発言するのは安易過ぎました。

批判覚悟で話されるのは結構ですが、結婚論に関してはにわとりさんの知識は無知に等しいです。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ひばり
  • 2016/02/19 (Fri) 12:02:14
議論には触れませんが、一点だけお許しください。

アスペ男さんへ
いくつか突っ込みます。

〉掃除の仕事をしている時に「自分にはどうしても、障害でできないことがあった」と言っていますが、それは嘘です。やりたくなかっただけです。

あなたはやりたくなかっただけだとしてもにわとりさんがそうとは限りません。
うちの弟や従妹もアスペですが、障害だからできないことばかりです。やりたくないから力を注いでいないのとは違います。

>知的能力が高く、体は不自由なく動ける。インターネットで一日に何度も書き込めるほどの集中力と読解力がある。

そこまでにわとりさんを随時観察しているあなたも暇人ですね。
うちの弟は物を作るのが大好きでものすごく集中力を発揮してましたが、年長になる姉の子供と同じような出来でした。
集中力はすごくて職人や工場で働いたこともありましたが、クビになりました。
体が動けて集中力があったから仕事ができるとは限りません。体力と集中力は体の動きに連動しないからです。あすなろさんのおっしゃっている協調性運動障害です。

>体力がないのは言い訳になりません。毎日腕立て伏せや腹筋をしていれば、間違いなく筋力がつきます。時間もあるはずです

http://noburinn.blog.shinobi.jp/Entry/140/
協調性運動障害がある方のブログです。うちの弟や従妹も筋肉はつきません。そういう人もいるんです。

>容姿を気にするのであれば、中古の服をインターネットで買っておしゃれをして、化粧の腕を磨けば良いだけ。

姉バカですが、うちの従妹や弟は顔立ちはむしろ良い方だと思います。しかしにわとりさんと同じく、独特な雰囲気があるために心無い人からからかわれることがあります。化粧や服でどうになる問題ではないですよ。
それに化粧は不器用な人には厳しいです。アイラインのキワを塗ろうとすれば何故かパンダみたいな目になり、マスカラは上に上がらない、つけまつげをつければすぐに落ちる、私達には何故できないのか疑問でも女達には難しいことなんです。

>自己正当化のための詭弁としか思えません。やりたくないことに力を注ぐことができないという気持ちは分かる。私もアスペなので、やりたくないことはできればやらないで済ませたい。

ご自分の狭い視点から勝手にきめつけるのはやめましょう。
あなたはそうでもにわとりさんはそうだとは限りません。
うちの弟や従妹もやりたくないことに力を注がないなんてことはありません。むしろ人の何倍も努力しています。それでもできない現実があるんです。

自称アスペのあなたが言うことで他の人が真に受けることもあるので、間違った知識を植えつけないでください。

皆様申し訳ありません。アスペの身内を持つ者としてどうしてもこれだけは我慢できませんでした。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • アスぺ男
  • 2016/02/19 (Fri) 13:36:00
要請により非公開にしています。 管理人
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • みるき
  • 2016/02/19 (Fri) 13:44:36
にわとりさんへ。こんにちは、みるきです。

にわとりさんの結婚観(定型とアスペ)について私はこう受け取りました。ということを書いてみるので、近いですとかぜんぜん違いますとか何か感想を聞かせてもらえると嬉しいです。余裕があるときで大丈夫です。


にわとりさんを自分に置き換えて文章を作りたいので、にわとりさんのことを以下「私」と表現します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の前提として、定型とアスペの夫婦でもうまくいっている、もしくは誰もがそうであるようにお互いささやかなすれ違いや問題があったとしてもそれでもお互いがお互いを尊重しあって仲良くやっていきたいんだという夫婦については何もいうつもりはないです。
その場合はとても素晴らしいことだと思っているし何か問題があってもうまくいくといいねと応援しています。
私が問題としているのはそういう人たちのことではないのです。
例えば、ブログを見ていると定型さんがアスペさんを宇宙人扱いして馬鹿にしていたり、アスペさんの悪口を言ったりしているものがあります。(事実は分からないが、私にはそのように見えてしまう)そういうのをみると私は思ってしまうのです。縁あって結婚し、せっかく2人で生きていきたいと思ったはずなのにどうしてそうなってしまうのか・・と。どうして、相手の特性を分かろうとしたり向き合おうとはしないのだろうか・・それほどまでに、アスペの相手が憎いなら、嫌いなら、お互いのために分かれたほうが幸せだろうに・・。幸せは人それぞれだから、2人がそれで幸せなら何も口出しはできないけれど、悪口を書いて馬鹿にして・・それでも離れられないで一緒にいるなら、その定型さんになにかメンタルの問題でもあって、共依存にでもなってしまっているように思えるんです。
反対に、定型さんがずっと我慢していて、そのことにも定型さんが傷ついて苦しんでいることにも何も感じず何も気づかないのであれば、それはそのアスペさんに問題があるし、どんなに言っても変わらないのなら、それは、定型さんの努力不足ではなく、そのあすぺさんの結婚適正がなかっただけだと思います。

全員とは言いませんが、やっぱり、違う感覚の者同士が交わるというのはとても大変なことですし、並大抵のことではないのだと思います。
双方傷つくだけで終わってしまうと分かっているのであれば、前述の例の夫婦であればもしかすると、
kagewariさんなら定型の人に、あなたの気持ちも分かるよ。だけど、まずはアスペさんの悪口は止めようよ。とたしなめ、その後二人の関係がよくなればそれは幸運なことですし、もしも再構築は無理だとなったら定型さんのメンタルケアをしてから別な方との結婚をすすめると思います。
そして、定型さんの声を聞こうとしなかった後述のアスペさんには、あなたは、結婚の適性がなかったのだから、結婚は諦めたほうがいい・・。ひいては、「結婚は誰もがするもの。または、したほうがいいもの。または、結婚している人は素敵な人で、結婚してない人は変わり者。」という世間の共同幻想には関わらなくていいんだよ、あなたはあなたでいいんだよ。と言うでしょう。
アスペさんには、社会で生きるために、単独者として1人で生きること、そして、あまり人と関わらないことをすすめます。
もしもアスペさんと定型さんが結婚したいなら、お互いの特性についてお互いに理解を深める必要があるし、お互いに具体的な妥協案を考える必要があると思っていて、例えば、定型さんがアスペさんに何か言うときはあいまいな表現は避けてはっきりと具体的に表現するとか、アスペさんにはできない部分や苦手なことがあるんだということを定型さんが知っておくとか色々工夫が必要なのだと思います。
だけど、実際には定型さんがそこまで理解するのが難しかったり、感情的に耐えられなくなってしまうということがよく起こることも分かっています。そうなると、やっぱり社会と同じでどうしてもアスペさんが自分を押し殺して家の外でも中でも自分を出さずに定型さんに合わせるしかなくなってくると思うんです。
でもそれだと、いつかアスペさんは壊れるか爆発してしまうので、やっぱりそう考えるとアスペと定型が同居するのはなかなかに難しいという現実があるのではないでしょうか・・。

そもそも、結婚制度自体が共同幻想の1つとして作られたものであるのだから、そもそもそれほどまでにお互いに苦痛を重ねてまで既存の結婚生活を継続させる必要があるのでしょうか・・?
例えば、結婚していても適度な距離を保つために別居や週末婚をしてもいいわけだし、どちらも実家にいてお互いに通い婚でもいいわけです。それができないということ、それではおかしいと思うこと自体が私たちが常識とか共同幻想にとらわれているという確たる証拠ではないでしょうか。

今回はたまたま結婚の話でしたが、本当はそういう問題はいくつもあって、
定型の人は定型の人で自分たちの常識を見直すとか疑問を持つとか、本当にそれは必要なことなのか考える必要だってあると思うし、反対にアスペの人だって、自分の中の思い込みを捨ててもう少し価値観を変えてみる必要があるのだと思います。

お互いにそれをする作業は時間もかかりますし心身ともに労力を使ってしんどいことではありますが、特にアスペの中には今にも死にそうなくらいの状況に追い詰められてる人もいると思うので、お互い本当に大変だとは思いますが、そのくらいのことをしなければ、定型とアスペの問題の本質にはたどり着けないのではないのかなと思うんです。
以下略。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私(みるきに戻ります)は、にわとりさんはこう言っているのではないかと単純に思ったわけですが、にわとりさん、これであっていますか?
たぶん、にわとりさんがこれを読んだら、だからそう言ってるでしょ。そう書いてあるでしょ。と思われるかなと思うのですが、なんだか、他の方、特に定型の方には少し分かりにくかったみたいなので、勝手に解釈を加えて表現を変えてみました。
もしも、ぜんぜん違う、分かってないということがあったら、教えてもらえたら嬉しいです。






水入り
  • 管理人
  • 2016/02/19 (Fri) 13:53:54
この掲示板には現在水入りの提案が入っています。
しばらく投稿はお控えください。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • にわとり
  • 2016/02/19 (Fri) 17:54:13
管理人さん

個人的にパンダさん達に怒りは訴えましたが、他の人と連絡を取り合ってこのサイトを潰そうとは思っておりません。
そもそも書き込みを控えようと思っていたらアスペ男という男が事実とは反したことをでっち上げて私や他の人をを陥れようとしてるから黙ってられません。
アスペ男という人の言ってることは最初の投稿から全て事実とは違います。

パンダさんはイヤかもしれませんが、一つお願いがあります。
他人の事実に反する決め付けを主張し続ける人が今後もいたら何らかの処置をしていただきたいです。お願いします。
アスペ男さん
  • パンダ
  • 2016/03/06 (Sun) 08:40:48
にわとりさんから反論がありました。こちらに載せてありますので,ご覧ください。


http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-1c9e.html
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/06/23 (Thu) 19:39:33
お久しぶりです。momokoです。
パンダさんと話し合いたいと思っていましたが、なかなか時間が取れず、パンダさんもお休みされているので控えていました。
今回はパンダさんとのお話ではなく、個人的な感想を言わせていただこうと思います。

古い話ですが、にわとりさんがおっしゃっていた共同幻想の話です。
kagewariさんのブログを拝見していてこの方のおっしゃる意味が少しわかったように思います。今回感じたことはパンダさんもにわとりさんも他の方々も全て中途半端だと思いました。

まずはにわとりさんへ。

にわとりさんがもし「共同幻想に適応を望んでいたのであれば」パンダさん達に刃向かうのは全て間違っていたということになると思います。
にわとりさんが「共同幻想適応を望んでいなかったのであれば」パンダさんに頼ること自体が間違っていたんだと思います。
共同幻想社会に適応しなければならないとは限らないとKagewariさんのブログにも書いていましたよね。にわとりさんが定型優位の感覚を押しつけられたくないならはじめからパンダさんに頼るのは間違っていたということになるのではないでしょうか。
パンダさんは「共同幻想の理論を教えていた」のですから。にわとりさんはそれを承知で受けていたのではないでしょうか?
なので、刃向かったにわとりさんが悪者になるのは「共同幻想論としては当然」のことなんだと思います。

そしてコクーンさんから言われた言葉も「アスペを理解していない」と怒るのではなく、「共同幻想適応に入るための叱咤激励」として受け入れないといけなかったんだと思います。
コクーンさんの仰ることもにわとりさんが共同幻想に適応したいなら甘えるなとのことですから、あくまで「共同幻想の理論から見れば」正しいと思います。
にわとりさんから共同幻想論を教えてくれと頼んだにもかかわらず、自分が気に入らないことを言われると反論や批判をするのは「共同幻想視点では(定型的な感覚から見れば)」でにわとりさんは共同幻想に刃向かう生意気な奴、パンダさんや親切にアドバイスしてくれる人に対して恩知らずな奴だとなるんだと思います。
だからパンダさんがにわとりさんに対してだけ厳しい態度もになるのは「共同幻想の見方では」正しい行為となるんだと思います。

私も当事者ですからにわとりさんが努力不足とか障害にあぐらをかいているとは思いません。
ただ共同幻想を選択するのであれば、定型側のどんな無理解に聞こえる言葉でもありがたいお言葉として受け入れなければならないという意味です。
これは以前ににわとりさんご自身が仰っていたことでもありますね。
kagewariさんのブログで共同幻想論を勉強していたのに実行ができていないのであれば、口先だけだと思われるのではないでしょうか?

そしてパンダさんや定型の感覚をお持ちの方が定型宣言、定型的な感覚を大事にすることは否定しません。共同幻想の(定型的な)つながりを大事にすることは誰にも強制できませんから。
パンダさんが共同幻想社会(定型優位の社会)を選択し、その理論を教えている、それをこれからもそのつもりだというなら、今のスタンスでブログを続けて良いと思います。
なので、にわとりさんのような方に対して厳しい態度になるのは当然のこととなると思います。

しかしアスペ定型が共に生きることを模索するなら、共同幻想の概念(定型的な感覚)は全て捨て去らないといけないということになるのだと思います。そして一旦ブログをお休みしてパンダさんが定型的な感覚を捨て去ってから単独者としての感覚を身につけてからブログを再開するべきだということです。
ただ単独者自体は定型的な繋がりや人と関わることをしないとのことになるので(互いの個性を尊重し、各自が単独行動となる)、パンダさんは今大事にされている定型的な感覚やつながりをを全て捨てることは無理ですよね?
それに他の方のご指摘にもあったようにパンダさんも特定の方に対して独善的な見方が強いように感じます。「アスペと定型の共存を模索するのであれば」にわとりさんに対してだけ態度が厳しくなるのも間違っているということになるんだと思います。
パンダさんは色々反論なさるかもしれませんが、「共同幻想の視点から見れば」にわとりさんは間違っていることになりますが、「共同幻想の視点から外れた見方であれば」にわとりさんの仰ることは間違っていないと思います。

パンダさんは定型的な判断で物を判断されていますから、そのスタンスでアスペ定型が共存するとのスタンスでブログ運営をするのは無理があると思います。
しかしパンダさんが定型的な感覚を捨て去れないのであれば、他の方がおっしゃるようにアスペと定型が共存するためのブログではなく、定型優位でのブログ(アスペが定型の感覚を身に着けるためのブログ)で運営をやり直すべきだと思います。

定型優位の社会で定型の方が適応できていないアスペの悪口やにわとりさんの批判を言うのは「共同幻想の視点で見れば」正しい行為となるのですが、定型とアスペとの共存を模索しているスタンスの方がにわとりさんやアスペ側言うことを悪いようにしか捉えられないのであれば、間違っていると思います。

以上の理由で今回は定型側もパンダさんもにわとりさんも全て間違っていたということだと思います。
そういう私も共同幻想(定型社会)の意味をわからずに書き込みをしていました。

失礼します。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/06/23 (Thu) 20:56:20
momokoさん

 うまく伝わるといいのですが。

 拝見して,「お,これは!」と思って読み始めました。私から見てすごく重要なポイントに正面から突っ込まれたような気がしたからです。

 ただし,途中から「うーん」となりました。以下少しご説明します。

 まず,共同幻想という考え方それ自体に,いろいろなとらえ方があります。にわとりさんなどが理解したのは「共同幻想」によって定型的な社会があって,それはまさに「幻想」でしかなく,ただその「幻想」によって定型社会が成り立っている,という理解ですね。逆に言えばそういう考え方はその対極に「真の世界」があるのだ,私は騙されていない,という仮定を暗黙の裡に持っていることになります。

 これは比較的理解しやすい共同幻想の考え方だろうと思いますし,多くの方がそういう形で議論したと思います。

 私自身はほとんど共同幻想について書いたことはなかったと思いますし,自分自身の考えをせつめいするためにその言葉を使ったこともなかったはずです。なぜなら,上のような意味での共同幻想の考え方は私はとらないからです。

 私は共同幻想という言葉は比喩としてしか使いませんが,仮に使うとしても,その前提にあるのは,にわとりさんの議論も,momokoさんの今回の議論も,すべてが共同幻想だ,という考え方になります。つまり,あるのは(×あるには×を修正)「共同幻想の質の違い」であって,共同幻想かそうでないかの違いではないわけです。

 ですから,問題は共同幻想に入れるかどうか,ということではなく,定型的な共同幻想とアスペ的な(といってもさまざまであることがますます明らかになってきていますが)共同幻想のずれの問題です。私が一貫して問題にし,考えてきたのは,そのずれの問題なのですね。

 なお,私の理解では,このような共同幻想をめぐる視点の違いは,定型とアスペの間の違いではないと思います。定型でも上のような共同幻想の考え方をする方はたくさんいらっしゃいますし,逆にアスペの方でもそうでない方もあると(具体的に誰がということは指摘できませんが)考えています。

 ただし

>今回は定型側もパンダさんもにわとりさんも全て間違っていた

 この結論には賛成します。これまでの私の考え方ではどうしようもない限界がはっきりしてきたということですし。その限界が何なのかについてはそう簡単にはわからないと思いますが。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 宇宙人
  • 2016/06/26 (Sun) 14:54:00
パンダさんが壊れるからとのことで定型宣言されたようですが、パンダさんだってにわとりさんやアスペの方を傷つけ、ボロボロにしているんだから人のことを言えないじゃないですか。

>「拝見して, おこれは!」と思って読み始めました。
>私から見てすごく重要なポイントに正面から突っ込まれたような気がしたからです、ただし,途中からうーん」となりました。
前半はにわとりさんに対して厳しい意見だったから食い入るように読んだのに対し、後半はパンダさん達のことも書かれていたから腑に落ちなかったような印象を持ちます。
パンダさんは本当は心の中では「定型者は当事者じゃないんだからアスペのことが全てわかるわけじゃないんだ。定型者は親身にアドバイスしてくれてるんだから努力不足などと言われても受け入れ、感謝すべきだ」とおっしゃっているように聞こえます。
パンダさんが定型宣言という開き直りをされたのも定型者の方が無理解な言葉を言うのを正当化するためのものでもあるのでしょうね。
一方でにわとりさんにはちょっとしたことで容赦ない態度を取っていますね。
パンダさんは苦情は一定数の割合で来るものだとのことで切り捨てようとされてますが、パンダさん達を理解できない人が一定数いるのではなく、パンダさん達の差別的な部分がアスペ側の反感を買うんですよ。
パンダさんが自分は正しいと思ってにわとりさんに意固地になる、定型者だからわからないのは仕方ないとの開き直り、そんな態度ではいつまで経っても本当の意味でのアスペと定型の歩みよりはできないでしょうね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/06/26 (Sun) 21:01:09
宇宙人さん

 残念です。

 ここまで繰り返し,そういうことは言っていませんよと申し上げても理解がされないのですよね。何を言おうが何を書こうが,そうしか見えないということなら,何を言っても通じないことになります。具体的にこの表現がそう見えるという話ならまだ応答の可能性もあるのですが,ただ決めつけの解釈を書かれても,応答のしようがないわけです。このことも繰り返し書いてきたことです。

 別に私はアスペの方をちゃんと理解できるなどと書いたことは一度もありませんし,理解できないという立場を貫いてきています。部分的に理解できることもあると喜んでいただけです。

 アスペの方が努力不足などと決めつけていったことも私は一度もありません。このことも繰り返し書いてきました。それは確認されればわかることです。

 どういう意見を持たれてもそれはその方の意見ですから,かまいませんが,明らかに事実に反することで人を攻撃することはよくないことです。このことも繰り返し書いてきました。

 ということで,宇宙人さんの書かれたことには,すでにすべてお答えしていることで,何も付け加えることはありません。あとはそういう一切の説明を無視して,単に根拠を示さずに宇宙人さんが決めつけて攻撃しているというだけのことです。反論にも何もなっていません。それは明らかにマナー違反ですし,そういう決めつけによって,話が混乱するわけです。

 もう一度ゆっくりご自分の文章を読み返してみてください。そして私が実際に書いていることと対比してみてください。そうすると,完全に独り相撲になっていることがわかるはずです(というかわかってほしいと切に願います)。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/06/28 (Tue) 18:29:57
momokoです。

私の書き込みが原因で荒れてしまったなら申し訳ないのですが、一部のアスペの方もパンダさんも勘違いなさっているところがあります。
アスペの方々が努力していても仕事ができない、社会になじめないという現実を承知の上で書いています。
普通はなかなか理解されないのだと思いますが、kagewariさんのブログもにわとりさんの解釈も間違ってはいないと私も思っています。

現在の定型社会も定型的な概念は共同幻想の概念であり、軍隊が適応すること、結果を出すことが前提でできているとにわとりさんがお話されていたと思います。
「努力は当たり前」であり、定型的な概念が身につけられていない人や仕事ができない人がたたかれるのは「正しい」ということなんだと思います。
共同幻想を適応する以上は「努力不足」「やる気の問題」だと言われても、「(障害によるハンデは関係なしに)結果を出せない物は『反論する権利はない』」とのことになります。
なので、アスペが「屁理屈ばかり」「できないくせに口だけは達者だね」と嫌味を言われても仕方ないとの理屈になるのだと思います。

パンダさんの場合は、定型的な概念での人とのつながりを大切にされている部分があるのですが(共同幻想の概念と同じだと思います)、一方では「アスペの方が努力不足だとは言っていない」とおっしゃっていて、中途半端なスタンスなんだと思います。
定型的な概念を捨てられない以上はアスペには心を鬼にして「結果を出せるようになるまで努力しないといけないんだ」と(叱咤激励もこめて)言うのが本当のスタンスなんだと思います。
もし今までどおり「アスペの方々が努力してないとは思わない」と仰るのであれば、パンダさんが定型的な概念を全て捨てて、集団から離れた価値観を模索しないといけないのだと思います。
パンダさん(だけでなく他の人も同じですが)は定型的な概念を持ちきれていないし、かといって定型的な概念を捨て去れていない、中途半端なスタンスだと思います。

一旦切りますね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/06/28 (Tue) 19:15:50
(続き)

定型、アスペにかかわらず、定型者優位の共同幻想を選択するのか、共同幻想から離れた(定型的な概念を捨て去った)見方を模索するのか、とにわとりさんがお話されていたと思います。

完全な例えではないですが、定型(共同転送適応者)がキリスト教徒、アスペがイスラム教徒、どこの宗教にも染まっていない人(単独者)がいたとします。
自分の宗教に染まっている、その思想を持った状態で、根本から交わるのは限界があるのは自然だと思います。
もしキリスト教徒になりたい、キリスト教の人たちと仲良くなりたいと思うのであれば、イスラム教の価値観を心から捨て去ってキリスト教の思想を心から身に着けないといけないということになるのだと思います。
お名前を出させていただきますが、ガーディナーさん(ガーディナーさんの心の中は分からないのであくまで私の印象だということを断っておきます)がその一人だと思います。
そこに少しでもイスラム教の思想があるのであれば、キリスト教徒からの教育は必然的になると思います。
相手はキリスト教になりたいと思ってるのだと信じてるので、一生懸命教育しようと思うのではないでしょうか。
そこで「イスラム教の思想の何が悪い!」と反論したら、分かりますよね。

またパンダさんが常に仰っている、定型とアスペのズレの問題も、イスラム教徒がキリスト教になじむために互いの宗教思想の違いを知った上で、キリスト教に入るのであれば有効だと思います。
しかし自分の宗教思想を心から捨て去れない状態で、お互いの宗教思想の違いを見つけ、交流を図ろうとするのは限界があると思います。
共同幻想自体は自分の共同幻想のために存在するのであって、互いに交わるためにできていないからだと解釈しています。

互いの共同幻想を攻撃せず、尊重し合うといったことはあると思いますが、心の底から交わるのであれば、お互いに心の底から自分の宗教思想を捨て、単独者的な考え(宗教から離れた価値観)を持つところからはじめないといけないと思います。人とのつながりも定型的な概念から離れたところから考え始めないといけないと思います。

しかし私も含めて宗教思想は簡単にすてられないので、難行苦行のような修行を何十年とすることになると思います。
さらには今の友人関係などを変えるなどのリスクも出てくる人はいると思います。
それでも違う宗教の人や宗教に属さない人を理解し、交流しようと思ったら、そのくらいの修行をしないといけないのだと思います。
パンダさんも皆さんもそれを分かっていて努力なさっているのだと思いますが、それでも中途半端な考えやスタンスであると思います。言い争いがなくならないのもそれが原因だと思います。
私もその一人です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/06/28 (Tue) 19:45:08
ぱんださん

momokoです。
一部のアスペの方にも問題はありますが、私もにわとりさんに対するスタンスはパンダさんの個人的なメンタル問題が絡んでいる印象を受けます。
もしメンタル問題がない人がない共同幻想適応者であれば、にわとりさんだけでなく、アスペ全体に対して厳しい態度になると思うからです。

パンダさんが「アスペ側からはどんなに無理解に聞こえるものだったとしても、定型社会では正しいことなんだ。社会とうまくやりたいのであればどんな人の言うことも無条件に受け入れなさい。社会になじめない中で文句を言うのはご法度だ」とにわとりさん、全ての社会になじめない人に対して言っているのであれば分かりやすいです。
それであれば「にわとりさんが悪いよ」「反論するアスペが悪いよ」と言えます。

しかしパンダさんは「にわとりさんのいじめの全てが被害妄想とは言っていない(中にはにわとりさんの誤解も含まれていると思うが)」とか「努力不足とは言っていない」と言い、一方ではにわとりさんに努力不足だとかやる気の問題だと言って来た人に対しては何の忠告もせず、ただ反論するにわとりさんに「規約を守っていない」「誹謗中傷している」と仰るからにわとりさんは混乱なさったんだと思います。パンダさんのスタンスが分かりにくいんです。
にわとりさん個人に対して厳しいから私もパンダさんが独裁的な感じの印象がするとの意見が出るのも致し方ないかなと思います。

そして
>「真の世界」があるのだ,私は騙されていない,という仮定を暗黙の裡に持っていることになります。

ここも私が言いたいこととは一部違うところがあります。
個人的には真の世界だという概念は存在しないと思います。
幻想に染まっていない人は少ないように思います。
ただ集団の思想に染まっている(集団的な幻想)か、集団になじめない人であれば個人的な妄想(メンタル問題を抱えた人の個人的な幻想)の違いだと思います。
中には集団に染まらず、自分の考えを持ちながら、一匹狼的なスタンスで社会と共存している人もいるとは思いますが、少数だと思います。その人たちは幻想には浸っていないとは言えるかもしれませんが、それが真の世界だというのは違うと思います。
真の世界という概念が新興宗教の概念だと個人的には感じます。

あと共同幻想自体はなくならないと思います。お互いの宗教思想(共同幻想)への干渉や攻撃などといった不必要なものがなくなるのだと解釈しています。
ただ互いに心から交わるとか理解し合うなどといったこととは違うと思います。あくまで互いの領域には踏み込まないということだと思います(仕事に影響する場合はアスペが定型の仮面を被るか、定型がアスペの特性を理解して調整するしかないですが、プライベートでは互いに距離を置くといったスタンス)。
アスペと定型の交流を考えるのであれば、何十年と難行苦行を重ねて互いに自分の宗教思想を捨てないと前進しないと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/06/28 (Tue) 20:18:06
個人的な話をさせていただきます。

色々あって夫と離婚しました。夫には他に女性がいたようですが、そのことには何も触れずに離婚しました。
通常であれば、どんな理由があっても不倫はいけないから慰謝料をとりなさいとかアスペのmomokoと一緒に暮らして夫も嫌気がさして不倫したのだろうと言われると思います。
しかしどちらも定型的な概念(アスペも共同幻想の道徳に洗脳されているために本来はどちらも関係ないかもですが)であって、本来はどちらも間違っているのだと思います。

私は共同幻想の何たるかも知らず、共同幻想社会の感覚も身につけられないまま、定型の夫と結婚してしまいました。
夫もメンタル問題を抱えていたから私と供依存状態で結婚してしまったのだと思います。
彼にメンタル問題がない定型者(共同幻想適応者)であれば、はじめから定型者(共同幻想適応者)の女性を選んでいたと思います。
結婚制度は共同幻想社会が作った制度、それも共同幻想になじんでいることが前提で作られていたものだったのに、共同幻想や結婚にこだわっていた私自身もメンタル問題があったということなんですね。
もともと無理があった結婚だったのだから上手くいかなかったのが当たり前だったのだと思います。

もし私や夫が共同幻想の概念から離れた考えの持ち主で、共同幻想適応者とも上手くやれている人物であったら、結婚という形にこだわらない関係を築いていたかもしれません(お互いに別の相手とですが)。

私自身は今後は共同幻想の感覚を身に着けようと必死になっていますが、定型の概念が分からずに苦戦しています。
にわとりさんが仰っていたように障害は何の理由にもならず、結婚したいのであれば、問答無用で定型的な感覚を身に着けないといけないのでしょうし、できなければアスペの方は結婚するべきではないということなのだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/06/28 (Tue) 20:39:56
momokoさん

 うまく話が噛み合っていない部分がいろいろあるように思いますが,そのことを考える前に,できるだけmomokoさんの話を理解しておきたいので,まずは次について,もう少し教えていただけますか?

>ここも私が言いたいこととは一部違うところがあります。個人的には真の世界だという概念は存在しないと思います。幻想に染まっていない人は少ないように思います。ただ集団の思想に染まっている(集団的な幻想)か、集団になじめない人であれば個人的な妄想(メンタル問題を抱えた人の個人的な幻想)の違いだと思います。中には集団に染まらず、自分の考えを持ちながら、一匹狼的なスタンスで社会と共存している人もいるとは思いますが、少数だと思います。その人たちは幻想には浸っていないとは言えるかもしれませんが、それが真の世界だというのは違うと思います。真の世界という概念が新興宗教の概念だと個人的には感じます。

 ここでmomokoさんは「個人的には真の世界だという概念は存在しない」ということと,「幻想に染まっていない人は少ない」という二つのことを述べられていて,まずここがちょっとわからなくなりました。

 「個人的には」というのはmomokoさんのことで,momokoさんは真の世界という概念は前提として持たない,という意味ですよね?仮にそうだとすると「幻想に染まっていない人は少ない」が分からなくなります。「少ない」ではなく「いない」ならすっきりしますし,それは私の意見と同じということになるのですが。

 同じことで「その人たちは幻想には浸っていないとはいえるかもしれません」ということも,「真の世界はない」という前提を立てると成り立たなくなると思うので,ここもよく分かりません。さらにその直後に「それが真の世界だというのは違う」と言われていて,この「それ」というのが「一匹狼的なスタンスで社会と共存している人」の「自分の考え」を指すのだとすれば,「幻想には浸っていない」けれども「真の世界」ではない,ということでよく分からなくなります。

 momokoさんがここでおっしゃっていることは「真の世界」=「幻想ではない世界」ではない,という理解が前提になっているのでしょうか?そういうことならば上の文章はもしかすると筋が通ってくるのかもしれませんが,その場合,「幻想」VS「真の世界」という対比ではない形で,どんなふうに「幻想」と「真の世界」を理解されているのかがまだ私にはわかりません。

 ここがすっきり理解できないと,その前の話もよく分からなくなるので,もう少し説明していただけると助かります。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • かぼちゃ
  • 2016/06/28 (Tue) 22:50:07
momokoさん


お邪魔してすみません。

momokoさんのたとえを拝見して昔を思い出して投稿させてもらいました。

こんなことがあったというだけで、どういう意見というのでもないので、パンダさんとのやりとりもあると思うので気楽に流してみてもらえたら
嬉しいです。(もちろんお返事もきになさらなくて結構です)


高校生のとき友人と卒業旅行にいったときまさにたとえにあったような生まれたときから属しているお互いの宗教について話をしました。


夜更けまで話、最後は

同じ宗教になることはできないけど考えのいいところはとりいれられたらいいな、
また、きかせてほしいな
と伝えると、わたしも、と友人はいってくれました。


その友人とは家族ぐるみの付き合いで20数年の付き合いです。
友人のお母さんもうちの娘のようなものといってくれてご飯をたべさせてくれたり、兄弟のことやこどもたちのことも
きにかけてくれます。


うちの母も彼女に子供が生まれたら喜びお祝いします。

それだけなんですが、楽しいこともつらいことも一緒に体験してきたわたしには本当に数少ない大切な友人です。




Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/07/01 (Fri) 15:08:57
パンダさん

伝わるように伝えるのが難しいですね。

幻想があるからその反対に何かがあるとの定義から離れて考えて頂きたいです。
本来は人が何が正しい(誤り)、何が真(偽)などと決めつけること自体は誰にも決められないと思います。
真の世界との概念を持つ時点で「相手が間違っている(自分や所属している組織が正しく、真の世界だ)」との妄想(幻想)にとらわれるように思うのです。
共同幻想や個人的な幻想(メンタル問題)にとらわれてない人であれば、 (集団に群れない)自分個人としての考えはあっても、 「○○は正しい」「自分こそ真の世界だ」などと考えることは自分中心の考えで、同時に相手が間違っているとのことになるので、心からそういう概念は持っていないと思います。
そういった概念があると広い視野で物事が見られなくなると思うので、枠にはめたような概念は心から持っていないように思います。
というより、真偽とか正誤といった共同幻想的な概念(もしくは自分の評価)には興味はないと思います。
真の世界という概念がないと言ったのはそのためなんですが、パンダさんに伝わっているでしょうか?

共同幻想適応者やメンタル問題抱えた人の中にも「自分(所属する組織)が必ずしも正しいとは限らない」と頭では分かっている人はいると思います。
それでも心のどこかでは「自分(自分の所属する組織)な価値観(幻想)が正しい」と思っている人(または自分や組織の価値観(幻想)を心では捨てきれていない人)がほとんどのように思います。
なので幻想を持っていない人は少ないと言ったのはそのためです。

かぼちゃさん

はじめまして。よろしくお願いします。

お互いに共同幻想に所属していても、心の中で共同幻想に染まり切っておらず、共同幻想以外の物も受け入れられる要素がある人は共同幻想の中にいながらもどこかに単独者的な視野を持っている人だといえるのかもしれません。
ただ共同幻想への感覚が強い人だと心の底では他の物を受け付けられないという人は多いと思います。
友人同士であれば一定の距離は置けますが、生活を共にしている家族や夫婦だと本音が出たり、深い部分で交わるとお互いの価値観がぶつかることはよくありますよね。
私やパンダさんたちが他の宗教を差別しているとの意味ではなく、どうしても根底にある価値観を捨て去ることは修行のようだと感じているこの頃です。

いつかかぼちゃさんとご友人のような関係を持てる視野の広さと相手が持てたら良いと願っております。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/07/01 (Fri) 20:50:46
momokoさん

 まだ頭が整理できません (^^ゞ

>幻想があるからその反対に何かがあるとの定義から離れて考えて頂きたいです。

 ここは私個人としてはOKなんです。ここでの議論も含め,すべてある意味で共同幻想なので,その反対側には何もない,というのが私の理解です。(あ,もちろん語り合いの世界の外には,共同幻想化されない世界が存在しているとか,そういうことを問題にするなら,それはそれでまた改めての議論の可能性は出てきますが,ここではとりあえず人間の語り合いに限定した話で考えています)

>本来は人が何が正しい(誤り)、何が真(偽)などと決めつけること自体は誰にも決められないと思います。

 決めつけるとよくないとは思うのですが,たとえば「決められないと思います」ということがもし「正しい」考え方だ,というような話になると,また元に戻ってしまいますよね。ある判断は,必ずその裏側にその否定を含むと思うので,そこから人間は逃れようがないように思うわけです。禅などはそこで「言葉の世界」を去るという試みをするわけでしょうけれども,でもそういう悟りの高次のステップを経て,さらに悟りの最終段階になるとまた現実の世界に戻って人とやりとりしながら生きるしかないわけで,その場合には同じ問題がまた起こります。そこが根本的に解決されているわけではない。

>真の世界との概念を持つ時点で「相手が間違っている(自分や所属している組織が正しく、真の世界だ)」との妄想(幻想)にとらわれるように思うのです。

 そこを「妄想(幻想)」と表現してしまうと,じゃあ,そういうとらわれをしないことが「正しい」見方ということにならないか,そこが気になっています。これ,無限に循環してしまう話だと思いますが,私の場合はそうやって何かを語り,何かを評価する以上,そこに「正しさ」の判断は入り込まざるを得ないし,しかしその判断はいつでもどんな場合にも絶対的なものでもない,という状態を人間はどうやったって抜けられないと思うのですね。それで仏教なら「無」「無無」「無無無」……と永遠の循環に入って,そののちに一挙にその循環そのものを捨て去る,ということになるのかなと想像もするのですが,上に書いたような理由で,でもなあ,そのあとになあ,ということを考えてしまいます。 

>共同幻想や個人的な幻想(メンタル問題)にとらわれてない人であれば、 (集団に群れない)自分個人としての考えはあっても、 「○○は正しい」「自分こそ真の世界だ」などと考えることは自分中心の考えで、同時に相手が間違っているとのことになるので、心からそういう概念は持っていないと思います。

 というわけで,ここでまた振出しに戻ってしまうのですが,「とらわれてない人」は存在できないのだ,というのが私の考え方になります。

 単純な話,momokoさんの考え方にそのまま賛同する人もいる。またmomokoさんはそのご自分の考え方を何らかの形で伝えようとして努力をされる。最初から伝わることがありえないと信じていれば,わざわざこうやって書いてこられることはないですよね?伝わりにくいけど,伝えようとされている。

 もう少し突っ込んで言えば,たとえ伝わり切らなくても「伝わらない」ということは「伝わる」わけです。別に奇をてらったはなしではなくて,ここが大事なポイントだと思っていることです。なぜそういうことが起こるか,というとつまりは「共同幻想」から人間がどうしたって逃れられないからです。こうやってmomokoさんが伝わらない思いを抱えながら伝えようとされていること自体,それは共同幻想の作業と考えられるわけです。

 そして,たとえばmomokoさんの考え方に対して,私は違う考え方を説明しようとしている。つまり,momokoさんの持つ共同幻想と,私が持つそれがやはり違う,ということがあるわけですね。そういうことを原理的に超えたような議論は,今のところどちらからも出ていないわけです。 

>そういった概念があると広い視野で物事が見られなくなると思うので、枠にはめたような概念は心から持っていないように思います。というより、真偽とか正誤といった共同幻想的な概念(もしくは自分の評価)には興味はないと思います。

 もし,本当に興味はないのなら,わざわざここで書き込みをする必要性もまったくないということになります。でもやっぱり書き込みたいという思いがあるから書き込む。そしてそこで言葉を使う以上,枠にはまった概念を使わずに書くことは不可能ですから,やっぱりそこから逃れられないと私は考えるわけです。

>真の世界という概念がないと言ったのはそのためなんですが、パンダさんに伝わっているでしょうか?

 私がmomokoさんの主張としてとりあえず理解したのは,こういうことです。

「人はしばしば共同幻想を持ち,それに基づいて<正しい><正しくない>という議論をする。でも本当は正しいとか正しくないとかいうことはない。それぞれの見方,それぞれの考え方,それぞれの感じ方があるだけのことだ。それを「正しさ」にこだわって考えるのが共同幻想であり,そういうこだわりを捨てるのが共同幻想にとらわれない,柔軟な生き方なのだ。当然「正しさ」に伴う「真の世界」などということは問題にならない」

 どんなものでしょう?

>共同幻想適応者やメンタル問題抱えた人の中にも「自分(所属する組織)が必ずしも正しいとは限らない」と頭では分かっている人はいると思います。それでも心のどこかでは「自分(自分の所属する組織)な価値観(幻想)が正しい」と思っている人(または自分や組織の価値観(幻想)を心では捨てきれていない人)がほとんどのように思います。なので幻想を持っていない人は少ないと言ったのはそのためです。

 ということで,上の私の見方からすると,そういうふうに主張すること自体が共同幻想の一つの形だということになりますので(もちろんこの私の書き方も含めてです),「幻想を持っていない人は少ない」のではなくて,「幻想を持っていない人はいない」ということになります。

 ですから,私が考えるときには,「どうやったってそういう幻想から逃れられない人間として,どうやってお互いの幻想のズレを調整可能なのか」という形で問題に取り組むことになるわけです。幻想の外側に立って何かができることはありえないということですね。もちろん,ほかの人との関係を断って,「これは私だけの世界」という幻想を持つことは可能ですが,それもまた共同幻想の一つということになるので。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • かぼちゃ
  • 2016/07/02 (Sat) 07:31:32
momokoさん 

コメントありがとうございます


自分のなかに根差した価値観をかえるというのはそういう価値観が自分に生えているときづくことすら私も難しい気がします



momokoさんの交わるという言葉に個人的にずっと違和感というのか感覚がわからないという感じがありました。


私の人との関わりで望むイメージはみんなで踊っている、または演劇を作り上げる高揚感、または草ぱらで笑ってる、ご飯を食べる みたいなものです。



また、基本生まれ育った家族も今の家族も友人も向き合いかたが同じなのでぶつかるという感覚も正直よくわかりません



ぶつかるというのは私にとっては邪魔されるという感覚なのかなと感じました




なので邪魔するものはわかりあって解決をするというよりいかに私個人的にできることはいかに回避できるかという認識です 




そういうことを踏まえて私には交わりをイメージできるmomokoさんなら難しいとはおっしゃられていますができることなんだろうなと、感じました。 


横レスにコメント頂けてありがとうございました。


新たな発見をすることができました。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/08/08 (Mon) 15:16:32
パンダさん

もし社会適応したいとにわとりさん達が望んでいるなら重度の精神障害扱いすることは否定しません。精神障害扱いする言い方はどうかと思いますが。
鶏に飛び方を教えたキジやカラスは好意で教えたわけですし、(にわとりさんが空を飛ぶ仲間に入りたいのであれば)キジやカラスのいうことは「共同幻想的には正しいんだよ」というのもわかります。
しかしパンダさんが「定型的な感覚」を大事にしているのであれば、キジやカラスと自動的に同じ立場なりますから「努力しないから鶏は空を飛べないんだとは言っていない」と社会適応を目指すにわとりさんに言うのは違うように思います。
「定型側の常識では定型並みにできなければ社会では生きていけないのだから理不尽な言葉だと感じても腹をたてたらいけないよ」と言うべきです(アスペ定型間の結婚となると話が違いますが)。
パンダさんのスタンスがどっちつかずで何も見えてきません。むしろ憎まれ役になるくらいでないと。
これを言うと0か100思考とか厳しい環境で生きてきたからそういった考えになるんだと決めつけられそうですが。

前回の続きです。
>「決められないと思います」ということがもし「正しい」考え方だ,というような話になると,また元に戻ってしまいますよね

元には戻らないです。
「正しい」の概念から離れて下さい。

>何かを語り,何かを評価する以上,そこに「正しさ」の判断は入り込まざるを得ない

その場合であれば、「○○が正しい」ではなく、「精神的な物で判断ができていない(相手の伝えたい意図とは正反対の解釈をする)」「(共同幻想の外にいる人の提案の方が上手くいくのに)相手の意見を受け入れない」という表現になると思います。
いずれも「自分(達)が正しい」との思い込みを持っていることが原因だと思います。

>その判断はいつでもどんな場合にも絶対的なものでもない,という状態を人間はどうやったって抜けられないと思うのですね。

人間ですから100%はないですが、「多数派の正しさ(思い込み)」や「自分が正しいとの思い込み」があると(相手の言ったことあきらかに上手くいくのに)判断ができずに結果的にも失敗するということです。
例えばにわとりさんの「同居による結婚が…」と言っている言葉にしても、にわとりさんに対する悪意、個人的な事情、同居婚が正しいとの従来の共同幻想による考えが強い人だと「にわとりさんはおかしい」「にわとりさんは私達の努力を否定する」と非難するだけで終わる。
「絶対に同居婚はおかしい」も極端すぎますが、にわとりさんの言葉の意味は(ドラマでは同居でしたが)、別居婚などでも一定の距離を置くことで上手くいくこともあるでしょうとの提案もあったのではないでしょうか。
どうしても定型の概念(アスペ側もですが)同居婚にこだわるとそこから判断を見失うものもあるように思います。
他の部分でも枠とかにはまると上手くいくものがいかなくなることもあるのではないでしょうか?

>本当に興味はないのなら,わざわざここで書き込みをする必要性もまったくないということになります。でもやっぱり書き込みたいという思いがあるから書き込む。そしてそこで言葉を使う以上,枠にはまった概念を使わずに書くことは不可能ですから,やっぱりそこから逃れられないと私は考えるわけです。

言葉を使うことが枠にとらわれるとか自分の評価や枠に囚われない人なら書き込まないというのは違うのではないでしょうか。
枠にはまった見方をしない人や人からの評価にとらわれない人が書き込むことに興味がない人もいるでしょうし、自分の考えを書き込む人もいるのではないでしょうか。

>「人はしばしば共同幻想を持ち,それに基づいて<正しい><正しくない>という議論をする。でも本当は正しいとか正しくないとかいうことはない。それぞれの見方,それぞれの考え方,それぞれの感じ方があるだけのことだ。それを「正しさ」にこだわって考えるのが共同幻想であり,そういうこだわりを捨てるのが共同幻想にとらわれない,柔軟な生き方なのだ。
というもの自体は「多数派の考えを共有している」のではないので、共同幻想とは違います。
「○○が正しい」と思い込んで言っているわけではないので、「個人的な意見」であって「妄想(幻想)ではない」と思います。
なので、「幻想(妄想)を持たない人はいない」というのとは違うと思います。

>幻想の外側に立って何かができることはありえないということですね。

「多数派で共有されている感覚(共同幻想)」からとらわれていればとの話です。
宗教が違う人や共同幻想の外にいる人と関わるなら、多数派で共有されている概念をとっぱらってみたらとの話です。
しかしパンダさんは自分の宗教を持ったままで、違う宗教の人との宗教観のズレを調整したいと試みてるということですね。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • momoko
  • 2016/08/08 (Mon) 15:18:05
かぼちゃさん

嫌味や皮肉の意味ではなく、かぼちゃさんは価値観が同じような人が多かったのですね。

>私の人との関わりで望むイメージはみんなで踊っている、または演劇を作り上げる高揚感、または草ぱらで笑ってる、ご飯を食べる みたいなものです。
>基本生まれ育った家族も今の家族も友人も向き合いかたが同じなのでぶつかるという感覚も正直よくわかりません

友達になりたい人や好きな人との価値観や方向性が同じであれば今のままで良いのではないですか。

>ぶつかるというのは私にとっては邪魔されるという感覚なのかなと感じました

邪魔されるとの意味ではないです。
違う輪で踊ったり、ご飯を食べてる人と仲良くなりたいと思った場合には、自分の宗教観を捨てて、相手の輪の中に入るか、(向こうも自分の宗教観から抜けた場合が条件ですが)どこの宗教にも属さない必要があると言っただけです。
自分の宗教観をそのままにして違う輪の中で踊り始めたら攻撃を受けることもあるとの話です。相手が違う宗教の人の領分を犯さずに距離を置いて尊重してくれる人なら良いですが(あすなろさん達には違う解釈をされましたが)。

>邪魔するものはわかりあって解決をするというよりいかに私個人的にできることはいかに回避できるかという認識です 

ここの部分は私も同じです。
本来は戦闘体制になってもお互いにメリットはないので、交われないと思った人とはお互いの領分に入らずに距離を置く方が望ましいと思います。
むしろ邪魔してくる人がいるなら何らかの問題はあると思います(共同幻想に属していてもそれを絶対視しすぎて相手の共同幻想を犯すなら病的なレベルになりますから)。

かぼちゃさんたちから違和感を感じるといわれること自体に違和感を感じます。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ぱんだ
  • 2016/08/08 (Mon) 22:27:01
momokoさん

 このところ,どうして私の話がそういう風に理解されるのか,分からなくて,やっぱりむつかしいなあと思い続けています。ほんとに不思議です。

>もし社会適応したいとにわとりさん達が望んでいるなら重度の精神障害扱いすることは否定しません。精神障害扱いする言い方はどうかと思いますが。

 私がにわとりさんを精神障がいあつかいしたことがあったという意味でしょうか?ありません。にわとりさんご自身が知的な発達の問題があるという趣旨のことを書かれていたことを引き合いに,論理的な理解について,身につかれていないだろうということを書いただけです。

 もちろん発達障がいを精神障がいだと分類されるのであれば,そういうことになりますが,その場合はアスペの方は全部そうだという話になりますね。私はそういう話をしていません。

 私が精神障がいについて書いたことは,「事実についての認識がずれてしまい,修正が効かない(妄想・幻想など)」という場合についてです。しかし私が理解する限り,アスペの方はこれには当てはまりません。(そういう方があれば精神障害も発症している,という理解になります)あるいは,その時は書きませんでしたが,私のように深刻な定型アスペ関係の結果重いうつ状態に至った場合も,これも現在の精神医学では精神障害として分類されますね。

 で,にわとりさんは事実については話はできているので,上の意味での精神障害と思ったことはありません。ただ,その主張を論理的に矛盾なく組み立てていくことに困難を抱えられていると思わざるを得ない,ということでした。私が感じていたいろいろな議論の混乱はすべてと言っていいほどそれで説明できてしまいます。

 しかし,そのような論理性のなさをアスペの方の特性として述べたこともありません。アスペの方の中には極めて優れて論理的な方もたくさんいらっしゃるからです。

 ですから,私がにわとりさんを精神障がい者としたという主張をもしmomokoさんがされているのだとすれば,それは全く事実に反します。

>鶏に飛び方を教えたキジやカラスは好意で教えたわけですし、(にわとりさんが空を飛ぶ仲間に入りたいのであれば)キジやカラスのいうことは「共同幻想的には正しいんだよ」というのもわかります。

ここのところ,よく分かったようでわからないままなのですが,私の主張は「すべては共同幻想である」というところにあります。(この私の主張も,momokoさんの書いていることも含めてすべて)。このことは前にもしつこく書きました。ですからここでの「共同幻想的には正しいんだよ」と書かれていることの意味が,その私の説明を前提に考えるとわからないし,かといってその私の説明に対する批判としてもよくわからない。ということで私にはちょっとよく分からないままです。必要ならもう少し説明していただければと思います。本筋でなければ別に結構です。

>しかしパンダさんが「定型的な感覚」を大事にしているのであれば、キジやカラスと自動的に同じ立場なりますから

ここも書かれていることの意味を確認させてください。私が「定型的な感覚を大事にしている」と書かれているのは,「アスペ的な感覚を否定している」という意味でしょうか?なんか微妙にずれ続けているのを感じますので,細かいところにこだわってすみません。でもたぶんこの微妙なずれに大きな本質的な問題が隠れているのだと想像しています。

>「定型側の常識では定型並みにできなければ社会では生きていけないのだから理不尽な言葉だと感じても腹をたてたらいけないよ」と言うべきです(アスペ定型間の結婚となると話が違いますが)。

さらにわからなくなりました。私は腹を立てたらいけないということは一度も言ったことがありませんし,今後も言うつもりもありません。むしろ頭で理解できても感情的に納得しきれないことが残る,という問題をとても重要なこととして繰り返し書き続けてきています。

私の主張は「腹を立てない」ことではなく,「私が腹が立つことについて,相手は全く腹が立たないことがある」ということを理解することであり,そしてその次に「なんでそういうずれがおこってしまうのだろうか」ということを考えることであり,そのうえで「私は腹が立つ,相手は腹が立たない,という事実を前提にして,どうやってお互いの関係を現実的に調整できるかを考える必要がある」ということです。

ですから,どうひっくり返して考えてみても,「腹を立てたらいけない」という議論は私の中からは出てきません。そんなことを言った事実はないはずですし,今後もそういう発言をする可能性がない,というのが私の主張し続けてきたスタンスになります。そこにひとつ誤解があるようです。

>パンダさんのスタンスがどっちつかずで何も見えてきません。

これについてはなぜそう見えてしまうのかについて,ブログの「とりあえずの理解」 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-f8e9.html にかなり丁寧に説明を試みましたので,ぜひお読みください。

>むしろ憎まれ役になるくらいでないと。

ありがとうございます(笑) もう十分に憎まれ役になっているというつらい実感があります (笑)or(T_T)

>これを言うと0か100思考とか厳しい環境で生きてきたからそういった考えになるんだと決めつけられそうですが。

0か100かの思考はアスペの方にかなり広くみられることのようなので,関係はするかもしれませんが,今のやりとりの中でそういう思考とか厳しい環境とか,特にそこが原因になってどうのこうのということは意識したことがありませんでした。やりとりが進めばそうなるかもしれませんが,少なくとも今のところはもうちょっと別の問題のような気がしています。

>「正しい」の概念から離れて下さい。

「『正しい』の概念から離れてください。」という概念から離れてください。という無限の循環が起こります。その無限の循環(または後退)をどう処理したらいいのか,という問題提起が前回の私の書いたことでした。momokoさんの議論からはそこが見えてこなかったので。

>いずれも「自分(達)が正しい」との思い込みを持っていることが原因だと思います。

 やはり私がお伝えしたかったことの意味がもうひとつうまく伝わっていないという気がします。素朴にお聞きしてみます。momokoさんは「いずれも「自分(達)が正しい」との思い込みを持っていることが原因だと思います。」ということを正しいと思われているのでしょうか?正しさの主張ではないとすれば,この主張は何なのでしょうか?

 誤解のないように説明を加えておきますが,ここで私が投げかけている疑問は,定型ならそう考え,アスペの方はそうでない,という話ではまったくありません。定型でもアスペでも,ここについていくらでも同じような議論をしあうことがあり得ます。もしご興味がおありなら(私は個人的に結構好きなのですが),哲学の基本問題みたいなものをお読みになると,たぶんこのあたりが出てくるはずです。原理的な問題を突っ込んで考える哲学者の議論は多かれ少なかれそこにこだわりを持っていると思います。日常を生きる上ではあんまり問題にならない議論ですが,話がこじれてくると,突き詰めていくとそのあたりにどうしてもたどり着いてしまいますね。仏教の理屈なんかもその問題と離れてはないと思いますし。生兵法ですが。

 ということで,この議論をもしmomokoさんが大事に思われるのなら,さらに突っ込んで議論したらいいと思いますし,ちょっとずれてしまっていると考えられるのであれば,少し議論の方向を変えたほうがいいかもしれません。私は必要に応じてどちらでも構いません。

>どうしても定型の概念(アスペ側もですが)同居婚にこだわるとそこから判断を見失うものもあるように思います。

ちょっと理解が追い付かないのですが,つまり,これは定型かアスペかに関わらず,ある考え方を絶対としてしまうと,間違いが起こる,というような意味でよいでしょうか?で,そういう過ちを犯しているのがつまり「共同幻想なんだ」という,そんな話でしょうか?もしそうなら上の話もちょっと見えてきますが。

>他の部分でも枠とかにはまると上手くいくものがいかなくなることもあるのではないでしょうか?

つまり,物事を決めつけずに,柔軟に考えるべきだ,ということですよね?ああ,それならよく分かります。

>「多数派の考えを共有している」のではないので、共同幻想とは違います。

あ,分かりました。そういう意味ですね。私が前回問題にしている共同幻想の話とは違う話です。いや違うんじゃなくて,「多数派」でなくても,極端な話個人で考えていることでも,人間が考えることはすべて共同幻想としてしか成り立たないのだ,という話を私をしているわけです。

ま,でもその話をしなくても,とりあえず「多数派=共同幻想」という理解の仕方で話を進めてもいいです。ただ,私が考えるのは違うんだけど,momokoさんの理解に合わせて議論すれば,ということです。別にいい加減なことを言おうという話ではなくて,それこそ「柔軟にいろいろな形で考えてみる」ことに意味があると思っているので。

>「○○が正しい」と思い込んで言っているわけではないので、「個人的な意見」であって「妄想(幻想)ではない」と思います。

ここがちょっとわかりにくいのですが,逆に言うとどういう場合にある人の考え方が「妄想」ということになるのでしょうか?個人の意見と妄想の違い,私は当然あると思いますけど,momokoさんにとってはその違いは何?

>>幻想の外側に立って何かができることはありえないということですね。
>「多数派で共有されている感覚(共同幻想)」からとらわれていればとの話です。

はい,すれ違いの理由が分かりました。何を問題にして議論しているか,その視点がずれてたんです。だから私の書いていることはことごとく別の意味で理解されて,別の形で説明をしてくださっていることになります。そのずれのポイントはもう一度書くと,momokoさんは「共同幻想=多数派の意見」という意味で話をされている。私がこだわっていたのは,「個人の意見でも共同幻想以外はありえない」という話です。必要ならその議論を続けてもいいですが,今はちょっとすれ違いが続きそうな気がするので,とりあえずmomokoさんの理解を前提に考えていってもいいです。その方が話が進みそう。

>しかしパンダさんは自分の宗教を持ったままで、違う宗教の人との宗教観のズレを調整したいと試みてるということですね。

かすってるんですけど,ちょっと違うんです。その比喩でいうなら,私が言うのは自分の宗教(共同幻想)を持たないことはありえないということです。momokoさんの議論も結局そういう宗教の一つに過ぎない。ただ信者が多いか少ないか,場合によっては一人だけかもしれないけど,でもそれも宗教なんです。ということですが,ま,この話はとりあえず置いておきません?

で,「決めつけずに柔軟に考えましょうよ」ということをmomokoさんが主張されているのだとすれば,私は大賛成です。全然問題がありません。それこそ私がこのブログで言い続けて来たことでもあります。

で,そこが一致できるとして,改めて問題は何なんでしたっけ?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • かぼちゃ
  • 2016/08/10 (Wed) 02:34:23
お返事ありがとうございます


私の家族は事情もあり世間からすれば多少変わった部分を多く含んだ家族でした


そのため文字通り個人個人、生きていくための肉体的にも精神的にもこだわりがみんな強くどちらかといえば私はそれを受け止める立場にあったと思います



だから基本何でもありでしたが幼児期から冷めたこどもでしたのでたとえ親や親戚だろうと兄弟だろうと何か批判的なことを言われても相手が感情的に振り回されているようなら「何いってんだろ」くらいで流していた気がします



自分に浸透させないというのか



で小学校に上がるとき家のやり方はは特異だとは感じていました


なので世間の習慣なり何もわからないから一切自分というものはだせない、ださないということになりそのため無言期があったのだと思います


完全降伏的な感じというか

(大人になって感じたのは母国語も違う他国で暮らし始める的な感覚に近いなと思いました)


でも絵画だったり、遊びでは話さなくても自己表現はできて、またそこまで丸腰の私をいじめる人もおらず


面倒見られてました



で時々、絵とかダンスとかなら多少役にたてたかな?


だから世間てもしかして優しいかも?という感じで今に至ります


私から誰かと仲良くなりたいというのはなかったです、今もそんな余裕ないというか


だから1人が楽ですし対人に対しては受け身です



手がかりそうな私に声をかけてくれるような方というのは元々余裕がある人や感じ方がかなり近くてという人ばかりなんだろうと思います



邪魔というのは日常的なこと、自分の部屋に要らないものを置かれるという感じですから基本相手からもらわないよう自分の好みを表さないとかいらないということ、捨てるで回避したりしてます



momokoさんのおっしゃられているように私も今のままでいいと自分で思っています



なので元々昔を思い出し独り言に近いコメントからのやり取りだったので私はこれでコメントを控えますね 


最後の文のかぼちゃさんたちのたちにかかる違和感は私の個人的の感覚を書いたものです


どちらかといえば自分がイレギュラーかなという感覚で書きました

改めて気づいたというか


momokoさんの中でどういうカテゴリーわけされたのかわかりません


でもそこは私の預かり知らないところでもありまた正直にいうと興味もないのでこれで失礼します


色々とありがとうございました
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • 元アトピー患者
  • 2016/10/15 (Sat) 11:30:12
私はアスペルガーの彼がいます。
結婚前提で同棲していましたが、喧嘩ばかりで別れました。
同棲を解消してからの方がうまくいっています。
カップルにもよるかもしれませんが、価値観がそり合わない場合は空間を別にして暮した方がうまくいく事もあります。
しかし別れる事は考えたことがありませんでした。アスペの彼は私のアトピーを見ても引く事はなく、私を純粋に見てくれたからです。私は純粋で心が優しい彼を好きになりました。離れることは考えられませんでした。それは彼も同じでした。
にわとりさんはカレンさんやパンダさんのような夫婦を否定なさったわけではないと思いますよ。いろんなカップルの形があるよということを仰りたかったのではないでしょうか?
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • やっぱりおかしい
  • 2016/10/24 (Mon) 21:07:26
パンダさん

ご自分に都合の悪い回答を無視するのはどうなんでしょうか。いつも疑問です。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • ちひろ
  • 2016/11/01 (Tue) 13:57:12
やっぱりおかしいさん

文句を言い続けるのはやめましょう。
私もパンダさんに疑問を感じることもありますが、それをぶつけて何になるのでしょうか
「にわとりさんが仕事ができないと嘘をついてるだけでやりたくないことから逃げてるだけだと認識なさってるからにわとりさんの削除要請を断ったんだ」と認識で終わるだけです。
パンダさんに言っても本来の掲示板の機能も壊れてしまうだけです。
にわとりさんに関してはともかく、基本的にはパンダさんの他のアスペの方に対する理解力は誰より高いと感じます。
掲示板に参加を続けるのであれば、ある程度の割りきりは必要ですよ。

アトピー患者さんも推測で物を語るのはやめませんか。にわとりさんがどういう意味でおっしゃっていたのかは今更本人にも聞けないので、こういう意味で言っていたのではないかと訴えるのは違うかなと思います。
にわとりさんにしか本心はわかりません。パンダさんのとらえ方に間違いがあったとしても、にわとりさんが反論しない以上は反論する権利を放棄したということになるので、他の人がかばったり、反論したり、相手を批判するのはお門違いだと思います。
(管理者の承認待ち)
  • 2018/02/08 (Thu) 19:22:32
この投稿は管理者の承認待ちです
(管理者の承認待ち)
  • 2018/02/08 (Thu) 19:48:38
この投稿は管理者の承認待ちです
アスペ定型の結婚
  • 子育て経験者
  • 2018/02/08 (Thu) 20:08:04
2016/02/19 (Fri) 13:44:36のみるきさんのご意見で感じたことですが、相方がアスペの場合、定型基準(感覚以前にやり方や能力理解力などなど)に合わせられない相方のことを勝手に失望してなげいたり、蔑んだりし、ブログなどで悪口を書いている場合、その定型の方も共依存に陥る心理的な理由があることは事実だと思います。
好きだから別れないとか、その立場にならないとわからない言うのも同じこと。共依存に陥らなければ相手のレベルに失望しているならその時点で見切りをつけて別れているので。
アスペか定型側どちらかの人格に問題があった場合でも同じことだと思います。そんな問題がある人と一緒にいる、惹かれることにも共依存に陥る心理状態にあるからだと思います。
大なり小なり、誰でも心理的な問題はどこでも感覚や価値観の違いで揉めて、お互いに模索することはどこにでもあることですが、共依存心理に陥る問題もあすペ定型間では特に多いと思います。

アスペの子育て
  • 子育て経験者
  • 2018/02/08 (Thu) 20:19:54
当事者でも子育てきちんとできる方と子供への思いがあっても子育てが未熟な方はいると思います。
生むだけ産んで子供を放置した方は論外です。

子供が欲しくて産んだのはいいけど、定型の相方がいなければ子供への問題に対処できなかったり、うちの主人(アスペの診断を受けました)のように何か問題が起きるとわからないと言ってパニックになるだけの当事者もいます。
子供を産んだけど、親が二次障害を抱え、人が怖くて外に出られず、子供の問題に対処するどころではない人。子供には申し訳ないと言いますが、自分がその状況ならまず子供を作るなと言いたくなります。
わたしも恥ずかしながら自分のアスペ問題に気づかずに出産しました。周囲から非難されるのは仕方がないとも思っています。

自分がそうだったから障害者は子供を産むなと言っているわけではありません。障害だからではなく、障害を持っているその人自身が子供を産んでも大丈夫か、子供をつくるべきではないとの自覚を持たないといけないのかだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • さろま
  • 2018/09/14 (Fri) 07:37:02
読んだ当初は共同幻想の問題点やそこで生きる辛さもあるんだろうなと思っていましたが、結局は生きづらさを抱えていて、周りから拒絶されている現実逃避のための幻想に逃げているだけだったのだと思います。
果物さんが一見心ないように見える発言をなさったのもそういった忠告も含まれていたように思います。

共同幻想の社会が悪いのではない。そこのシステムに乗っかれない人が排除されるのは問題なのかもしれませんが、現実逃避からの非難であればただのやっかみに過ぎないのだと感じるところです。
共同幻想が悪いというより、家庭環境が原因で社会に馴染めなかったんだなと改めて感じたところです。
Re: Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • あすなろ
  • 2018/09/16 (Sun) 15:27:38
>サロマさん

社会が悪いのか、個人が悪いのか、という議論は難しいところですね。社会と個人が相容れないところで、差別や偏見は生まれるのだと思いますし、差別された人の主張は、一部正論で、一部僻みがあるのだと思うし、生育歴や経験が、その人の価値観に影響を及ぼさないことは無いと思います。
だからこそ、全てが社会のせい、全てが個人のせいと割り切ることは出来ないし、その都度判断も変わるのだと思います。

アスペなどのマイノリティが生きやすい社会を目指せば、今度は生きやすかったマジョリティが生きにくくなる。排除される人間が逆転するに過ぎませんし、差別される側が多数派であれば、相当反感が強くなり、すぐに崩壊するかもしれません。そこで必要なのは、自分と相容れない価値観に反論するのではなく、相容れなくても受け止める、多様性を認めることなのかと。

インクルージョンという考え方を発展させるには、定型がアスペの価値観を受け止めることと同時に、アスペも定型の価値観を認めることが必要になるのだと思います。
理解できないけど認める。
そうすれば、個人の生育歴が悪かったからだとか、社会が歪んでいるからだという、犯人探しの必要は無くなる。

共同幻想に縛られない社会というのは、個人個人が多様性を認めるようになれば、必ず実現できるものだと思います。
そもそも共同幻想というのは、『みんな一緒が一番良い』とする考え方そのものを言っているので、たまたま今の日本社会にその傾向が強く残っていて、それでも一昔前よりはまるで違うので、残された問題に気づいて、誰もが緩やかに認め合える社会を目指そうとすることが大切。今の日本はその発展途上なんだと思います。
Re: Kagewari精神分析 読書ノート
  • サロマ
  • 2018/09/17 (Mon) 23:39:35
あすなろさん

やはり家庭環境は一番の原因だと思います。

しかし自分達が正しい、多様性を認めようとしない社会にも原因はあると思います。



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